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鬼斬り かぐや <原作>
作:千風



第31章 いざ犬国


犬国。国主・里見八房の部屋。
「・・・。」
白い毛並みの老犬は、厳しくもどこか悲しげな表情を見せ、部屋の奥にある大きな仏壇の前へと座っていた。
「犬孝の息子が戻ってきたよ…」
仏壇に飾られている1枚の写真を見つめ、八房が呟く。
(ふせ)…」
その写真には、まだ若く美しい、白髪青瞳の女性が写っていた。

龍国・オトポリ本部。
「リンゴぉぉぉ〜〜っ!イチゴぉぉぉ〜〜っ!」
『・・・?』
後ろから聞こえてくるナマリ口調の大声に、オトポリ敷地内の道を並んで歩いていたリンゴ・イチゴ姉妹が同時に振り返った。
「おおぉぉぉ〜〜いっ!!」
「金汰っ」
大きく手を振り、その巨体を走らせて地面を揺らしながら、2人の元へとやって来るのは1頭の黒クマ。もちろん、金汰である。
「どうしたんですぅ?そんなに走って」
2人のすぐ前までやって来た金汰に、リンゴが不思議そうに問いかける。
「ゴンと羊スケ、見なかっただかぁ?」
「うげっ」
「ゴホンっ!ゴホンっ!」
「んっ?」
金汰の問いかけに、勢いよく表情を引きつるリンゴと、思わず咳込むイチゴ。そんな2人に、金汰が少し目を丸くする。
「どうかしただかぁ?」
「いっ…いえっ…3日前から風邪気味でっ…」
「そうだかぁ〜っ!無理しちゃダメだぞぉ〜?」
「はっ…はいっ…」
「あっ…あのぉ〜っ、金汰ぁ〜さんっ?」
両手で口を覆うイチゴを心配するように見ている金汰に、リンゴが無理やり作ったような笑顔で声をかける。
「んっ?」
「なっなんで、ゴンと羊スケをお探しなんですっ?」
「ああ〜っ」
リンゴの問いかけに、金汰が笑顔で頷く。
「そっりゃあウチの鉄がぁっ」
「ふわぁ〜っはっはっはっはっ!!」
「げっ」
笑い声だけでその存在を察知し、またもや顔を引きつるリンゴ。
「それはだねぇっ!この僕っ!この僕っ!オトポリの若き隊長・正刈鉄汰の次の任務に、彼ら2人が同行することになっているからだよぉ〜っ!!」
そこに現れたのは、背中に巨大なマサカリを背負った、オカッパ頭の濃ゆい顔の青年。鉄汰であった。
「2人が見つからなくて、なかなか出掛けられずに困っているんだぁ〜っ!」
「鉄ぅ〜っ!おいらが絶対、探してやっからぁ〜っ!」
「部下くらい、自分で探せやっ…」
「何かっ?」
「いえっ」
横を向いてこっそり毒を吐いたリンゴであったが、鉄汰に声をかけられると、すぐさま清々しいまでの笑みを向けた。
「それでぇ、お前ら、あの2人がどこ行ったか知らないだかぁ?」
「えっ?あっああぁ〜っ」
金汰の問いかけに、妙に裏返った声を出すリンゴ。それもそのはず、ゴンと羊スケは輝矢たちとともに、桜時を助けるため、犬国へと行ってしまったのである。これがオトポリにバレれば、2人の首は確実。それ以上の処分だって与え兼ねられない。
「ゴンならぁ〜山へ芝刈りにぃっ」
「よっ…羊スケさんはっ…川へ洗濯にっ…」
咄嗟にどこぞのおとぎ話のようなフレーズを並べるリンゴとイチゴ。
「山へ芝刈り?」
「川へ洗濯?」
金汰と鉄汰が、同時に目を丸くする。
「むっ…無理かしらっ…?」
「お姉ちゃんが変な言い訳しか思いつかないからっ…」
「あっ…アンタだってノって来たじゃないのっ…!」
金汰と鉄汰に聞こえないように小さな声で、ひそひそと言葉を交わすリンゴとイチゴ。
「それなら仕方ないねぇ〜っ!お兄ちゃんっ!」
「そっれなら仕方ないだなぁ〜っ!鉄ぅっ!」
『はっ…?』
聞こえてくる納得の声に、リンゴとイチゴが顔をしかめて振り返る。
「新しい同行者、付けておくれよぉ〜っ!」
「兄ちゃんにまっかせとくだぁ〜っ!鉄ぅ〜っ!100人は付けてやるぞぉっ!」
「そんなにいらないよぉ〜っ!僕には100人の力をも凌ぐ実力があるからねぇ〜っ!」
「そうだったなぁっ!ガッハッハっ!」
『・・・。』
2人が呆然と立ち尽くす中、平和な会話をしながら、仲良く肩を組んで歩き去っていく金汰と鉄汰。
『バカで良かった…』
そんなクマ兄弟の後ろ姿を見ながら、リンゴとイチゴは同時に呟いた。
「リンゴぉぉ〜っ!イチゴぉぉ〜っ!」
「パパっ?」
「お父様っ?」
クマ兄弟が去ったかと思うと、今度は2人の父・座黒が大きく手を振りながら、2人の元へとやって来た。その手には何やら、資料のような紙を持っている。
「今、警備の者から連絡があってなぁ〜?何でも、今朝早くにオトポリの黒オープンカーが龍国を出て行ったらしい」
「うげっ」
「ゴホンっ!ゴホンっ!」
警備からの報告書であろうその紙を座黒が読み上げると、またしてもリンゴは顔を引きつり、イチゴは咳込んだ。
「そんな報告は受けておらんしぃ、お前たちちょっと行って調べっ…」
「あっああぁ〜っ!パパっ!今日はイイ天気ですし、林檎狩りにでも行きませんことぉ〜っ?」
「えっ…?別にそんなに晴れてもいないようなっ…」
「いっ…苺狩りもいいと思いますっ…!」
「むっ…むぅっ、そうかぁ?」
引きつってはいるが笑顔で狩りを勧めてくる2人の娘に、徐々に流されていく座黒。
「じゃあ行っとくかぁ〜っ」
「行きましょっ!行きましょっ!」
「えっ…ええっ…!」
座黒を引っ張るようにして、どこかへと歩いていく2人。
『はぁっ…』
ゴンと羊スケの首を繋げるため、苦労をさせられてしまうリンゴとイチゴなのであった。

犬国・里見家屋敷。
「犬義っ」
「・・・?」
廊下を歩いていく犬義を呼び止めたのは、少し険しい表情を見せた犬仁であった。
「何です?犬仁」
振り向いた犬義が、犬仁に笑顔を向ける。
「犬孝様には生死は確認していないと言っていたが、お前、あの者をちゃんと生かしたのだろうな?」
「あの者っ…?」
――――何やぁ〜っ?お前らぁっ!――――
「ああっ」
犬義が門貴の姿を思い浮かべ、笑顔のまま少し頷く。
「一応、瀕死の状態で止めといたんですがねぇ〜その後、野垂れ死んでたら仕方ないですねぇ〜」
「・・・っ」
楽しげに笑って言う犬義に、犬仁の表情が曇る。
「無駄な血をっ…」
どこか煩わしそうに呟く犬仁。
「終わったことを責める気はない。だが、犬孝様への口のきき方にはもう少し気を遣え」
「・・・。」
犬仁の言葉に、犬義がピクリと眉毛を動かす。
「あの方は今、不安定な状態だ。我々が支えて差し上げねばっ…」
「犬仁は本当に思っているのですかぁ?」
「・・・?」
犬義の問いかけに、言葉を止めて顔を上げる犬仁。
「あの方がこの国を治め、四大国を倒して“大国”の称号をもたらしてくれるなどとっ」
「何っ…?」
犬仁が眉をひそめる。
「当たり前だろう。それに、それはお前自身が犬孝様に言ったことではなっ…」
「俺は無理だと思いますよ」
「なっ…!」
あっさりと答える犬義に、犬仁が驚いたように目を開く。
「何をっ…!」
「あの方は何ともお優しい性分のようですし、それに実力的にも我らの上に立てるとはっ」
「口を慎めっ!犬義っ!」
「・・・っ」
桜時をバカにしたように話した犬義に、思わず声を張り上げる犬仁。そんな犬仁に、犬義は言葉を止め、その表情から笑みを消した。
「我々の長は、あの方以外に考えられない」
まっすぐな瞳で、言い放つ犬仁。
「“犬孝”の血を受け継ぐあの方しかっ…」
強く拳を握り締める犬仁は、その言葉に何か強い思い入れがあるように見えてならなかった。
「・・・貴女は…“犬孝様”に固執し過ぎている…」
「・・・っ!」
犬義の言葉に、大きく目を見開く犬仁。
「固執で曇ったその目では…冷静な判断など出来ませんよ…」
犬仁に少し冷たい笑みを向け、その場から静かに歩き去っていく犬義。
「・・・っ」
深く俯いた犬仁は、強く唇を噛みしめ、拳を握り締めた。
――――お前は“犬孝様”をお守りするためだけに…生まれてきたんだよ…?――――
思い出される、過去の言葉。
「・・・犬孝様っ…」
まるで救いを求めるかのように、犬仁は犬孝の名を口にした。

「・・・ふぅっ…」
廊下の角を曲がり、犬仁にその姿が見えなくなったところで、少し肩を落とし、息をつく犬義。
「見ぃ〜ちゃったっ!見ぃ〜ちゃったっ!」
「・・・?」
聞こえてくる明るい声に、犬義が振り向く。
「お前ら…」
犬義が振り向くと、犬義の歩くすぐ横の部屋の襖が開き、畳の部屋に3匹のイヌが並んでいた。明るく話したのは犬信、後の2匹はメガネ犬・犬礼と、大型犬・犬悌であった。
「ヨッシーってば、まぁ〜たジンちゃんイジめちゃってぇ〜っ」
「別にいじめた覚えはない。俺は本当のことを言っただけだ」
非難するように言ってくる犬信に、犬義が少し笑って答える。
「あんな温室育ちの王子様に、何も出来やしないとな」
「仮にも我らの主君だぞ…?そのような言い方はやめろ…俺の耳が腐る…」
「それは失礼っ」
眼鏡を光らせて鋭く言う犬礼に、犬義は軽く謝った。
「そうかなぁ〜っ?ボクは結構、好きだけどぉ〜?コーちゃんっ!」
「その軽々しい呼び名もやめろ…犬孝様の存在が腐る…」
「えぇ〜っ?レイレイよりはイイと思うんだけどなぁ〜っ」
「じゃあそれをまずやめろ。俺の存在が腐る前に…」
「ふぅっ」
犬信と犬礼の相変わらずの言い合いに、犬義が少し呆れたように肩を落とし、3匹のいる部屋を見回す。
「お前ら3匹だけか?犬忠と犬智はどうした?」
「トモは犬孝様の世話役だでぇ〜お傍に付いてるだぁ〜」
「チューチューがいないのはいつものことじゃ〜ん?」
「そうか」
犬悌と犬信の言葉に、納得したように頷く犬義。
「困ったものだな。犬忠にも」
「あいつはすでに性根が腐っている…」
犬義の言葉を受け、犬礼が冷たく言い放つ。
「仕方ない。お前らだけ、先に準備をしておけ」
「準備っ?」
「何の準備だぁ?」
「歓迎会でもやるのか…?」
「まさかっ」
不思議そうに問いかけた3匹に、犬義は不適に笑って背中を向ける。
「・・・。」
3匹に背を向けた犬義は、3匹に見えないよう、自分の右腕の裾をまくり上げた。その下から見えてきたのは、激しい切り傷。
――――如意棒・第2の舞っ!“浄”っ!!――――
傷を負った時のことが思い出される。勝ちはしたものの、決して圧倒的勝利ではなかった。これほどの傷を負わされるなど、犬義にとってはもう久方ぶりのことであった。
「・・・っ」
裾を元に戻し、犬義がそっと微笑む。
「“戦い”の準備だっ」
『えっ…?』
振り向いて言い放った犬義に、3匹が戸惑うように声を出す。
「戦いぃ〜っ?」
「誰か来るのか…?」
「ああっ」
犬礼の問いかけに、犬義は楽しげに笑って大きく頷く。
「久々にっ…面白い戦いが出来るぞっ…」
『・・・っ』
犬義の言葉に、笑う者、曇る者、3匹はそれぞれ違った表情を見せていた。

「うぅ〜んっ…」
ハンドルを握りながら、気難しい表情を見せる羊スケ。
「ダメっスねぇ〜これ以上は進めないっス」
「仕方ねぇな」
「雪深くなってきましたからね…」
羊スケの言葉を受け、ゴンと輝矢がそう言いながら、それぞれ車を降りる。道に深く積もった雪に、車のタイヤは埋もれ、これ以上は進めない状況となっていた。
「まぁいい。もうすぐそこから犬国の領土だ」
龍国を出て数時間。西へ進むほどに気温は下がり、やがて雪が舞いだした。そして輝矢たちは、雪深い犬国のすぐ手前まで辿り着いたのである。
「国って言っても、なぁ〜んか雪と森しか見えないけどぉ?」
「四大国を退いてからは、ほとんどの国民が出てって、今じゃ50にも満たない数の人間しか住んでないからな」
「50っ!?ウチの村より少ないやぁ〜んっ」
ゴンの言葉に、モンキが驚きの表情を見せる。
「でもこんなに雪が降ってるのに、森も鬱蒼としてるって変くない?」
「ああ、確かにっ」
雪で白く色づいてはいるものの、森の木々は決して枯れているわけではなく、雪の下でむしろ青々と生い茂っている。ユキジの指摘に、モンキが気付かされた様子で頷く。
「この国は年中、雪が降ってんだよっ。実際の季節は龍国と同じ初夏っ」
「ああ〜だから木ももっさりしとんのかぁ〜っ」
「犬国の植物は大抵、雪ん中でも育つようになってんだよっ」
モンキやユキジに、次々と解説を入れていくゴン。
「随分と詳しいのですね」
「一族柄なっ」
「なるほど」
ゴンの一族である狐族は、“裏切りの一族”とも呼ばれ、他種族の国に身を寄せてはまた移り住むといった習慣を持つ一族であった。
「それに犬国は虎国のすぐ上。気候なんかもほとんど同じだ」
そういった国の情報には、ゴンはある意味、誰よりも精通しているのかも知れない。
「油断すんなよ。国主に仕える“八犬士”ってのは、相当な強さらしいからなぁ」
「それは身をもって体験したサルがいます」
「はいはぁ〜いっ!」
「んっ?あっああ、そうだったな」
輝矢がの言葉に、元気よく手を挙げるモンキ。そのモンキを見て、ゴンが思い出したように頷く。
「門貴さん、大丈夫なんスかぁ〜?まだ傷、治りきってないんじゃっ」
まだ犬義から受けた傷の治りきっていないモンキを、運転席から降りてきた羊スケが少し不安げに見る。
「ハチを私の元へ返すためなら、命を賭しても構いません」
「そうそうっ!って、えぇ〜っ!?輝矢んっ!俺は輝矢んのためなら、命を賭しても構わんのやでぇ!?」
「どっちでもいいよ」
輝矢とモンキの会話に、冷たい突っ込みを入れるユキジ。
「じゃあとっとと行っ…」
「ああ、待って」
「あっ?」
ゴンが先頭をきって犬国の領土へ向かって歩き出そうとしたのを、ユキジが呼び止めた。
「何だぁ〜?ビビってんのかぁ?クソ生意気キジにしては珍しっ…」
「んなわけないでしょ?ヘッポコギツネ」
「ニャロウっ…」
「まぁまぁ押さえて、ゴンさぁ〜んっ」
怒りに拳を握り締めるゴンを、隣から羊スケが宥める。
「コレ、念のため1人1枚ずつ配っとくよぉ」
『・・・?』
そう言ってユキジが皆に差し出したのは、黄色の羽根であった。
「癒羽?」
「うん。コレ持ってれば、ボクがいなくても回復できるでしょ?」
「なっるほどぉ〜っ!さっすがユッキーっ!」
ユキジの言葉に、モンキが感心した様子で言いながら、黄色い羽根を懐へとしまう。ゴンと羊スケも同じように、もらった癒羽を、オトポリ制服の胸ポケットへとしまった。
「輝矢は3枚ぐらいっ」
「何故です?」
皆より多くの癒羽を差し出してくるユキジに、少し眉をひそめる輝矢。
「桜時のことになると、自分の怪我も見えなくなるからっ」
「それは警告ですか?」
「それもあるっ」
「・・・っ」
嫌味っぽく微笑むユキジを見て、輝矢もそっと笑みをこぼし、もらったばかりの3枚の黄色い羽根を、大事そうに懐にしまった。
「竹取っ」
「ええ」
振り向いたゴンに、輝矢が大きく頷く。
「行きますよ。サル、キジ、キツネ、ヒツジっ」
『おうっ!!』
「ええ〜っ」
こうして輝矢たちは、ついに、桜時のいる犬国へと足を踏み入れた。

里見家屋敷。桜時の部屋。
「・・・。」
朝から降り続ける雪を、ハチはその前足をガラス窓につけ、そこから延々と見つめていた。里見家に来て1日が過ぎた。色々なことを知った。だが頭の中は混乱しておらず、妙に冷静であった。混乱の限界を越えてしまったのだろうかとも思う。だが、それは…
――――ハチっ…――――
もっと気になっていることが、他にあるからなのかも知れない。
「はぁっ…」
ハチの吐いた溜息で、窓ガラスは少し曇った。
「失礼いたします」
「・・・?」
声とともに襖が開く。ハチが振り返ると、犬仁が部屋へと入って来た。
「あっ、悪いっ!今っ…!」
「そのままのお姿で結構ですよ」
「えっ…?」
慌てて人化しようとしたハチを、犬仁が止める。
「ここは犬国…皆、イヌです。イヌ以外の姿でいる必要など、どこにもありはしない」
「あっ…そっか…」
犬仁の言葉に、思いだしたように頷くハチ。
――――私の前に出る時は人化しなさいと、何度言えばわかるのっ?――――
「・・・。」
イヌである自分の姿を隠すように人化をした。その癖はもう体に染み込んでいる。だが、この国に居ればその必要はない。ハチを必要としてくれる国。ハチを受け入れてくれる国。ここは、ハチがありのままの姿でいられる国なのだ。
――――四大国を倒し、この国に再び“大国”の称号をもたらすことっ…――――
「・・・っ」
思い出される犬義の言葉に、ハチはその表情を曇らせた。
「犬智から聞きました…犬国とその歴史についてをお聞きになったそうですね」
「えっ…?あっ…ああっ」
部屋の中に入り、襖を閉め、ハチの方へと歩いていくる犬仁。その言葉に、ハチが小さく頷く。
「意外でした…お父上のことより先に…国のことを聞かれるなんて…」
「ああぁ〜っ…」
犬智にも同じようなことを言われたことを思い出し、少し耳を前後させるハチ。
「父さんのことはっ…あの人に直接聞きたいなぁ〜とか思って」
「・・・?八房様ですか?」
「ああっ…」
少し俯き、ハチが笑う。
――――お前の祖父じゃっ…――――
初めて出会った、犬人の家族。八房が言葉を濁して消えたのは、桜時の父に何かがあったからだろう。他の者からではなく、八房から聞いて、しっかりと受け止めたい。
「そうですか…わかりました」
ハチの姿を見て、犬仁が穏やかに微笑む。
「ならば私も…何も語りません…」
「・・・ありがとう…」
「いえ…」
礼を言うハチに、犬仁が少し首を横に振る。
「・・・犬仁は優しいな…」
「そんなっ…」
ハチがそっとこぼした言葉に、犬仁は少し照れたように顔を俯かせる。
「犬智も優しいし…八犬士のみんなも…まぁ色々問題はありそうだけど…」
「申し訳ありません。問題のあった連中はしばき倒しておきますので」
相変わらず仲間に容赦のない犬仁。
「・・・みんな、明るくて楽しそうだった…」
「犬孝様…?」
再び窓の外を眺め、遠い目を見せるハチに、犬仁が少し首をかしげる。
「ここでは誰も…俺を“スズメじゃない”って蔑んだりしない…」
「・・・。」
言葉を続けるハチを、犬仁は後ろからまっすぐに見つめる。
「ここは…きっと俺にとって…1番居心地のいい場所…でもっ…」
ハチの前足が、窓ガラスに触れる。
「でもっ…」
「・・・。」
ハチはその先の言葉を、口にはしなかった。犬仁はそっと目を細め、ハチを見つめていた。

「失礼いたします」
ハチの部屋を出て、犬仁が襖を閉める。
「・・・っ」
廊下を曲がり、少し俯く犬仁。
――――でもっ…――――
なんと、悲しい顔をするのであろう。ここが居場所のはずなのに、ハチ自身も1番居心地のいい場所と言っていたのに、どうしてあんな顔をしていたのであろう。
「何かが足りないのか…?何が…」
考え込むように、呟く犬仁。
「あっ!ヒトちゃ〜んっ!」
「・・・?」
前方から聞こえてくる明るい声に、犬仁が顔を上げる。
「犬智」
廊下の向こうから犬仁の方へとやって来るのは、明るい笑顔の茶髪の少女・犬智であった。犬智は大きく手を振りながら、犬仁の前までくる。
「犬孝様のところへ行くのか?」
「うんっ!昨日、寝ずに作った、あいうえお作文第2段を聞いていただこうと思ってっ!」
「そっ…そうかっ…」
曇りのない笑顔で言う犬智に、少し引きつった表情を見せながら頷く犬仁。
「ヒトちゃんも聞きたいぃ〜っ?まずぅ、いぬとものいっ!イカはスルメでっ!いぬとものっ…!」
「まっまぁっ!とにかくっ!」
「・・・?」
犬智のあいうえお作文を遮るように、勢いよく声を出す犬仁。
「これ以上、襖は破くなよっ」
「うっ」
襖のことを言われ、少しその表情を引きつる犬智。犬智は昨日、桜時の部屋の襖を、詳細は不明だが、ビリビリに破いてしまったのである。
「今日破いたら、晩飯抜きだからなっ」
「そんなぁ〜っ!ヒトちゃん、厳しいぃ〜っ!」
冷たく言い放つ犬仁に、泣きそうな表情で訴える犬智。
「じゃあ私は、八房様に呼ばれているから…」
「あっ」
犬智の横を通り過ぎ、その場を歩き去って行こうとする犬仁。
「ヒトちゃんっ…!」
「・・・?」
去ろうとした犬仁を、犬智が思わず呼び止めた。不思議そうに目を丸くして、犬仁が振り返る。
「何だ…?」
「あっ…あのっ…」
振り返った犬仁に、少し躊躇うように俯く犬智。
「あの人はっ…本当に…ここにいていいの…?」
「・・・っ」
犬智の言葉に、犬仁の表情が曇る。
「“あの人”…犬孝様のことか…」
「うん…」
少し桜時の部屋の方を向き、目を細める犬仁。犬智が俯いたまま、小さく頷く。
「・・・当たり前だろう。あの方は我々の長たるべき存在、55代・犬孝様だぞ?」
「それはっ…ここにいる理由になるっ…?」
「・・・っ」
その犬智の、シンプルな、だが深い問いかけに、犬仁は少しハッとしたような表情を見せた。
「なっ…なるに決まっているっ…!」
どこかムキになったように、少し声を張る犬仁。
「あの方は里見犬孝様っ…!この犬国こそがあの方の居場所だっ…!」
「じゃあなんであの人は、あんなに悲しそうな顔しかしないのっ…!?」
「・・・っ!」
声を張り上げた犬仁に、犬智も同じように大きな声を出して、必死の表情で問いかけた。犬仁が大きく目を見開き、出そうとしていたすべての言葉を呑み込む。
――――でもっ…――――
悲しそうな顔をしていた。本当に。
――――ううっ…!!――――
連れてくる時も、悲しそうだった。今にも潰れてしまいそうな、そんな状態だった。
――――我々とともに行きましょう…――――
ここに連れてこれば、あんな悲しそうな顔をさせることはないと、そう思っていたのに。
「・・・っ」
犬仁が拳を握り締める。
「ねぇ、ヒトちゃん。あの人はやっぱりっ…」
――――ワンワオォォォォォ〜〜〜ンっっ!!!――――
『・・・っ!』
遠くから聞こえてくるイヌの吠える声に、犬仁と犬智が同時に振り返る。
「この鳴き声は番犬のっ…」
「侵入者かっ…まさか犬孝様をっ…?」
遠吠えの聞こえた方を見つめ、犬仁が表情を曇らせる。
「犬智っ!お前は犬孝様のお傍に付けっ!片時も離れるなよっ!いいなっ!?」
「あっ…!ヒトちゃんっ…!」
犬智にそう指示を飛ばし、犬仁がすごい勢いでどこかへと駆けていってしまう。犬智は呼び止めるように手を伸ばしたが、犬仁は振り返ることなく、その場から去っていった。
「ヒトちゃんっ…」
廊下に取り残された犬智は、不安げに犬仁の名を呟いた。

「八房様っ…!!」
犬仁が、最初に桜時を連れてきた大広間へと駆け入る。
「遅いぞ、犬仁…」
「はっ!申し訳ございませんっ」
最奥で座る八房に言われ、犬仁がすぐにその場に膝をつき、深々と頭を下げる。すでに他の5匹は揃い、部屋の端で整列していた。
「番犬のお声をっ」
「聞いた。侵入者のようじゃな…」
「はっ」
八房の言葉に、犬仁が大きく頷く。
「四大国の奴らか…?」
「いっいえっ!それはっ…!」
「違いますよ」
「・・・っ」
冷たい表情で問いかけた八房に、犬仁は慌てて否定しようとしたが、横から代わりにあっさりと否定したのは犬義であった。
「犬義っ…」
そんな犬義を、犬仁は少し驚いたように見つめる。
「恐らくは犬孝様の元・お仲間の連中でしょう…龍国には身を置いていたようですが、四大国の者ではありません」
「そうか…」
冷たかったその表情が、少し落ち着いた様子となる八房。
「犬孝を取り戻しに来たか…」
「随分と人気がおありなんですねぇ〜犬孝様はっ」
「さっすがコーちゃんっ!!」
「口を開くな…皆の耳が腐る…」
犬義の横で明るく声をあげる犬信に、その隣の犬礼が不快そうに言い放つ。
「ハッハッハっ!!面白くなってきたぜぇ〜っ!!」
――――ボォォォォォォ〜〜〜ンっ!!――――
そう言って笑った犬忠を、白い煙が包んでいく。
『・・・?』
皆が戸惑うように見つめる中、白い煙の中から出てきたのは人化した犬忠。
「俺が全員っ!血祭りにしてきてやるよぉぉっっ!!」
「おっ…おいっ!犬忠っ!」
狂ったように開いた目で笑い、広間を飛び出していく犬忠。犬仁が慌てて立ち上がり、出ていく犬忠の背中を目がけて、大きく名を呼ぶ。
「犬忠っ…!!」
「よいっ、犬仁っ」
「・・・っ」
追いかけて行こうと足を踏み出した犬仁を呼び止めたのは、八房。
「八房様っ…!しかしっ…!」
「奴の力はワシも信頼しておる。殺すことはあっても殺されることはあるまい」
「“殺す”…」
八房の言葉に、少し表情をしかめて俯く犬仁。その可能性があるからこそ、止めねばならないのではないか。犬仁はそう思ったが、八房に進言することはなかった。
「犬悌、“安房の森”入口にて、侵入者どもを迎え討て」
「はいだぁっ!!」
八房の指示に、大きく頷く犬悌。
「犬信・犬礼、里見家・安房の森中間部にて、侵入者どもを待ち構えよ」
「はいはぁ〜いっ!」
「もっとマシな返事をしろ…俺の耳が腐る…」
「レイレイも準備万端でぇ〜すっ!」
「その呼び名はやめろ…俺の存在が腐る…」
相変わらずの言い合いをしている犬信と犬礼だが、とりあえず指示には頷いているようである。
「犬仁・犬義は、屋敷周辺にて待機せよ。侵入者が屋敷に入ることを防ぐのじゃ」
『はっ!』
八房の指示に、同時に頭を下げる犬仁と犬義。
「まぁ屋敷周辺まで辿り着くこともないと思うがな…」
「・・・っ」
意味深な八房の言葉に、犬仁が眉をひそめる。
「行けっ!八犬士よっ!侵入者は1人残らず捕えるのじゃっ!!」
『はっ!』
その言葉に、5匹は一斉に返事をした。

数分後。里見家屋敷前。
「犬悌は?」
「もう行った。犬忠に追いつかねばならんからな…」
犬義の問いかけに、人化した犬礼が眼鏡を拭きながら、冷静な表情で答えた。
「ヤッスゥもチューチューなんかが相方で大変だよねぇ〜っ!」
「俺も大変すぎて脳が腐る…」
「えぇ〜っ?レイレイの脳ってば腐ってんのぉ〜?」
「・・・。」
相変わらずの暢気な声を出す、こちらも人化した犬信。犬信の言葉に顔を引きつりながら、犬礼が拭き終わった眼鏡を掛け直した。
「俺たちもそろそろ待機しに行くぞ…犬信…」
「うぅ〜んっ!」
犬礼の言葉に、犬信が明るく頷く。
「ジンちゃんとヨッシーの出番、なくしちゃったらゴメンねぇ〜っ!」
「ぬかるなよ」
悪戯っぽく笑いかける犬信に、犬仁は厳しい表情を向けた。
「奢りは刃を曇らせる…」
「わかってるっ」
犬信のクリクリとした瞳が、急に鋭く光る。
「ボクはいつでも全力投球さっ…」
「・・・。」
悪意のない無邪気な笑みから、悪意のない冷酷な笑みへと変わる犬信に、犬仁は少し表情をしかめた。
「お前の武器は弓だろう…刃でも投球でもないじゃないか…腐れ小僧…」
「レイレイってばひっどぉ〜いっ!!」
犬礼の突っ込みに、犬信がまたいつもの陽気な表情へと戻る。
「じゃっ!行ってくるねっ!」
「ああ」
『・・・っ』
犬仁と犬義に軽く手を振ると、犬信と犬礼は高々と跳び上がり、そのまま目にも留らぬ速さで、森の中間部へと移動していった。
「さて、じゃあ俺は念のため、もう少し前まで出ておきますかねぇ」
「犬義」
「はい?」
森の方へと歩いて行こうとした犬義を、犬仁が呼び止める。犬義はゆっくりと振り返った。
「何故…言わなかった…?」
「はいっ?」
犬仁の問いかけに、困惑したように眉をひそめる犬義。
「番犬の報告では、侵入者の中に御伽警察の者が2名混ざっている…」
「・・・。」
真剣な表情を見せる犬仁に、少し目をそらすように下を向く犬義。
「それを八房様にご報告すれば…八房様はまず間違いなく、龍に戦争を仕掛けると仰るであろう…」
犬仁も犬智と同じように、戦いは好きではなかった。無益な血を流すことには、何の意味もないと思うからだ。だからこそ、御伽警察の者がいることを隠そうとした。
「お前も、実は四大国を倒すということに反対なのではっ…」
「奴らを捕えれば、いずれ知れること。そう思ったから言わなかっただけですよ」
「えっ…?」
犬仁の言葉を遮り、犬義は冷たく言い放った。
「俺は無駄なことはしない主義ですから」
「・・・。」
そう言って笑う犬義に、犬仁が少し目を細める。
「しかしっ…!龍国に戦争など仕掛ければっ…!」
「今はそれより侵入者っ、でしょう?」
「・・・っ」
犬仁のすぐ前に人差し指を突き出す犬義。犬仁が、強く訴えようとしていた言葉を止める。
「もう俺は行きますよ。貴女は屋敷前で待機して下さい」
「あっああ…」
頷いた犬仁を見て、犬義が犬仁に背中を向ける。
「貴女は…色々なことに心を痛めすぎる…」
「えっ…?」
その言葉を残し、犬義は森へと去っていった。
「・・・っ」
取り残された犬仁は、その場に立ち尽くし、深く深く俯いた。

犬国・安房の森入口。
「ふんぎゃああああああああああああああっっっ!!!」
雪降る森の木々の間を、死にそうな形相で必死に駆け抜けているのは、1匹のサル。こんなイヌの国にいるサルといえば、モンキくらいであろう。
「バウワウっ!!バウワウっ!!」
「ワンワンっ!!ワンワンっ!!」
「助けてぇぇぇぇぇぇ〜〜〜っっっ!!!」
モンキは何故か、30匹ほどのイヌに、ひたすら追いかけ回されていた。獰猛そうなイヌたちが、口から少しよだれを垂らしながら、怖い形相でモンキだけを追いかけていく。
「番犬ってやつかなぁ〜?」
「見事にサルしか追いかけていかねぇーな」
追い回されているモンキを見ながら、落ち着いた様子で話しているユキジとゴン。その両隣には、同じように落ち着いている輝矢と羊スケの姿があった。あれだけたくさんイヌがいるというのに、全部が全部モンキを追いかけ、他の4人には誰も目をくれていない。
「さすが犬猿の仲ですね」
「いっやぁぁぁぁ〜〜っっ!!輝矢んっ!!助けてぇぇぇ〜〜っっ!!!」
冷静に分析している輝矢に、モンキが必死に助けを求める。
「しかし鬼人でもない、罪なきワンちゃんたちを吹っ飛ばすわけにもいきませんしぃ」
「ここ乗り越えんかったら、桜時んとこ行かれへんでぇっ!!」
「八つ裂きにしますかっ」
「まぁ待て、まぁ待て」
モンキに乗せられ、ただのイヌに殺気を放ちまくりながら、右耳のピアスに手を伸ばす輝矢を、とりあえずゴンが止める。
「オッホンっ!ここはだなっ」
真剣な表情を見せるゴン。
「サルを見捨てて、俺たちだけで先へ進もう」
『賛成っ』
「ええぇぇっ!?何ぃっ!?その満場一致っ!!」
ゴンの無茶案に誰も反対しない皆に、イヌに追いかけられながらショックを受けた表情を見せるモンキ。
「頼むから何とかしっ…!」
――――・・・・・・・・っ!――――
「んっ?」
追いかけられていたモンキが、遠くから飛んでくる何かに気付く。
「クっ…!」
少し表情をしかめ、木々の陰へと飛び込むモンキ。
――――バァァァァァァァァァァーーーーーンっっ!!!――――
「うおぉっ!」
「サルっ…!」
モンキが飛び込んだ途端、先程までモンキのいた場所と多くのイヌがいるその付近に、巨大な炎の塊が飛んできて、そこの雪を溶かし、地面を勢いよく焼いた。
「白いっ…炎っ…?」
森を焼く白き炎に、少し表情を曇らせるユキジ。
「あっぶなっ…」
『ぎゃううぅぅぅぅ〜〜〜っっ!!!』
『きゅううぅぅぅぅ〜〜〜っっ!!』
「うっ…!」
ホッとした表情で起き上がったモンキの視界に、白い炎に焼かれるイヌたちの姿が飛び込んでくる。
「ヤバっ…!」
――――ボォォォォォォォォ〜〜〜ンっ!――――
「・・・っ」
すぐさま人化するモンキと、素早く右手を突き出す輝矢。
「“水月”っ」
「如意棒・第2の舞っ…“浄”っ…!!」
2人の放った水と風が、互いに互いの力を取りこみ、さらに勢力を増して、イヌたちを包み込んでいる白い炎を消し去った。
『クっ…クウゥゥ〜〜ンっ…』
「ひでぇっ…」
炎が消えると、そこには火傷を負ったイヌたちが倒れ込んでいた。その悲惨な光景に、羊スケが少し表情をしかめる。
「でも一体、誰がっ…」
「ハッハッハッハっ!!」
『・・・っ!』
聞こえてくる笑い声に、輝矢たちが身構えて一斉に振り返る。
「お前たちかぁっ?“侵入者”っつーのはっ」
『・・・っ』
輝矢たちの振り向いた先にある1本の木。その木の枝の上に立ち、高々と輝矢たちを見下しているのは、1匹の黒いイヌであった。
「イヌっ…?」
「“犬人”っ…」
桜時と同種族のそのイヌの姿に、輝矢が少し眉をひそめる。
「やぁ〜っと見つけたっ!」
「八犬士ってやつぅ?」
ゴンへと問いかけるユキジ。
「その通りっ!」
――――ボォォォォォォォォォォ〜〜〜ンっ!――――
ユキジの問いかけに頷いたイヌを、白い煙が包んでいく。
「俺は八犬士が三、第54代・犬忠っ!」
白い煙の中から出てきたのは、黒髪黒目の黒い装束を身に纏った青年。犬忠であった。
「おいっ!お前っ!!」
名を名乗った犬忠に、勢いよく怒鳴りあげる門貴。
「お前もイヌやろっ!?なんで同じイヌの仲間に、こんなことっ…!!」
「・・・。」
「んんっ?」
門貴が熱く訴えかけているというのに、犬忠はまったく門貴の方は見ておらず、立ち並んでいる輝矢たちを1人ずつ、舐めるように見つめている。そんな犬忠に、少し首をかしげる門貴。
「おいっ!聞いとんかぁっ!!お前っ…!」
「決めたぁっ…!」
「へっ?」
さらに訴える門貴の言葉もあっさりと無視し、犬忠が枝の上から飛び上がり、輝矢たち4人の方へと急降下してくる。
「お前だぁっ…!」
『・・・っ!』
4人の中の1人へ向けて、右手に装着した鉄の爪を振り上げる犬忠。
――――・・・・・・・・っっ!!――――
「クっ…!」
「ゴンっ!」
「ゴンさんっ!!」
犬忠がその鉄爪を振り下ろしたのは、ゴンであった。ゴンは左手で犬忠の右手を掴み止め、ギリギリのところで鉄爪が体を切り裂くのを防いでいた。
「ううぅっ…!!」
犬忠の力が相当に強いのだろう。受けとめるゴンの足が、どんどん後ろへと下がっていく。
「お前っ…」
「あっ?」
ゴンを押しながら、小さく言葉を発する犬忠に、ゴンが少し眉を吊り上げる。
「お前っ…あん中で1番強いって気がするっ」
「・・・っ」
犬忠の言葉に、表情を曇らせるゴン。
「ヒャッハっハっ!」
「イカれ野郎がっ…」
狂ったように楽しげに笑う犬忠に、少し表情を引きつるゴン。
「ゴンっ…!」
「お前らは先に行けっ!!」
もうだいぶ距離のあいてしまった輝矢たちに、ゴンが大きく叫ぶ。
「このクレイジードッグの相手は俺がするっ!!」
「ヒャッハっハっ!!」
――――バァァァァァァァァァァーーーーンっっ!!――――
「ゴンさんっ…!」
犬忠がさらに笑うと、ゴンの押されるスピードは速まり、そのまま2人は森の出口の方まで、勢いよく遠ざかっていってしまった。羊スケが思わずゴンの名を呼んだが、もう2人の姿は確認できず、声が届いたのかも定かではなかった。
「ゴンさんっ…」
羊スケが不安げにゴンの名を呟く。
「あっ!ユッキーっ!このイヌどもの火傷っ…!」
「ええぇ〜?治すのぉ?」
門貴が犬忠の炎に焼かれたイヌたちの前に立ち、ユキジへと声をかける。門貴の言葉に、あからさまに面倒臭そうな表情を見せる、慈愛の精神に欠けたユキジ。
「だってヒドい奴のんはヒドいでぇ?このまま放っておいたらっ…」
「大丈夫だぁ〜」
「へっ?」
背後から聞こえるナマった声に、門貴がゆっくりと振り返った。
「こうして薬草塗っとけばぁ〜明日にはよくなるだでぇ〜」
「・・・。」
門貴が振り返ると、顔を体もゴツい、身長2メートルは軽くあるであろう大男が、倒れているイヌたちの間にしゃがみ込んでいた。しゃがみ込んでいても、普通に大きい。その見た目は正直恐ろしい大男は、大きな指で小さな塗り薬を、器用にイヌの傷の部分に塗ってあげていた。
「後で包帯も巻いてやろうさねぇ〜」
「え…えと…」
イヌの手当てをしている大男を見ながら、少し困ったように頬を掻く門貴。
「あの…」
「んんっ?」
困った様子の門貴に、やっと気づく大男。
「ああっ!」
「うおっ」
その場でゆっくりと立ち上がる大男。その巨体に見下され、門貴が少し肩を上げる。
「さっきはすっまなかっただねぇ〜っ!タダの奴ぁ、いっつもあんな感じでさぁ〜」
「はっ?」
大男が門貴に妙に気安い笑顔を向ける。
「相方のおんれもぉ、いっつも困らされとるんだわぁ〜」
「そっ…そうですか…」
しみじみと話す大男に、とりあえず頷く門貴。
「で、アナタはどこの誰なんです?デカブツ」
「君に恐れるものはないの…?」
自分より50センチは身長の高い大男を見上げながらも、まるで見下しているかのような偉そうな態度をとる輝矢に、ユキジが少し呆れた表情で呟く。
「おんれぇ?おんれはぁ〜八犬士が五、第52代・犬悌だぁ〜っ」
「犬悌…」
「また八犬士ぃ〜?」
輝矢の偉そうな物言いにも、嫌な顔1つせずに、笑顔で名乗る犬悌。
「そうだぁ〜おんれぇ、侵入者を捕まえにきただぁ〜」
『・・・っ』
犬悌の言葉に、輝矢たちが皆、捕まえる気なのかと身構える。
「でぇ、お前たちぃ、ここいらで“侵入者”っぽい、怪しい奴らを見なかっただかぁ?」
『だああああああああっっ!!』
輝矢たちを捕まえるどころか、輝矢たちに侵入者を見かけなかったかと問いかけてくる犬悌に、門貴とユキジが一斉に倒れ込む。どうやら、輝矢たちを侵入者だとは思っていないようである。
「あ痛たたたた…」
「ものすごい勢いで節穴ですね」
腰を押さえながら起き上がる門貴の横で、ある意味関心したように言い放つ輝矢。
「見たよ」
同じく起き上がったユキジが、犬悌へさらりと言い放つ。
「ええっ!?ほんとだかぁ!?」
「うん。怪しげな黒マスクの11人組が、あっちの方にスキップしていった」
「おおぉっ!!」
ユキジから与えられるニセ情報に、感動したように目を輝かせる犬悌。
「何かウソ、いつもより手抜きちゃう?」
「相手が相手だからでしょう」
門貴の指摘に、輝矢が冷静に答える。
「11人かぁ〜報告よんりだいぶ多いだぁ〜これは1回、ヒトに伝えに戻った方がぁ」
「輝矢さんっ、俺、死なれたら困るんでゴンさんの後、追うっスねぇ〜」
「ああ、はい。ご自由にどうぞ」
「・・・っ」
悩んでいた犬悌が、羊スケと輝矢の会話を聞き、その顔色を変える。
「じゃあ行ってきまっ…」
「ダメだぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」
「へっ…?ぎゃあああああああああああああああっっっ!!!」
ゴンの後を追おうとした羊スケを、犬悌が高々と持ち上げ、勢いよく放り投げた。
『はっ…?』
遠くの空のお星様となって消える羊スケに、呆然とする輝矢たち。
「タダの戦いになんかぁ〜手ぇ挟んだらぁ、殺されてしまうだよぉ〜っ!!」
「もう死んだんじゃん…?」
羊スケもいないのに熱弁する犬悌に、呆れた表情を見せるユキジ。
「あんの少年を止めねばぁっ…!とりゃああああああああっっ!!」
『あっ…』
自分で投げ飛ばした羊スケを追い、その場から勢いよく駆け出して行く犬悌。輝矢、門貴、ユキジだけがその場に残される。
「なっ…何やったんやろ…?」
「さぁ?」
唖然とする門貴の横で、あまり興味がなさそうに言い放つ輝矢。
「では先に進みましょうか」
「えっ?ゴンたち、放っておいていいのぉ?」
さらに森の奥へと進もうとする輝矢に、ユキジが目を丸めて問いかけた。
「あの2人、名ばかりのオトポリだから、ヤラれちゃうかもぉっ…」
「相手は八犬士…」
輝矢が真剣な表情を見せる。
「名の通り8匹いるのなら…1人1匹ずつ倒したところで足りません」
「・・・っ」
輝矢の言葉に、ユキジが少し表情を曇らせる。
「振り返っていては、この勝負、勝てはしない…」
『・・・。』
今までの戦いにはない、どこか緊迫した表情を見せる輝矢に、門貴とユキジも真剣な表情となる。
「アナタ方には、私がハチを助けるための踏み台になってもらいます」
「だろうと思った…」
「輝矢んの踏み台っ!喜んでぇ〜っ!」
あっさりと言い放つ輝矢に、いつものように溜息をつくユキジと、元気よく返事をする門貴。
「とにかく…」
輝矢が少し後ろを振り返る。
「今はあの2人を信じるしかありません…」

その頃、安房の森入口。
「クっ…!」
森の入口付近まで後退してきたゴンは、今だに左手で犬忠の鉄爪を止め、少し苦しげな表情を見せていた。
「こっ…のっ…!」
止める左手は、大きく震えている。
「ハッハッハっ!!おっらあああああっっ!!」
「うっ…!」
そこへ犬忠が、鉄爪にさらに力を加えた。
「うわああああああああああっっ!!」
――――バァァァァァァァァァーーーーンっっ!!――――
森のすぐ手前にある山の岩肌へと、吹き飛ばされていくゴン。犬忠の前で、赤い血が宙を舞う。
「へへっ」
下ろした鉄爪の先についた赤い液体を見て、どこか楽しげに笑う犬忠。
「ヒャッハッハッハっ!!」
犬忠が狂ったように、大きく笑う。
「もっとだぁっ!俺にもっと面白い戦いをさせろぉっ!!」
天へと吠えるように叫びあげる犬忠。
「ヒャッハッハッハっ…!」
「そう粋がんなよっ」
「ハっ…?」
崩れた岩肌の方から聞こえてくる声に、犬忠がその笑い声を止めた。
「・・・。」
崩れ落ちた瓦礫の中から姿を現すのは、制服の破けた左肩から赤い血を流しているゴン。しかしゴンは痛そうな表情は少しも見せず、犬忠に鋭い笑みを向ける。
「仕方ねぇ」
吊り上がった細い目で、犬忠を睨みつけるゴン。
「俺が相手してやるよっ…小僧犬っ」
「・・・っ」
強きに言い放つゴンを見て、犬忠はさらに楽しげに笑った。

その頃、安房の森のどこか。
「んっ…んん〜っ?」
雪の積もった茂みのど真ん中に墜落したような状態となっている羊スケが、ゆっくりとその目を開く。
「あれぇ〜?俺っ…」
茂みの上で、頭を押さえながらゆっくりと起き上がる羊スケ。
「そうっスっ!あの大男に投げ飛ばされてっ…!」
犬悌に、お星様になる勢いで放り投げられた羊スケ。普通ならば全身骨折であっただろうが、どうやらこの雪と茂みが下敷きになってくれたお陰で無傷で済んだようである。
「いっやぁ〜っ!生きてて良かっ…!」
「ぬおおおおおおおおおおぉぉぉっっ!!!」
「んっ…?」
遠くから徐々に近づいてくる大きな声に、何となく嫌な予感がして、少し表情をしかめながら、羊スケがゆっくりと振り返る。
「ぬおおおおおおおおおぉぉぉっっ!!!」
「ういっ…!」
羊スケの元へと勢いよく駆け込んでくるのは、あの大男・犬悌。
「いっやあああああぁぁぁぁぁぁっっ!!」
「ああっ!!待つだぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」
茂みを飛び出し、必死に逃げる羊スケ。そんな羊スケを、犬悌はさらにスピードを上げて追う。
「犬忠の元には行っちゃダメだぁぁぁよぉぉぉぉ〜〜〜っっ!!」
「なんでこうなるんスかぁぁぁぁっっ!!!?」
羊スケは誰にともなく、必死に叫んだ。

その頃。里見家屋敷。ハチの部屋。
「んん〜っ!骨っこうめぇ〜っ!」
テーブルいっぱいに積まれた骨っこ。骨っこを両手に、頬を膨らませて楽しそうにしている1匹の白犬。もちろんハチである。
「もうサイコぉ〜っ!」
「そう言っていただけると嬉しいですっ」
骨っこを頬張り、とても幸せそうに笑うハチの姿に、しっかりと1メートル離れたところに座っている犬智も、どこか幸せそうに笑った。
「朝から作った甲斐がありましたっ!」
「ええっ!?これ全部、犬智が作ったのかっ!?」
「ハイっ!」
山積み骨っこを見ながら、ハチが大きく驚く。
「すっげぇなぁ…」
「台所、5か所もダメにしちゃいましたっ!」
「どうやってっ!?ってか、そんなに台所、あんのかよっ!!」
愛らしい笑顔で言い放つ犬智に、勢いよく突っ込みまくるハチ。
「フフフっ」
「ふぇっ?」
突っ込むハチを見て、堪えていた笑いを思わずこぼしてしまったような、そんな笑いを見せる犬智。ハチが少し首をかしげる。
「んだよっ、そんなにおかしいか?俺のツッコミっ」
「いえっ」
犬智は笑いながら、そっと首を横に振る。
「犬孝様が明るくなって下さって良かったなぁって思って」
「・・・っ」
犬智の言葉に、ハチが目を見開く。
「昨日は…とても悲しそうでしたから…」
「・・・。」
ハチが骨っこを食べる手を止め、少し俯く。
「物で釣ってみて良かったですっ!」
「その言い方、失礼じゃね?」
「ああっ!すみませんっ!」
何の悪びれもなく答える犬智に、しかめた表情を向けるハチ。そんなハチを見て、犬智が慌てた様子で必死に頭を下げる。
「私ったらまた余計なことをぉ〜っ…!ううぅ〜っ!ヒトちゃんに半殺しにされちゃうぅ〜っ!」
「・・・。」
犬智が犬仁の脅威に怯える横で、しかめた表情を穏やかな笑顔へと変えるハチ。
「・・・?」
「犬孝様?」
ふと窓の方を見るハチに、犬智が少し首をかしげる。
「どうかなさいました?」
「いやっ…」
窓から白い雪の積もる安房の森を見つめるハチ。
「今、何か…」
「・・・っ」
ハチがそう呟いた途端に、犬智の表情が曇る。
――――侵入者っ…まさか犬孝様をっ…――――
「・・・。」
思い出される犬仁の言葉。すでに犬智以外の6匹は、侵入者を迎え討つべく、森へと行ってしまったことを犬智は知っている。だが、それをハチに告げてはいけない。
「何か…」
「・・・っ」
外の様子が気になっている様子のハチに、少し目を細める犬智。
「犬孝様っ…」
「んっ?」
「・・・。」
振り向いたハチを、犬智が真剣な表情でまっすぐに見つめる。
「実はっ…」
「失礼します」
『・・・?』
襖の開く音とともに聞こえてくる声に、ハチと犬智が同時に振り向く。
「ヒトちゃん?」
「犬仁…」
「・・・。」
2人が振り向いた先には、厳しい表情を見せた犬仁が立っていた。

「ああ〜っ!」
雪に埋もれた地面を、歩きにくそうに進みながら、大きな声を出す門貴。
「行けども行けども森ばっかやなぁ〜っ!」
「ほぉ〜んとっ、雪はやまないし、ヤんなっちゃうっ」
羽根にうっすらと積もった雪を払い落しながら、本当に嫌そうな表情を見せるユキジ。
「私がハチのところまで瞬間移動できるような羽根ありませんか?キジ」
「んなものあるわけないでしょっ」
もう雪道を歩くことに飽きたのか、都合のいい羽根を求める輝矢に、ユキジが冷たく言い放つ。
「あのバカキングにそこまで求めるのは酷でしたね、はぁっ」
「何かちょっとイラっとくるんだけど…?」
深々と溜息をつく輝矢に、ユキジが表情をしかめる。
「まぁとにかく歩くしかなっ…」
「ああぁぁ〜〜っっ!!!」
『・・・?』
門貴が改めて足を踏み出そうとしたその時、上の方から妙に陽気な少年のものらしき声が聞こえてきた。輝矢たちが一斉に顔を上げる。
『・・・っ』
木の枝元に見える2つの人影。
「もしかしてぇ〜侵入者さんたちですかぁ〜っ?」
「その吐き気のするしゃべり方はやめろ…耳が腐る…」
枝に座っている、弓を背負った茶髪の少年と、その隣に立っている、本を片手の眼鏡の青年。
「八犬士ですか…」
「うん、そおぉ〜っ!ボク、八犬士が四、第53代・犬信ってゆぅ〜のっ!よろしくねぇっ!」
眉をひそめる輝矢に、明るく右手を挙げて名を名乗る犬信。
「あっ!ちなみにボクを呼ぶ時は“シンちゃん”って呼んでねっ!」
「しっ…しんちゃんっ…?」
陽気すぎる犬信の口調に、門貴が少し調子を狂わされる。
「えぇ〜っとぉ、君たちは“侵入者”だからぁ〜っ……シンちゃんっ…?」
考え込んでいた犬信の首が、どんどんと傾いていく。
「被っちゃったっ!!どうしようっ!?レイレイっ!!」
「そのまま死ね…世界が腐る前に…」
真剣な表情で問いかける犬信に、この上なく冷たく言い放つ眼鏡の青年。
「八犬士が八、第54代・犬礼だ。よろしく」
悩んでいる犬信は無視して、犬礼が輝矢たちに名を名乗る。
「なぁ〜?今、何匹目やったっけぇ〜?」
「4匹目でしょ?」
「まだ半分かぁ〜っ!これ以上増えたら、絶対覚えられへんわぁ〜っ!」
「私なんて最初から覚える気ないですよ?」
「・・・。」
犬礼の自己紹介はあっさりと無視して、何やら緊張感なく会話を繰り広げている輝矢たち。そんな輝矢たちの姿に、犬礼が少し呆然とする。
「あっはっはぁ〜っ!レイレイってば、完全無視だぁ〜っ!」
「・・・耳の腐った奴らめ…」
楽しそうに笑う犬信の横で、少し拳を握り締める犬礼。
「とにかっくっ!」
『・・・っ?』
犬信と犬礼が木の上から飛び降り、輝矢たちの前へと立ちはだかる。
「こっから先は通さないぞぉっ!」
「もっと威圧して言えないのか…腐った口め…」
「ええぇ〜っ?ボクってば、そういうキャラじゃないしぃ〜っ」
『・・・っ』
こちらもあまり緊張感なく会話をしている犬信と犬礼。そんな2人に、やっと警戒したように、身構える輝矢たち。
「仕方ないねぇ〜門貴っ」
面倒臭そうに息をついたユキジが、門貴の方を振り向く。
「ここは君とボクでっ…」
「・・・。」
「・・・っ」
ユキジが振り向くと、門貴は犬信と犬礼の2人を見ながら、まるで期待でもはずれたかのような、物足りなさそうな表情を見せていた。
「・・・。」
ユキジが少し俯き、そっと目を伏せる。
――――ボォォォォォォォォ〜〜〜ンっ!――――
「へっ?」
隣で白い煙に包まれていくユキジに、門貴が少し目を丸くする。
「ふぅっ」
白い煙の中から、人化した由雉が姿を見せる。
「さてとっ」
「ああ、せやな」
懐から色羽を出す由雉を見て、門貴も続くように如意棒を構える。
「ここは俺とユッキーで抑えるから、輝矢んは先にっ…」
「門貴っ」
「・・・?」
輝矢に先に行けと言おうとした門貴を、由雉が呼ぶ。少し不思議そうにしながら、由雉の方を振り返る門貴。
「何っ…」
「あの2人は“戦いたい相手”とは違うんでしょっ?」
「・・・っ」
由雉の言葉に、門貴がハッとしたように目を見開く。
「・・・。」
その2人の会話を見つめ、少し目を細める輝矢。
「それはっ…」
少し俯く門貴。門貴の脳裏に過るもの。
――――俺を…倒せたなら…――――
桜時をさらわれたあの夜、刃を交えたあの男。
「・・・っ」
悩み込むように俯いている門貴を見て、由雉がそっと笑みをこぼす。
「輝矢、ここはボクが抑える。門貴と先に行ってっ」
「えっ…!?」
「・・・っ」
由雉の言葉に、勢いよく顔を上げる門貴と、眉をひそめる輝矢。
「2人を相手にすると?」
「うん〜」
「それは無茶では…?」
何の躊躇いもなく頷いた由雉に、輝矢は静かな表情で問いかけた。
「輝矢言ったよね…1人1匹倒したって足りないって…」
「ユッキーっ…」
由雉が笑みを浮かべたまま、ゆっくりと輝矢の方を見る。そんな由雉を、門貴はまっすぐに見つめる。
「振り返ってたらこの勝負には勝てないって…」
「・・・っ」
由雉のあまりにまっすぐな瞳に、輝矢がただ目を細めるだけで、それ以上、言葉を口にすることが出来なかった。
「なら行って。振り返らずに」
「由雉っ…」
相手とて弱くはない。1対1でも勝てるかどうかもわからないというのに、由雉は2人と戦おうとしている。門貴を戦いたい相手の元へ送るために。輝矢を前に進めるために。
「わかりました…」
「・・・っ」
そう言って笑った輝矢を見て、由雉もまた笑みをこぼした。
「聞いたぁ〜?レイレイっ。あのトリさん、ボクらを1人で相手する気らしいよぉ〜っ」
「愚かな考えだ…俺のすべてが腐る…」
そう会話を交わしながら、犬信が弓を、犬礼が薙刀を、それぞれに構える。
『・・・っ』
武器を構えた2人に、緊迫した表情を見せる輝矢、門貴、由雉。
「行くよっ…!」
「ええっ」
「おうっ!」
由雉の声に、輝矢と門貴が大きく頷く。
「・・・っ!」
由雉がその場で高々と飛び上がり、上空で大きく両手を広げた。
「“千裂羽”っ…!!」
広げた両手から、犬信と犬礼へと降り注がれる、千枚の青き羽根。
「行きますよっ!サルっ!」
「おうっ!!」
2人を青い羽根が襲うその間に、輝矢と門貴がその場を駆け出して行く。
「まったく…目が腐りそうな作戦だ…」
降って来る千枚の青い羽根を見上げながら、少し呆れたように言い放つ犬礼。その表情に危機感はまったくとない。
「犬信…」
「うんっ!」
犬礼に名を呼ばれた犬信が、降って来る羽根に向かい、弓を構えた。
「弓っ…だけっ…?」
弓を構えただけで、いっこうに矢を構えようとしない犬信に、上空の由雉が少し首をかしげる。よく見れば、犬信は弓は背負っていたものの、初めから矢は背負っていなかった。
「何をっ…?」
「・・・っ」
戸惑う由雉を見ながら、犬信がそっと笑う。
「射ぬけっ…“白矢(びゃくや)”っ…」
犬信が矢のない弓を引き、そして放った。
――――パァァァァァァァァァァァーーーーンっ!!!――――
犬信の周囲から、無数の光る白い矢が現れたと同時に、勢いよく上空へと放たれていく。放たれた無数の矢が、降り注ぐ由雉の羽根を、次々と射抜いた。
「なっ…!」
1つ残らず射抜かれる千枚の羽根に、由雉が衝撃を走らせる。
「そんなっ…!うっ…!」
焦っている由雉の元へと、飛んでくる光の矢。
「クっ…!」
――――ボォォォォォォォォ〜〜〜ンっ!――――
「ううっ…!」
由雉がキジの姿に戻り、必死に翼を広げて動き、何とかギリギリのところで飛んできた矢をかわす。
「あぁ〜あっ、獲り逃がしちゃったっ」
弓を下ろし、少し冷たく笑う犬信。
「ユッキーっ…!!」
「・・・っ」
由雉の危機を察知し、先へ行こうとしていた輝矢と門貴が思わず後ろを振り返る。
「うっ…!!」
「ホント…腐りそうだ…」
振り返った2人のすぐ目の前へと降下してくる、薙刀を構えた犬礼。
「逃げられるはずなどないのに…」
「クっ…!」
薙刀を振りかぶる犬礼に、輝矢が顔をしかめ、右耳のピアスへと手を伸ばす。
「“月器っ…三日づっ…!」
――――ピキィィィィィィィーーーンっ!!――――
「・・・っ?」
「何っ…!?」
三日月を目覚めさせようとしていた輝矢が、思わずその手を止める。輝矢たちへと振り下ろされようとしていた犬礼の薙刀が、勢いよく凍りついたのだ。
「こっ…これはっ…!?」
少し焦ったように、凍りついた薙刀を持ち上げる犬礼。
「氷っ…?」
「オォーホッホッホッ!!」
『・・・っ!』
聞こえてくる甲高い笑い声に、輝矢たちや犬礼が一斉に振り返る。
「あっ…アナタはっ…」
振り返った輝矢が、大きく目を見開く。
「こぉ〜んな無茶苦茶で、失礼極まりなくって、ムカついてしょーがない女の手助けなんてしたくもないけどねぇ〜っ…!」
長く白い髪に、真っ赤なリボンのよく映えた、鋭い青の瞳を輝かせた、ドレス姿の1人の女。
「あっ…」
「あれはっ…」
その女の姿に、門貴と由雉も驚きの表情を見せる。
「その女には借りがあんのよっ!でっかい借りがねぇっ!!」
「しっ…白雪っ…!」
「ウフフっ」
そう、そこに現れたのは、白雪であった。



                                  其の三十二へつづく。







千風のブログ「千風の押入れ」へっ!←裏話満載っ!の予定です。





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