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第八話・「夜ばいにしては」
 屋根の上に座って星空を眺める……なんていうのは一体どれほどぶりであろうか。

「……」

 物言わぬ人形にしては、あまりにも造形美が過ぎるイリス。夜空を彩る星々に願いをかけるにしては、この美少女はいささか無表情で無関心すぎた。
 仇敵である猫から救われた俺は、そのまま拉致されるようにイリスの部屋へと連れ込まれた。 イリスの部屋は二階の客室の一つ……キズナの向かい側を間借りしたものだった。調度品などはなく、完全に機能美だけを追求された……いや、追求されすぎた部屋には、テーブルの一つもない。
 ベッドとクローゼットが一つずつあるだけ。
 殺風景にも程がある。
 ただ一つ気になるものと言えば、ベッドの上、枕の横に置いてあったネズミのぬいぐるみだった。年季の入った代物であるらしく、色落ちしていて、所々にイリスのメイド服同様つぎはぎがしてあった。いわゆるボロだった。

 俺は、イリスの纏う漆黒のベビードールの胸元から顔を出し、イリスの動向をうかがった。

 イリスは特に俺に遊びを仕掛けてくるでもなく、ただじっと空を眺めている。
 俺はイリスに気がつかれないようにあくびをし、胸元の生地にぶら下がったまま夢の中に落ちようとする。薄目でイリスを見れば、どうにもこうにも狙ったとしか思えないナイトウェア、ベビードールが目の前に大写しになる。まるでスポンジケーキに生クリームを大量にくっつけたように、フリルはふりふりでふっくら、かつ、ゆったりとした出で立ち。
 右肩、鎖骨、左肩というラインを大胆に見せるから、肌の白と生地の黒が目に鮮やかだ。
 小さな肩の上で、これまた小さなリボンがかろうじて服を支えている。その両肩を支える二つのリボンをちょいとつまんで引っ張ってみれば、すとんとベビードールは足下に落ちてしまうだろう。そして、そこに現れるのは、下着一枚纏っていないイリスなのだ。

 ……小悪魔め。なまじ純真だから手に負えない。
 純真な小悪魔なんて、考えただけで卒倒ものだぞ。

 しかし、なぜメイド服はボロのくせにベビードールだけはおろしたてのように美しいんだ? 
 まずそれが気になる。
 ティアナの趣味なのか? 
 ……はっ、そう言えば、今はティアナが入浴中であったな。
 こうしてはいられない。こうしてはいられない……――ぬぐっ!?

「……いかせない」

 こっそりと天窓から中へ戻ろうとする俺の首根っこがひっつかまれる。
 ええい、離せ! 俺にはやらなきゃいけないことがあるんだ! 譲れない思いがあるんだ! 
 宙ぶらりんのままじたばたと暴れる。

「姉さん……大きいから?」

 ……。
 な、なんのことだろうな?
 誰もそんなことは言っていないはずだが。

「ムス太……姉さんの胸ばかり見てるの」

 月夜にふくれっ面とは、これまた変わった取り合わせだな。小さな頬をかろうじて分るぐらいにふくらませる。湯上がりにしては時間がたちすぎているのに、イリスの頬はかすかに朱を帯びていた。

「私も……きっと……大きくなるの」

 黒のベビードールの上から、小さな手で胸のふくらみを包み込む。小考すると、何を思ったかそのままゆっくりと指を動かし始める。
 何で得た知識かは知らないし、知りたくもないが、それはやるだけ無駄というものだぞ。
 対外的な刺激よりも、体質改善の方が何倍も効力があることを教えてやりたい。
 ひいき目ではないが、イリス、お前はキズナとは違って将来性がありそうだ。
 出来ることならば、しばらくの間、成長を見守ってやりたいくらいだ。

「……ムス太……」

 いつの間にか俺を見つめて、顔を真っ赤にしているイリス。
 手の動きはそのままで、熱っぽく俺の姿を瞳に映している。瑠璃色の瞳が透明な膜を帯び、目尻にはうっすらと涙を溜めている……ってオイっ! 貴様、何をやっている!
 うっ……くっ……そんな艶のある吐息を俺に吹きかけるな……っ。鼻がおかしくなってしまうではないか……心なしか脳の活動も遅延を余儀なくされている感じだぞ。

 古来から英雄色を好むと言われ、幾人もの偉大なる王が色香に惑わされ、国を自滅に追いやってきたが……俺は今まさにそんな心境だ。イリス、お前は傾国の美女なのかもしれんな……。

「あ……っ……ふ……ハム……」

 眉根をしかめ、必至に何かに堪えようとするイリス。

 俺は、そこに何かの違和感を覚える。
 何かを必至に紛らわそうとしているように見えた。夜空を見上げ、イリスが何を思い馳せていたのかは分らない。言葉少ないイリスからは何も聞くことは出来ないだろう。けれど、夢中になって何かに没頭しようとする姿勢……その中でもとりわけ深遠な瑠璃の瞳だけが、行為そのものを嘘だと言ってしまっているような真実の光りを称えていた。
 一時的接触を求め、俺をしつこく追い求めてくる姿。
 何もない部屋で唯一、枕元においてあったネズミのぬいぐるみ。
 必要以上に感情を表さない姿……。

 イリスよ、お前は何を慰めている?
 何をそんなに怖がっているのだ。

 俺も少し雰囲気にあてられていたのかもしれんな。イリスの目尻。徐々にたくわえられていき、ついに目元から伝ったその雫をなめてしまったのだから。

 ――これは……!

 その雫を体内に入れた瞬間、俺の身体が熱波にさらされた気がした。
 凝縮された魔力の雫だった。高純度でありながら高濃縮。普通の人間であれば、一生かかってもたくわえられない量の魔力。
 イリスの感情の高ぶりがそうさせているのだろうか。意図せず体内に入れてしまったそれは、俺の身体を駆けめぐるように浸透していったかと思えば、すぐに俺の体内から発散されていく。
 魔力は精霊との契約……つまり文字化無くしてできないものだと思っていたが……。

 これほどの魔力、【恩寵者】としても異質なものだ。

 喜べイリス、俺はお前にわずかだが興味が出てきたらしい。

 あごに手をやりニヒルに熟慮する。月下のハムスター。
 ふむ……絵になるな。

 そんな俺の耳に、夜風は奇妙なものを運んできた。密やかな駆け足の音。それも複数。イリスも数秒遅れてそれに気がついたようで、耳をすませて様子を探っている。

「姉さん……!」

 足音は迷い無く、この宿の玄関前で止まった。イリスは先程の様子とは打って変わって無表情に戻り、天窓から飛び降りた。まるで傘のようにベビードールの裾が広がる。俺はイリスのベビードールに捕まるのがやっとで、風を切るイリスに振り回される。
 ドアを開けると、玄関口から轟音が聞こえ、続いて悲鳴が上がる。


 ――ティアナの声だ。


 イリスの部屋から廊下を挟んで正面の部屋にはキズナが寝ているはずだが、どうやらこの騒ぎにも気がついていないらしい。満腹の上に、一度寝たらしばらくは起きてこない間抜けな性格だ。ずぼらでルーズで、さらには神経も図太いときている。

 ……以上の要因から、馬鹿弟子は待つだけ無駄だろう。

 ええい、傭兵の契約はどうなったのだ、愚か者。
 俺の内心を知ったわけではないだろうが、イリスはキズナの部屋のドアには目もくれなかった。

「……姉さん!」

 階段を一気に駆け下りたイリスは、四人の黒ずくめの男達に拘束されているティアナを見つける。四人は四人とも昼間にティアナを襲ったものと同じスーツ姿だ。
 と言うことは、四人とも魔法使いである可能性が高い。……やっかいな相手だ。

 一人は背後からティアナの首を腕で絞めている。
 男の背丈に及ばないせいか、つま先立ちになっているティアナの表情は苦しげに歪んでいる。
 メイド服姿であることから、まだ入浴には至っていなかったらしい。……残念……いや、それは今は置いておこう。

「……お前がイリスだな」

 イリスは無表情のまま答えない。その反応に男は嫌らしく唇をつり上げると、ティアナの首を絞める力を強める。ぎりぎり、とティアナの首の絞まる音がした。ティアナの頸動脈が締まっているのか、ティアナの顔は次第に朱から青白く変色しつつある。

「そう。私が……イリス」

 イリスの解答に満足したのか、男はティアナの首を絞める力を弱める。
 どうやら、ティアナを殺すつもりはなく、交渉の道具として使うつもりだろう。

「黙って我々と一緒に来い、イリス。ペラン様が首を長くして待っているぞ」

「首が長いなら……寝首をかきやすくていい」

 イリス、もっと言ってやれ。女を人質に取るような馬鹿には、おあつらえ向きのセリフだ。

「黙れ、この女をくびり殺すぞ」

 再びティアナの首を絞めにかかる。ティアナののどから、声にならない苦悶がもれる。眉間にしわを寄せて必至になってもがくが、頑強な男に対してはあまりにも無力だった。

 ……どうする、イリス。

「……分かった。……行くから……姉さんを離して」

 観念したように両手をだらりと下げるイリス。いつもの無表情は、絶対零度の無表情へと変わっていた。酷薄な瞳の色は、この場の温度を少なからず降下させる。

「余計なことはするな……【恩寵者】。いいか? 魔法文字一つでも見せたら、この女は殺す。分ったな? ……分ったら手を挙げたままこちらへ来い」

 やはり魔法に少々の心得があるらしい。言葉一つで魔法を放てる単詠唱魔法ならばこの状況も打開は可能だったが、それすらも封じられた。
 単詠唱魔法であろうと、詠唱魔法であろうと魔力を文字列化することに代わりはないからだ。
 一人は人質を。あとの三人は、イリスの一挙手一投足を監視している。
 状況は芳しくない。

「……ん? なんだネズミか……」

 イリスの肩口に乗っかっていた俺を目ざとく発見したらしい。

「おい、その趣味の悪いドブネズミをどけてから来い。気色悪い」

 ……貴様、その言葉もう一度吐いてみろ。殺すぞ。

「ムス太は……ドブネズミなんかじゃない」

 イリスの語気がわずかに強まった。

「……ムス太は、私の……恋人」

 いや、そういう根拠のない否定の仕方は止めてくれ。

 頭を抱える俺に対して、四人の男達は一様に大笑いをする。

 ……おい、誰が笑っていいって言った? 
 確かに変わり者だが、イリスは美少女だ。将来性も十分。あの馬鹿弟子は例外としても、俺は俺を好きだという女を馬鹿にする奴を許してやるほど、心が出来てはいない。

 なおも笑い続ける四人のスーツ男に、イリスは表情を崩さない。
 ティアナはそんなイリスの態度に不安を隠せないようだった。

 自らの不幸を呪ったのか、それともこれから訪れるであろう不幸に先んじてか。
 俺は改めてイリスの肩で深いため息をついた。

 …………遅いぞ。

「夜ばいにしては――」

 馬鹿弟子め。

「乱暴すぎるわねっ!」

 窓が壁ごと爆砕する。
 外の窓を突き破って乱入してきたのはキズナだった。


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