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競作

【競作】海辺の出来事

作者: kuroneko

【競作】『起・承・転・結』最終回。

これまで出てきたお題のどれか、と言うことで、『カメラ』を選びました。

 その古ぼけたカメラには、フィルムが入ったままになっている。特に保存に気を遣ってはいないので、今から現像しても、きちんとした写真ができあがるかは分からない。

 それでも、そこに何が写っているか、私は知っている。


 子供の頃、海辺の街に母方の伯母が住んでいた。我が家は父方の親族の縁が薄く、替わりに姉弟の多い母方の親族の交流が多かった。子供の長期休みは持ち回りで誰かの家に集まるのが常だったが、夏休みはやはり、海辺のその家が人気だった。


 その夏も、海辺の家で大勢の従兄弟達と過ごした。従兄弟達のほとんどが私の姉に夢中で、私には目もくれなかった。当然のことだろう。4歳上の姉は、当時6歳の私からみても、充分に美人と言えた。


 夏場に海辺の街にいて、海に行かない訳はない。 その日は一族郎党、ぞろぞろと海へ出かけた。海が近づくにつれ、潮の匂いが強まる。内陸部の自分の家ではかぐことのない、不慣れな匂いだ。『これが海だ』と思えば胸は踊るが、いい匂いとは言えなかった。


 海水浴場へ着くと、人でごった返す砂浜にシートを敷き、大人達はそこでくつろぎはじめた。父はカメラを抱えて、時折子供達の姿を写真に収めていた。

 子供達は海に入って泳いだり、水を掛け合って遊んでいだ。例によって従兄弟達は姉に群がり、年が離れていて運動神経も鈍い私は、その一群から少し離れて、波打ち際で足がさらわれるような感触を一人で楽しんだ。

 そのうち従兄弟の誰かが岩場になにか生き物を見つけたらしく、大きな声を上げた。姉と従兄弟達はみんなそちらへ向かう。何がいるのか気になって、私も、後をついて行った。周りは人でいっぱいで、知らない誰かにぶつかるたびによろけ、従兄弟達から引き離されていく。

 やっとの思いで追いついたときには、従兄弟達はもう、その生き物から興味を失うところだった。岩に張り付いたヒトデ。

 ヒトデに飽きた従兄弟達は、海の深い方へ泳ぎに行く。

 姉は、鈍い私がついていけないだろう事を分かっていて、私を一瞥し、微かに嘲笑って、従兄弟達を追った。浮き輪なしで泳げない私は躊躇したが、その場に一人取り残される不安から、姉の後を追いかけようとした。

 その時、足が岩と岩の隙間に入り込んだ。

 あると思っていた足場が突然無くなり、体が勢いよく前に倒れる。そのまま、姉の背中にぶつかった。何の心の準備もしていなかった姉はバランスを崩し、二人はそのまま岩場へ倒れ込んだ。 二人揃って痛い思いをし、姉は私を睨みつけた。そのまま、家族がいる砂浜へ引き返す。 二人の様子が見えたのか、母親が飛んできた。


 母が二人の前についた瞬間、姉は大泣きし始めた。もちろん嘘泣きだが、母はあっさりと騙された。

「弘実がわざと突き飛ばした。あたし怪我したんだよ」

 姉の腕に小さな傷が出来ていて、赤い液体が流れていた。母は、傷の痛みを訴える姉をしっかりと抱きしめ、海から引き上げるときの姉よりもきつく私を睨みつけた。

「どうしてそんなことするの!」

 母のその言葉は確認ではなく、怒鳴り声の叱責だった。姉が一瞬、ざま見ろという笑顔で私を見て、また大泣きした。私は『わざとじゃない』事さえ口に出来ず、ただうつむいた。怒鳴り声に反応して、周りの視線が、私と母に集まる。その視線が、母と同じく私を責めているようで恐ろしかった。

 うつむくと、左足の薬指に小さな出血があった。でも、それを指して『私も怪我をした』と言っても、『そんな小さな怪我で』『わざとお姉ちゃんを怪我させた罰だ』と言われるのは目に見えていた。黙っているしかなかった。

 母は気が済むまで私を怒鳴ると、姉を連れて親族の元へ戻っていった。私はうつむいたまま一人取り残された。左足に怪我をしているのに、なぜか右足に痛みがあった。


 数分か数十分か、どれほど一人でいたのか分からない。突然、辺りが暗くなった。うつむいたまま視線だけ巡らせると、大きな男の人が、すぐ横に立っていた。腰を折って背中をかがめていて、私の頭のすぐ上にその人の頭があった。太陽がその後ろから照りつけていて、男の人の姿は逆光で黒くなって見えた。私の周りは、彼の影で暗くなっていたのだ。

「わざとじゃないのにね」

 男の人はそう言って、私の肩に手を置いた。その手はひどく冷たく、夏の日差しの下にいるとは思えなかった。日差しにあぶられていた私には、その冷たさが心地よかった。

「ひどいお母さんだね、お姉ちゃんの言うことしか聞いてくれなくて」

 男の人はそう続けた。なぜ、わざとじゃないと分かるんだろう?

「ああ、迎えに来たね」

 男の人はそう続けると、私から離れていった。


 顔を上げると、伯母がすぐそこに来ていた。

「あんたも怪我してるから」

 伯母はそう言って、私の足を指さした。伯母は目が悪い。私の左足の小さな傷が、休んでいたシートから見えるとは思えなかった。私は不思議に思い伯母の指さす所を目で追った。その先は右足のくるぶしだった。体をひねらなければ見えない、くるぶしの下側から後ろに向かって、大きく皮膚が裂け、姉よりもはるかにたくさんの血が流れていた。

 母は、私の怪我には気づかなかった。私のことなど見ていなかった。姉だけが、母にとっては大事な我が子なのだ。その事実が、私を打ちのめした。伯母に連れられて親族の元に戻ってからしばらくの事を、私は思い出すことが出来ない。おそらく、姉を迎えに来たときか、それ以上に母は私を罵倒したのだろう。覚えていることを脳が拒否しているようだった。


 夏の一日は長く、子供達は海から離れたがらない。姉も私も再び、従兄弟達に混ざって波へ向かった。波打ち際へ来たとき、姉がバランスを崩した。その姿を見たとき、私は何かに動かされるように、今度はわざと、姉を後ろから押した。


「いいんだよ」

 そう、男の人の声が聞こえた。それは、さっきの、影になった男の人の声だった。

「いいんだよ、それで。今度はわざとでも。先に怒られちゃったんだからね」

 私は今度は、ふざけているように転んだ姉の上に乗った。私の両肩には、再びあの冷たい手が置かれた。その手は、私の行為を肯定していた。打ち寄せる波が何度も姉の頭を洗って、波が引くたびに姉は苦しそうに呼吸をつないだ。私は姉の上から、どけようとしなかった。


 その様子に気づいた従兄弟達が、私と姉の周りに集まってきた。

「何してるんだ、弘実」

「お姉ちゃんが立てないだろ、どけろよ」

 そう言って、私を立たせようとする。それでも彼らは、小さな私を何人がかりでも立たせることは出来なかった。当然だ。私は大きな力で、姉の上に押さえつけられているのだ。冷たい手は今も、私の両肩に乗せられている。どうして誰も、その男の人に抗議しないのか、私は不思議だった。

「いい加減にしろよ、弘実」

 従兄弟達が、さっきの母と同じように、私を責める。ただ、今度は私は動けないだけではなく、動く気もなかった。姉は私をひとりぼっちにしては、その姿を嘲笑ってきた。どのみち同じひとりぼっちなら、嘲笑う人間などいない方が良かった。それが実の姉であっても。私の気持ちに呼応するように、両肩の冷たい手に更に力が入った。

 従兄弟達は、必死で私を立たせようとした。けれど誰も、私の背後にいる男の人には何も言わなかった。


 突然、肩からひんやりした感触が消えた。私は従兄弟達の力で姉の上から立たせられ、勢い余って皆で転んだ。従兄弟達は姉に群がって様子を確認した。姉は、今度は嘘泣きではなく、本当に泣いていた。

 私は、辺りを見回した。あの男の人は見つからなかった。私の周りを影で覆えるぐらいの大きな人だ。人混みでも目立つだろう。けれど、いくら見回してもそんな人はいなかった。


 母より先に、伯母が駆け寄ってきた。伯母は私の手をしっかりと取った。

「大丈夫だからね」

 そう、伯母が私に言った。私は大丈夫に決まっている。波を受けて息が出来なかったのは、姉の方だというのに。

「黒い人は、もういないからね」

 その場にいた従兄弟達の誰も、あの大きな人に目を向けなかった。けれど、伯母だけはあの人を目にしていたのだ。


 伯母の後に到着した母は、姉の背中をさすっていた。私はまた怒られると思ったが、母は私の事を、意識して見ないようにしている風だった。


 伯母には不思議なところがあった。ちょっとした伯母の注意を聞いておくと、困ったり危ない目に遭うことから身を守れた。天気予報が晴れと言っても、彼女が傘を持てと言うときは必ず雨が降った。車に気をつけろと言われた日は、滅多に車が通らない、普段は遊び場になっているその道を、結構なスピードで車が通り過ぎた。

 バドミントンをしに出たときに、ガラスに気をつけるよう言われたことがあった。だが、バドミントンの羽根でガラスを突き破ることは考えられず、みんなその言葉を忘れていた。遊んでいる最中に、従兄弟の一人が転んで怪我をした。擦り傷ではなく、大きな切り傷になった。清涼飲料水の瓶とおぼしき、ガラスの破片がそこに落ちていた。


 従兄弟達は、伯母が、波で苦しい思いをした姉でなく私をかばう姿を見て、『私にも何かあった』のだと考えたようだった。それ以上私を責めるのを止めた。従兄弟と姉と母、そして伯母と私は親族のいるビニールシートへと戻った。


 父が撮影したその日の写真は、一枚も残っていない。伯母が、現像することを止めたからだ。写真を現像するだけでなく、カメラを開けてフィルムを取り出すことさえ、伯母はよしとしなかった。


 後で聞いたところでは、伯母は、波打ち際で姉に馬乗りになっている私を見つけると、その姿を撮影するよう、父に言ったそうだ。父が言われるままに撮影すると、次の瞬間、従兄弟達の力で私の体が持ち上がったらしい。

 そのカメラは昔、無理をして買ったものらしく、父は処分をしたがらなかった。それでも、伯母の言葉に従い、フィルムを取り出すこともなく、カメラはそのまま棚の奥へ仕舞い込まれた。

 その後、父はカメラを買い換えたが、以前ほど多くの写真を撮ることはなくなった。


 大人になり、私は働いて一人暮らしを始めた。結婚はしなかった。

 やがて心臓に病気を抱えた父が亡くなった。

 町外れの実家では、車を運転できない母は日常の生活も不自由になる。母を一人には出来ず、私は母と一緒に暮らすことになった。姉は遠方に嫁いでおり、母を引き取ることは出来ないと言った。

 母を引き取り実家を処分するため、二人で家の物を片付け始めた。子供の頃に着た服や玩具が、押し入れや棚の奥からこれでもかというほど出てきて、昔話をしながら、「なぜこんな物を取っておくのか」と二人で笑い合った。

 そして棚の奥から、そのカメラは出てきた。あの日、海辺で父が写真を撮ったカメラだ。


 その古ぼけたカメラには、フィルムが入ったままになっている。特に保存に気を遣ってはいないので、今から現像しても、きちんとした写真ができあがるかは分からない。

 それでも、そこに何が写っているか、私は知っている。

 私はなぜか、そのカメラを、母と暮らす新居へ持って行く物に仕分けた。


 それから数年の後、母も亡くなった。半ばぼけた母の面倒を見ながら仕事へ行くのは、苦労の連続だった。その苦労が終わって一人になった今、私はそのフィルムを現像してもいいのではないかと思い始めている。

 そこに何が写っているか、私は知っている。

 善悪を区別しない、私の味方。

 その姿を見れば、この先を一人で暮らす孤独も、耐えられるような気がするのだ。

 いまはもう、殺したい相手もいないことだし。

元は倍近い長さでしたが、さんざん悩んで後半を切り、ラストを変えました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] どこか本当にあった話のようで引き込まれます。子供の頃の海の思い出が蘇ります。
2014/08/25 22:19 退会済み
管理
[良い点] 前の振りと後半への繋ぎがとても格好よくて、良い意味で鳥肌が立ちました。 しっかりと文章の流れを考えた構成は、読んでいて勉強になります。素晴らしいです。 [気になる点] 気にならなければ気に…
2014/05/09 13:38 退会済み
管理
[良い点] 心霊番組の再現VTRを見ているような臨場感とともに読ませて頂きました。自分と伯母にしか見えない、海辺の黒い男。ホラーらしいホラーだったと思います。 他の方々もおっしゃっているように、女家族…
2014/02/26 19:07 退会済み
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