028:01/赤より紅い夢
館の屋根に立つ吸血鬼の俯瞰には、二つの人影があった。どちらも常から外れた存在と分かるソレは、徐々に徐々に、紅い屋敷に近付いている。
もし平時なら、門番を叩き起こす為にメイドをやるかもしれない。威嚇なりなんなりをして追い払うかもしれない。
だが、今は違う。既にメイドは侵入者に狙いを定め、目覚めた門番も侵攻者に警戒を強めている。
これは予定調和だ。レミリア・スカーレットが紅霧を撒くと同時に妖精が館に入る事も、侵入者の脱出を許してしまう事も、この紅霧が何時か払われる事も。
レミリア・スカーレットが視た運命は、レミリア・スカーレット自身では覆らない。他の者らが自分の意志で動く事により、漸く少し変わるのだ。彼女に出来るのは、その助言をする事のみ。
だから彼女は、今回敢えて運命を視ない。その要所のみを知る。
穴が無ければ、この運命を辿る事が出来ないから。
道筋を視てしまえば、その道筋しか通れなくなってしまうから。
◇◆◇◆◇◆
「俺は何も出来ない。悪趣味な神様とは違って、俺に力なんてものはない。あるのは、この姿とこの場だけだ。残りは全部、借り物だよ」
「信じられないって顔だな。だけれどこれが真っ赤な真実だ。俺は俺、■■である情報と、なけなしの知識だけだ。本当なら、ココにいる事自体おかしいんだよ」
「俺にはこうやって話す場を作る力も、俺と言う固有の人格を形成しておく力も、ましてや夢や意識に介入する力も無い」
「だったらなんで俺がいるのか。まぁ、言わないでも分かるよな。分かった事にして話進めるぞ」
「お前の能力、過信するなよ。今までのままでもコロっと死んじまいそうな感じだったが、今のままだと間違い無く死ぬ」
「赤瀬の力は強力だ。それにお前にはアイツの血が混じってる。使い方さえ間違えなければ死にはしない」
「……これで最後だがよ。いい加減起きないと、今すぐにでも死んじまうんじゃねぇか? お前」
◆◇◆◇◆◇
喉の奥から水を吐き出す。鼻から喉に抜ける感覚と、鼻腔が水を締め出す痛みが涙まで誘発する。
痛い。痛いと言うより苦しい。カルキ臭くないだけマシだが、汚れてたりしたら腹下しかねない。
だが、例え腹を下したとしても、
――――生きて、たか。
痛みがあるから生きていられる。無痛なぞ不気味だ。地に足すら着かない。
くだらないな、と思索を打ち切り目を開ける。涙が目尻から溢れ、冷えた皮膚を溶かす。
まず認識出来た色は、緑。若草色と称するべきか、そんな色のモノが見える。
次に、顔。見慣れないが記憶にはある少女の顔が、困惑に染まっている。
最後に、霧。しっとりとした身体でも分かる、紅い霧が周囲を包んでいるのが分かった。
少女、大妖精と名乗った目の前の少女こそ、僕の上に降ってきたモノの正体だった。警報が鳴り響く原因であり、僕同様に吸血鬼の手から逃げる――――ともすれば僕以上に――――必要があり、何より地下室に自力のみで侵入してきた存在だ。
つまり、脱出に最も近い人物とも言える。
彼女の能力、『程度の能力』というより先天的に備えた異能は『瞬間移動』。魔法や魔術、能力とは一線を画するそれは、本人の『機能』であり、その力に振り回される異能者も多いらしい。
大妖精もその例に漏れず、少しばかり「力んで」しまうと何処に飛ぶか分からないと言う問題を抱えていた。意識している分には半径10m程なら指定出来るが、それ以上となると辛うじて方向を決められる位で他は全く決められないと言う。
その所為で、弾幕を避けようとして反射で行った移動が地下に飛んでしまった、と。一歩間違えたら石の中にでも出てしまいそうで怖い。
しかし、その異能のみが今の僕が唯一縋れる藁だ。どこにぶっ飛ぶか分からない賭けに勝たなきゃいけない。
結果だけを見れば、脱出に成功した。大妖精に捕まり、五体満足のまま紅魔館から逃げる事は出来た。
問題、と言うより予想していなかったのは、この逃亡自体がレミリアの手のひらの上だったと言う事だ。
瞬間移動の直前、脳がロードローラーでぺちゃんこにされたのかと錯覚しそうなまでの激痛と、一瞬の意識の空白。その刹那に、ある言葉を頭の中に直接書き込まれた。
紅魔館から脱出出来た事への賛辞と、幽夜の命をどうするのかと言う問い掛け。
遊ばれている。アイツは、アイツらは僕が逃げるのを知っておきながら、大妖精を捨て置いたんだ。腹が立つ。
おもちゃみたく扱われるのなら、お望み通り人形にでもなってやろうじゃないか。チャッキーみたいな自律人形で良ければな。
「だ、だいじょぶ……ですか?」
黙り込んだまま横たわってる僕に、大妖精が声を掛けてくる。その問いに起き上がる事で無言の返答とする。
両手、両足、取り敢えず欠損は無し。見苦しいの理由で用意された新しいワイシャツやらスラックスはびしょ濡れだが。
筋肉を解す様に肩を回す。取り敢えず、五体満足なら満足だ。後は――――
「魔法書」
「え?」
「僕が持ってた魔法書、無かった?」
「あ、は、はい。ここに……」
移動した時に握り締めていた魔法書は、やはりぐっしょりと湿気ていた。乾かさないと読み物としては致命的だが、必要な内容は暗記している。このままでも多分大丈夫だろう。
ポケットにはナイフが二本。オーケー。武器は心許ない位大丈夫。
「また、あのお屋敷に入るんですよね」
「……ああ」
持ってこれなかった馬鹿を引き取りに。独り言の様に呟き、立ち上がる。素足のままで良かった。靴がガボガボ言うのは好きくない。
「君は帰ってろ、大妖精」
「で、でも」
「チルノとか言う妖精を助けたいんだろ? 抜け出せた恩くらいは返させてくれ」
実際の所、人手が多くても人質に取られかねないからいて欲しくないだけだが。ハヤニエになるのは自分一人で構わない。
じゃあ、と手を降り、紅い霧を掻き分けながら湖畔を歩いていった。
遠くに見える、あの吸血鬼の館を目指して。