022:流れた時間、留まる瞬間
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一つの過ぎた感情は、人を荒ませながら成長させる。それは、妖怪も言えた事だ。
私の場合は退屈だ。退屈過ぎる。鉄生が生きてる頃は暇潰しがたくさんあったけれど、今では外に出るのも一苦労。
部屋の出入り口に張られたソレを見ながら私は溜め息を吐く。
「また結界増えてる……無駄なのになぁ」
こうやって一つずつ結界式を壊していかなきゃいけないなんて、お姉様も臆病だ。そんなに私が怖いのか、そんなに自分が怖いのか。
……考え事は私の領分じゃないし、気にしないでおこう。
“目”を集めて、潰す。集めて、潰す。一歩でも私を阻もうとする拘束を壊していく。
パチュリーには悪いけど、壊されたくなかったら暇潰しに何か用意してくれればいいのに。
「これで最後、と」
ドアに掛けられた認識阻害の式を壊し、そろそろと廊下に出る。以前、待ち伏せていたかの様に咲夜と鉢合わせ、折角の機会が台無しになった事があった。失敗は繰り返さない。
「さて……どうしよ?」
抜け出したものの、何かアテがある訳じゃない。美鈴に会いに行こうか、それともバカ妖精にでも喧嘩をふっかけに行くか。
まぁ、歩いてたらきっと何か見つかるでしょ。
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「何やってるのかしら? フラン」
あっさりと見つかってしまった。しかもお姉様だけでは無く咲夜にも。
「あ、あはははー。ちょ、ちょっと、お姉様。女の子に御不浄になんて言わせないでよー」
「私の目を見てもう一度言って御覧なさい」
……参った。これだと部屋に掛かる魔法がまた強力になる。勿論壊すのは容易いけど、パチュリーの陰鬱な顔を見るのはあんまり好きじゃない。私の能力は規格外なんだから、あんまり気にしない方が良いと思うんだけど。
暫くの間、お姉様のジト目を受け流していると、長い、本当に長い溜め息が聞こえた。
「……貴女って子は、どうして言い付けが守れないのかしらね」
「だって、退屈なんだもん」
そう、退屈だ。暇なのだ。小悪魔や咲夜にに書庫から本を掻っ払ってきてもらってても。美鈴と弾幕ごっこをしていても。お姉様をからかって涙目にさせても、
ツマラナい。楽しくない。飽きた。私の心がそう叫ぶ。
「今度はお姉様が弾幕ごっこしてよ。美鈴だと弱いし」
「イヤ。貴女が本気出したら神様だって危ないんだから、私が壊されかねないわよ」
チッ、と心の中で舌打ち。ノってくれたら『手が滑っちゃった☆』とか言いながら壊せたのに。
「じゃあ、咲夜は?」
お姉様の影の様に立つメイドに声を掛ける。少しだけ頭を下げ、無機質な返答をしてくる。
「申し訳ありません、妹様。私は今からコレの始末をしなければいけませんので」
その手は針山――――の様に見える、人間を引きずっていた。両腕が無く、肩があるべき所には銀色のナイフが沢山詰まっている。足首も似たような状況になっていて、胴や首にも数本のナイフが刺さっている。
そんな死体みたいなのの胸は、微かに上下していた。
「……生きてるの? ソレ」
「はい、未だに事切れてはいません。どうせなら有効活用しよう、とお嬢様が申しておりましたので、厨房に持って行こうと」
ソレの顔を覗き込む。血だらけになった表情は上手く読めない。それでも、細々と呼吸しているのが分かる。
どうしてこんなモノがあるかは知らない。こんなんだと妖怪の類みたいに見えるが、それだと厨房に持って行くのはおかしい。人間だったら普通死んでる。
「……あ、そうだ」
お姉様が――――レミリアが何かを思いついた様だ。なんか、嫌な予感がする。姉の能力があれだからなのか、私の予感は良く当たる。
「ねぇ、フラン。新しいオモチャは欲しくない?」
本来なら、ノってやるのが妹の正しい選択なんだろうけど、残念ながら今の私はどんな暇潰しでもしたい気分なのだ。
「あ、咲夜。ソレ置いてきたら私も何か食べるから、後で私の部屋に食事を運んで。急がなくていいから」
「畏まりました、妹様」
「って、ちょっとぉ!? 何無視してるのよフラン!」
ぎゃんぎゃんとレミリアが叫んでくるが気にしない。なんか、今こいつを調子に載せるべきでは無いって誰かが囁いてる。
地下室に戻ろうとすると、姉がうざったい程に纏わりついてくる。私の腕は抱き枕じゃあない。
「さっき私の誘いを蹴った癖に自分がカッコつける時には付き合えだなんて不公平じゃないの?」
「そうだとしても! 例えそうだとして話の流れ的に聞いてくれるだけでも良い……んじゃない?」
「いやだ。」
ウルウルとした瞳で此方を見る紅魔館当主(笑)に三行半ならぬ三文字半を突き付け実家もとい自室へと足を運ぶ。ああ、やっぱり姉は弄るに限る。
「じゃ、じゃあ後で弾幕ごっこに付き合ってあげるから!」
「やっぱり美鈴でいいや。お姉様ってなんだかんだ言って弱いし」
僅かながらに保っていた威厳が剥奪され、お嬢様(苦笑)の動きが完全に停止する。
確かに吸血鬼であるアドバンテージは大きい。そこいらの妖怪とは比にならない。けど、結局はそれだけだ。私の様に『壊す』事に特化してる訳でも、咲夜の様に時間を操り瞬間移動する訳でも無い、只の吸血鬼。本人曰く運命を操ってるらしいけど……にしては想定外の事が多く起こりすぎてる様な。
そんな情けない愚姉を見ていると、漸く腹の虫も収まってきた。怒っていたんじゃないけど、やっぱりコレの思い通りになるのはイヤだ。
「……で、何を思いついたの? お姉様」
「あ、う、うん……」
すっかり気勢を削がれたお姉様が口にした思い付きは――――存外、悪いモノでも無かった。
◆◇◆◇◆◇
『これで……何回目だったかな? 最初から数えておくべきだったかな』
そこに座る男が話し掛けてくる。
『まぁ、こうやって会う必要はあんまり無いんだけどな。夢で会ったとしても、お前は起きたら忘れちまうんだし』
束ねた長い髪が風に乗って踊る。銀糸の様に輝く白髪は、幻想的で、非現実的だ。
『ああでも、今回ばかりは事情が違うか。あろうことか観客がいるんだから』
男が立ち上がり、コチラに向かってくる。
『さて。本題の前に一応、自己紹介しておくべきかな?』
黒い袴。一陣の風の後、男の左腕が霞んで見えた。
『俺は■■■■。ある意味では、お前の先輩だ』
よろしく、と男は握手を求めてくる。だが、僕の腕は動かない。動かせない。
腕だけでは無い。脚も、首も、口も。視点すらも動かす事が出来ない。
『ん? あ、そっか。そんな姿じゃ動ける訳も無いか。だったら、お前さんに言う事言ったら俺は退散するかな』
■■は此方に左手で指差しながら、言う。
『お前さん、さっさと自分を理解しないと、コロッと死んじまうぞ?』
向けられたら刃の様に鋭利な単語が、心に突き刺さる。
『ああ、誤解の無い様言っておくが、別にお前なんかどうでもいいからな。お前がやる事に意味があるんだから』
女じゃなきゃ積極的に助けないし、と続ける。なんか、この男とは馬が合わなそうだ。フェミニスト気取りか。
『ったく、俺もヤキが回ったかな。男に親切にするなんて。ま、面白ければいいや』
んじゃ、と男が霞んだ手を振る。男の瞳にくっきり映る、僕の姿――――頭だけの姿になった僕の姿が、夢を覚めさせるキーとなった。
◆◇◆◇◆◇
「………………」
橙色の灯りが石壁を妖しく照らす。血飛沫が光る様な幻覚を引き起こすそれが、目覚めた時に見えた光景だった。
次の瞬間、全身が白くなった。
「■ッ■■、■■■■■■■■ッ!!」
自分でも何を叫んでいるのか分からない。だが、その原因は分かる。理解出来てしまう。
肉は剥がれ腱は切れ眼は落ち耳は潰れ臓物は混ざり爪は割れ骨は砕け喉は断たれ腕は削がれ脚はもげ皮膚は存在その物が消失した。
血管には熔岩と液体窒素が同時に流され神経は有り得ない情報量により断線し脳細胞の一つ一つが破壊されて意識をこうやって保つ事すら難しい。
だがそれでも、死んでいない。死ぬ程の苦しみを味わいながら、生き続けている。
のたうち回る事すら出来ず。だが静止する事も許されない。涙が伝う頬は涙に焼かれ、涙腺すらも溶けてしまいそうだ。このままだと痛みで、痛みだけで狂ってしまう――――そう思った。
だが僕の脳味噌は狂う意識さえも再生し、僕の意識は壊れる脳味噌を復元させる。破壊と再生、崩壊と復元。延々と続く流転。変化しない変化を続ける。
癒えない傷は何だと言うんだ。癒えて生きる苦しみは人生の縮図の様にも見える。
この血を怨む。この身を作った両親を怨む。この能力を授けた神様を怨む。しかし、怨みの念すらも、痛みの信号には消え失せる。
破壊により痛みが走り、破壊により再生され、再生により痛みが蘇り、痛みにより破壊される。
「ああもう、うるさいなぁ」
――――――唐突に。その矛盾した円環が破壊された。
「何時まで叫んでるのよ、あなた。私に手を煩わせるなんて生意気な玩具ね」
無邪気さが残る声。幼い事には変わりないが、レミリアよりも小悪魔的と言う感じなのだろう。
金色の髪。宝石の様な虹色の翼。そして、赤い瞳。
純洋風な不機嫌そうな少女が、僕を踏みつけていた。