021:緋と赤〈底〉
赤瀬凪人が投げたナイフは三本。身体から抜き取った十六夜咲夜の銀のナイフだ。
一投目はレミリア・スカーレットの頭部に、二投目は紅い槍を持つ右手に、三投目は右脚に。
どれも当たるとは思っていない。時間稼ぎの為のものだ。
「スペルカードは必要無いか。ふん」
勿論、レミリアにはそんなナイフは当たらない。槍を横に振り、一度に全て叩き落とす。それを見越して、凪人は既に行動を起こしていた。
足に刺さるナイフを抜き取り、順々に投げていく。牽制に牽制を重ね、足周りの動きを確保する。
レミリアもそれを避け、防ぎ、自らも弾幕を張る。だが、これは弾幕ごっこに定義されない戦い。バラまくやり方は控え、ある程度狙いを定める。
やがて凪人の足に刺さっていたナイフが無くなり、牽制が止まる。好機、と距離を縮めるか、槍を投げ仕留めるか。ナイフの中でもどちらとも出来る事には出来る。だが、この体に傷が付くのは癪だ。
即座に判断したレミリアの手から、紅い猟犬が離れる。
「コレを食らっても立っていられるか!」
凪人目掛け飛ぶ槍。幾ら離れようと、幾ら避けようと、標的を逃す事は無い。
だがそれに臆する事無く、凪人はそれを見る。手に持ったナイフに力を込める。
――――受ける? 否。砕かれるか力負けする。
――――避ける? 否。アレは地獄まで追い掛けて来かねない。
――――斬る? 否。貧弱な刃を立てられるモノでは無い。
――――掴む?
「――――――応」
槍の切っ先をナイフの刃で僅かに逸らす。掠るだけで腕を切り裂かれるが、そこには怯まない。
左手を通り過ぎて行く柄に掛ける。主以外の持ち手を拒む様に槍は凪人の手を離れようとするが、その隙に右手が動き始める。
金の鍔を口に挟み、背中からナイフを抜き取る。猛るグングニルを左脇に抑えつけながら、右腕で接近してきたレミリアを迎撃する。
「薄汚い手で私の槍に触るな!」
悪魔の爪の前に右腕はあっさりと砕け、そのままグングニルを掴まれる。真の主の手に収まり、任を解かれる魔槍。
だがその瞬間。折れた筈の凪人の右腕が、蛇の様にレミリアの手首に巻き付く。柄ごと拘束され、槍を放つ事もままならない。
「残念だったな、吸血鬼」
口からナイフが離れ、凪人そう耳元で囁く。左手で受けたナイフをレミリアの首筋に斬りつけた――――筈だった。
「お前の方こそ、残念だったな」
その左手が切断されていなければ、凪人の勝ちになっていただろうか。キョトンとする凪人を余所に、奇形に再生された腕は握力のみで破壊される。
両腕を潰され退く凪人に、レミリアは呆れた顔をする。
「一体、何なんだお前?」
さぁ、と赤瀬凪人は応える。自分にだって分からない事だ。流すしか無い。
レミリアの質問は止まない。
「ウチの咲夜と遜色の無いナイフ捌きに、人間とは思えない解決法。再生力が可愛く見える無感振りには脱帽するよ」
そうか、と狩人は応える。ああ、獲物が何か鳴いている。だが、意味を解する必要は無い。
「聞き方を変えようか。――――お前は、人間か?」
「――――……」
その問いには、思わず意識を割いてしまう。だが、言える事は一つしか無い。
「……人間だ」
そう。赤瀬凪人は人間だ。自身にそう言い聞かせているだけかもしれない。だが、その理性は人間だ。
納得しない様子だが、ひとまずは気が晴れたレミリア。凪人の両腕の再生が終わったのを見計らい、再び槍を構える。
「さぁ、この槍をどうしようか? 人間のお前に勝ち目は無いぞ?」
「ハッ、ふざけろ化け物。狩られる立場だとまだ理解していないのか」
強がりを、といいたい。だが、確かに凪人には何かがある。再生力や感覚無視なんかでは無い、もっと強力な切り札がある。
迂闊に掛かるのは危険。だが、強力な再生力を持ったコイツを捕獲するのは難しい。悩むレミリアは、ある事に気付く。
「…………」
床に落ちている、砕かれた腕とそれに握られた金の鍔のナイフ。異常なまでの投げナイフの力量。吸血鬼と遜色の無い再生能力み
似ている。だが、違う。確かに似てはいるが、同じにしては弱過ぎる。しかし戦い方そのものはそっくりだ。
かつての使用人を思い出しながら、レミリアは、意識せずに口を開く。
「全く、再生しか出来ないのか」
再び、戦いが始まる。凪人に刺さるナイフは残り五本。その内の一本を抜き取り、投げつけず構える。
今、彼の中にあるのは殺意のみ。だがそれは人間に向けられるものでは無く、畜生に相応しい殺意だ。
何時もの凪人なら、その殺意は胸の内に秘めるのみだ。しかし、今はその意を行動で示している。殺意によって動き、殺意によって思考する。
その頭中には、自らの安全なんてものは無い。ただただ目の前にいるモノを狩らなければいけないから。
「狩る」
もう一度、自身に言い聞かせる。言葉で自身を縛り、言葉で自身を昇華させる。
人間で在る為に/妖怪に成る為に。
息を吐き出し、吸い込みながら走り出す。凪人の手には銀のナイフが一本。それのみを頼りに、レミリアへと走り寄る。
それにレミリアも応じ、同じ様に槍を構え走る。本来なら投げる為のスピアを抱え、男を串刺しにする為に駆ける。
人間と吸血鬼のぶつかり合い。当然、吸血鬼の力に人間が及ぶ訳も、吸血鬼の速さに人間が敵う訳が無い。だが、凪人はそれを承知で走る。
その姿にレミリアは警戒する。捨て身のつもりなのだろうか、それならこのまま馬鹿正直にやる必要も無い。
そっと切っ先をずらし、凪人の足に狙いを付ける。リーチは此方にある、とすれば先に機動力を削いだ方が良い。
その僅かな動作を、凪人は見逃さなかった。レミリアが狙いを変えた一瞬の意識の隙間の内に、凪人は前に跳んだ。
「それで避けられるとでも!」
すぐさまレミリアは足を止め、槍を引く。中空で槍を避ける手段を凪人は持たない。このまま捉えれば勝ち。
その筈だった。
「そんな槍、刺さらなければ良い」
あろうことか凪人は、構えられた紅の槍に手をつき、レミリアの頭上を飛び越えていった。
言うには簡単だ。だがそれを実行する狂気は計り知れない。レミリアの行動すらも信頼した回避は、完全に虚を突くものだ。
「え?」
槍に掛かる体重が無くなり、凪人が視界から消えた所でレミリアの口から零れた。その声はまるで年相応の少女の様で、今にも首が狩り取られそうな吸血鬼だとは思えない、とても可愛らしいモノだった。
「死ね」
冷淡な声で彼は宣告する。従者のナイフによって死ぬ事に僅かながら憐れみをしながら、その白い首に刃を突き立て――――
「申し訳ございません、お嬢様。禁を破らせて頂きます」
――――どこからか現れたメイドに、両目を抉り取られた。
「主の命が奪われる瞬間に動揺してしまいました私をお許し下さい」
そのまま、両肩を斬り落とされる。抉られた目の跡にはナイフが刺さったままで、再生すら許されない。
「罰は覚悟しております。ですが――――この狼藉者に罰を下す我が侭だけは、どうかお聞き届け下さい」
逃れようとする脚も無情にも崩れ落ちる。足首を斬られているのか、それとも脚自体を切断されたのか。ご丁寧に傷口には大量のナイフが埋め込まれている。
「チェックメイト……いえ、フールズメイトとでも言うべきかしら? 身の程を弁えない駄犬さん」
声にならない叫びが響く中、十六夜咲夜は微笑みながら言う。その笑顔を貼り付けたまま、凪人の喉笛を切り裂いた。