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寂しさと終焉の象徴の場合 其乃二
 部屋の中はもう程良い暖かさになっていた。ラムプの灯がちらちらと煩かったので、私は少し席を立ち、油を注いだ。油壺を何処へやったか忘れてしまい、少しばかりその辺をばたばたと引っ繰り返したので、部屋がまた少し散らかった。
 席を立ったついでに、守矢の巫女から貰った土産の塩羊羹とやらを戸棚から出して食うことにした。羊羹に塩なぞ聞いた事もなかったが、大正の頃から外の世界で親しまれ始めたのだと聞いたので、成程幻想郷には無い外来の品なのだと知った。
 少しばかり塩気のある羊羹は、緑茶に妙に馴染んだ。漬物みたいなものかと思ったが、確りと甘味も後に引くので、続けざまに二切れ程口に入れた。

 何となく、塩羊羹はこの手紙を読むのによく合う味をしているな、と思った。


◇◇◇◇◇◇


 穣子は姉思いで人思いの、良い子です。食いしん坊なのが玉に瑕ですけれど、それもまた穣子の人々に対する愛情の表れなのだと思うのです。ですから、末永く人々と共にこの郷に在るべき神だ、と私は思います。決してひと時の心の迷いで、自分を見失ってはいけない子なのです。
 そうして穣子の心を見失わせた私は、姉失格なのだと思います。けれども私もまた、私を見失うことはできません。私は私として、穣子は穣子として在り続けなければ、人々の助けとなることはできないのです。
 神は万能ではありません。間違いもするし、迷いもするものです。言い訳のように思われるかも知れませんが、神とは人の心の表れなのですから、いずれ不合理であいまいなものです。けれどそれが見失われた時、神は消えなければなりません。
 私にはそれが恐ろしくてなりません。けれども私には、どうしようもないのです。ですから私は、あなたに依頼をしたいと考えたのです。

 お話を戻しましょう。私は穣子に悩みを打ち明けたあくる日から、この郷を巡ることにしました。それには穣子も付いて来てくれました。穣子はまだ少しばかり酔いの残った顔をして、私を労ってくれました。私はそれを、私の役目への心からの同意として受け取っておりました。ですから私は、穣子の顔にかすかな疑問が浮かんでいたのを全く気付かずにいました。
 どうやら、穣子は前夜の事を少しも記憶していなかったようなのです。確かにたいそう酔っていましたから、それは仕方の無いことだったのかも知れません。そして私も役目を果たすことに夢中で、それを気にも留めなかったのです。
 あくる日も、またあくる日も、私は穣子をつれ立って幻想郷を巡りました。穣子は少しばかり手持ちぶさたにしていましたが、それでも野山の紅葉する景色を見て、とても喜んでくれました。

 その季は結局、幻想郷を半分ほど巡ったところで冬が来ました。思えば幻想郷が博麗大結界で閉じる前まで、境界はあいまいでしたから、私は全ての地を巡ったことがなかったのです。私はこの郷がそれほど広いとは知らず、残念な思いで冬を過ごしました。
 私は来季こそ、幻想郷を全て巡るつもりでいました。そうしてしっかりと秋をお迎えして、この郷を紅葉で満たしてあげたいと思いました。穣子は特に何も言いませんでした。穣子には少しばかり訳知り顔をするくせがありましたから、もしかすると何も言えなかったのかも知れません。けれど私はまた、それを同意として受け取ったのです。

 次の季から、私は紅葉の神としての役目に集中しました。秋を迎え入れるために夏頃から方々を巡り、木々の成長の具合や動物の生活の様子などを観察して、どうやって幻想郷に秋を呼ぶのが良いかを考えました。
 秋を呼ぶといっても、私には木々を紅葉させ、実を熟れさせるくらいしかできません。けれどもそうして考えた結果、たったそれだけの事でさえ、わずか三月足らずの日々では幻想郷へ秋を迎え入れるのに時間が足りないことが分かったのです。

 それからというもの、私は秋になると忙しくなりました。日の出ている時分は、穣子と一緒に幻想郷を巡ります。ときおり穣子は里へ行って、人々の作物の稔り具合を確認しますが、それに私は付いて行ったり、行かなかったりします。
 夕暮れから夜までの間は、少し休憩します。ほとんどの場合、ぼうっとして過ごすか、居眠りをします。あなたに出会った後からは、お手紙を書くのも良い休憩となりました。そうして他には、里の人からのお供え物を穣子と一緒に頂いたりもします。
 夜になると、私は穣子が眠ったのを見計らって外へ出ます。それからまた明け方近くまで、里の近辺を巡ります。三月で幻想郷中を巡るには、そうしなければ追い付かないのです。
 私は、里の収穫祭への参加も辞退しました。この郷の人々はお祭り好きなようで、いつも明け方まで元気に飲んで食べて騒ぐものですから、私にはとても参加する時間がありませんでした。またそちらへは穣子が参加してくれましたから、私は気兼ねすることなく、役目を果たして良いのだと考えました。

 そうして一季、また一季と過ぎ、私は収穫祭へ参加しないのがあたりまえのようになりました。穣子はやはり、その事について何も言いませんでした。けれど収穫祭のあくる日には、私に収穫祭でのことを教えながら、楽しそうにほほえみました。
 私は秋を呼ぶ役目を果たしながらその話を聞きました。もちろん私は、その話を聞いて里の近況を知りましたから、まじめに耳をかたむけて穣子に相づちを打ちました。そうして話が終わると、私は安心して役目に打ち込むことができました。

 ですから私は、季を追うごとに穣子のほほえみにさした暗い影を、全く見逃がしていました。今だから分かるのですが、穣子はたびたび、悲しそうな目でほほえむのでした。
 また穣子はときおり私を呼び、もじもじとして何も答えないこともありました。それも恐らくは、私が里の収穫祭へ参加しない事を問いたかったのかも知れません。

 ある収穫祭の翌朝のことでした。私が目を覚ますと、穣子もいつの間にか戻っていたようで、祠で眠っていました。私は穣子を起こすのをよして、その日は一柱でこの郷を巡ろうと思いました。けれど出がけに、私は穣子の寝言を聞いたのです。
 それはとても弱々しい声でした。いくら寝言とはいえ、あの気丈な穣子が語る声にしては、とても寂しく、とても悲しい声でした。そうしてそれは、私に訴えかける声なのでした。
 穣子は一言、どうして来てくれないの、姉さん、と言いました。
 それを聞いて私は、胸にびしりとひびが入ったような心地になりました。ひび割れから落ちたかけらが、ころころと胸を転がって、ちくちくするように思いました。私は少しの間何も考えられなくなりましたが、気付いた時にはいつものように、林を紅葉に染め、木々に秋の訪れを伝えて巡っていました。


 (以下数行、訂正跡。端々に震えた字の一部が見える)


 私は、この手紙であなたに嘘をつくところでした。「今だから分かる」「それも恐らくは」──とんでもありません。私はこの時に、もう穣子の心の内を了解していたのです。
 そのうえで私は私を見失わないために、了解した穣子の心を、呑み込んだままいたのです。「神は万能ではありません」──そんな事、言い訳でしかありません。
 私は、穣子よりも自分を選んだのです。


 昨夜、穣子は私に収穫祭への参加を尋ねました。それまで穣子はそうした問い掛けをしませんでしたから、それが最後通牒に違いなかったのです。だのに私はいつもの事と思い、軽い気持ちで辞しました。穣子は、──


 (以下数行、点々とした涙の滲みと訂正跡)


◇◇◇◇◇◇


 月明かりが森を照らしていた。窓越しに森は見渡せないが、それでも森はまだ青々としていることだけは見て取れた。
 瘴気漂うこの森でさえ、秋には紅葉を兆す。けれど今の森の木々は依然変わらず、重たく葉を付けていた。冷然とした森の毒気のなか、すうすうと息を吐く木々は苦しそうに項垂れて見えた。

 手紙のなかの彼女に、私は少しばかり苛立ちを覚えていた。ここまで書いておきながら、何故彼女がそうした結論に至ったのか、ちっとも解らなかった。依頼内容から、いや冒頭の妹の話からして矛盾に満ちている。そう私は思った。
 けれどそれは、或いは容易に掘り返す事の出来ない、彼女の痛切な部分なのかも知れない。そう思うと私は、要所にある訂正跡を透かし見る事の出来ないのが、もどかしく感じた。

 手紙はあと二枚ほどあるようであった。私は冷めた緑茶を飲み干して、再び手紙へと目を落とした。
 一枚目には先程からの続きと思しき文章が記述されていた。


◇◇◇◇◇◇


 私は今日も、これから幻想郷を巡るつもりでいます。けれどそれは、穣子を探すためではありません。私は私のために、また私の愛する郷のために、秋を迎え入れるために巡ります。莫迦だとお笑い頂いても構いません。なぜ妹を探さないのかと怒られても構いません。私には、きっと──穣子と一緒にいる資格は、ないのです。

 普段は神などと呼ばれる私達も、結局は人々と同じなのです。とくに私などは、こうした場合にどうすれば良いのか、まるで分からないのです。
 こうした場合、人はどうするのでしょう。神頼みをするものでしょうか。けれども私達は、自然に在り、人為に在って、人々の心に感得されるものです。ですからそれは、自省とも人頼みとも言えるのかも知れません。
 そしてまた私達も、信仰する人々の念じる通りの私達も、そうするしか無いようです。人々の心から外れることのない私達は、やはり人と同じ行動しか取れないのです。
 神などと呼ばれていても、私達はずいぶん儚く、弱いものです。


 長々とした手紙となり、大変申し訳御座いません。また今一度、ご依頼申し上げます。どうか私の代わりに、穣子の助けとなってあげて下さい。


 ──かしこ

  親愛なる霧雨魔理沙様へ
  秋静葉


◇◇◇◇◇◇


 そうして二枚目にはたった一言が、無意識の殴り書きのように、こう記されていた。くしゃりと握り潰されたような紙質からは、恐らく一度書き損じとして捨てたものを、誤って同封したものかも知れない。


 ──穣子に帰って来て欲しい。


 私にはそれで十分だった。この素直でない秋神様の本心を、確かに受け取った気がした。

「全く、これじゃあまるで惚気じゃないか。流石の私も、あんたの妹には嫉妬するぜ」

 思わず私は、そう独り言ちた。そうしてこの手紙に対し、私はたった一言「承諾した」と手紙に認めて返信とした。

 素直でない彼女がこの手紙を読めば、きっと今と同じように素直でないまま、妹は私に任されたと思うに違い無い。けれど今はそれで良い。互いに素直になるには、少しばかりの時間も必要だろう。私と彼女とでは時間の感覚にも隔たりはあろうが、まあ数日といったところか。
 妹とやらも十分素直でない、どうやら似た者姉妹のようだから、まず探し出すのに時間は掛かるまい。また茸を摘んで、今度は妹のところにでも直接渡してやろう。それなら茸狩りは明後日にして、明日は暇だから手紙を返信する序でに塩羊羹を持って博麗神社にでも遊びに行こうか。

 私はのんびりと、そう考えるのだった。夫婦喧嘩は──いや、この場合姉妹喧嘩か。姉妹喧嘩は犬も食わない、などと思いながら。

 そうして私は、読み終えた手紙を同じように束にまとめ、紐で括り直して机の奥に大切に仕舞った。また一杯の緑茶を啜り、暫くの間手紙に差し込まれていた楓の葉をくるくると弄んでから、私は寝直すことにした。
其来(それから) ~ 寂しさと終焉の象徴の場合 完》
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