表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
女神伝説  作者: Sugary
第七章
111/127

6 ランスの力と突き付けられた現実


 深い眠りについていたあたしは、何の前触れもなくふと目が覚めた。直前に感じる意識の浮遊感や夢、そして心の声すら聞こえずに…。

 頭はスッキリしていて、起き上がった時の体も、最近にはないような軽さだった。

 懐かしい─…ううん、違う。忘れてたんだわ。これが寝て起きた時の、普通の感覚だったって事に…。

 既に窓の向こうは暗くなっていて、あれから数時間以上が経っているのが分かった。でもまる二日眠った時よりもずっと、今の方が調子がいい。タフィーと関わってたとしても、ちゃんと眠れるというのはこんなにも違うものなのかと、今更ながら睡眠の重要性を実感した。

 ありがとう、ネオス…。

 あたしは、改めて心の中でネオスにお礼を言った。そして布団を軽く畳んでから、みんながいるであろう居間に行こうと部屋を出たところで、ちょうど居間とは反対の方から現れたラディと目が合った。

「あ…」

「ラディ…」

 その現れた方向と濡れた髪をタオルで拭いていたことで、何をしていたのかがすぐに分かった。

「ちゃんと温まった?」

「あ、あぁ…まぁな…」

 ぎこちない言動に、数時間前のことが脳裏に蘇る。

「ねぇ、ラディ──」

 〝ここを出て行っても何も変わらないわ〟

 あの時言えなかった事を言おうとした時だった。それを察知したのか、遮るようにラディが口を開いた。

「意味ねぇってよ…」

「え…?」

「ここを離れても、なんの意味もねぇって。…ばーちゃんに言われた」

「…う、ん。あたしも、そう思う」

「けど、オレはお前を守るって誓ったんだ。だから─…」

 そう言うと、少し躊躇いがちに言葉を切った。

「だから…?」

 その先を促そうと同じ言葉で問いかければ、ややあって、意を決したようにあたしを見つめた。

「だから、あいつと話をさせてくれ」

「…………!?」

「前から思ってたんだ…。もう一度あいつに…タフィーに会えたら…って。会って、あの時のことを謝りたい」

「謝まる…」

 その言葉に、あたしは思わず〝違う〟と言いそうになった。

「タフィーがオレを救いたいって言うんなら、そうさせて欲しいんだ。それで、全てが終わる。お前からタフィーを引き離す事もできるはず─…ってか、絶対そうさせるからよ」

「ラディ…」

 あたしを守るために、一刻も早くこの状況を終わらせる…そう言ってるようにも聞こえるが、タフィーに会って謝りたいという気持ちは本当だと思う。許してもらう云々よりも、自責の念に駆られたラディにとって、そうする事が自分を少しでも許すことのできる唯一の行動だからだ。

 だけど、タフィーが望むラディにとっての救いは、たぶん違う。あの時、タフィーは〝自分のせいだ〟と言った。〝言う事を聞かなかった自分のせいだ〟と。つまりタフィーはタフィーで、ラディに謝りたいと思ってるにちがいないのだ。だとすれば、なぜタフィーはあたしじゃなく、直接ラディの前に現れなかったのか、という疑問にもなるのだが…。

 何にせよ、ここまで言うなら二人を直接会わせるのが一番だと思ったあたしは、ラディの顔を見てゆっくりと頷いた。

「でもあたしが二人を引き合わせたとして、タフィーの言葉はラディに聞こえないわよ?」

「それは、ルフェラが伝えてくれりゃいいさ」

「それでいいの? 都合の悪い事があったら、嘘言ったってラディには確かめようがないのよ?」

 もちろん、最初から嘘を言おうとは思ってない。思ってないけど、もしクレイの事が出てきたら? そう思うと、正直、そのまま伝える自信がないのも事実なのだ。

 そんなあたしの気持ちを知ってか知らずか、ラディはあたしをまっすぐ見つめ、ハッキリと言った。

「オレは、お前の言う事なら信じる」

 〝たとえそれが嘘だとしても〟

 ──そんな言葉が聞こえそうなほど、力強い口調だった。

 普通なら嬉しいと思えるはずの言葉だが、この時ばかりは、嘘をつく事にブレーキをかける大きな重石のように感じた。

 あたしは、その重石に押しつぶされないよう大きく息を吸ってから、〝分かったわ〟と答えた。

「明日、タフィーに呼びかけてみる」

「あぁ、頼む…」

 そう言うと、再び濡れた頭を拭きながら居間の方へと向かった。

 ラディが居間の引き戸を開けると、最初に話し掛けたのはイオータだった。

「しっかり温まったのか?」

「おぅ、暑いくらいだ」

「そりゃ良かった」

 ──と、ここでラディの後ろにいたあたしと目が合ったイオータ。

「ようやく起きたな? どうだ、今度は良く眠れたか?」

 その言葉から、あたしは〝心の声〟や〝部屋に張った結界〟の話をネオスから聞いていることを悟った。

「えぇ。すごく静かだったから」

「──だろうな」

「なぁに、その言い方〜?」

 状況が分かっている者にとっては、フンッと鼻で笑ってしまうような事だが、そうでない者にとっては嫌味を言われたと思われたらしい。

「私たちが煩かったとでも言うわけ?」

「別にそう言う意味じゃ──」

「言っとくけど、あなたが眠ってたこの数日間、私たちはず〜っと気を使って静かにしてたのよ? そりゃ、時々は不機嫌な誰かさんが声を荒げてた時もあるけどぉ〜」

「──ンだよ!?」

「だってそうでしょ──」

「だから、そう言う意味じゃないってば…。ねぇ、それよりバーディアさんは?」

 〝静かだった〟という本当の理由はもちろん、始まりそうだった二人の言い合いを避けるため、ふと気になった事へ話題を変えた。

 もうそろそろ夕食が出来上がるという状況で、いつもなら張り切って台所に立っているバーディアさんがどこにもいないのだ。──が、まさかこの質問で否応無しに急展開を迎える事になるとは思ってもみなかった。

「そういや、オレが風呂に入る前はいたけどな?」

「おばあさんなら、さっき出かけたわよ?」

 答えたのはミュエリだった。

「こんな時間にか?」

「なんか、熱が下がらないんですって」

「熱? 誰の?」

「ほら、数日前に来たでしょ? お兄さんが熱出したから薬が欲しいって──」

 ──とそこまで言って、ふと何かを思い出したように〝あぁ〟と顔を上げた。

「そう言えばあの時、今日みたいにお風呂に入ってて居なかったのよね、あなた」

「はぁ?」

「ほら、お酒飲んでも全然酔わなかった日よ。大量に飲んでるのに、ルフェラの後だから…とかなんとか言ってお風呂に入ったでしょ? あの時に、おばあさんに薬を貰いに来た人がいたのよ」

「ふ…ん」

「いつもなら一日くらいで下がるのに、今回は全然下がらないんですって。食事も食べられないし、水分もロクに飲めないから大変みたいで…」

「あれからって事は─…」

「三日よ。余分に渡した薬も飲み切ったのに、全然下がる様子が見られないんですって。それで、おばあさんが──」

 この時にはもう、それが誰の事なのか分かっていたし、状況から言って黙ってるわけにもいかないと思った。

「ねぇ、ラディ──」

 〝聞いて欲しい事があるの〟

 そう続けようとした矢先、一瞬早かったのはランスだった。

「行った方がいいんじゃねーのか、あんたも?」

「あぁ?」

 〝オレは知らねーぜ〟と言わんばかりの口調に、ラディの返事は不機嫌そのもの。

「何で、そんな知らねーヤツの所へオレが行かなきゃなんねーんだよ?」

「知らねーヤツかどうかは、行けば分かるだろ」

「ちょっと、ランス──」

 あたしが話すから…と止めようとしたのだが、もともと相手に好意を持ってないラディの喧嘩口調はエスカレートするばかりで…。故に、あたしが割って入る間もなくなっていった。

「お前、バカじゃねーの? 知らねーヤツの居場所が分かるわけねーだろ。──ってか、お前の言ってる意味の方がさっぱり分かんねーなんだけどな!?」

「だったら、その欠陥だらけの頭でも分かるように言えばいいんだな?」

「──ンだと!?」

「お前の弟だ」

「…………!?」

 突然、知るはずのない者から〝お前の弟だ〟と言われ、一瞬何のことだか分からなかったラディは、すぐには声も出なかった。もちろん、他のみんなもそうだ。それこそ意味が分からないと、そのあとの補足を待つ状況。

 ランスは、この無言の間に淡々と説明を付け足していく。

「熱を出したのは、お前のすぐ下の弟だ」

「─────!!」

「昔から体弱かったんだろ? 最近は調子が良かったらしいが、数日前に何か大きな衝撃があって熱を出したらしいぜ? その何かっていうのは、お前なら知ってるはずだ」

 その説明に、今度はあたしの方が理解できなかった。でも、ラディには分かっているようだった。

 大きな衝撃…ってなに?

 それが熱の原因って…?

 あの時、ラディの家に行ってる時にそんな話はなかったはずよ? 家族だって原因が何かなんて知らなかったのに…。その原因をラディが知ってるって…どういう事!?

 どうしてランスがそんな事を知ってるのよ!?

 訳が分からず、ただただラディが何て返すのかを待っていると、先に口を開いたのはミュエリだった。しかも、さっきまでと違って少し落ち着いていた。

「薬をもらいに来たのは…ラスターって人よ…」

 何かを確かめるようにそう言うと、ラディがハッと驚いたように振り返った。その反応に、ミュエリが〝やっぱり〟と小さく息を吐いた。

「ランスの言う通り、彼も弟なのね…」

「…………」

「どうりで様子がおかしかったわけだわ、あなた…。ここに来るまでの不機嫌さといい、あんなにお酒を飲んでも酔い潰れなかった事といい…。どうして言わなかったのよ?」

「言わなかったって、何をだよ…?」

「決まってるでしょ? ここがあなたの村だって事をよ」

「…言ってどうなる?」

「少なくとも、あなたの言動をバカにしたりしなかったわよ」

「…………!」

「過去に何があったのかは知らないけど、それを無理に聞き出そうなんて思ってないわ。触れられたくない過去の一つや二つ誰にだってあるし、その気持ちは私にも分かるもの。だからもし、ここがあなたの村だって聞いてたら、過去の事よりあなたがどうしたいかを最優先に考えて協力してたわよ。このまま静かに村を出たいって言ったなら、ルフェラ達が反対したって私はあなたに協力してた」

「お前─…」

 ミュエリの意外な言葉に、ラディはもちろん、あたしも驚いていた。

 何でも知りたがるようなミュエリが、まさかそんな風に思っていたなんて…。それが、いつも言い合ってばかりいるラディに対してなら、尚更驚く。でも本当に驚いたのは、この後だった。

「でも、今は違うわ…」

「…………?」

「ランスの言う通り、熱を出した弟のところに行ったほうがいいと思う」

「なんでだよ…?」

「あなた、本当はもう弟に会ったんでしょ? あの日…魚を釣りに行ったあの日に」

「───── !」

 思ってもみない言葉だったのはもちろんの事、それを聞いたラディの反応が否定するものではなかった事に更に驚いた。

「…それ…本当なの、ラディ…?」

 思わず確かめた声は、早鐘を打つ鼓動の波に揺られるように震えていた。反射的に振り向くラディ。その表情を目にした途端、忘れかけていた記憶が現実と重なりハッとした。

 何かを押し込めているような辛い表情。それは正に、魚釣りから帰ってきた時に見せたあの表情だったのだ。もう、それだけでミュエリの言った事が本当だと分かった。

 ラディはあたしから目をそらすと、視線を床に落としたまま何も言おうとしなかった。そんな態度に代わって答えたのは、またもやミュエリだ。

「ラスターが薬をもらいに来たのは、ラディが釣りに出かけた日の夜よ。ラディは帰ってきてからずっと様子がおかしかったし、お酒を飲んでも酔わなかった…というより、酔えない感じだった…。何かあったとしたら、その日しか考えられないのよ。しかもランスの言っている事が本当で、熱を出した原因をラディが知っているのなら、少なくともあの日、二人は会ってたってことになる。──そうなんでしょう、ラディ?」

 そこまで辻褄の合う根拠を説明され、誰が〝違う〟と言えるだろうか。

 答え合わせのように問いかけられたラディは、ややあって、諦めたように大きな溜息をついた。

「その通りさ。あの日、オレはクレイと会った。十年以上経ってたけど、オレはすぐにあいつだと分かったし、あいつもオレだと気付いた。けど、だからって何を話せっていうんだ? 話せるわけねーだろ、合わせる顔すらねーっていうのによ…」

「じゃぁ、何も話さず帰ってきたっていうの?」

「しょうがねーだろ? あんな所で会うとは思ってねーんだからよ」

「でも、あなたの村なんだからどこかで会うかもしれないっていうのは─」

「ンなもん、途中で消えたさ」

「え……?」

「途中から、オレの村に続く道を外れたんだ。だから、あいつに…家族に会う可能性はなくなったと思ってたんだよ。そもそも、ここが自分の村とは思ってなかったんだからな」

「…じゃぁ、弟の方は? 突然の事で驚いたのはあなたと同じなんだし、何か言ってこなかったの?」

「さぁな。言おうとしたのかもしれねーけど、その前にオレが拒絶しちまったから─…」

「拒絶…?」

「あぁ…いや…──ってか、ミュエリはともかく、なんでお前が知ってんだ?」

 ミュエリとの会話をほぼ強制的に切り上げ、そこが一番解せないと睨みつけた相手はランス。

「熱を出したのがオレの弟だとか、その原因をオレが知ってるだとか…なんでお前が知ってる?」

 確かにそれを言わなければ、ミュエリも〝ラディが弟に会った〟という推測には至らなかった。熱を出したのがラディの弟…というのは家に行ったから知っていて当然だが、その原因まで知っているというのは、あたしにも理解できなかったのだ。

 ランスはしばらくラディの顔を見ていたが、話す気がないのか無言のまま視線を外した。その態度に、ラディの怒りが更に増す。座っていたランスの胸ぐらを掴むと、その手をグイッと引き寄せた。

「おい、答えろよ! 何でそんな事までお前が知ってんだよ!?」

 ラディの怒りとは対照的に、ランスは落ち着いていた。逸らしていた目はしっかりとラディの目を捉え、胸ぐらを掴まれている手を振りほどこうとしたのか、ラディの手首を掴んだ。掴まれたラディは、更にグッと胸ぐらを握る。

「言うまでこの手は──」

 〝離さねーからな〟と言おうとしたところで、ランスが静かに口を開いた。

「分かるんだよ、オレには」

「あぁ!?」

「自分が意図するしないに関わらず、オレには分かるんだ」

「は…ぁ!?」

 言ってる意味が分からないと、眉を寄せたラディ。もちろん意味が分からないのはラディだけじゃない。あたしを含め、ここにいる全員が理解できなかった。ただ、あたしは彼の言葉に聞き覚えがあった。

 確か前にもそんなような事を言っていたはず…。

 一人記憶を辿っていると、それが三日前──ラディの家から帰ってくる時──だったと思い出した。

 話していないのに、ランスがタフィーという名前を知っていた事や、彼女がラディの妹だと知っていた事に驚いた時だ。結局、自分では気が付かなかっただけでタフィーの名前を口にしていたのと、あたしの態度からラディの妹だと察したようだが、あの時、確かに言っていた。

 〝時には自分の意図しないところで分かったりする事もある〟

 ──と。

 思い出したところでその意味は全く分からなかったが、この直後、あたし達はその意味を驚きと共に知る事になる。

「こうやって触れるだけで、見えてくる。そいつの現在、過去、未来─…時には前世や来世までもな」

「─────ッ!?」

「お前が弟と会った事を知ったのも、今朝だ。今と同じようにオレの胸ぐらを掴んだ時に、な」

 ランスがそう言うと、ラディは思わず胸ぐらから手を離した。まるで、掴まれていた手を払いのけるかのように。

 相手に触れるだけでその人の過去や未来が見えるとは、にわかには信じられない。だけど知らないはずの事を知っていた事実が、〝もしかしたら…〟という気にさせる。ラディの手を掴んだのも、胸ぐらから引き剥がそうとしたのではなく、知るためだったとしたら…?

 そう思うと、ラディの行動も当然の事だった。

「…ま、そうなるよな」

 驚きと得体の知れない力に数歩後退りするラディを見て、ランスはフッと笑った。でもその顔は人をバカにしているというより、どこか寂しげに見えたのは気のせいだろうか。

「これでもまだ〝行かねー〟って言うならそれでもいいさ。けどもし行くなら、川沿いの道を下って行けよ」

「─────!?」

 暗に〝その先にお前の家がある〟と言われ、ラディは驚きと同時に眉を寄せた。〝そんな場所に自分の家があったのか〟という驚きと、〝なんでお前がそんなことを知ってんだ!?〟という疑問だろうか。

 冷静に考えれば三日前の事と何か関係があると気付きそうなものだが、今のラディには、冷静さ云々よりランスに全てを見透かされているという思いの方が強いのかもしれない。

「くそっ…」

 やり場のない感情を吐き出すかのようにそれだけ言うと、あの日、一緒に行動していたあたしの方をチラリとも見ずに家を飛び出していった。

「あ…ちょ、ちょっと待って──」

 反射的に呼び止めたものの、そんな声がラディに届くはずもなかった。いや、届いたとしても待つわけがないだろう。

 あたしは、慌ててラディの後を追うことにした。

 行くなら、その前に言っておかなきゃいけないことがある。

 〝彼は話すことができなくなったのよ〟

 ──と。

 酷だけど、それが現実なのだ。行ってその場で気付くより、事前に知っていたほうが冷静でいられるはず。ただ、覚悟を決めたり気持ちを切り替えたりするには余りにも時間がなさすぎる事に、今更ながら、もっと早くに言うべきだったと後悔した。

 ごめん…ごめんね、ラディ…。

 心の中で謝りつつ、ちょうど開けっぱなしにされた玄関の扉に手をついた時だった──

「本当は、嘘なんでしょう?」

 後ろから、少し緊張したミュエリの声が聞こえた。状況から言ってこんな所で立ち止まってる場合ではないのだが、その言葉と緊張気味の声に思わず足を止めてしまった。振り返れば、まっすぐランスを見つめているミュエリの姿。

「触れただけで、その人の過去や未来が分かるなんて…到底信じられないわ」

 そう続けた横顔には、なぜか真剣さだけではない怒りのようなものが感じられた。

「じゃぁ、なんであいつら兄弟が出会った事をオレが知ってるんだ?」

「それは…あの日、二人が会ってるのを見ていたか、弟から聞いたか…知り得る方法ならいくつかあるでしょう?」

「あいつが釣りに出かけた日は、オレはずっとここにいた。それは、あんたらがよく知ってるはずだ。それに、あいつの弟はあの日の夜に熱を出して寝込んだんだぜ。会う暇がどこにある? たとえあったとしても、初めて会うヤツに自分の過去をペラペラ喋るかよ、普通?」

「…………」

 ランスの正論すぎる反論に、ミュエリもすぐには言葉が出なかった。ただ、だからと言って〝到底信じられない事〟を〝信じられるようになる〟ほど、人の気持ちは単純にはできていない。

 案の定、ミュエリが必死に他の方法を口にし始めた。

「じゃ、じゃぁ…弟に会えないなら、他の兄弟は? 他の家族と会って、あなたがラディの知り合いだってことが分かったら──」

「悪魔の子─…」

 ─────!?

 それは突然だった。

 ミュエリの言葉を遮って、冷たくさえ感じる声で聞こえてきたのは、あたしが以前夢で聞いた言葉と同じものだった。だから一瞬、〝どうしてあたしの夢をランスが…?〟と思ったのだが、更に続けた彼の言葉に、ようやくあれが夢ではなかったんだと気付かされた。夢ではなく、それがミュエリの心の声だという事を。

「そう思ってんだろ、あんた?」

「─────ッ!」

 自分への問いかけで、明らかに表情が変わったミュエリ。そこには、心の中を見透かされた瞬間の驚きと動揺が見て取れた。でもすぐに何か思い出したのか、イオータの顔をキッと睨みつけた。それにイオータが気付けば、慌てたように〝オレじゃねーって〟とばかりに手と首を振る。

 この時、あたしは初めて知った。

 イオータは知ってたんだ─…と。

 どういう経緯かは分からないけど、少なくともミュエリ本人から聞いていたのは間違いない。

 自分は悪魔の子…。そんな風にミュエリが思い悩んでいたなんて…。ずっと一緒にいたのに気付けなかったことはもちろん、あたし達ではなくイオータに話していたことが何だか悲しくなった。

 いったい、いつ話したのだろう…。話すキッカケになったのはイオータ?それともミュエリの方から…?

 今更それを知ったところで、ミュエリの悩みに気付いてあげられなかった事には変わらないのに、そんな疑問が頭の中でグルグル回る。だけど、それもすぐに遮られた。

「…いや、思ってるっていうより思わされたのか、実の父親に」

「───── !」

「最低だよなぁ…。そんな記憶なら、なくなっちまった方がマシなんじゃねーのか、誰かさんみたいによ?」

 そう言うと、ランスが一瞬こっちを見た。でもあたしはこの時、悪魔の子だと思わせたのが実の父親だという衝撃の方が強くて、正直、気にも留めなかった。

 ランスは続ける。

「だから、あんたが神の存在を否定したくなる気持ちも分かるぜ? 片や過去の記憶で苦しみ、片や過去を忘れてのうのうと──」

「やめて…!」

 見る見るうちに表情が変わっていくミュエリが、たまらなくなったように叫んだ。

「もういい…もう、何も聞きたくない…!」

「じゃぁ、認めるんだな? オレが嘘をついてないってよ?」

「…だとしても、あなたのその力の使い方は間違ってるわ!」

 怒りと軽蔑するような眼差しでそう言い放つと、この場にいたくなかったのか〝ラディのところに行ってくる〟とだけ言って出て行ってしまった。

 あんなにも真剣で、尚且つ動揺したミュエリを見たのは初めてだった。しかも聞かされた内容が内容だけに、すぐには追いかける事さえ忘れたほど。ハッと我に返ったのは、イオータが二人の防寒着を引っ掴み出ていった時だった。

 ミュエリの事をどこまで知ってるのか分からないけど、こういう時、すぐに行動できるイオータの冷静さには頭が下がる。

 ミュエリをお願いね、イオータ…。

 あたしは、かろうじて見えるイオータの背に向かって、そう心の中で呟いた。

「間違ってる、か…」

 不意に後ろの方から声が聞こえた。振り向くと、どこか悲しげな顔でランスが視線を落としている。

「…ランス?」

 どうしたのかと声をかければ、ハタと気付いていつもの顔に戻った。

「別に…。それより、あんたこそ本当に自覚がねーんだな?」

「自覚? …ってなんの?」

「記憶を失くした自覚さ」

「え…?」

 思わぬ言葉に訳がわからず、一瞬思考が停止した。

「…なに…言ってるの…? あたしは記憶を失くした事なんか一度もないわよ…?」

「まぁ、そう思って当然だろうな。記憶を失くした事すら失えば誰だって──」

「ルフェラ…!」

 ランスが言い終わらないうちに、突然ネオスがあたしの名前を呼んだ。張りのある声から、いつもと違う緊張感を感じる。それを出会って間もないランスが感じ取ったかどうか定かではないが、口を閉じてネオスの動向に目をやっていた。

 敢えて、なのか…そんなランスの方を見もせずあたしの方にやってきたネオス。軽く背中に手を掛けると、次の瞬間にはもう、いつもの優しいネオスに戻っていた。

「行こう、ルフェラ」

「え…行くって……ラディの所…?」

「いや、タフィーを探しにだよ」

「…………!?」

「ラディがあの事を知るのも時間の問題だし、こうやって動き出した今、彼女が必要な気がするんだ」

 〝あの事〟とは弟が話せなくなった事だ。確かに、それを知るのは時間の問題だろう。もしかしたら、今この瞬間にも知らされているかもしれない。だけど──

「彼女が必要って…?」

「…………!?」

 今まさに、言おうとした質問が違うところから聞こえてきて驚いた。反射的にあたしとネオスが声のした方を見ると、驚きと困惑している様子のリアンと目が合った。

「あ…ご、ごめんなさい…。タフィーって聞こえたから、つい──」

 あたしとネオスは、思わず〝しまった…〟と顔を見合わせた。

 リアンやリューイがここに来たのは数年前だが、ラスターたちとの付き合いからすればタフィーの事を知っていても不思議じゃない。

 〝タフィーって誰?〟ではなく〝タフィーって聞こえたから、つい…〟と言った時点でそれは確実となった。

「タフィーはラスターの妹─…つまりラディさんの妹…よね?」

「え、えぇ…」

「さっき〝タフィーを探す〟って言ってたけど…その…タフィーの事はどこまで…?」

「どこまでって…それは……」

 どこまでも何も…普通に考えれば家族はみんな一緒にいるもので、妹に会うなら家に行けばいいだけの事。それを〝探す〟と言う事は、家出か行方不明か…であり、いずれにせよ、リアンはあたし達がタフィーは生きているものだと思っているのだろう。

 既に亡くなっていることを知った上で、〝タフィーを探すと言った〟と言うべきか否か…答えに躊躇っていると、リアン同様、それまでずっと黙っていたリューイがどこか納得したように呟いた。

「見えるっていうのは本当だった、って事か…」

「───── !」

 驚くあたしやネオスに気付いて、〝あぁ、悪い…〟と続けた。

「昼間、少しだけどディアばあとラディが話してるのを聞いたんだ。〝ルフェラには死んだ妹が見えてる〟って。確かにそう考えると腑に落ちることもあったけど、まさか本当にそうだとは思えなくてな…」

「それ…本当なの、リューイ?」

 聞こえていたのはリューイだけだったようで、初めて聞いたであろうリアンの問いに、リューイは〝あぁ〟と頷いた。

「でも、今の二人を見て分かったよ。あんたには、タフィーが見える。──だろ?」

 死人(しびと)が見えると分かって怖がるどころか、答え合わせの方が気になるような口調に、あたしはなんだかホッとしてゆっくりと頷いた。そして、一呼吸置いてから話し始めた。

「ここに来たのもタフィーに導かれたからなの。〝お兄ちゃんを助けて欲しい〟って言われて…。ラディは妹の事でずっと苦しんでたし、あたしも何とか助けたくてここまで来たんだけど、分かったのは助ける方法どころか、ラディにとってもっと辛い事実があるって事だけ…。だからラディには言えなかった…。弟が…タフィーの死が原因で喋れなくなったなんて…」

「クレイの事か…」

「えぇ…。その上、タフィーには〝時間がない〟って言われるし…もう、何をどうしたらいいのか…。とりあえずは明日、ラディにタフィーを会わせるって約束はしたけど、この状況だとそれもどうなるか─…」

「だったら尚更だよ、ルフェラ」

「え…?」

 あたしの話を聞いていたネオスが、確信したとばかりに力強く続けた。

「状況はもちろん、弟の事まで自分のせいだと思ったらタフィーに会う心境どころじゃないと思う。だからといって時間が解決する事でもないし、万が一そうだとしても、それを待っている時間は僕たちにもないからね」

 敢えて〝僕たち〟とは言ったが、あたしには分かった。それは死人と関わっている〝あたしにとっての時間〟の事だと。

「…だから?」

「だから、今しかないと思う。ほぼ強制的にラディと会わせてみるんだ」

「強制的に…会わす?」

 ネオスが頷いた。

「タフィーにも伝えたい事があるみたいだし、それを聞けば何か変わるかもしれない」

「でも、タフィーの姿はラディには見えないのよ? あたしが彼女の言葉を伝えたとしても、さっきまでならともかく、弟の事を知った後じゃ信じてくれるかどうか──」

「信じよう」

「…え?」

「ラディの、ルフェラを信じる心を信じよう」

 ラディの、あたしを信じる心…?

 自分の中で問いかけるようにそう繰り返すと、ネオスはまるでその言葉が聞こえたかのようにタイミングよく頷いた。その目が、ふとあの時の目を思い出させた。

 〝オレは、ルフェラの言う事なら信じる〟

 ラディがそう言った時の目だ。

 あれは本気だった…。それは間違いない。たとえ嘘をついたとしても、あたしの言葉を信じる…そう言ってる目だった。

 だとしたら、あたしが疑っちゃいけないわよね。状況は変わったけど、そこまで信じてくれるラディの心を、今度はあたしが信じなきゃ…。

 そう思うと、何か重りのような物が体の真ん中にドンと落ちた感じがして、それまでフワフワしていた気持ちが不思議と落ち着いた。

「…あたし、ラディを信じるわ」

 ネオスの目をまっすぐ見つめてそう言うと、ネオスは〝それでいい〟と小さく微笑んだ。そして

「じゃぁ、急いで──」

 〝探しに行こう〟と言いかけた時だった。

「あ、あの…さっきの〝時間がない〟っていう話だけど…あれは多分、タフィーにとっての時間だと思うわ」

 急ぐあたし達を気にしてか、リアンが少し早口にそう言った。その思わぬ言葉に、再びあたしとネオスが顔を見合わせた。

「どういう事、リアンさん…?」

「前に、バーディアさんから聞いた事があるのよ。亡くなった人にも幸せに成仏できる期限があるって」

「期限…?」

「えぇ。もちろん、亡くなった人と関わりを持てば、その人の命にも影響が出るわ。でも亡くなった人にも、成仏するのに適した日がいくつかあるのよ。一番いいのは忌明け日。それ以降なら月命日と命日、そして亡くなった人の誕生日よ。忌明け日以外で一番いいのは命日だけど、その期限が十二年だって聞いたの」

「十二年…。タフィーが亡くなったのって──」

「私もさっき思い出したんだけど…確か、今日でちょうど十一年目のはずよ」

「だったらまだ一年あるわ。今日がダメでも一ヶ月後には月命日が来るし──」

「そうしたら、今度はルフェラさんにとっての時間がなくなるかもしれないわよ?」

「…………!」

「あ…ごめんなさい…。でも現実的に考えて、タフィーと関わりながら一ヶ月、あるいは一年を過ごすことは無理だと思うの。それにタフィーだって、願いを叶えたくてルフェラさんに関わったのだとしたら、今日のタフィーの命日に合わせて全てが動いている…って考えた方が自然だと思わない?」

「──それと、おそらく何か他の望みがあるんだろうな」

 続いたのはリューイだった。

「他の望みって…?」

「忌明け日に成仏できるのは、この世に未練もなく納得した者だけだ。心残りがある者や何か望みがある者は、それを叶えるまでこの世に残る。もちろん、心残りが解消されたり望みが叶えばすぐにでも成仏できるが、〝適した日〟に成仏ができれば来世での望みが叶うと言われてるんだ。その望みが最も叶うとされるのが命日…つまり、タフィーにとっては今日になる。──まぁ、そう言われてるだけで本当のところは分からないけどな」

「…………」

 来世での望みが叶う、か…。

 それが本当かどうかは分からないけど、タフィーが今日という日を選んだのは間違いないのかもしれない。だとすれば、今日中に何とかしないと…という気持ちが増してくるのはあたしだけじゃないはずだ。

 案の定、あたしがネオスに視線を送ると、それに同意するように頷いた。あたしはルーフィンにも声をかけると、防寒着を掴み夜の森へと飛び出していったのだった。

 だけどまさかこの後、家に残った彼らにあんな事が起きるとは想像すらできなかった…。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ