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女神伝説  作者: Sugary
第七章
109/127

5 接触 <2>

「大丈夫?」

「あ…うん、ありがとう…」

 お礼を言いつつ、心の中では疑問が浮かぶ。

 〝いつからそこにいたの?〟

 ──と。そう思った矢先、

「いつから?」

「え…?」

 同じ疑問の言葉がネオスから発せられ少々驚いた。でもそのすぐ後の言葉は、あたしの疑問の答えにもなった。

「いつからタフィーと…?」

 それはつまり、たった今ここに来たのではなく、あたしとタフィーのやりとりを見ていたという事だ。ネオスに彼女の姿が見えるかどうかは別として…。

 あたしは、行き交う人の中に彼女を見つけたときの事を思い出しながら答えた。

「…ルシーナの村を出る日よ」

「そんなに前から?」

 今度はネオスが驚いた。

「あ…隠すつもりはなかったのよ、ほんと…。ちょっと落ち着いたら話すつもりだったんだけど、なかなかタイミングが見つからなかったっていうか、色々考える事が多くて……」

 そう言いながらネオスの顔を見れば、どこか残念そうで悲しんでいるような表情にチクリと胸が痛んだ。

 それもそうよね。これからは何でも話せる、話してくれると思っていたのに、こんな形で知る事になったんだもの…。

 もう一度謝ろう、そう思い口を開きかけたのだが、一瞬早く謝ってきたのはネオスの方だった。

「ごめん、ルフェラ」

「どうしてネオスが謝るの…? 言わなかったのはあたしで──」

「ルフェラの事だから、言おうとしたんだろう? でも、その事に僕が気付いてあげられなかった…。それは僕のミスだ」

「ミス…って、そんな──…」

 確かに言おうとした。言おうとはしたけど〝落ち着いたら話したいことがある〟って言いかけただけだし、何よりあの時は、ネオス自身が悩んでるみたいだったのよ? 逆に、あたしが話を聞いてあげればよかったくらいなのに、それを自分のミスだなんて…。

 自分の事より人の事を思いやるネオスの優しさは、包み込まれるような安心と共に、時に何か大きな責任を背負ってるんじゃないかと感じて心配になる。

「ミスなんかじゃないわ」

 気付けば、不機嫌そうな声でそう言っていた。その自分の声にハッとして、慌てて普通の声を意識した。

「本当に話すタイミングがなかっただけよ。だから自分のミスだなんて言わないで…」

「ルフェラ…」

「じゃなきゃ、これから先プレッシャーに耐えられないわよ、あたし?」

 早く言わなきゃ、またネオスが自分を責める。そんなプレッシャーは感じたくないと、半分は冗談、半分は本気で言えば、言いたい事は分かってくれたようだった。

「そうだよね。話すタイミングがなかっただけだ。だから、僕のミスじゃない。──これでいい?」

「──完璧」

 そう答えると、二人してクスッと笑った。でもすぐに、真面目な顔つきに戻った。

「それで、タフィーは何て?」

「う…ん、ラディを助けて欲しいって…」

「自分のせいだと思って苦しんでいるから…?」

「事故だっていうのはラディだって分かってるはずよ。ただ、自分がその場にいなかった事が許せなくて、自分を責めてるんだと思うの」

「だとしたら、周りが何を言っても心には響かないだろうね…」

「その通りよ。でも、タフィーがあたしを導いてくれてるうちに、どこに行こうとしてるのかも分かったし、そこに行けば何か方法があるかもしれないって思うようになったの。なのに…まさかラディの弟がショックで話せなくなったなんて──」

「ひょっとして、その事を知ったのは二日前…?」

 あたしは、小さく頷いた。

「あの日、散歩に行ったっていうのは嘘…。本当は、タフィーの後をつけて行ったのよ…。そしたら彼女の家に行き着いて…出てきたのが、この前ここに来たラスターだったの」

「彼が…!?」

「びっくりよね…。でもあの時、初めて会ったのにそんな感じがしなかった理由がやっと分かったっていうか…納得したわ」

「兄弟…だったのか」

 あたしは〝えぇ〟と頷いた。そして続ける。

「あたし、タフィーを追いかけるのに夢中になってて、危うく崖から落ちそうになったのよ。それをランスが助けてくれたんだけど、一度座り込んだらもう、全然立てなくて…。それでラスターの家で休ませてもらったの…朝食まで食べさせてもらって…。その時に分かったのよ、タフィーの死がショックで、体の弱い弟…クレイが話せなくなったって…。それを知ってあたし、どうしていいか分からなくて……」

「そういう事だったのか…」

「せっかくラディの家族に会えて、何か良い方法が見つかるんじゃないかって期待してたのに…まさか、更に傷付く事実があったなんて…。ラディがこの事を知ったら、いくらタフィーが悪いのは自分だって言ったって、ラディが納得するはずないわ」

「確かに…。でも、どうして〝悪いのは自分〟だって…?」

「あたしもよく分からないんだけど、〝お兄ちゃんの言うことを聞かなかったから〟って言ってた」

「お兄ちゃんの言うこと…? それってラディが言ったんだろうか?」

「…さぁ、分からないわ。ただもう、〝時間がない〟って焦ってて──」

「時間がない!?」

「…えぇ。何の時間なのかまでは聞けなかったけど─…」

 聞きたくてもあの状況では無理だ…。あのまま腕を掴まれていたら、それこそあたしはタフィー側の世界に引き込まれていた。おそらくネオスが声を掛けたのは、そんなあたしの異変に気付いたからだろう。

 タフィーに掴まれた腕は、もう冷たくない。それを確かめるように触れると、あたしはネオスにお礼を言った。

「さっきはありがとう、声を掛けてくれて…」

 一瞬、何の事だか分からないような顔をしたが、あたしが腕を触っているのに気付くと〝あぁ〟と理解したようだった。

「気付けて良かった」

 ネオスはそう言ってホッとした笑みを見せた。ただそれと同時に、早く何とかしないといけないというのを感じたのは、あたしだけじゃないだろう。

「それにしても、問題はこの後だわ…」

 あたしは〝この後〟のことを考えて、ため息をついた。当然、ネオスが聞き返す。

「この後?」

「あの日、何があったのか…ご飯を食べたら話すってラディに言っちゃったから…」

「あ〜…」

「こんな事、話せるわけないわよね…」

 何か代わりになる話がないかとネオスの知恵を借りようとしたのだが、その答えは、意外にも〝本当の事〟だった。

「それなら、タフィーの姿が見えるって事だけ言えばいいんじゃないかな?」

「でもそれって──」

「話をしてるとまでは言わなくてもいい。ただ後をつけただけとか…要は、死人と関わっていることが分かれば、ルフェラの異変にも納得できると思うんだ」

 ネオスの言葉に、あたしは〝あぁ、そうか…〟と納得した。ラディにとって一番知りたいのは、散歩に行っただけで二日間も寝込むほど疲れた原因だ。つまり、散歩中に何があったにせよ、なかったにせよ、一番の原因が死人と関わっていたということなら、それ以上の理由は必要ないということだ。

「そうね…。それくらいなら、変に疑われることもないかもしれない。──ありがとう、ネオス。問題、解決したわ」

「それは良かった」

 そんな軽い返しに、あたし達はクスッと笑った。

 言う事が決まった事で少しホッとしたら、ネオスが言った〝異変〟という言葉で、気になっていた事を思い出した。

「そういえば、ネオス…?」

「うん?」

「死人と関わって起きる異変に、心の声が聞こえる事ってあると思う?」

「…心の、声?」

「そう…。夢みたいな映像はなくて、暗闇の中、ただ声だけが聞こえてくるの。みんな同じ声だから誰の心の声かまでは分からないし、まるで雑踏の中にいるみたいに声が重なってるから、聞き取れる言葉は少ないんだけど…」

「いつから…?」

「ここ何日かは毎日かな…。決まって、眠る時に聞こえてくるからなかなか眠れなくて─…」

 ──とそこまで言って、ふと思い出した。

「違うわ…」

「………?」

「もっと前にも聞いてる…」

「それはいつ?」

「えっと…いつだろう…。なんか体がだるくて、意識がもうろうとしてた時だったような気もするけど…」

「体がだるくて意識がもうろう…? そういう状況は、力を使い過ぎたか熱を出した時くらいだろうけど…いずれにしても、ルシーナの村を出てからはなかったはず。という事は──」

「タフィーとは関係…ない…?」

「あぁ。でも、それならそれで対策ができるよ」

「………?」

 わけが分からないと目で問えば、

「大丈夫。今日からぐっすり眠れるから」

 まるで〝楽しみにしていて〟とばかりに、ニッコリと微笑まれた。そしてほぼ同じ時、少し離れたところからあたしを呼ぶ声が聞こえてきた。──ラディだ。

「おーい、ルフェラー! 出来たぞー、オレの最高に美味い雑炊!」

「いいタイミングだ」

「えぇ。とりあえず、話したい事は全部話せたし…」

「ルフェラー?」

 再び聞こえたラディの声に、あたしは大きな声で返事をした。

「はーい、今行くわ!」

「ラディの雑炊、あれは本当に美味しいからね。たくさん食べるといいよ」

 〝さぁ、行こう〟と手を取ったその感触に、あたしはもうひとつ言わなきゃいけないことを思い出した。

「…ネオス、ありがとね」

「…うん?」

「眠ってる間、力を使ってくれたでしょ?」

「あぁ…まぁ、そう多くはできなかったけどね…」

「そんな事ないわ、十分よ。あの力を受けているとね、すごく心地良くなって心まで癒されていくのが分かるの。それが、沈み込んだ意識の中でどれだけ救いになったか…」

「そう…か。ルフェラがそう感じて、少しでも元気になってくれたのなら、僕は嬉しいよ」

 そう言うと、ネオスが優しく微笑んだ。その笑みに、あたしは〝あぁ…〟と思った。〝あぁ、まただ…〟と。それは、いつもあたしの心をフッと軽くさせてくれる。今日だけじゃない、今までもずっとだ。心配かけて迷惑かけて何度も助けてもらっているのに、責める事もなければ、変に恩着せがましく言うわけでもない。ただただ純粋に〝無事で良かった〟という気持ちが伝わってくるその言葉と優しい笑みに、あたしはいつも救われるのだ。

「…ありがとう、ネオス」

 ごく自然に同じ言葉を繰り返せば、ネオスがクスッと笑った。

「え…なに?」

「なんか、さっきから〝ありがとう〟ばかりだなーと思ってさ」

「そう?」

 ──と言いつつ、思い出してみれば確かにその通りで…。思わず〝…ほんとだ〟とあたしも笑ってしまった。

 ネオスといるとホッとする…。まるで力を受けている時のように、身も心も支えられ優しく包まれている感じがして…。その優しさにどこまで甘えていいか分からないけど、できればずっと近くにいてほしいと思った。

「…あたしも、いつかネオスの役に立つから」

「…………?」

「もっとも、自分でコントロールできるようになるのが優先課題だけど」

 左手を見つめ、〝そのうち借りは返すから〟と軽い感じで言えば、一瞬ネオスが困ったような顔をした。ただ、すぐに元のネオスに戻ったからあまり気にしなかったのだが、その理由を知るのはずっとあとになってからだった。

「ありがとう。──でも、そうならないように気を付けるよ。それが僕にとっての最優先課題、かな」

「あ…それ、あたしにとっても最優先課題だわ…」

 ハタと気付いてそう言うと、お互い顔を見合わせクスッと笑った。そして、〝行こう〟というネオスの一言で、あたし達は急いで家へ戻っていった。

 助けられるようになるのは大事だけど、それ以上に大事なのは助けなくてもいい状況である事。つまり、心も体も健康が一番という事だ。



 ラディが作ってくれた雑炊は、本人が〝最高に美味い!〟と言っただけあって、今までで一番美味しかった。それだけお腹が空いていただけなのかもしれないが、ダシが効いた優しい味付けは、ラディの優しさにも感じられて心まで温かくなったのだ。

「ごちそうさまでした。すごく美味しかったわ、ラディ」

「──だろ? オレの愛情がた〜っぷり入ってっからな!」

「えぇ、そうね。ありがとう」

「よっしゃぁ!」

 〝たっぷり入った愛情〟を否定しなかったからか、とても満足げな笑みでガッツポーズをとった。そして食べ終わった食器を横に寄せると、休憩する間もなく〝それじゃぁ…〟と本題を切り出してきた。

「話してくれるよな、あの日何があったのか?」

 あたしは、ネオスと話した事もあって落ち着いてその返事をした。

「その事なんだけど…奥で話さない?」

「奥…?」

 そう言って部屋の奥に視線を移したラディ。〝なんでだ?〟という無言の問いと共に、それを確認するための質問が再びあたしに向けられた。

「オレだけ…か?」

 あたしは頷いた。途端にミュエリが〝どうしてラディだけ──〟と言いかけたが、そこはネオスが間に入ってくれたため、余計な事は言わなくて済んだ。

 もちろん、分かってる。ラディだけじゃなく、ここにいるみんなが心配してくれたんだって事は。でも今から話すのは〝死人(しびと)〟が見えるという話。それもラディの妹の事だから、まずはラディだけに話しておきたかったのだ。

 そんな雰囲気を感じ取ったのか否か、

「よーし! じゃぁ、何でも話してくれ。オレがじっくり聞いてやるから、な!」

 ラディの口調はいつもと変わらないものだった。──が、それが〝敢えて〟だと分かったのは、このすぐ後だった。


「何があった…?」

 さっきまでと違い、奥の部屋の扉を閉めて座るや否や、ラディが声をひそめてそう聞いてきた。

 あたしは、ラディの目をまっすぐ見つめて答えた。

「…タフィーよ」

「は…!?」

 突然出てきた妹の名前に、意味が分からずポカンとしたラディ。だけど、あたしは構わず続けた。

「…タフィーを、追いかけてたの」

「おまっ…なに言って──」

「見えるのよ、タフィーの姿が」

「──── !」

「信じられないかもしれないけど、見えるの」

 〝冗談でも何でもない〟と畳み掛けるようにそう言うと、ややあって、ようやくあたしが嘘を言ってないと感じ取ったようだった。

「…いつからだよ?」

「ルシーナの村を出る日─…最後にクァバナを食べに行ったでしょ? あの時に、雑踏の中でタフィーを見かけたのよ」

「見かけたって─…何でそれがタフィーだって分かったんだ? あいつの顔は知らねーはずだろ?」

「えぇ、知らないわ。その時だって、彼女がタフィーだっていう確信もなかった…。でも前に一度、夢で会ってたから…」

「夢で…?」

「ラディが日差しの病で倒れた時よ。飛影を見たあとラディの側にいたけど、あたしいつの間にか眠ってて…その時の夢に出てきたの。そして、言われたわ」

「言われた? なにを…?」

「〝今度は本当の意味で助けてほしい〟って」

「…………!?」

「正直、わけが分からなかった。彼女が誰なのかはもちろん、誰を助けてほしいのかも…。でも、助けてほしい相手が〝彼女自身〟じゃないってことだけは分かった」

「なんでだよ?」

「〝今度は〟って言ったのよ? それはつまり、前にもあたしが助けたことがあるってこと。でもあたしが彼女を見たのはその時が初めてだし、助けてほしいのが〝自分〟だったら〝私を助けて〟って言うはずでしょ? でもそうは言わなかった。つまり、〝今度は本当の意味で助けてほしい〟っていうのは、別の誰かを…ってことよ」

「けど、それだけでタフィーだっていうのは──」

「もちろん、分からないわよ。そもそも、それがただの夢かそうでないのかさえ分からなかったんだもの。でもラディから過去の話を聞かされた時、もしかしたら…って思ったの。彼女が言ってたのはこの事なんじゃないか─…助けて欲しいのはラディの事なんじゃないかって…。だからルシーナの村で彼女を見た時、確かめようと思ったのよ」

「ま…さか、それであいつと一緒にここまで来たっていうのか…!?」

「えぇ。でも正確には、あとをついて行っただけよ。彼女は話すほど近付いて来ないし、あたしも敢えて近付こうとはしなかったから。だけどこの村に近付くにつれて、明らかにラディの態度が変わってきた…。それで分かったのよ。やっぱり、彼女はタフィーなんだって」

「──── !」

「だから、タフィーの言う〝本当の──〟」

「もういい!」

 ラディは我慢できなくなったように、あたしの話を切るとスックと立ち上がった。

「ここを出ようぜ!」

「え…出るって──」

「明日…いや、なんなら今すぐにでもいい。ここを出よう、な! あいつらにも話して──」

「ちょ、ちょっと待ってよ…タフィーはラディの事が心配で──」

「いいんだよ!」

「…………!?」

「オレの事はどうだっていいんだよ! 心配なのはお前の体の方だろーが!」

「でも──」

「だいたい、前に言っただろ!? オレはお前に救われたって! オレが今ここにいるのがその証拠じゃねーか! これ以上タフィーと関わってたら、お前の方があいつに連れて行かれちまうぞ!?」

「──── !」

「とにかく、だ! オレはお前を守るって誓ったんだから、ここは出る、いいな!!」

「ちょっとラディ、待ってよ…そんな事しても──」

 〝何も変わらないのよ!?〟と、居間に戻ろとするラディを止めるべく立ち上がった時だった──

「──── !」

 突然明かりが消えたように、目の前が暗闇に襲われた。咄嗟に部屋の引き戸に手を伸ばし掴まったため倒れる事はなかったが、声が途切れるのと引き戸に掴まった時の音でラディが気付いたようで、すぐにあたしの体を支えてくれた。

「おい、大丈夫か…ルフェラ!?」

「…してて…」

「え…?」

「ジッとしてて…少しでいいから─…」

 早口にそう言い、暗闇に浮かび上がってくる光景にジッと目をこらすと、徐々に見えてきたのは森の中だった。

 木々と僅かな草と雪しか見えない、ただの森。人や動物がいる気配どころか、風さえない。動きがあるとすれば、日に当たって溶けかけた雪の雫が流れ、時々上から落ちてきた雪が下に積もった雪の形を変えるくらいだ。

 もともとこの暗闇に見える光景に音はないが、たとえ音が聞こえたとしても、この静寂さは変わらないのではないかと思う。

 ただ、その場所がどこかは分からない。ここからそう遠くない場所、というのは間違いないだろうけど…。

 何か他に場所が分かるようなものは…?

 そう思い顔を動かそうとした時だった。

「…おい!?」

 〝ジッとしてて〟と言われたものの、一点を見つめて動かないあたしを心配したのだろう。ラディがあたしの体を揺すったことで、途端に目の前の森が消え、現実の視界が戻ってきた。目の焦点が合って見えたのは、心配そうに覗き込むラディの顔。

「大丈夫かよ…?」

「あ、うん…ごめん、ちょと眩暈がしただけだから──」

「眩暈って…まさかそれも、あいつの影響なんじゃ…?」

「え…?」

 〝あいつの影響…?〟と心の中で繰り返すと同時に、ラディの表情から〝タフィー〟だと気付いて慌てて首を振った。

「違うわ。これは──」

 〝前からよ〟と言おうとしたところで、隣の部屋の引き戸が開いてネオスが顔を出した。

「ごめん…。音がしたから、また眩暈でも起こしたんじゃないかと思って…」

「う…ん、そうだけど─…」

「何だ、えらく勘がいいな? それだけで分かったのかよ?」

「あ…いや、それは─」

 他に何か理由がありそうな口調だったが、ラディは〝どうでもいい〟とばかりにフンと鼻を鳴らした。

「ま、ちょうどいいや。オレ、ばーちゃんに話があるからよ、ルフェラのこと頼むわ」

 そう言うと、いつもと違いあっさりとネオスにバトンタッチして部屋から出て行ってしまった。

「ラディ…」

 せめて、タフィーのせいじゃないって事だけでもちゃんと伝えたかったのに…。

「…ごめん。タイミングが悪かったみたいだね」

 話を中断させてしまって申し訳ないと謝るネオスに、あたしは溜息交じりに小さく首を振った。

 ネオスが悪いわけじゃない。もちろん、中断されなければ言えていたけど、言ったところできっとラディは信じなかっただろうし…。

 あたしは、やるせない気持ちのままラディが強い口調で言った言葉を繰り返した。

「…ここを出て行くって」

「え…?」

「これ以上タフィーと関わったら、あたしの体が持たないからだって」

「そう…か…」

「でも、そんな事しても何も変わらないわ。だって、ここを離れてタフィーが消えるなら、そもそもルシーナの村で彼女は現れなかったはずよ。──違う?」

 〝距離の問題じゃない〟

 ──そう言えば、ネオスが〝あぁ〟と頷いた。でもすぐに〝ただ──〟と続けた。

「ただ、そう言うしかなかったんじゃないかな?」

「…………?」

「ラディも分かってるはずだよ、ここを離れたところで意味がないっていうのは、さ。でもルフェラの体に起きてる事を考えると、たとえ無意味でもそう言うしかなかったんだと思う。それだけルフェラの事が心配なんだよ」

 ラディの気持ちを代弁したかのようなネオスの言葉に、あたしの胸がチクリと痛んだ。

「余計に、苦しませちゃったのかな…」

 だとしたら言わなければ良かった…と大きな溜息をついたところで、今度はネオスが大きく首を振った。

「遅かれ早かれ、言わなきゃいけない事だったよ。ただ、ラディにとって一番辛いのは、自分の知らないところでルフェラが危険な目にあってたって事の方なんだ。それに気付けなかった自分にも、腹が立ってしょうがない。それが本音だと思う」

 ラディの気持ちを言ってくれてるはずなのに、何故かそれはネオスの言葉のようにも聞こえた。

「ネオス…」

「…まぁ、それはともかくとして。結果がどうであれ、この問題は近いうちに終わる。時間がないって事はそういう事だろう?」

 言われた事を改めて考えてみて、確かにそうだと思った。〝時間がない〟という事が何に対してかは分からないけど、ひとつはっきりしているのは、あたしの命の時間も限られているという事だ。それはつまり、タフィーの願いを叶えるのが先か、あたしが死ぬのが先か…という事であり、どちらの結果になったとしても、あたしにとっての問題はそこで終わるという事だった。

 タフィーの願いを叶えるのが先か、それともあたしの命が尽きるのが先か…。後者にならないためにも、ここで悩んでちゃダメよね…。

 気合いを入れるべく〝うん〟と頷けば、

「大丈夫だよ」

 優しく落ち着いたネオスの声が聞こえた。

「ルフェラには僕がついてる」

 〝だから安心して〟

 そんな心を読んだかのようなネオスの言葉に、あたしは少しホッとした。

「…ありがとう。あたし、もう一度タフィーと話してみるわ」

「そうだね。でもその前にお風呂に入って、もう一度休んだほうがいいかも」

「え、お風呂…?」

 突然、話とは関係ない言葉に思わずキョトンとした。

「ラディがご飯を作ってる間に、リアンさんが用意してくれたらしい。二日も眠ってたから、一度さっぱりしたいんじゃないかって。それに、直接タフィーと話す事は気の消耗が大きいからね。少しでも休んで補充しといた方がいいと思う」

「…そっか。分かったわ、そうする」

 理由が分かってそう言うと、ネオスも〝それでいい〟と頷いた。

「──ところで、さっきのアレだけど」

「アレ…?」

「眩暈」

「あ〜…アレ、ね」

「今度は何が見えた?」

「それが…森の中の景色だけだったのよね…」

「森の景色…だけ?」

「そう。動物も人の姿もない、ただの景色…。見えるからには何か意味があると思うんだけど、今回はよく分からなくて…」

「森の中の景色、か…。森の中の─…」

 同じ言葉を繰り返すと、そのまましばらく黙ってしまった。

「ネオス…?」

「…ん? あぁ、ごめん──」

「何か気になる事でも?」

「あぁ…視線がちょっとね…」

「視線…?」

「二日くらい前から視線を感じるんだ。ちょうど森の方から。でも殺気だとか…そういう危険なものは感じないから、しばらく様子を見ようってイオータとも話したところなんだけど」

「じゃぁ、森の中が見えたのはその視線の出処…?」

「いや、それは分からない。ルフェラが見た景色に人の姿どころか動物も見えないとなると、全く別の事かもしれないし…」

「そっか…」

「取り敢えず、また何か見えたら教えてくれる?」

「うん、分かった…」

「じゃ、また後で」

 その返事に軽く頷くと、ネオスはみんなの所へ戻っていった。

 あたしはリアンが準備してくれたお風呂に入り、再び自分の部屋に戻ったのだが、部屋の中に入った瞬間、何かいつもと違う感覚を肌に受けた気がした。

 この感じって、確か前にもあったような…。

 そう思いつつ記憶を手繰り寄せてみるが、思い出そうと過去の記憶に集中すればするほど、肌に受けた感覚が薄れていく。

 確か、五感は記憶と深い繋がりがあったはず。もう一度この感覚を受けたら思い出せるかも…と思い、あたしは再び部屋の外に出てみた。すると、部屋の引き戸を境に僅かな抵抗を感じた。途端に、遠くにあった記憶がグッと近付いた。

 そうよ、確かこうすると──

 それを確かめるように、部屋の境目を手の平で押してみれば、思っていた通り一枚の幕を押すような感覚が伝わってきた。

 ──結界だわ。

 そう、イオータが森の中で殺気を遮断する時に使った、アレだ。ただ、〝何か〟が分かった途端、それまで見えなかったものが見えてきたことで、その違いにも気が付いた。

 目の前に張られた結界は月の光が混ざったものではなく、薄っすらとだが宵の煌と同じ青白い色だけだったのだ。つまり、この結界は宵の煌だけで作られたということになる。

 改めて部屋に入りぐるっと見渡すと、結界は部屋全体に張られていることが分かった。

 外からの攻撃を無力化する宵の煌の結界。ここは、守られた空間なのだ。そう感じた瞬間、あたしはネオスのあの言葉を思い出した。


 〝今日からぐっすり眠れるから─〟


 そう言って、意味ありげにニッコリと微笑んだネオスの顔が脳裏に蘇る。

 こういう事だったのね、ネオス…。

 おそらく、ここにいれば心の声は聞こえない。眠る前からそう確信したあたしは、安心して布団の中で目を閉じたのだった──


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