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女神伝説  作者: Sugary
第七章
108/127

5 接触 <1>

 布団に倒れ込んでからは、時間の経過が全く分からなかった。

 いつもなら瞼を通して見える日の光や、頬に当たる日差しの暖かさで朝がきた事を知るのだが、今はまだ深い闇の中に沈んでいて、光はもちろん音さえも全く聞こえてこない。

 それでも、時折心地良い感覚に包まれることがあった。

 暗闇に柔らかい光が入り込んでくると、あたしを包み込むように周りを取り囲んでいく。すると沈んでいた体がゆっくりと浮かびはじめるのだが、それはまるで、水の中に沈めていた手が湖面を揺らさず自然と浮き上がってくるようなそんな浮遊感だった。光は触れている感覚がないくらいの柔らかい羽毛のようで、指先を少し動かしただけで光の粒子がフワリと舞い散るくらい軽く、そして暖かいものだった。


 あぁ…なんて心地良いんだろう…。


 何もしていないのに…ただこうして寝ているだけなのに、こんなにも幸せが満ちたりてくる…。同じ力なのにイオータの時とはまた違う、この心地良さ…。溢れるような優しさが身体中を包み込んでいるのを感じた。

 そんな時間がしばらく続いたのち次第に光が弱まっていくと、比例するようにあたしの体が再び暗闇に沈み始めた。そして、スゥーっと沈みかける意識の中、必ず聞こえてくる声がある…。


〝おやすみ、ルフェラ…〟


 その声を聞くと、不思議とそれ以上沈む事はなかった。


 おやすみ、ネオス…。

 そして、ありがとう…。


 そうして何度か同じ事が繰り返され、ようやく光と音のある世界に戻ってきたのだった。


『くっそー、いったい何があったんだよ!?』

『心配していた事が起きた…。この歳になってアレを見るとはのぉ…』

『あれがあいつの過去かよ…なのに何でこいつらは平然と──』

『ようやく六割ぐらいか…。いつもならもっと早くたまるはずなのに…』

『あぁ〜…こいつには、ほんっとウンザリだ…』

『釣りになんか行けるかよ…。行って、もしまたあいつに──』

『…丈夫…絶対、大丈夫よ。簡単には死なない、そう言ってたんだから…』

『くそ…何で誰も出てこねーんだ?』

『確かにここだったんだがな…』


 口調の異なる同じ声の言葉たち…。

 現実の声が聞こえるほど意識は戻ってきていないが、この心の声は現実と夢の狭間で聞こえるものだというのは何となく分かってきた。なぜ聞こえるのかは分からないけれど…。

 意識が浮上するにつれて、無音だった場所に音が戻ってくる。まるで閉ざされていた扉がゆっくりと開き、外の音が次第に大きく聞こえてくるように、ゆっくりと、ゆっくりと…。

 もうすぐよ…もうすぐ目が覚める…。

 そう思った時だった──


〝おねえちゃん!〟


 突然、女の子の切羽詰まった声が聞こえて、あたしは驚くようにハッと目を覚ました。

 だ、誰…?

 思わず心の中で問いかけたが、すぐに〝ううん、そうじゃない…〟と否定した。

 あれは、タフィーの声だわ…!

 現実の世界で喋った事はないけど、夢の中で聞いた声と同じだから間違いない。だけどそれが夢や気のせいだと思わなかったのは、あの切羽詰まった声が妙にリアルだったのと、寒くもないのに腕に鳥肌が立っていたからだ。

 驚いたせいか、それとも声から伝わる緊張感がそうさせるのか、心の臓が少し慌ただしい。でも一番そうさせているのは、必要以上に近付こうとしなかったタフィーが直接話しかけてきたことかもしれない。

 タフィーと話さなきゃ…。

 極自然にそう思ったあたしは、まだダルさの残る体に力を入れて居間の方へと向かった──


 居間への引き戸をそっと開けると、その音に振り向いたミュエリと目が合ったのだが、何故かひどく驚いた顔をしていた。その理由が分からぬまま、〝おはよう〟と口を開きかければ、

「ルフェラ!」

 ──ミュエリに大声で叫ばれ、その場にいた全員が一斉にあたしの方を振り返った。

「目を覚ましたのね!」

「ルフェラ…お前、大丈夫なのか!?」

「おぉ、良かった、良かったのぉ」

「本当、良かったわ…」

「みんな心配してたぞ。特にこいつなんか…なぁ?」

 そう言って〝こいつ〟にみんなの視線が集まったのだが、正直、反応があまりにも大きすぎて、あたしには何が何だか分からない。確かに、無断で出かけて心配はかけたとは思うけど…。

「え…っと…ごめんね、心配かけて…。それに、ロクに説明もできないまま寝ちゃったし──」

「それだけ疲れてたんだ、しょうがないさ。だから俺たちも待ってたんだしな。まぁ、思ったより長くてえらい目にあったけど」

「えらい…目…?」

 リューイの言葉を疑問符で繰り返せば、次に答えたのはミュエリだった。

「ラディよ、ラディ。心配で心配で…何があったのかランスに聞いても、彼は〝あなたに聞け〟の一点張りだし…。かといって無理に起こすこともできないでしょ? だからラディったら、ずーっとランスのこと睨んでたのよ。それが丸二日も続いて、いつ殴り合いの──」

「ちょ、ちょっと待って…!」

 思いがけない言葉に、あたしは慌ててストップをかけた。

「丸二日って…どういう事…?」

「どういうって…そのままよ。あなたは二日間眠り続けてたの」

「二日…間…」

「そうよ。まぁ、正確には──」

「──ンなこと、もうどうでもいいだろ」

 少々怒り気味にミュエリの言葉を遮ったのはラディだった。そしてあたしの両腕をガシッと掴むと、覗き込むように真剣な顔を向けた。

「それよりルフェラ、体はどうだ? どっか痛いとか調子悪いとかないのか? 疲れが取れないとか…今はどうなんだ? ちゃんと取れてるのか? 何かおかしい所があったり、気になってる事があるんなら我慢せずに言ってくれよ、な?」

 気持ちが先走っているからか、ラディの質問は頷く間も与えないくらい早口だった。でも本気で心配してくれているというのは、その目を見れば分かる。

 ランスから何も聞き出せないどころか、肝心のあたしは眠ったままだったんだもの。それが丸二日も続いたのなら、きっとラディはイライラするくらい心配したに違いない。故に、起きてきたあたしに対するみんなの反応はもちろん、聞きたい事や言いたい事が溢れてくるラディの気持ちも理解できた。

「ありがとう、心配してくれて…」

 気付けば、素直にそう言っていた。

「もう大丈夫よ。体も随分ラクになったから」

「ホントか? 他に調子悪い所は?」

 正直、体はまだダルさが残ってるし、心の声が聞こえる異変もある。でもこれ以上は心配かけたくないし、何よりラディたちに言える事ではないため、あたしは〝ないわ〟と首を振った。

「そっか…。うん、顔色もだいぶ良くなったしな…」

 少しホッとしたように頷いたが、不意にバーディアさんの方を振り向いた。

「なぁ、ばーちゃん…アレってまだ──…」

 そう言いかけたものの、すぐに〝いや…〟と黙ってしまった。

「…ラディ?」

「…あ、あぁ…いや何でもねぇや…。──なぁ、ルフェラ?」

「…………?」

「心配する事ねーぞ。オレが、ぜってぇ連れ戻してやるから…な?」

「連れ戻す…? ──って、誰を?」

「だから、お前を」

「あ、あたし…?」

 言ってる意味が分からない…。でもラディの目は真剣だし、〝連れ戻す〟と言う以上、必然的に次の疑問が浮かんでくる。

「どこから…?」

「どこからって…その…危ないところから、か…?」

「〝か…?〟」

「いや、だからその、なん──…だぁ〜 ! とにかく!! お前は心配すんなって事だよ! 分かったな!?」

「分かったな…って──」

「大丈夫、大丈夫だ。何とか原因を見つけてやるからよ。その為には、そうだな…まずは情報収集から始めねーとな、うん。──ってことで、教えてくれ、あの日何があったかのか」

 あの日…?

 心の中で繰り返したものの、ラディがずっと睨んでたという話を思い出せば、すぐにそれが二日前の事だと分かった。──が、同時に〝言えるわけない…〟とも思った。もちろん、いつまでも黙ってるわけにいかないのは分かってる。でも今は無理だ…。傷付いたラディをどう救えばいいのか、今のあたしには全然分からないんだもの…。

「散歩に行ったのは分かったけどよ…それだけであんなに疲れるのは、どう考えてもおかしいだろ?」

「そ、それは──…」

「ぜってぇ、何かあったはずなんだ。こう…ものすんごく体力奪うような何かがよ…?」

 〝違うか?〟と目で問われ、あたしはどう答えて良いかわからなかった。本当の事は話せないし、かといって、今はラディを納得させるだけの作り話も浮かんでこない。

「…えっと、あの日は──…」

 何もなかったなんて通用しないだろうし、黙ってしまえば、かえって疑いを強めるだけだ。でも──

「あの日は…?」

 その先を確認するように、ラディが同じ言葉を繰り返した。

「あ、あの日は…その…」

 どうしよう…本当に何も浮かばないわ…。

 何とかしようと思えば思うほど、みんなの視線が気になって何も考えられなくなる…。

 ダメだ…。ここはもう、本当のことを言うしかない…。

 そう思い〝タフィーが…〟と口を開きかけた時だった──

 …………!

 ラディの背中越し──正確には玄関の扉付近──に、うっすらとだが、タフィーの姿が見えたのだ。そしてこちらを振り返るでもなく、そのまま玄関の扉からスッと外に向かって消えてしまった。

「あ…」

 〝ちょっと待って…!〟

 思わずそう言いそうになって、慌てて口をつぐんだ。

 そうよ…。あたしはタフィーに呼ばれて目を覚ましたんだったわ。彼女と話さなきゃいけない、そう思ったから。少なくとも今は、〝あの日〟の話をしてる場合じゃない。

 やるべきことを思い出したら、途端に思考が動き出した。

「どう──」

「ラディ、ごめん…」

 あたしは、ラディの言葉を遮った。

「もう少し待ってくれない?」

「………?」

「その…お腹が空いちゃってて…」

 二日間も眠っていたのならそれも当然のことで、さすがのラディもそこはすぐに理解してくれた。

「あー、そりゃそうだな。まずはなんか食わねーと…。おい、ミュエリ──」

「あ、あたし──」

 ミュエリに頼もうとするラディの言葉を、あたしは再び遮った。この後のことを考えれば、ラディにはやってもらいたいことがあったからだ。

「あたし、アレが食べたいなぁ〜って…」

「アレ…?」

「ほら…魚の出汁で野菜とご飯を煮た、ラディ特製の雑炊。今のあたしには、あの優しい味付けが体に沁みるなぁ〜…なんて、ね?」

 ここはどうしてもラディに作ってもらいたいと、ミュエリを見習って少しだけしおらしくお願いしてみれば、

「よっしゃぁ! 任せとけ!! オレが世界で一番ウマくて優しい、最高の雑炊を作ってやるよ!」

 ──と、やる気満々になってくれた。

 良かった…。これでしばらく時間が稼げる。

「…じゃぁ、あたしはちょっと外の空気を吸ってくるわね」

「は!? なに言ってんだよ! ダメに決まってんだろ!?」

 ホッとしつつ出来るだけ自然にそう言って出て行こうとしたが、案の定というべきか、ラディが血相を変えて反対した。でも、この反応はあたしにとって想定の範囲内だ。

「そうやってこの前も散歩に行って、帰ってきたらあの状態だったんだぞ!?」

「大丈夫よ。家の外にいるだけで散歩にはいかないから。それに、こんなにいい天気なのよ? 待ってる間くらい日に当たってたっていいでしょ?」

「だったら、オレが一緒に行ってやる」

「雑炊は…?」

「あ……」

 あたしはここでニッコリと微笑んだ。

 そう。まさにこれがラディにやってもらいたいことだった。タフィーと話をするのにラディが一緒なのは困る。でも外に出ると言えば、心配してついてくると言い出すだろうから、それが出来ない状況を作りたかったのだ。

「じ、じゃぁ、代わりに──」

「ルーフィンを連れて行くわ。それならいいでしょ?」

「は…? いや…ルーフィンは──」

「最高の雑炊、楽しみに待ってるから、ね?」

 ラディがまだ何か言おうとしているのを半ば強制的に止めると、あたしは土間で行儀よく座っていたルーフィンに声をかけた。そして、急いでいることを悟られないよう、玄関の扉を閉め終えるその瞬間まで平静を装った。

『本当に、大丈夫ですか?』

 扉が閉まるや否や、ルーフィンの声が聞こえてきた。心配するような、それでいて、自分の言動に責任が持てるのかを問うような口調だ。あたしは、確実なことだけを答えることにした。

『大丈夫よ、今のところは』

『今のところ…ってどういう──』

『とにかく、一緒に来て』

 それだけ言うと、あたしは木々の間を探すようにして足早にその場を離れた。

 もちろん、探して見つかるとは思ってない。ただ家から少し離れる間に、焦って名前を呼んでしまわないための気休めだ。

 遠く離れることはできないが、それでも木々が家を見えなくした所まで来た時、あたしは立ち止まって小さな声で彼女の名前を呼んだ。

「タフィー…? いるんでしょう?」

 姿は見えないけど、絶対近くにいる。あたしはそう確信していた。

「話がしたいの…」

 どこから現れてもすぐに見つけられるよう、ゆっくりと辺りを見回す。──が、視界に映るのは周りの景色のみで、聞こえてくる自然の音にはもなんの変化もなかった。それでも、あたしは話しかけた。

「距離を置いてるのは知ってるわ。でももう、話さなきゃいけない事も知ってるんでしょ? あたしなら大丈夫…今なら大丈夫だから。お願い、タフィー…」

 切羽詰まってあたしを呼んだのなら、お願いだから出てきて…。あたしも、これ以上長引くと自分の体に自信が持てなくなる…。

「ねぇ、タ──」

「いるわ、ここに…」

 被せるように聞こえたその声は、紛れもなくあたしを呼んだあの声だった。その声が聞こえた方に目を向ければ、五・六メートルほど離れた木の横で、タフィーが躊躇いがちに立っているのが見えた。その距離に、姿を見せてもできるだけ離れていようとするタフィーの気持ちが伝わってくる。

「もっと、こっちにきて話さない?」

「でも…」

「大丈夫よ。近くに来たからって、今すぐどうにかなるわけじゃないわ。それに、大事な話は離れてするもんじゃないでしょ?」

 〝ね?〟

 そう目で問いかけると、僅かに考えてようやくスゥー…っと近付いてきた。そして、あたしの目をまっすぐ見つめ、再び〝あの言葉〟を発した。

「お願い、ラディお兄ちゃんを助けて!」

 その言葉を聞いて、改めてあの時の子はタフィーだったんだと思った。

「お兄ちゃん、あれからずっと苦しんでる…」

「知ってるわ。あたしも、できるなら助けたい…ううん、絶対助けてみせる、って思ってた…。でも、どんなに〝あれは事故だったんだから〟って言っても、本人が責任を感じる以上、なんの慰めにもならないのよ。それに、弟のクレイまであなたの死をキッカケに話せなくなったなんて知ったら──」

「だから、助けてほしいの…! 悪いのはあたしなのに…あたしのせいで、お兄ちゃんたちが苦しんでるから…!」

 お兄ちゃんたち?

 一瞬、その言葉が引っかかった。でも、それ以上に〝あたしのせいで…〟というのが気になる。

「自分のせい…って?」

「…あ、あたし…言う事を聞かなかったの…」

「………?」

「あの時、お兄ちゃんの言う事をちゃんと聞いてたらこんな事には──…」

 そう言って俯くタフィーの体は、ひどく後悔するように震えていた。でも次の瞬間、顔を上げたかと思うと、風が吹き付けるようにあたしの目の前に迫ってきた。周りの冷たい空気とは明らかに違う空気が体の前面にある。そして、実体がないのに間違いなく両腕を掴まれている感覚も…。

「お願い! お兄ちゃんを助けて!」

「…タ…フィー…」

 彼女の必死な目が胸に刺さる…。でも、だからってどうすればいいのか分からない。

 返す言葉がなくて思わず彼女の名前を口にしたが、一緒に吐き出された息の白さがさっきより濃いことに気付いた。それと同時に、掴まれた腕の芯が凍りつくように冷たい。

「あ…タ、タフィー…手を──」

「お願い! もう時間がないの!」

 言葉を遮り叫んだ言葉に、あたしの心の臓がドクンッと大きな音を立てた。

「時間がないって…どういう事…? 誰の時間が──」

 そう言いかけた瞬間、タフィーが〝あ…〟と言って姿が消えたのと、あたしの名前が呼ばれたのはほぼ同時だった。

 凍りつくような冷たい空気の塊が消え、ふっと力が抜けた体を咄嗟に支えてくれたのは…。

「…ネ…オス…?」

 そう。あたしの名前を呼んだのはネオスだったのだ。


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