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女神伝説  作者: Sugary
第七章
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4 失われた声 <1>

「ふ~」

 天井を見上げるように湯船の縁に頭を乗せたあたしは、一度大きく息を吸ってから吐き出した。肺の中が空になった分、一瞬だが僅かに体が沈んだ気がした。

 ここは、村から少し外れた山の中。昼でも静かだが、夜になると更にその静けさが深くなる。

 聞こえてくるのは川のせせらぎと自分が動いた時の湯の音、そしてここから一番離れた囲炉裏を囲む、みんなの楽しそうな笑い声だけだった。

 そんな声を聞きながら、あたしは少し前の会話を思い出して、思わずクスッと笑ってしまった。



 それは食事前──

 お酒を飲むなら先に…というのはもちろんだが、獣を担ぎ捌いたネオスとイオータがお風呂に入った。ラディは〝風呂よりも飯が先だ〟と言い、次いで入ったのはリューイ、そしてランスだった。女性陣はそんなにたくさんお酒を飲まないため、頃合いを見計らって勝手に入る事になったのだが…。

「ディアばあ、今日は風呂に入れよ?」

「…………」

「ディアばあ!?」

「んん? 何か言ったか?」

「──ったく、都合の悪い時は、異常に耳が遠くなるんだよなー。風呂だよ、風呂。今日は入れよ?」

「い~や、まだよいわ」

「まだよいわ、じゃなくてだな…。そう言って昨日も一昨日も入ってないだろ?」

「なに!? ばーちゃん一昨日から風呂入ってねーのか?」

 バーディアさんより先に反応したのはラディだった。

「なんだぁ? その年寄りを汚いとでも言うかのような反応はぁ?」

「いや、別に年寄りに限った事じゃねーし。──ってか、三日も風呂入ってなかったら綺麗とは言えねーだろ?」

「失礼な、まだ二日じゃわい。それに年寄りは若い者と違って代謝が少ないからのぉ、二日や三日入らずとも、臭くも汚くもならんのじゃよ。ほれ、見てみよ、このさらっさらの肌を」

 〝綺麗じゃろう?〟とばかりに腕をまくったのだが…。

「それはサラサラっつーより、カサカサだろ?」

 ツッコんだラディの言葉に、バーディアさんがニヤリと笑った。

「おぉ、よく言った。そう、カサカサなんじゃよ。年寄りはみ~んな乾燥しておる。毎日風呂なんぞに入っておったら、そのうち干からびてしまうわい。ただでさえ燃えやすいというのに…囲炉裏の火が燃え移ったらどうしてくれるんじゃ?」

「ど、どうして…ってよ…」

 間接的に〝年寄りが燃えやすい〟と言われ、何と答えていいものか…。当然、呆気にとられたのはラディだけではなく…。

「ディアばあ、もういいだろ? 清潔にしないと病気になるって言ってたのは、ディアばあじゃないか」

「人間、少々不潔なくらいで死にはせんわい」

「年寄りは抵抗力が弱いから感染しやすい。体力も少ないから感染が命取りになる、とも言ってたよな?」

「………」

「ディアばあ!?」

「わ~かった、分かったわい。入りゃいいんじゃろ? ──ったく、余計なことは覚えておるんじゃから…」

「余計なって…大事な知識だろ?」

「フン! 今は余計な知識じゃよ」

「ほんっと、勝手だな、ディアばあは。その余計な知識で長生きできるんだからいいだろ? ──ほら、入ってこいよ」

「うるさいわい、急かすんじゃないよ。これを一杯飲んだら入るから、待っておれ」

「おぉー、じゃぁとっとと飲んじまえ。風呂入る前に水分取るのはいいことだか──」

 言いかけて、ハッと気付いた時には遅かった。バーディアさんは、既にコップの中のものをグビグビと飲んでいたのだ。それはバーディアさん自家製のお酒。それも、かなりアルコールが強いものだった。

 ただでさえ、お酒を飲んでお風呂に入るのは危険なことなのに、それをこの歳で、しかもアルコールの強いお酒を飲んだとなれば、どう考えても風呂へいれるわけにはいかないではないか。

「やられた…」

 片手で顔を覆い項垂れるリューイを横目に、バーディアさんは〝ホッホッホッ〟と高らかに笑った。

「──ったく。誰の為に作ったと思ってんだよ…」

 ひとり言のように愚痴ったリューイの言葉は、バーディアさんには届かなかった。が、〝作る〟という言葉に、思わず顔を見合わせたのはあたしとミュエリだ。当然、真っ先にピンと来たミュエリがすぐにその質問を口にした。

「ね、ねぇ、それってもしかして、お風呂のお湯の事?」

「あ? あぁ、風呂入ってる時に火の番をしなくていいようにな」

「バーディさんの為って聞いたけど、何がどうバーディアさんの為だったの?」

「あ~、それはなー」

 一度そこで区切ってから、今度はバーディアさんに聞こえるように少し大きな声で答えた。

「ディアばあが、火の番をするオレたちに気を遣って、なかなか風呂に入らなかったんだ。寒い冬の時期なんかは特にな」

「あぁ! だから、バーディアさんが気を遣わなくていいように、アレを作ったってわけだ!」

「そういう事。なのに、未だにこれだもんなぁ~」

 〝何のために作ったんだが…〟と、美味しそうにお酒を飲むバーディアさんを見やれば、

「フン。わしは頼んどらんわい」

 ──と、まるで〝恩着せがましい〟と言わんばかりの反論が返ってくるから、リューイの溜息が一層大きくなる。

 そんな時だった。

「それって、風呂が嫌いなだけじゃないのか?」

 〝なぁ?〟と、バーディアさんに視線で聞いたのは、串に刺した焼き魚を頬張っていたラディ。

 みんな一瞬〝何 言ってんだ?〟という顔をしたが、ある意味シンプルすぎて思いつかなかった理由に、一同ハッとした。

「ディアばあ!?」

「なんじゃよ? うるさいのぅ」

「風呂に入りたがらないのは、風呂が嫌いだからなのか!?」

「ホッ! 今頃分かったか!」

「今頃って…」

「年取ると、いろいろ面倒になるんじゃよ。それを、勝手にわしが気ぃ遣ってると思い込んで…恩着せがましいったらないわいっ」

「恩──…っく…マジかよ…」

 本気でそう思っているわけではないだろうが、思わぬ理由を肯定されたリューイは、力が抜けたように後ろに倒れこんだ。

 その後、

「ただの風呂嫌いだったってか…」

 ──と、改めてイオータが呟くと、途端にみんなが大笑いしたのだった。



 結局、バーディアさんはお風呂に入らず、ミュエリの後にあたしが入っているわけなのだが…。

 勘違いとはいえ、やっぱりこの〝優しさ〟は正解よねぇ。

 そう思いながら〝優しさ〟の栓をひねって熱いお湯を足せば、少しぬるくなったお湯の中で陽炎ができる。あたしは、それを散らすように周りのお湯をかき混ぜた。次第に心地よい温度が広がり体全体を包み込み始める。そこから少しだけ熱くしてから栓を戻すと、入った時と同様、再びお風呂の縁に頭を乗せて天井を仰ぎ見た。

 それからは、ただぼんやりと目に映る天井の模様を見ていた。本当に、ただぼんやりと…。

 今は、この僅かな時間が一番ホッとする。何も考えなくていい…ううん、何も考えなくて済むから。でもそれ故に、体も正直になる。

 徐々に体が温まってくると、心身ともに溜まった疲れが、あたしの意識を暗い世界へと押し沈めていったのだ。

 自分が寝ていた事に気付いたのは、ミュエリの声と音が聞こえた時だった。

「…ちょっと聞いてるの、ルフェラ? ルフェラ!?」

 最後の呼びかけと共にドンドンと扉を叩かれ、ハッと目が覚めた時の体の反応で湯音が響いた。

「え…な、なに──」

 咄嗟に返事をしたものの即座に状況を察知したのか、扉の向こうで大きな溜息が聞こえた。

「…寝てたわね?」

「え…? あ〜…」

 隠したところで既にバレているのはもちろん、隠す必要もないため〝まぁ…〟と答えたのだが…。

「やっぱり…。あんまり遅いからそうじゃないかと思ったわ。だいたい、眠くなったらすぐ出てきなさいよね。知らぬ間に溺れてたらどうするの? ラディなんか心配して見に行こうとするし、それを私が止めたんだからね、感謝しなさいよ? ──あ、溺れる前に助けたんだから、命の恩人でもあるわね?」

 冗談か否か、ひとりつらつらと喋っては〝そうよ、命の恩人じゃない〟なんて納得する声に、〝隠す必要はあった〟と後悔したのは言うまでもない。

 ──とはいえ、ここで反論しても面倒な言い合いが始まるのも目に見えていたため、

「それはどうも」

 ──とだけ答えておいた。

「とにかく、早く出てきなさいよ? ラディもそろそろお風呂に入って寝たいらしいから」

「お風呂に…って、ラディが? でも、お酒けっこう飲んでるんじゃないの?」

 ネオスやイオータと違い、お酒や食事を先に選んだ時点で、必然的に今日のお風呂は諦めるものだと思っていたのだが。

「飲んでるわよ、多分ね…」

「じゃぁ、ダメじゃない。バーディアさんが作ったお酒、かなりキツイって──」

「酔ってないのよ」

 最後まで言い終わらないうちに聞こえたその声は、さっきまでとは違い真剣なものだった。思わず自分の声がトーンダウンする。

「どういう事…?」

 その問いにミュエリが小さく息を吐いた。そして扉を背にもたれかかる音がしたかと思うと、少し言葉を変えて繰り返した。

「酔えない、って感じね」

「酔えない…?」

「ネオスやイオータと同じくらいかそれ以上飲んでるのに、酔い方が二人と全然違うのよ。いつもならラディが先に酔い潰れるでしょ? でもあの様子だと、先に潰れるのは二人の方だわ」

「そんなに…? 飲むペースは?」

「二人は落ちてきたけど、ラディは変わらない」

 あたしは驚いた。

 ラディはお酒が弱いわけではない。むしろ強い方だ。それでも三人で飲むと、どうしてもイオータとネオスの方が強い為、毎回ラディが先に酔い潰れてしまっていた。ただ、その頃になると残りの二人もだいぶ出来上がっていて、飲むペースがかなり落ちてくる。つまり、そうなりつつある状況でラディのペースが変わらず、更には酔い潰れる気配もないというのは異常なことなのだ。故に、ミュエリの口調が真剣になるのも当然だった。

「テンションだって全然変わらないし──…というより、わざとそう振舞ってるように見えるのよね。それに──」

「…それに?」

「あなた気付いてた? 帰ってきてからのラディの様子」

「帰ってきてからの──…」

 ──と繰り返しながら数時間前の光景を頭に思い浮かべた時だった。突如としてフラッシュバックしたかのように、〝あの表情〟が脳裏に蘇ったのだ。思わずハッと息を飲んだ。

 ほんの数時間前のことなのに、すっかり忘れていた。あたしと目が合った時に見せた、あの表情を…。

 初めての事でその時はすごく気になったけど、すぐにいつものラディに戻ったから忘れてしまったのだ。

 でも、それは間違いだったってことよね?

 少なくとも、ミュエリは〝いつものラディ〟だとは思っていなかった…。あの表情を見たわけじゃないけど、帰ってきてからのラディの様子に何か違和感を覚えていたのは間違いない。

 だとすれば、いったいどこでそう思ったのか──

 そんな事を考えていた矢先だった。何の返答もないことが答えだと思ったのか、ミュエリが溜息混じりに話し出した。

「一人で帰ってきたでしょ? いくらリューイさんが眠ってたからって、この時期に、しかも寒さが増す日暮れ時に置いて帰ってくるなんて〝らしく〟ないわ。たとえその相手が、今朝あなたに抱きついたランスだったとしてもね」

 つまり、気に入らない相手だとしても、あの状況下で声もかけずに放っておくなんてあり得ない、という事だった。

 確かに、言われてみればその通りだわ…。

 気に入らない相手には、あからさまに〝気に入らない〟と態度に出すし、口を開けば喧嘩腰にもなる。でも自分が悪いと思った時は、そんな相手でも〝悪かった〟と謝るのがラディなのだ。

 良くも悪くも正直で…でもだからこそ、気に入らないからと言ってどうなってもいいと思う性格ではない。それは、この数ヶ月のラディを見ていて分かってきたことだった。ネオスとはまた違う彼の優しさ、そして情の厚さがある。だから、このまま起こさなければ風邪を引くとか、最悪 命が危なくなるという時は、ちゃんと声を掛けるはずなのだ。それを忘れたという事は──

「何かあったってことね…?」

「たぶんね…。私が責めた時、ヤケになって〝しょうがなかった〟って言ってたけど、おそらくそれが本音だと思うわ」

「しょうがなかった…」

 自分の中で確かめるようにそう繰り返せば、ミュエリが〝えぇ〟と呟いた。が、すぐに話を切り上げる口調に変わった。

「まぁ、考えたところで分かるわけないし──…とにかく、頼んだわよ?」

 そう言ったかと思うと、もたれていた扉から離れる音がしたため、あたしは慌てて呼び止めた。

「ちょっ…ミュエリ!」

「うん…?」

「〝うん?〟じゃないわよ。なに、頼んだって──」

「だから、何があったのか本人に聞いてみて、って事よ」

「なんであたしが…!?」

「何でって…私が聞いて素直に話すと思う? ネオスだって同じよ。言い合いになるか、シラを切るのがオチだわ」

「だったら、イオータがいるじゃない。彼の言う事ならラディも素直に聞くし、話もするわよ。何より、男同士なんだから──」

「いいえ、ここは愛の力よ」

 何の自信か、ミュエリはあたしの言葉を遮って言い切った。

「何かあったって事を気付かれないようにしている時は、愛の力に限るの! 愛する人から〝何かあったんじゃない? 心配だわ〟なんて言われてごらんなさいよ。変化に気付いてくれた嬉しさと、これ以上心配かけちゃいけないと思って、何でも話すに決まってるわ。だいたい、話すことで二人だけの秘密も作れるんだから、話さない理由がないじゃない」

 〝ほんと、これだから恋愛に疎い人は…〟という言葉まで聞こえそうな口調に、あたしは突っ込みどころ満載にも拘らず、それ以上 言い返すことができなかった。

 そんな無言の間が切り上げるタイミングとなり、〝分かったら早く出てきなさいよ?〟とだけ付け足すと、ミュエリはさっさとみんなのところに戻ってしまった。


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