3 二人の過去と招かれざる尋ね人 <2>
それからしばらくすると、出かけていたバーディアさんが帰ってきた。リアンが言った通り、袋に薬草らしきものを沢山詰め込んで…。
「さぁてと、わしはちょいとこれを仕込むとして…。リアンよ、風呂の用意を頼んだぞ? そろそろ男どもが帰ってくる頃じゃろうからな」
「えぇ」
「じゃぁ、私も手伝うわ」
「あ、あたしも──」
囲炉裏から火種の炭火を取り分け、玄関を出て裏手に回るリアン達の後に続こうとすれば、
「これこれ、お前さんは──」
即座にバーディアさんの制止が掛かった。──が、あたしは敢えてその言葉を遮り早口で返した。
「バーディアさんの言うことはちゃんと聞くし、苦いお茶でも何でも飲むから…お願い、お手伝いだけはさせて」
お願いというよりは、一方的に宣言するような口調だったが、リアン達を追いかけるあたしの後ろで〝ホッホッホ、先を越されたわい〟という声が聞こえたから、少しホッとした。
正直、何もせず休んでいるのは精神的に辛いものがある。それが、あたしを心配しての事なら尚更のこと。そして何より、バーディアさんには何かを見透かされそうな気がして、二人きりになりたくなかったのだ。
向かった裏手は、家の中でいう一番奥の場所。倒れていたランスを連れてきた時、〝ディアばあに診てもらえ〟と、リューイが顔を覗かせた場所だった。釜戸があることから、昨日はリューイがお風呂の湯を沸かしていたのだと分かる。
リアンが持ってきた炭火は、そのお風呂の外に設置された釜戸に入れられた。といっても釜戸は直接お風呂の水を沸かすものではなく、その上に作られた貯水槽の水を沸かすものだった。
お風呂には水とお湯の栓が二つあり、沸いたお湯はその栓を捻れば出てくるようになっている。つまり、湯加減を気にして釜戸に付きっきりになる必要がないため、誰にとっても便利な仕組みになっていたのだ。
「なるほどねぇ…」
──そう思ったのはあたしで、口に出したのはミュエリだった。
「昨日お風呂に入った時、どうしてこんなに熱いお湯が出るのか不思議だったのよ。でも…うん、これで納得したわ」
「フフ、なかなか便利でしょ? リューイが改装してくれたのよ」
「え、リューイさんが!?」
「一人や二人なら何とかなっても、さすがに三人となるとね…。水を足した分、薪をくべてお湯を沸かせないといけないし…」
「あ~、分かる、分かる。女性が二人だと特に、よね? 髪を洗うと、お湯って一気に減っちゃうから。でも、リューイさんも凄いわ。こんなの作れちゃうなんて」
「必死だったのよ、バーディアさんの為に、ね」
そう話しながら、リアンは手際よく藁や薪を入れて火を大きくしていった。
「おばあさんの為か…。そうよね、おばあさんの体でずっと釜戸に付きっきりっていうのは大変だものね──」
──とそこまで言って、ふと〝あれ?〟と言葉が途切れた。
「リューイさんやリアンさんがいるなら、おばあさんが釜戸に付きっきりになる必要ってないのよね?」
「えぇ。改装する前も私とリューイが交代で釜戸の番をしていたから。──あ…と、ごめんなさい。新しい薪、もらえるかしら? 後ろの小屋にあるの」
「え、えぇ、もちろん」
手伝うと言って外には出たものの、ひとつしかない釜戸にリアンが薪を入れれば、あたし達が手伝うことは何もないわけで…。薪を割る必要すらなかった為、あたしはこの言葉にすぐに反応した。
小屋の中に入ると、そこには思ったよりたくさんのモノが置いてあった。藁や炭、薪はもちろん、その薪を割る斧や釜戸の改装で使ったであろう工具、それに畑道具など。他にも野菜を乾燥させた保存食や、バーディアさんが薬作りのために使っていたような小道具もあったり、中にはもう何年と使ってないようなものや、逆に何に使うのか分からないようなものまで、本当に様々なものが置いてあった。それでも、どこに何があるのかすぐに分かるのは、全てがそれなりに整頓されていたからだろう。
あたしは、なんとなく小屋の中を一通り見渡してから、壁際に積まれていた薪の束を二つ持って、リアンの元に戻った。
「これで、足りるかしら?」
「えぇ、ありがとう」
「──それで、〝おばあさんの為〟っていうのは、本当のところ何だったの?」
どちらに…というのはなかったが、僅かな間に、ミュエリがしたであろう質問の答えを求めれば、
「それが、教えてくれないのよねぇ…」
ミュエリが少々不満そうに答えた。
「あら、別に教えないとは言ってないわ。〝近いうちに分かる〟 って言ったのよ?」
「じゃぁ、近いうちってどれくらい?」
それはまるで、遊びをせがむ子供が、母親に〝ちょっと待っててね〟と言われた時の返しと同じだった。
「そうねぇ…早ければ今日の夜にでも分かるかも」
「ホントに?」
「えぇ。フフフ」
「あ、またその笑い…」
またしても意味ありげない笑みを返され、口を尖らせたミュエリ。けれど、今度はすぐに開き直った。
「まぁ、いいわ。今日の夜にでも分かるって言うのなら。それに、何だかリアンさん幸せそうだし、ねぇ?」
「え…?」
「だって、楽しそうに笑うんだもの。…あ、別に今のが意地悪だっていう意味じゃないのよ? そうじゃなくて、純粋に喜んでるの。あんな事があったけど、今は笑えるようになったんだなぁ…って。それって、やっぱり〝アレ〟があったからなのよね?」
「あ…アレ…?」
「そう、アレ。ほら…辛い経験って、ある意味 日にち薬で、乗り越えるのに時間が必要でしょ? 今までどうやって笑ってたのか分からなくなるくらい笑顔は消えちゃうし、何を見ても、何を聞いても楽しいと思えなかったりして…。でも、そこにアレがあると状況は一変。それこそ一気に乗り越えられちゃうかもしれないわ。──でしょ?」
さっきとは全く逆で、今度はミュエリが意味ありげな笑みを向けた。ただリアンと違うのは、相手が自分の言っていることを理解していると思い込んでいるところだ。
「えっと……」
返事に困り、せめて〝アレ〟がなんなのかだけでも教えてくれれば…と、あたしに視線をよこしてきたのだが…。いかんせん、長年友達をやっているあたしでさえ、ミュエリの思考回路はよく分からないのだ。故に、直接 言わせるしかなかった。
「あのねぇ、ミュエリ。そんな何十年と連れ添った夫婦じゃないんだから、アレとかソレで分かるわけないでしょ?」
〝もっとハッキリ言ったらどうなの〟と言えば、
「これだからルフェラは…」
──と溜息をつかれてしまった。
「こういう状況で〝アレ〟って言ったら一つしかないでしょ? 愛よ、愛。新しい愛の始まりに決まってるじゃない」
「はぁ…?」
「愛の力は偉大なんだから。ねぇ、リアンさん」
「あ…あ~…えぇ…っと…」
新しい愛?
なんなのよ、それ? そりゃ、新しい愛があれば乗り越えられるのも早いだろうけど、なんでそれ限定なわけ? しかも、自信満々に決めつけちゃって…。
あぁ…なんかもう、溜息つきたいのはこっちだわ…。
あたしは呆れつつも、返答に困っているリアンに謝ることにした。
〝ごめんね、聞いたあたしがバカだったわ〟
──と。しかし、この〝ごめんね〟と言いかけた〝ご〟の口は、直後に発せられた彼女の思わぬ言葉によって、〝え…?〟という驚きに変わることになる。
「まぁ…そんな感じかしら…」
その言葉によりいっそう輝いたのは、ミュエリの顔。当然のように、ここから惚れた腫れたの恋話に花が咲いたのだった。
「ねぇ、相手は…彼、リューイさんでしょ?」
「え…えぇ」
「やっぱり~。最初から二人の間には何かあると思ってたのよねぇ。雰囲気が似てるっていうか、こう…同じ空気の中にいる感じっていうの? とにかく、お似合いだなぁ…って」
「ありがとう…」
「あ~ぁ、羨ましいなぁ。そういう人と出会えるなんて…」
「あら、そう言うミュエリさんだって、もう 〝いい人〟 には出会ってるんじゃなくて?」
「え、やだ、分かる?」
「もちろん。相手はそうねぇ…三人とも素敵だけど──」
「え、三人…?」
明らかに、自分が思う数より一人多いことに眉を寄せたが、
「ミュエリさんが好きなのは…ネオスさん、よね?」
好きな人を言い当てられれば、そんな事は気にしないもので…。
「そう! そうなの! やだ~、やっぱり分かっちゃうんだぁ~」
「ふふふ、もちろんよ。あなたを見てれば誰だって…」
〝ねぇ?〟という視線を向けられ、あたしも小さく苦笑いを返したのだが、それこそミュエリは気にしなかった。
「でしょ~? よく言われるのよ、〝お前は正直な奴だな〟って。なのに、ネオスは気付かないっていうか、気付いててもシャイだから反応してくれないのか…それがちょっと寂しくって…」
それはまるで、思いの届かない、切ない恋をするヒロインのような眼差しだった。
な~に、言ってんだか…。その思いに気付かないなら、それはつまり、ネオスがあんたを見てないってだけのことでしょ? もしくは気付いてても、その正直さが〝過ぎる〟性格にうんざりして、わざと反応しないだけよ。
──なんて事を心の中で突っ込みつつも口にしないでいれば…。
「あなた、また私のことバカにしてるでしょ?」
ミュエリの勘が鋭いのか、それともあたしが思ったより正直だったのか…不覚にも気付かれてしまった。
「やっぱり…。私が恋の話をすると、大抵いつもそういう顔するのよね、あなたって」
「そういう顔ってどういう顔よ?」
敢えて聞いてみる。
「〝また言ってるわ、この子…〟みたいな顔よ」
ご名答、その通りよ。
あたしは心の中で拍手した。
「あのねぇ、まるで自分だけ大人であるかのように呆れてるけど、私たちの年齢なら、男も女も恋の話で盛り上がるのは当然の事よ? 呆れてるあなたの方がどうかしてるんだから。──分かる? 呆れてるあなたの方がどうかしてるの」
ミュエリは二度繰り返した。
「それに、酸いも甘いも経験した大人ならまだしも、私からしたら、あなたは恋愛経験の乏しい、いわゆる、〝お子ちゃま〟よ?」
「お子ちゃまって──」
「お子ちゃまよ」
ミュエリが〝反論の余地なし〟とばかりに言い切った。
「──じゃなければ、恋愛を放棄した女が、自分の寂しさや惨めさを紛らわすために、上から目線で見てるか、のどちらかね」
「なにそれ…」
「じゃあ聞くけど、今まで付き合った人は何人いた? 一人? 二人?」
「そんなの──」
「いるわけない、そうよね? だって、私が知る限りでは、まだ誰とも付き合ってないはずだもの。──そもそも、好きになった人すらいないんじゃなくて?」
「失礼ね。あたしだって好きになった人くらいいるわよ」
「あ~ら、ほんとぉ? それ、いつの話?」
「子供の頃よ。あんたと知り合う前の、ね」
「へぇぇ~、そう? 私が知らないからって、見栄張って嘘ついてない?」
「あんたじゃあるまいし、ついてないわよ」
「じゃ、どんな子よ?」
「どんな子って…や、優しい人よ。一緒にいると安心するっていうか……ずっと一緒にいたいって思える…ような──…」
そう言いながら、あたしは確かにそう思っていたんだ…と思い出した。
正直、好きな人がいたというのは漠然としたものだった。覚えてないというのも変な話で、それが年齢的にも初恋ならば覚えてないはずもないのだろうが…。なぜか、相手のことが思い出せなかったのだ。ただ、そういう感情になったことだけはなんとなく覚えていたから、単純に幼すぎて記憶がぼやけているだけだと思っていた。それが今、〝ずっと一緒にいたい〟と言葉にしてみて、初めてそのぼやけた記憶が確かなものとして脳裏に蘇ってきたのだ。
ところが──
「あなたって…」
「なに?」
「いくつよ?」
ミュエリが呆れたように聞いてきたから、あたしも呆れたように答えた。
「二十歳に決まってんでしょ?」
「そうじゃなくて…人を好きになった時の年齢よ」
「だから、あんたと知り合う前だって言ってるじゃない」
「ありえないわ…」
「何がよ?」
「その感情よ。〝どんな子?〟 って聞かれて、優しいとかカッコイイっていうのは分かるけど、人を好きになる時の感情が、〝一緒にいると安心する〟だなんて…。いったい、いくつよ? 普通は、ドキドキして顔を見れないとか、〝おはよう〟って挨拶しただけで幸せな気分になるとか…そういうものでしょ? 十歳にもなってない子供なんて」
「え…そういう…もの…?」
「そうよ。それとも、その好きな人って、今のネオスじゃないでしょうね?」
「違うわよ。彼はネオスより年上だし、髪だってルーフィンみたいに綺麗な銀色…で──」
──と口にした瞬間、ある光景がフラッシュバックのように脳裏に浮かびハッとした。
これって確か──
そう…よ…。あの悟り木の下で見た夢のような光景だわ。イチョウの葉っぱに埋もれて…二人の子供のうち、女の子はなぜかあたしになってたけど…あれは──
改めて脳裏に浮かんだ光景を思い返してみて、あたしは確信した。
あれは、あたしだ。あたしの記憶…。そして、あの銀色の髪をした男の子も、あたしは知っている…。まだぼんやりとしていて名前や素性までは思い出せないけど、確かに知っていたのだ、あの優しい微笑みや耳に届く心地よい声を…。それがまさに、あたしが好きになった人だった。とても大切な存在だったのに、なぜあの時、あれが自分の記憶だと分からなかったのだろうか…。
それくらい、夢心地の光景から一気に自分の記憶として認識した瞬間だった。だけど、それだけじゃなかった。あたしは、遠い記憶の男の子に、ごく最近会っていたことにも気付いたのだ。
それはレイラさんが殺された後、眼帯男を追いかけた時だ。突然、木の陰から右手を掴まれ〝もう、追いつきませんよ〟と言った人…。彼も綺麗な銀色の髪で、この少年と似てると思ったけど…今なら分かる。似てるんじゃない、あの少年が彼だったのだ。
もちろん、その根拠は何もない。ただ、夢のような光景が自分の記憶だと分かった途端、あたしの中に眠っていた何かがそう確信したのだ、彼があの少年の成長した姿だ、と。
でも…だとしたら何故あそこに…?
子供の頃はいつも一緒にいたはずなのに、一体いつ村を出て行ったっていうの?
あたしの事も全然覚えてないみたいだったし…つまり、それだけ年月が経っているって事でしょ?
悟り木の記憶は間違いなく自分のものなのに、それ以外がまるで思い出せないから、疑問だけが膨らんでいく。
「……ラ?」
そもそも、どうしてこんなにも思い出せないのよ?
「……ちょっと聞いてるの、ルフェラ!?」
「…え?」
少し強い口調が聞こえ、記憶の世界からハッと我に返った。
「〝え?〟 じゃないわよ、急に黙り込んじゃって…。年上で銀色の髪…その他は? どういう感じだったのよ?」
「どういうって…」
思い出せるのは、銀色の髪と優しい微笑み、それから耳に届く心地よい声だけだ。それを言ったところで、この先ミュエリが期待し、展開するであろう恋話には到底乗れないわけで…。
「…忘れたわ」
あたしは、手っ取り早くこの話を終わらせる事にした。
「わ、忘れたって…あなたねぇ──」
〝あるわけないでしょ〟と続けようとしたミュエリの言葉を、突然、バーディアさんの声が遮った。
「だぁからー、ワシは耳が遠いんじゃよ。もっと大きな声で言わんと聞こえんわい!」
一瞬、あたし達に言ったのかと思いミュエリと顔を見合わせたが、どうやら知らないうちに誰かが来ていたようだ。
「だーかーらー、昨日、ここに女が来ただろ? って聞いてんだよ!」
それは、男の声だった。
「あぁ、おなごか! おなごなら、ほれ、お前さんの目の前にいるじゃないか」
「はぁ!?」
「年はとっても、立派なおなごじゃぞ?」
「ハッ! 誰が何十年も前の女を探してるって言ったよ!? いいか? オレが捜してんのは二十代前半の若い女だ!」
「ほぉ〜! 二十代前半とは、こりゃまた惜しいのぉ!」
「何が!」
「ついこの間まで、わしも二十代前半だったぞぉ?」
「ババァ、ふざけてんじゃねぇぞ!? いいか? 俺の仲間が、昨日この家に入っていく女を見てんだよ! それでもシラを切るつーんなら、勝手に家ん中 探させてもらうぜ!?」
「はぁ〜…しょうがないのぉ。部屋には病人もおるし…そこまで言うのなら、教えるしかないわい」
「あぁ、最初っからそう言やぁいいんだよ。──で、どこにいるんだ?」
「…裏じゃよ」
「裏?」
「もうそろそろ男達が帰ってくるからの、風呂を沸かすよう頼んだんじゃよ。ほれ、自分の目で確かめてこい。この家の裏じゃ」
バーディアさんがそう言うと、男の声は聞こえなくなった。代わりに、玄関を出る音が聞こえた為、一気にあたし達の方が焦りだした。
「ちょ、ちょっと、こっちに来るわよ…。どうするの、ルフェラ?」
「どうするって…風呂を沸かすよう頼んだ…って言ってるんだから、とりあえず蒔きをくべるしか──」
「そ、そうよね」
慌てて釜戸の前に座ると、ミュエリから蒔きを受け取り、それを火の中に入れた。ちょうどその時だった──
「おい!」
さっきまでバーディアさんと話していた男が現れた。
男はなかなかの体格で、かなり日に焼けていた。時期はずれだとは思うが、おそらくそれは雪焼けなのだろう。無精ひげと汚れた服などから、長い間 山の中を捜し回っていたと思われ、その疲れが顔にも出ていて、正直、年齢はよく分からなかった。四十代にも五十代にも見えるし、もしかしたら意外に若く三十代なのかもしれない。
「あら、何かご用?」
努めて冷静に、そして最初に答えたのはミュエリだった。笑顔が少々ぎこちなかったかもしれないが、相手には悟られない程度だろう。
「女はどこだ?」
「どこって…失礼だわ、あなた」
「あぁ!?」
「目の前にいるじゃない。こ〜んなに若くて綺麗な私たちを前にして、〝女はどこだ?〟なんて」
「あのなぁ…」
さっきと同じ事を言われ、男はウンザリしたように溜息をついた。
「いいか? 俺が捜してんのは二十代前半の女で、あんたみたいな小娘でもババアでもねぇんだよ!」
「こ、小娘って──」
「おい、ここにいるのは二人だけなのか?」
ミュエリが何か言おうとするのを遮ったその問いは、それまで黙っていたあたしに向けられていた。と、次の瞬間だった。不意にリアンの声が聞こえた。いや、正確にはリアンの声ではなかったが、その内容から彼女のものだと分かった。
『…い…お願い、言わないで…私はいないわ…そこにはいない…二人だけだと言って…! もう、二度と彼と離れたくないのよ…』
それが耳ではなく頭の中で聞こえたと分かったのは、これまで聞いた声と同じだったからだ。エステルの村で高熱を出した時もそう、数日前の夜中に聞いた時もそう。聞こえてくる声はみんな同じなのに口調が違っていた、あの声だ。これまでは夢かどうかハッキリしないものだったけど、やっと分かった。この声は〝誰かの心の声なんだ〟と。
「二人だけかって聞いてんだよ!?」
なんの返事もないことに、男が更に語気を強めた。
確かに、ここにいるのはあたしとミュリの二人だけだった。その事に気付いたのは釜戸の前に座った時だが、同時にバーディアさんのワザとらしい大声の理由も分かった気がした。そして昨日、あたし達のあとから来たリアンが後ろを気にしているような気がした理由も。おそらくそれにミュエリも気付いたから、〝二人だけ〟と聞かれても驚きはしなかったのだろう。
あたしはすっくと立つと、男の顔をまっすぐ見て言った。
「二人だけよ」
「ウソじゃねぇだろうな?」
「えぇ、もちろん」
〝嘘だと思うなら調べてみたら?〟
実際、調べられては困るため口にはしなかったが、それくらいの気持ちを込めて答えた。それだけ自信を持って言えば、大抵 相手は引っ込むからだ。──が、そう思っていたあたしの予想は、一瞬にして外れた。
男はフンと鼻で笑うと、あたしの心を読んだかのように小屋へと向かったのだ。
「ちょ、ちょっと──」
僅かながら慌てるミュエリ。それとほぼ同時に聞こえたのは──近付いてくる男の足音で気付いたのだろう──またもリアンの声だった。
『…大丈夫、大丈夫よ。私はちゃんと隠れてる…うまく隠れてるもの──』
隠れてる…?
さっき薪を取りに行った時に見た限り、隠れるようなところはなかったはず…。 隠れるって…いったいどこに隠れるっていうのよ?
疑問と不安で心の臓が早鐘を打つが、正直、考えている時間はなかった。だから、あたしは〝うまく隠れている〟という彼女の一言を信じることにした。
「待って、ミュエリ」
あたしは、男を止めようとするミュエリの腕を掴んだ。
「どうしてよ? このままじゃ彼女──」
「分かってる。咄嗟に隠れるとしたらあの小屋しかないって事は。でもきっと大丈夫。追われる身なら、その隠れる方法もちゃんと考えてあるはずよ」
「そう…かしら…?」
「えぇ。その為にバーディアさん、あんな大声出したんだもの。隠れる時間を稼ぐために、ね。それに、ここは下手にあたし達が取り繕うより、自分の目で確かめさせた方が納得するってもんだわ。──でしょ?」
そう説明すると、ようやくミュエリも頷いた。ただ、不安だけはどうしようもない。
「本当に大丈夫かしら…」
「大丈夫よ、きっとうまく隠れてるわ…」
「そうよね…」
男が入って行った小屋を見つめ、あたし達は束の間、自分に言い聞かすように祈った。
それからは物を動かす荒々しい音が聞こえてきたが、それもすぐに聞こえなくなった。何がどこにあるか分かるほど整理された小屋の中では、隠れた者を見つけるのに物を動かす必要など殆どないからだ。
案の定、再び男が一人で戻ってきた。
〝良かった…〟
二人の間にそんな声なき安堵の声が流れると、途端に強気になったのはミュエリだ。
「ほ~らね。だから二人だけだって言ったでしょ?」
「フンッ!」
「ちゃんと、小屋の中 片付けて行ってよね!」
「うるせぇ、小娘がっ!」
「なっ…! また小娘って──」
「ミュエリ」
あたしは、そんな言い合いは必要ないとばかりに首を振った。もちろんミュエリは〝どうして止めるのよ!〟という目を向ける。ラディの言い合いでもそうだが、最後は自分が言い返して終わらないと気が済まないからだ。その性格はよく知っている。知っているけど、あたしはもう一度首を横に振った。そして代わりに、あたし達の横を苛立ちいっぱいのまま通り過ぎ帰っていく男に声を掛けた。
「見間違いかもね?」
その一言に、思わず男が立ち止まり振り返った。
「何だって?」
「だから、その仲間が〝見た〟って人、違う人だったのかも…って言ったの」
一瞬、言ってる意味が分からない…というよりは、あまりにもバカバカしい可能性とでも思ったのだろう。男だけでなく、ミュエリまでもが眉を寄せた。
「あのなぁ…」
男は呆れたように溜息をついた。それも、ワザとらしく肩を大きく落として…。
「人の顔も覚えらんねぇようなガキじゃあるめーし、ンなこたぁ あるわけねーだろ。こちとら、二年も同じ女を捜してんだぞ?」
「そのうち何度 顔を見たの?」
「あぁ!?」
「人の見た目なんて、いくらでも変えられるわ。男の子の格好をして盗みを働いてた女の子だっているのよ? 周りはずっと男の子だと思ってたから、女の子なんて疑いもしなかった。大人だって同じよ。髪の長さ一つで印象は変わるし、それが二年もの間に数回見ただけか全く見てなかったとしたら、見間違える可能性だって十分にあるわ。願望がそう見せるってこともあり得るんだから」
「………………」
「それに、あたし達だって昨日ここに来たのよ?」
「なに、昨日?」
「その仲間がいつ見たかは知らないけど、日が暮れ始めていた時なら、明かりもないし、あたし達と見間違えた可能性だってあるでしょ?」
「日暮れどき…」
何か思い当たるのか、男は顎を指でなぞった。それは明らかに、見間違いの可能性を否定できないと思い始めたものだった。自分が見ていない以上、必ずその揺らぎは出てくるのだ。
あたしは、ここぞとばかりに続けた。
「それともうひとつ、この可能性が一番高いと思うんだけど──…」
「なんだ、それは?」
「あたし達とは見間違えなくても、〝雪女〟ならあり得るかもしれない」
「は?」
それはもう、呆気にとられた顔だった。
まぁ、それもそうだろう。もしかして…と仲間を疑い始めた矢先、一番可能性があると言われたことが物語の登場人物だったんだから。
当然ながら、男はすぐに大笑いした。
「ハ…ハハハハッ…! こりゃ、おもしれぇ! 何を言いだすかと思ったら、雪女だってよ!? 冗談も──」
「冗談でも作り話でもないわよ?」
あたしは男の笑いを一蹴するように、冷ややかな口調で遮った。
「昨日、この家のすぐ近くで雪女にやられたっていう人を助けたの。その人が倒れてた場所は少し窪んでいて、周りの空気がなぜか少しだけ暖かかった。でもその人の身体はすごく冷たくて、少しでも見つけるのが遅かったら助からなかったほどよ」
「だから雪女と見間違えたってぇのか? ハッ! くだらねぇな」
「でも、話は知ってるでしょ? 雪女は時に相手が望む姿にも変わるって」
「……………」
「別に、信じる信じないはそっちの自由よ。でも事実を確かめたいなら、本人に聞けばいいわ。彼、今もこの家で休んでるから。ただ、帰る時は気を付けたほうがいいかもね。もうすぐ日も暮れ始めるし、もしかしたらまだこの辺を彷徨ってるかもしれないわよ?」
とにかく真実味を持たせるのが大事だと、あたしは冷静に、且つ自信を持ってそう言った。すると、男の視線が〝日暮れ〟を再確認するように空へと移り、再びあたしと目が合った時には〝フンッ〟と鼻を鳴らして去って行ったのだった。
ようやく緊張の糸が切れて大きな息を吐き出すと、男の姿が見えなくなったのを確認したミュエリが、未だ見えない彼女に声を掛けた。
「リアンさん、もう出てきていいわよ?」
隠れる所はそこしかない…と思いながらも、半信半疑で小屋を見ていると、ガタゴト…という物音がしたのち、外の様子を窺うようにして彼女が出てきた。
「リアンさん!」
思わず駆け寄るミュエリ。
「大丈夫だった? よく見つからなかったわね!?」
「えぇ…。もしもの時に…ってリューイが隠れる所を作ってくれてたから…」
「そうなの!? すご~い、リューイさん! じゃぁ、見つからなかったのは彼のおかげね!」
「いいえ、あなた達のおかげよ。急にいなくなったのに、二人だけだって言ってくれて…」
「──という事は、やっぱり、あの男が捜してたのはリアンさんで間違いないのね?」
リアンは無言で頷いた。
「あの男は私がいた村の住人──…〝ある人〟に命じられて〝彼〟を殺した男の一人よ…」
「──── !」
「昨日、偶然あの男の仲間を見かけたの…。その時はまだ気付かれてなかったから、私も慌てて帰ってきたんだけど…」
「どこかで見つかって、後をつけられたのね…」
「そうみたい…。あの時、動かなければ…」
リアンの顔が、痛恨のミス…とばかりに曇った。
山の中には隠れる所がたくさんある。だから身を潜めるには格好の場所なのだが、周りが静止物ばかりゆえ、動くものは目立ってしまうのだ。
それを利用したのが狩りだろう。ある程度この辺に獲物がいると判断したら、なるべく身を潜め、獲物がやってくるのを待っている。
そういう意味では、男たちは狩人と同じだ。ずっとリアンを捜し続けていた者にとれば、視界に入る動くもの全てに敏感になっていたに違いない。
「あ…でも本当に助かったわ。ありがとう、ルフェラさん、ミュエリさん」
「ううん、そんな事…。私たちだって、リアンさんの話を聞いてなかったら気付かなったもの。──ねぇ、ルフェラ?」
今度はあたしが頷いた。そして同時に分かった。彼女が、会ったばかりのあたし達に、あんな重い過去を話した理由を。久々に女同士の会話で気が緩んだわけじゃない。自分を捜している男を見かけたことで不安になり、万が一のことを想定して話したのだ。その万が一が起きたことは残念だが、話していて正解だったというのは間違いない。
「ただ──…」
この時、あたしの中にはある疑問が浮かんだ。
「ただ…?」
「今更、リアンさんを捜し出してどうするつもりなんだろう…って」
「どうするって…やだ、何言ってるの? 相手はリアンさんの大事な人の命を奪うよう命じたのよ? その秘密を知られたらリアンさんの命だって──」
「確かにリアンさんは秘密を知ったけど、肝心のその相手は?」
「あ、相手…?」
「リアンさんに秘密を知られたこと、知ってるのかしら?」
「そんなの、普通はリアンさんが村を出た時点で気付くでしょ?」
「どうして? 愛する者を失った人なら、喪失感から村を出て行ったとしても、なんら不思議じゃないと思うけど?」
「それは…」
言われてみればその可能性もあると思ったのだろう。ミュエリが〝どうなのかしら?〟という目をリアンに向けた。
話を聞いた限りでは、秘密を知ってすぐに逃げたけど、その後を追いかけてくる者がいたとは言っていないのだ。
あたしとミュエリの顔を交互に見つめたリアンは、少し考えてから〝多分…〟と切り出した。
「知らないと思うわ。あの時、私は寝ていると思ってたはずだから…」
「だとしたら、やっぱり何の為に捜し続けるのかが分からない。それに、もしもよ? もし秘密を知られたと分かったとしても、リアンさんはもういないのよ? 同じ村にいて秘密をバラされる可能性があるならまだしも、出て行って二年も経つのにまだ捜してるなんて…。普通は、ある程度 自分に害が及んでこなければ、諦めるか放っておくものじゃない?」
「そう言われれば、そう…かも…」
「でしょ?」
「じゃぁ、単純に連れ戻したいだけってこと?」
「それだけで、二年も執着する?」
「う~ん、長すぎるわよねぇ…」
そこまでして彼女を見つけ出す理由が思い浮かばず、ミュエリは黙ってしまった。
「ねぇ、リアンさん。何か──」
〝心当たりある?〟
それまで黙って聞いていたリアンに問いかけようとしたその言葉は、一瞬早く、玄関の方から聞こえた声によって遮られてしまう事となった。
「よぉ! 早かったな、ラディ」
イオータだ。
ラディがいるという事は、一緒に行ったリューイも帰ってきたという事。つまり、みんなが帰ってきたという事で…当然、真っ先に反応したのはミュエリだった。
「まぁまぁ、この話はもういいんじゃない? ね、リアンさん?」
「え…?」
「あの男も自分の目で〝いない〟って確認したし、意外と雪女の話も信じたみたいだしさ。もうここには来ないわよ。──でしょ?」
「でも──…」
「ほら、リューイさんだって帰ってきてるわよ?」
話が途中だったのを気にしている様子だったが、ミュエリは〝大丈夫、大丈夫〟と、半ば強引にリアンを連れて出迎えに行った。
一方あたしはというと…。
疑問が残りつつも、ミュエリの行動には慣れているわけで。しょうがない、と小さな溜息を付くと、彼女たちの後に続いた。
玄関付近にはネオス達がいて、ちょうどイオータが背負っていたイノシシを降ろす時だった。
「うわ〜、すごぉ〜い! これもネオスが?」
「まぁ、弓持ってんのはこいつだけだからな」
「やっぱり、さすがよねぇ。子供っていうのはちょっと可哀想だけど、ネオスの事だから、ほとんど苦しませなかったんでしょ?」
「あぁ。そっちの鳥も、まだ自分は飛んでると思ってんじゃねーか?」
「それは幸せね」
そんな会話に、リアンもクスッと笑った。
「──で、ラディは? たくさん釣れたの?」
言いながら、〝どれどれ?〟と楽しそうにカゴの中を覗くミュエリ。そこで目にした魚の数に、〝わぉ!〟と感嘆の声を上げた。
「これ、全部ラディが釣ったの?」
「他に誰がいるんだよ?」
「釣り場所も自分で選んで?」
「あたりめーだろ」
「ふ〜ん、そうなんだぁ」
ミュエリが何やら意味ありげな笑みを見せた。
「なんだよ、その不敵な笑みは!?」
「ふ…不適って失礼ね。私はただ純粋に、〝愛の力ってすごいなぁ〜〟って感動しただけよ。ねぇ〜?」
同意なのか何なのか…その目があたしに向けられたから、自然とラディとも目が合った。だけど──
な…に…?
あたしと目が会うや否や、その表情が一変したのだ。それも今まで見た事ないような表情に。怒っているわけでもなければ、真面目な話をする時の真剣な眼差しとも違う。どちらかと言うと、何か言いたい事を無理に押さえ込んでいるような…そんな苦しみさえ感じるものだった。けれど、それもほんの僅かな間だけだった。軽く目を伏せ、一度キュッと口の端を結ぶと、次にあたしの目を見た時には、既にいつものラディになっていた。
「デカかったんだぞ」
「…え?」
「最後に食いついたやつさ。一番デカかったのに逃げられちまったんだよな〜」
「…そう…なの?」
「あぁ、こ〜んなに竿がしなってよ…。釣り上げたら、ぜってぇ ルフェラに持ってってやるって──」
「〝そしたらオレに惚れるだろ?〟でしょ?」
ラディの言葉を遮って、代わりに続けたのはミュエリだった。
「でも残念だったわねぇ。魚に逃げられたってことは、ルフェラの愛も得られないってことだもの」
「うっせーな。別にでっけー魚を釣るだけが、ルフェラの愛を得る方法じゃねーんだぞ!」
「あ〜らぁ? 一番得意な魚釣りで得られなかったら、他に何があるっていうのよ?」
〝ないじゃない〟
そんな無言の言葉を返され、〝うっ…〟と声を詰まらせたラディ。それを見て、ミュエリは〝ふふ〜ん〟としたり顔だ。
「フ、フンッ! 言ってろよ。お前の分の魚、オレが一匹 食っちまうからなっ!」
「な…何それ!? 全然 男らしくないんだけど!?」
「ハッ! お前に〝男らしい〟って思われなくてもいいもんねーだ!」
「バッカじゃないの!? 私に男らしいって思われない人が、ルフェラに思われるわけないでしょ!? いい? 恋愛に疎いのよ、ルフェラは!」
「れ、恋愛に疎いって…お前な──」
「大体、自分の分をあげるならともかく、人のものを自分が食べるなんて、普通に考えて男らしくないでしょうが!」
「それは、相手がお前だからだろーがよ!」
「なん──」
「はいはい。そこまでよ、二人とも!」
エスカレートする言い合いに、あたしはストップをかけた。
大きい魚を釣ったら惚れるだとか、悔しさのあまり魚を食っちまうとか、恋愛に疎いだとか…黙って聞いてればツッコミどころ満載なんだけど、それよりも気になったことがあったからだ。
「ねぇ、リューイさんはどこなの?」
「え…?」
同時に振り返る二人。
さっきから、リアンが彼の姿を探していたのだ。
「ちょっとぉ、あなたが〝え?〟って言ってる場合じゃ──」
「あぁ!」
〝一緒に帰ってきたんでしょ!?〟と暗に言われた矢先、何かを思い出したようにラディが叫んだ。
「な、なによ…ビックリするじゃない…」
「忘れた…」
「はい…?」
意味が分からずミュエリがそう返せば、
「起こすの忘れた…」
──と、これまたイマイチ理解できない答えが返ってくる。
「どういう事なの、ラディ?」
〝順を追って話してみて〟と、今度はあたしが聞いてみた。
「いや、だからよ…オレが釣ってる間ずっと寝てたんだ、あいつ」
「じゃぁ、起こすの忘れて一人で帰ってきたってこと?」
「あ〜…まぁ…」
「ちょっとぉ、何やってるのよ!」
またもや、ミュエリが割って入った。
「もう日も暮れかけてるのに、放っておくってどういうこと!? 風邪引いちゃうじゃない!」
「別にわざと放ったわけじゃ……しょうがなかったんだよ!」
「しょうがなかったって、なによ? 何か理由があったっていうの!?」
「う、うっせーな! そんな事どうだっていいだろ!? それに、ガキじゃねーんだから、寒かったら自分で起きて戻ってくるさ!」
「あのねぇ。昨日 リューイさんは、私たちの為に寝ないで火の番をしてくれたのよ!? 一回寝たら、少々の事では起きないかもしれないじゃない! ほら、早く戻ってリューイさん起こしてきなさいよ!」
「だーー!! ほんっとうるせーな、お前は!!」
「何ですって〜!?」
「いいか? 寒さで起きねー奴は、薬で眠ってるか酒飲んで爆睡するかのどっちかなんだよ! もしくはよっぽどの鈍感か。あ、それとも何か? あいつがよっぽどの鈍感だとでも言いたいのか?」
「し、失礼ね! 誰もそんな事──」
もちろんそんなつもりはないが、ラディの言い分から そう取られかねないと思ったのか、ミュエリが少々焦った。それを見て、珍しくラディが鼻をフフンと鳴らす。──そんな時だった。
「おぉ、いいなー、それ」
不意に声が聞こえ、一斉にみんなの視線がそちらに向いた。
「リューイ!」
「リューイさん!」
二人の言い合いに気を取られて気付かなかったが、いつの間にか、リューイがラディの後ろから歩いてくるところだったのだ。それも、手には朝持っていなかった包みを持って…。
「ほ、ほらみろ! ちゃんと目ぇ冷ましたじゃねーか」
「ふ〜んだ。そんなの結果論じゃない」
「結果論でもなんでも──」
「そうそう、ちゃんと目ぇ冷ましたぞー」
ラディの言葉を遮って、その首に腕を回したリューイ。
「さすがに防寒着 きていても寒くてなー」
ほぼ棒読み状態でそう言った時には──わざとか否か──ブルっと体を震わせた為、ラディの首が締まった。
「イ、イテテテテ…わ、悪かった、悪かったよ…」
〝ギブギブ〟と腕を叩いて、ようやく首の痛みから解放された。
〝いってー〟と首を抑えるラディに、〝自業自得よ〟という目を向けるミュエリ。そんな二人を横目に、リューイは持っていた包みをリアンに差し出した。
「オレが寝てたから、気を遣って置いていったみたいだ」
「そう。じゃぁ、今日はご馳走ね。ほら見て、ネオスさん達の収穫もすごいのよ」
「おぉ! イノシシか!! こりゃ、尚更 酒を用意しないとな」
そう言うと、嬉しそうに〝ディアばあー?〟と呼びながら家の中へ入って行った。
そんな姿に、リアンも微笑んでいた。
「男の人って、ほんとお酒好きよね〜?」
〝今夜は酒だ〟と聞いて、ラディやイオータの目が輝いたのを見逃さなかったミュエリが、呆れたように呟いた。ただし当の本人たちは全く気にせず、とっとと終わらせようと獲物を捌き始めている。
「フフフ。特に、リューイは男同士で飲めるのが嬉しいみたいね」
「あ〜、そっか。この辺にいないものね、若い男の人って」
「えぇ。ただ川を少し下れば村があって、時々はこうやって交流もあるのよ?」
リアンがそう言って、持っていた包みを軽く持ち上げた。
「それは…?」
「普段のお礼みたいなものかしら。村にはお店もあるけど、昔からバーディアさんが作る薬じゃないと…って言う人もいて、ここにもらいに来る人がいるの。もちろんお店じゃないからお金は取らないし、だったら…と店で買ったお肉や家で取れたお米を持ってきてくれたりするのよ。でも、お酒を飲み合うことまではしないから…」
「じゃぁ、今日は思う存分楽しめるわよ」
ミュエリが〝保証する〟とばかりにラディとイオータを指差すと、二人は顔見合わせ〝そうね〟と小さく笑った。
それから暫くすると、バーディアさんから声が掛かった為、あたし達は夕食の準備をしに家に入っていったのだった。