緑の姫
遊森さまの『武器っちょ企画』参加作品です。
連載作品が止まっているので自重しようと思ってたのですが、指が動きました(笑)
参加作品を全て読んでいないので、もしも設定が被っていたらゴメンナサイ!
凍てつく寒さを孕んだ風が二人の頬を掠めた。
二人の眼前には渇いて荒れ果てた大地。崩れかけた古い家。長い年月まったく手入れがされてないと窺える、耕作地だったと思わしき場所。
二人は震えた。
肌を刺す寒さのせいではなく、違う理由で――――――。
約束を果たすために、はるか南の地から幾月も費やして、先ほどようやくこの場所に辿り着いたのだ。
それなのに、見渡す限りは荒涼とした大地。家々はあるものの、そこに住んでいる者たちの気配は無い。畑だったらしき場所は荒果て今は見る影もない。
約束を果たすべく訪れた筈のこの場所は、完全なる無人の村になり果てていた。
地図を握りしめながら微動だにしない二人の心内を代弁するように、渇いた木々が強い風に煽られてミシミシと悲鳴をあげた。
「……ごめん、アイシャ。間に合わなかったようだ」
青年が紺碧の瞳を苦痛に歪めながら、茫然と佇んでいるアイシャに向き合った。
見開かれた両目には、微かに涙が浮かんでいるようでもあった。
それもそうだ、と青年は思った。二人と二頭の馬でこの場所に辿り着くまでに費やした数カ月が無駄になったし、引き返そうにもすでにアイシャには帰る家は無い。しかも食糧もろくにないときた。
微動だにしないアイシャを見ていると、青年の口から自然と言葉が滑り落ちる。
「大丈夫だから」
アイシャは家族だ。いかなる状況でも守らなくてはいけない。不安がらせてはいけない。
食糧が足りないのなら人里に下りるまで自分の分を与えればいいし、最悪は二頭いる一頭を手放せば何とかなる。
しかし、帰る家はどうすれば―――……。
青年が再び頭を悩ませた時、アイシャが不意に笑った。
「本当に真面目ね、ホアンは。どうせ今、食糧が~とか、私の帰る家が~とか考えていたんでしょう? 大丈夫だからって言うのは私のセリフよ。さ、帰りましょうか」
この旅のお陰で馬を乗りこなせるようになったアイシャは、細い足を鐙に引っかけて華麗に馬に飛び乗ると先導する筈のホアンを置いたままポクポクと馬を歩かせた。
五つほど年下の彼女に言い負けられた気がして、ホアンはアイシャの後ろを慌てて追いかけながらボソリと呟いた。
「――――――なにがどう大丈夫なんだよ。泣きそうになってたくせに」
「嬉しくて泣きそうになったのよ」
アイシャは耳が大変よろしかったらしい。ホアンに言葉を返すとニコリと微笑んだ。
****
アイシャは南国の生まれである。
五つの豪族たちが一つの国を共同統治している、キカイー国で一番発言権がある豪族の長の娘だった。
しかし彼女の事を知る者は一部しかいない。長と長の配偶者。そして、アイシャの生母と乳母であったホアンの母と家族達、ホアン本人、それに各豪族の長だけである。
なぜ長の娘なのに存在を隠すようなことになったのか。――――それは、長が禁を犯したからに他ならない。
キカイー国は一夫一婦制である。浮気をしただけで鞭打ちの刑に処され、不貞などは極刑が与えられる。かなり下半身事情には厳しい国だった。
アイシャが生まれた時に長の不貞が発覚し、長であろうとも極刑が与えられる筈だった。しかし、それを制したのは遠い北国から長が連れ帰ってきたアイシャの生母であった。
アイシャの生母は不思議な力をもちい、渇いた砂漠の地に緑を蘇らせた、いわばこの国の恩人だった。
彼女はアイシャを産むと身体を壊し、一年ともたずに儚くなった。いまわの際に遺した言葉は、アイシャと長への恩赦であった。
不思議な力で渇いた砂漠に水を蘇らせ作物を実らせたキカイー国の女神と国民が崇める女性の頼みとあっては、国の統治者たちも従わざるを得ない。しかもアイシャにも母から受け継いだ力があるかもしれない。そんな上層部の思惑もあって、アイシャと長は生きる事を赦された。
アイシャの父は生きながらえる代わりに発言権を失い、それでも持ち前の性格でのらりくらりと過ごしていたが、三年程前に他の豪族からの襲撃を受けてアイシャの目の前で亡くなってしまった。
その時の最期の言葉が、今回の約束である。
聞けばアイシャには北国に婚約者がいるらしい。今は亡き生母の兄の子――いわば従兄である。ありふれた話で、アイシャは十八になったら従兄に輿入れをする約束をしていたそうだ。
父が無くなったのち、十七になるまで乳兄妹でもあるホアン家で過ごして、十八になる今年、その婚約者とやらと婚姻を結ぶためにホアンと二人で家を出た。
気合いを入れて山を越え谷を越え峠を乗り越えて、たくさんの想いを抱えながら、古ぼけたぼろぼろの地図を頼りにはるばるやってきたのだった。
それなのに、辿り着いてみれば無人。
「……なんて面白いのかしら。私、今なら吟遊詩人になれるかもしれないわ! 一曲諳んでもいいかしら?」
気分のままに馬を歩かせ、いつの間にか追い越していたホアンの背に語りかけた。
「ええー。それは止めてくれるとありがたいな。耳栓なんて用意してないし」
「しっつれいな人ね! そこまで音痴じゃないわよ!」
のんきに馬を歩かせて数刻。
日が暮れかけてきた所で大きな樹の洞を見つけた。そこで今夜は夜を明かすこととなり、ホアンとアイシャは食糧と火の燃料となる枯れ木を探しに山に分け入って行った。
枯れ木はごまんと手に入れたが、食糧の方は小鳥以外の動物の気配が無く、渇いた樹木ばかりの山では皆無だった。しかも今は実りの季節を過ぎていた。ホアンは大きな溜息をつきながら、アイシャに帰ろうと促そうとして目を見開いた。
アイシャの触れていた樹が微かな緑の輝きを帯びたと思ったら、渇いた枝に葉を茂らせてみるみる花を咲かせたのだ。ポンポンと花を咲かせたと思ったら、今度は小さな果実になり、それがみるみる大きくなった。
(これがアイシャの能力―――……)
アイシャの母が持っていたという不思議な能力を初めて目にし、ホアンは茫然としてしまった。
てのひらに収まる程度の大きさになった橙色の実をアイシャが手に取り、それをそっと差し出した。
「ね? 大丈夫って言ったでしょう? ……でもこの力のことは秘密にしてね? ホアンだから見せるのよ」
樹に茂った実を手持ちの袋に入れると、今度は胸元の袋から小さな種を幾つも出して地にばらまいた。再び彼女が手を翳すと種の正体がわかった。食用の薬草だった。
目の前で繰り広げられる森羅万象を無視した現象に呆然とするホアン。しかし、そんな彼をよそに、アイシャはせっせと薬草の新芽を摘み取り袋に投げ入れて行く。
やがて、食糧の調達が済んだ二人は馬を繋いである場所まで戻った。
今度は馬の食んでいる草に手を翳し、馬たちの食糧を増やしていった。
しかし今度は光が弱い。ふとホアンが覗きこむと、アイシャの額には寒い風に似合わない汗が浮きでていた。
(命を芽吹かせるには相応の対価が必要だという)
ホアンは嫌な予感がした。
「アイシャ……その能力の源ってなに?」
聞いたもののアイシャからは返事が無い。
陽が陰ってもわかる程の真っ青な顔をしている彼女を止めようと腕を伸ばしたその時、ふ、とアイシャから発せられていた輝きが消えうせた。同時に、彼女の身体が地面に崩れ落ちる。
「アイシャ……? しっかりするんだアイシャ!」
アイシャの身を起こしながら、頬を軽く叩く。
しかし唸るばかりでしっかりとした返事が無い。
(とりあえず火の傍に――――!)
焦ったホアンは彼女を抱きかかえ急ぐあまりに、樹の根に足をとられてすっころんでしまった。
前のめりに倒れそうになり、咄嗟に身体を捻る。アイシャを地面に投げだす失態は辛うじて避けられたものの、腰に付けている自らの剣でホアンは腰を強かに打ちつけてしまった。
「――――うぁっ! 痛ってぇ!」
恨みのこもった眼で、ホアンは自分をこんな目に遭わせた樹の根に視線を巡らせた。
しかし視線の直ぐ先には、白銀に煌めく切れ味がよさそうな金属―――剣があった。
ホアンが剣の先を眼で辿ると、毛皮で身を包んだ巨躯の男が感情のこもらない瞳で見降ろしていた。
「その娘を置いて去れ」
尻もちをついているホアンの喉元に剣をつきつけ、男が目深にかぶった帽子からのぞく眼を眇めて冷たく言い放った。
剣を突きつけられて身動きが取れないが、ここで是と答えてはいけない。まだ諦めるには早いからだ。
「―――断る!」
ホアンは自らの腰に佩いていた二つの剣の内、短い方を抜き放ち、アイシャを片腕で抱きながら、突きつけられていた白刃を払いのけた。
剣を抜く瞬間、僅かに首の皮が切れたようで、ホアンの首からは赤いものがアイシャの頬に流れ落ちた。錆びた鉄の香りがアイシャの鼻腔をつき、彼女が不快に顔を歪めた。
しかし、それを拭ってやる余裕など今のホアンには無い。腕の中の彼女を守る事で精いっぱいなのだ。
二合、三合と斬り結ぶ。
時折足を駆使して相手を蹴りとばし距離を稼ぐが、さすがにアイシャを庇いながらの応戦は消耗が激しい。ホアンは次の一撃で剣を弾かれてしまった。
あ、と思った瞬間には相手の白刃が再びホアンの喉元につきつけられた。
「終いだな。俺は無駄な殺生は好かん。娘を置いて今すぐ立ち去れ」
「何度言われようが断る! コイツは俺の妹だ!」
「……妹?」
ホアンの言葉に引っ掛かりを覚えたのか、男の表情が怪訝なものに変わった。
僅かに剣を持つ手が緩んだその瞬間、数多の緑の蔦が男の手を絡め取った。
「――――なっ?! くそっ!」
縦横無尽に伸びる蔦は男の腕に伸び、その身体をぐるぐると伝い、強力な生命力を以て巻きとる。
男は緑の蔦の籠に捕らわれ身動きがとれないようだ。
急な植物の成長―――……。
それは先ほど眼にしたばかりの現象だ。
つ、と蔦の伸びてきた先を眼で追うと、いつの間にそれを手に入れたのか、蔦の根がアイシャの手に握られていた。
「ホアン、……逃げて」
腕の中のアイシャが掠れた声でホアンに先に進む事を促したが、彼は彼女の小さな頭をバチンと叩いて、この状況下なのにもかかわらず怒鳴る。
「――――置いていけるわけないだろうが! お前は俺の家族なんだぞ!」
「違う。……私を連れて逃げて」
「バカたれ! ちゃんと言え!」
再びアイシャの頭を叩き、力の抜けた彼女を抱き上げて、繋いである馬の傍まで逃げようとしたその時―――、
ガサガサと渇いた音と、ブチブチと細い何かが切れる音が二人の耳に届いた。
まさかと思いながらも、二人がその音の方にゆっくりと視線を巡らせると、新緑に輝いていたみずみずしい蔦が、水分が抜け落ち茶色に変色していた。しかも、その中からは、白刃を片手にした男がニタリと笑いながら蔦の檻から抜け出てきた。
ホアンにはアイシャを庇いながら逃げるだけの力は無い。
(もうダメだ。すまん、父さん母さん弟達よ……。アイシャを送り届けれなかった)
無様にも膝をつきそうになったが、男の口から発せられた言葉にホアンは眼を剥いた。
「なるほど。植物を操るその能力……。やはり俺と同じ血の者のようだ。しかし、あの人に子どもが二人もいたとは驚いた。……お前が俺の花嫁だな?」
男は白刃を鞘にしまうと、アイシャに問うた。
しかし、アイシャは蒼白の顔を陰らせて唇を震わせた。
「そう怯えるな。いきなり迎えに行けと言われて俺も苛ついていたんだ。すまん」
アイシャに伸ばした男の手を、ホアンがはたき落とした。
今ある感情のまま怒鳴る。
「――――すまん、で済む問題じゃないだろうが! お前、今本気で俺を殺ってからアイシャを連れ去ろうとしただろう?!」
「いや。本気で殺ろうと考えていたのならば、一撃でその心臓を貫いている。だが、苛々としていたからと言って、我が嫁となる者の兄に働いた無礼を今ここで詫びよう。それに加え、この場まで我が嫁となる者を連れてきた事、大義であったな。さぁ、今すぐ帰るが良い」
「――――ぬぁぁ?! なんて奴だ! お前に妹はやらん!」
「やらんと言われようが約定だ。さぁ、我が嫁となる者よ、この手をとるがいい」
憤慨するホアンをさらりと流して、男はアイシャへと手を伸ばした。
しかし、アイシャは未だに口元をわなわなと震わせている。
「……どうした? 詫びが足りんというのか」
男の問いにアイシャはふるふると顔を横に振った。
彼女は白刃を突きつけられて怖かった訳ではない。いや、正確には守ってもらっていたから怖くは無かった。
複雑な彼女の心境を理解していない眼の前の男は、どうしたものかと首を傾げた。
一拍ほど考えた後、男は目深にかぶっていた帽子を脱ぎ、アイシャの手を取り手の甲に口づけた。
癖のついた白金の髪がアイシャの手をくすぐり、前髪の隙間からは上目遣いに碧い瞳が彼女を捉えた。
「俺の名はオイル。我が嫁になる者よ、知ってはいるが、改めてお前の名をその口から教えては貰えないだろうか」
いきなりのオイルの行動に二人は目を見開いた。まさか口づけされるとは思わなかったアイシャの顔はみるみる間に色づいた。しかし、アイシャは激しく首を横に振る。
「……なんだ? なにが気に入らんのだ。まあいい。嫌でも連れて行くまでだ」
一向に言葉を発しないアイシャに対し、オイルの声音が低くなった。頑なな彼女の態度が気に障ったようだ。アイシャは掴んでいた手を引かれオイルに抱えられそうになった。
危機を感じたアイシャは咄嗟に手を伸ばして、ホアンの身体に抱きつく。
「嫌だ! 嫌! 私は自由を謳歌するのよ! 嫁ぐ約束の場所はあの集落でしょう? 無くなってたじゃない! だから約束は無効よ! む、こ、う! 私はこれから人里に下りて花屋を開くんだからぁ!」
そう言うや否や、アイシャはホアンの首筋にある紅いものを舐めとった。口いっぱいに広がる錆びた香りに顔を顰めるが、血は生命の源だ。植物の成長を促すために自らの体力を使い果たしたが、ホアンの血でアイシャの身体に再び力が宿った。
腰に下げている鞄から種を幾つもとり出し、今度は漲った生命力でそれの成長を促す。
緑の光を帯びた種は一瞬で刺々しい茎に変わり、にょきにょきと伸びる。ポンポンと大輪の紅い花を咲かせながら、棘の茎がオイルを絡め取った。
「ホアン! ボケっと見てないで早く馬を連れてきてよ!」
「―――あ、ああ!」
オイルも同じ血を持つ者ならば、再び枯らされるかもしれない。現に花の咲き乱れる中からは、アイシャの力に相反する力が感じられた。
アイシャは馬が来るギリギリまでその種に力を注ぎ続け、ホアンが来ると同時に馬に飛び乗り、木々の間を駆け抜けた。
アイシャとホアンが去って直ぐに、オイルが棘の檻から抜けだした。鋭い棘に囲まれていたというのに傷一つない出で立ちで。
二頭の馬が駆ける音を聞き、彼は面白そうに口角をあげると誰に聞かせるともなく呟いた。
「……ふむ。俺の庭である森の中で逃げるなど頭が足りんな。我が嫁になる者は、少々教育が必要なようだ。さて、追いかけるか。……連れて帰らねば里に入れぬのだよ」
オイルは長い足を使いその巨躯をものともせずに俊敏に樹に飛び乗ると、樹の上に居た伝達用の鷲と陰に潜んでいた数人を放ち二人の後を追いかけた。