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時の守人  作者: 冬木ゆあ
8.エピローグ
21/21

 それから月日は流れ、今年もお茶会の日が訪れた。

 朝から支度に追われる使用人たち。城内に溢れるご馳走の香り。

 イリスも例外ではなく、朝から慌ただしく身支度をしていた。

 イリスはこの日のために仕立てた若葉色のドレスを身に纏っている。

 デザインは違うが、カルロスと初めて出会った時のドレスと同じ色だ。

 イリスは椅子に座り、女の使用人がイリスのココアブラウンの髪を結い上げている。

 イリスは部屋の窓を見た。そこには青く澄み渡る空が見える。


 ――今日、カルロスはきてくれるのだろうか。


 イリスの胸は期待と不安で満ちていた。



 白亜の城がある首都クルトの街もお祭り騒ぎの賑わいだった。

 ルーベンス中から多くの人々が訪れるこの日は、商人が集まり、露店も多く出ている。


 人々が行き交う中、ひとりの少女が歩いていた。

 森の魔女見習いのフィオナだ。格好は街娘と変わらない。

 けれど、ふわふわと揺れる赤毛と、樫の杖は人々の目を引いていた。


 フィオナが城門の前につくと、ちょうどそこに一台の馬車が止まった。

 そこから出てきたのは見覚えのある紳士だった。

 アルド王国第二王子、ユアン・オールディスの側仕えであるフレディだ。

 フレディは馬車を降りたあと、馬車の傍に控えるように立った。

 同じ馬車から下りてきたのは、茶色い髪を肩の長さで切り揃えた少年、ユアン・オールディスだ。

 ユアンはフィオナを見つけ、自信あふれる顔に笑みを浮かべた。


「さっそく見覚えのある娘に会ったぞ」


 その言葉はフィオナに言ったのではない。馬車の中に向かって言った。

 そこから顔を出したのは紺色の髪をした少年。黒い制服を着ている。

 それはユアンの側仕えだけが着ることを許された制服だった。


「ホセ!」

「やあ、フィオナ姐さんじゃないか」


 ホセはあいかわらず軽い調子で挨拶をした。

 そんなホセにフィオナは飛びかかるようにして抱きつく。

 ホセは驚きながらも、フィオナを受け止めた。


「あれ? 背、伸びた?」


 フィオナはホセを見上げた。

 以前よりも頭がずいぶんと高い位置にある。


「ああ。十センチくらい伸びた」

「こいつ、俺より背が伸びてしまった。せっかくいい影武者を見つけたと思ったんだが」


 ユアンは肩をすくめながら言った。

 細身のユアンに対し、ホセは肩幅があり、がっちりとした体つきになっていた。

 たった十ヶ月でこうまでかけ離れた体系になるとは、誰も予想などしていなかっただろう。


「まだちゃんとユアン王子の側仕えをしていたんだね」

「ああ。まっとうに働いてらぁ」

「ホセが俺の側仕えになってから調子がいいんだ。机の上に欲しかった情報の資料が置かれていたり、なかなか掴めなかった証拠が見つかったり」


 ユアンは満足そうに言った。

 フィオナは呆れたような顔をユアンに向ける。


「ねぇ、本当に気がついてないわけじゃないんでしょ?」

「なにがだ?」


 ユアンは口元に笑みを浮かべた。これは気がついている笑みだ。

 ホセは影武者をクビになったあと諜報員に転職を果たしたようだ。

 フィオナは肩を竦めて、わざとらしくため息をついた。


「まぁ、ホセらしく生きていてちょっと安心したよ」

「だろ? 水を得た魚ってきっとこういう気分なんだろうな」


 ホセは満足そうに言った。

 その顔はいきいきとしていた。


 フレディが門の傍に立つ衛兵に声を掛けると、すぐに城内へ案内された。

 城門を潜ると、お茶会の行われる庭がある。芝が敷かれた広い庭だ。

 その庭を抜け、白亜の城に入る。

 城内はしんと静かだった。フィオナたちが歩く足音が辺りに響く。

 厳かな雰囲気に包まれていた。

 迷路のような廊下を進み、ひとつの美しい装飾の施された扉の前に辿り着いた。

 衛兵がノックすると「どうぞ」と少女の可愛らしい声が返ってくる。

 ドアを開けた先には支度を終えたイリスが窓辺に立っていた。

 そしてフィオナたちを見て微笑む。


「ようこそ、ルーベンスのお茶会へ」


 そして、イリスはフィオナたちに中へ入るように手を差し出した。


「よう、イリスちゃん」

「ホセ、久しぶりね。その制服、よく似合ってる」


 ホセは嬉しそうににっと笑った。


「ユアンも久しぶり。まさか本当に来てくれるとは思っていなかった」

「一度はルーベンスのお茶会に参加してみたいと思っていたしな。それに、友にお茶会の招待状が届いたのに連れてこないわけにはいかないだろう」


 ユアンはホセの肩に腕を回した。

 イリスはくすくすと笑う。


「その後、アルド王国はどう?」

「半年前に父が亡くなって、そのすぐあと兄上が王位を継ぐことが正式に決まった。最近はやっと落ち着いてきたな。来年には戴冠式がある。その時は改めて報告を兼ねた招待状をルーベンス国王へ送る」


 イリスは笑みを浮かべて頷いた。


 しばらく話していると、部屋をノックする音がした。


「イリス王女、ユアン王子。お茶会の支度が整いましたので、広間までご案内いたします」

「フィオナとホセは庭のお茶会で待っていて。私たちもあとで行くから」


 フィオナは頷いた。


 イリスたちと別れて、フィオナとホセは並んで廊下を歩いた。

 何度かこの城を訪れているフィオナにとって迷路のような廊下も慣れたものだ。

 迷うことなく庭に向かって歩いて行く。


「フィオナ姐さん、カルロスは?」

「さぁ? あたしも帰って来てから一度も会ってないんだ」

「今日、来るのかなぁ?」

「イリスはこのお茶会で再会する約束をしたと言っていたけど……」

「もしかしたら先にお茶会に出ているのかもな。あいつは毎年出ているんだろ?」


 ホセは菫色の瞳に笑みを浮かべた。


 一方、イリスとユアンは城の広間で行われているお茶会に参加していた。

 こちらも例年通り、ルーベンス国王夫妻と国の重鎮たちで机を囲む堅苦しいお茶会だ。

 和やかな空気のようで、時々、張り詰めた空気を感じる。

 話の矛先ははじめてお茶会に出席するアルド王国王子であるユアンに集中していた。


「ところでユアン王子はおいくつになられましたか?」


 ひとりの貴族の男が尋ねた。

 初老の白いひげを蓄えた男だった。


「十六になりました」

「そうですか、そうですか。イリス王女ももうすぐ十二歳。そうして並ぶと本当にお似合いのおふたりですね」


 白い毛が混じるひげを撫でながら男が言うと、辺りからも頷きや同意の声が聞こえてくる。

 ユアンは笑みを浮かべ、イリスは困惑したような顔をしていた。


「おや、イリス王女は照れていらっしゃるようだ。本当に可愛らしい」


 そう誰かが言うと、穏やかな笑いに包まれた。


「イリス、せっかくですから庭のお茶会にユアン王子をご案内なさい」


 イリスの隣に座る王妃が言った。

 イリスは頷き、立ち上がる。若葉色のドレスが揺れた。


「ユアン王子、よろしければご一緒いたしませんか?」

「ぜひご一緒させて下さい。イリス王女」


 ユアンも立ち上がり、イリスに手を差し出す。

 イリスはその手をとった。


 二人が席を立ったあとも、広間のお茶会ではイリスとユアンの話題で持ちきりだった。



 イリスとユアンは連れだって庭へと向かい、長い廊下を歩いていた。


「肩が凝った」


 ユアンは顔から笑顔を取り去って、肩を回している。

 イリスは小さく笑った


「それにしてもイリスはまだ十一だというのにもう婚姻の話か。ルーベンスの連中はずいぶんと気が早いな」

「ルーベンスでは十五歳で成人だから。王位後継者としても正式に認められるの」

「そうだったな。ということは、この国では俺ももう成人ということか。アルドでは十八で成人だからピンとこないな。

 ――イリスとはじめて会った時から、もう十年も経つんだな」


 ユアンがイリスに出会ったのは七歳の時だった。

 だが、それ以前からイリスの存在は知っていた。

 ルーベンス国王の第一子が女の子だったことで一番に婚約者として名が上がったのがアルド王国王子、ユアン・オールディスだったのだ。

 理由は歳が近いという、ただそれだけだった。

 そして、正式に婚約者として決まったのが七歳の時だったのだ。


 はじめて会ったイリスはまだ二歳。

 ルーベンスの王妃の足元にぴったりとくっつき、イリスは首を傾げるようにしてこちらを見ていた。

 ユアンはアルド国王に言われるまま手を差し出した。

 小さな紅葉のような手で握り返してきたイリスの不安げな様子は、今でも忘れない。

 そんなイリスもあと一カ月もすれば十二歳になる。

 今ではユアンを見上げるイリスの顔には親しみを込めた笑みが浮かんでいた。


 庭に出ると、そこはすでに多くの人で賑わっていた。

 庭の端に置かれた大きなテーブルには白いテーブルクロスが敷かれ、その上にはご馳走が所狭しと並んでいる。

 そして街人も遊牧民も関係なく楽しげに食事をしていた。


「おおーい」


 フィオナがイリスたちを見つけて手を振った。

 もう片方の手には山盛りのご馳走がのったお皿を持っている。

 フィオナはひとりだった。


「お待たせ!」

「ホセは?」

「知らない人と話しているよ」


 フィオナはホセを指差した。

 少し離れたところでホセは街の少年たちと話していた。

 まるで昔馴染みの友人と話しているかのように親しげだ。

 そして、イリスたちに気がつくとホセは少年たちになにやら話し、イリスたちの元へと駆けてくる。


「遅かったな」

「ホセ、あの人たちは?」

「ああ。クルトの街の子供らしい。なんでも今年はお茶会の参加者が多いんだと。イリスちゃんを見られるんじゃないかってね」


 ホセは小声で言った。

 イリスは困ったような笑みを浮かべる。

 今ここにイリスがいるとバレたら大騒ぎになりそうだ。


「あら、レイダじゃない」


 懐かしい偽名で呼ばれたイリスは振り返る。

 そこにいたのはブラウンのお下げ髪をしたダニエラだった。

 その横には弟であるコニーもいる。

 二人はイリスの正体を知ってからもずっとレイダと呼んでいた。

 ダニエラたちにとっても呼びやすく、辺りに気を使う必要がないからだ。


「ダニエラ! 来ていたの?」

「ええ。年に一度のお祭りだもの。まさかレイダに会えるとは思っていなかったけど」


 ダニエラは嬉しそうに笑った。


 それからイリスたちは木陰の下の芝生に座り、たくさんのことを話した。

 旅の思い出や旅を終えたあとの話など話題は尽きなかった。


 次第に日は傾きはじめ、人々は少しずつ庭を去っていく。

 気がつけば人はもう疎らだった。

 賑やかだったお茶会ももう終わりへと近づいていた。


「わたしもそろそろ帰るわね。家につく頃には暗くなってしまうから」


 ダニエラとコニーは立ち上がった。


「また林檎とりに行こう」


 イリスがそう言うと、ダニエラは微笑みながら頷いた。


 ダニエラとコニーは城門を出て行った。

 二人を見送るようにしばらく城門を見ていたイリスは小さくため息をついた。

 やはりカルロスの姿はない。

 半ば諦めたように視線を戻した時だった。


「あ!」


 フィオナが声を上げて立ち上がった。

 そしてホセも立ち上がり、二人は勢いよく駆けて行く。

 イリスは二人が駆けて行く先を見た。

 そこにいたのはオレンジの髪が印象的な少年――カルロスだった。

 イリスはゆっくりと立ち上がり、薄い茶色の瞳を大きくした。


「もう! カルロス、遅いじゃないさ!」


 フィオナはカルロスにむっとしたような顔を向ける。

 カルロスは苦笑を浮かべ、頭をかいた。


「悪かったよ。予定が遅れてしまったんだ」

「よう、カルロス。元気そうでなによりだぜ」


 ホセはカルロスの肩を軽く叩いた。


「ああ。お前も生きていてなによりだ」

「話したいことが山ほどあるぜ」


 ホセはにっと笑う。

 その人懐っこい笑顔は変わっていなくて、カルロスはほっとした。

 そしてカルロスはホセのその先に佇むイリスに視線を向けた。


「イリス……」


 名を呼ばれたイリスは若葉色のドレスを翻しながら駆けた。

 そして、カルロスの腕の中へ飛び込む。


「カルロス、会いたかった」

「俺もだ」


 カルロスはイリスをぎゅっと抱きしめた。


「遅いから心配した」

「……じいさんが死んだんだ」


 イリスははっと顔を上げた。

 カルロスの緑の瞳が悲しげに揺れている。


「エイブラハム様が? うそ……」

「一ヶ月ほど前のことだ。じいさんもイリスに会えることを楽しみにしていた」


 イリスはショックのあまり言葉が出なかった。

 口元に手を当て、その場に立ち尽くす。

 エイブラハムはイリスにとってひとりではないと教えてくれた恩人だった。

 イリスの瞳からぽろぽろと涙が溢れていく。


「イリス、泣かなくていいんだ。じいさんは言っていた。『死ぬことは人として生きている証拠』であり『人の未来が進みはじめた証拠』なのだと」


 カルロスはイリスの背を優しく撫でる。


「エイブラハム様にもう一度、お会いしたかった。お礼を言いたかった……」

「じいさんは目は見えなかったが、人には見えないものがよく見えた。イリスの想いもきっと見えていたさ」


 イリスは顔を上げた。

 その時、ひとつの風が吹いた。

 イリスのココアブラウンの髪を撫でるように揺らし、零れた涙を拭った。


 ――優しい風だった。


 イリスは空を見上げる。

 日は傾き、夜空と夕空のコントラストが綺麗な空だ。

 いくつか星が煌めいている。


「エイブラハム様……」


 イリスはそっと呟いた。

 白い瞳でイリスを見つめ、しわがれた手は優しかった。

 それを思い出し、イリスはまた涙を流す。


 人はいずれ老いて死んでいく。違う場所では新しい命が産声をあげる。

 そうして人は命を紡いできた。

 そして、それは時が流れるということ。

 イリスが取り戻した時は、今も流れ続けている。


 またひとつ優しい秋風がイリスの頬を撫でた。

ご覧いただきありがとうございました。

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