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それから馬車で三日ほど東へ走るとアルド王国屈指の港町、キンバリーへと辿りついた。
ここからは他国へ向かう船も多く、アルド王国の交易の要である。
それだけに商人も多く、賑わっていた。
町並みは石造りの家が目立つが木造の家もある。
風に乗って潮の香りが漂っていた。
イリスたちは港の船着き場へ向かい、ユアンにもらった出港許可証を見せる。
すると担当員が出てきて、丁重にもてなしながらイリスたちが乗る船へ案内してくれた。
その船は大きく、立派だった。
「すごいね」
フィオナは自分の背丈よりも何倍もある船を見上げた。
「ルーベンスへはどのくらいでつく?」
カルロスは案内してくれた男に尋ねた。
「順調に行けば三日ほどでしょうか」
カルロスは頷き、船を見上げた。
この船に乗り、航海を終えればルーベンスの首都クルトにある港だ。
旅の終わりは目前だった。
イリスたちは船に乗り、船室に案内された。
そこはユアンが用意してくれただけあって立派な船室だった。
ここが船の上とは思えない。
赤い絨毯が敷かれ、家具も置かれている。ベッドもちゃんとある。
「なんかさ、こうして三人だけっていうのも久しぶりだね」
「ああ。レオーネまでは三人だけだったのにな」
「うん。旅の大半は三人だけだった」
イリスたちは部屋に置かれたソファーに座り、しみじみと旅を思い出していた。
「ふふ。ホセ、王子の側仕えなんてできるのかな?」
「あいつは要領いいから、今頃もう馴染んでいるよ。きっと」
カルロスは口元に笑みを浮かべて言った。
「うん。私もホセなら大丈夫だと思う。きっとまた会えるよ」
イリスはホセを思い出しながら言った。
紺色の髪、菫色の瞳。そして人懐っこい笑顔。
誰とでもすぐに打ち解けられるようなそんな少年だ。
カルロスの言う通り、きっとうまくやっていくだろう。
ゆっくりと船が動き出し、ボリス海の大きな海原へと航海をはじめた。
イリスたちは船室の小さな窓から外を眺める。
港がどんどんと離れて、小さくなっていった。
しばらくしてフィオナに異常が起きた。
「うええ。気持ち悪いよぉ」
フィオナの顔は青ざめている。船酔いだった。
ベッドでぐったりと横になり、イリスが心配そうに傍についている。
「空飛びたいけど、こんなところで飛んだら注目の的だよ。おばあちゃんに怒られるぅ」
うわごとのようにそれだけを繰り返すフィオナにカルロスは苦笑した。
――最後の最後に災難なやつだ。
カルロスは最初にフィオナと出会った時のことを思い出していた。
フィオナはいつも人をおちょくるような言動をしていて苦手だった。
それに何を考えているのか全てを話してくれないフィオナに不信感を抱いたこともある。
けれど今では誰よりも信頼できる仲間だ。
常に冷静で、度胸もある。土壇場ではいつもフィオナは正しかった。
そして意外と仲間思いなところもある。
この赤毛の少女はカルロスに足りない所を補ってくれていたのだ。
――守護者
風の魔女はフィオナのことをそう言っていた。
たしかにそれはフィオナにぴったりの言葉だった。
カルロスはそう思い、フィオナに心の中で感謝した。
ちゃんとしたお礼は別れの時に言えばいい。
まだしばらくは心の中にしまっておくことにした。
船旅は順調に進み、男の言うように三日でルーベンス王国の首都、クルトの港についた。
船を下りたフィオナはまだ少しだけ顔が青いが、いきいきとした顔をしていた。腕を上に伸ばしている。
「やっぱ地上はいいね」
「でもまだ少し揺れている気がする」
イリスは苦笑しながら言った。
「あたしは西門から出るよ。カルロスはどうする?」
「俺は街で知り合いに会ってからじいさんたちを追うことにする」
「ダニエラとコニーに会うの?」
「ああ、そのつもりだ。イリスはどうする?」
「私も一緒に行く」
イリスは嬉しそうに微笑んだ。
「じゃあ、ここでお別れだ」
フィオナが言った。赤い髪を潮風に靡かせて微笑んでいる。
イリスはフィオナに抱きついた。
「フィオナぁ」
その声には嗚咽が混じっていた。
フィオナはイリスの顔を覗き込む。
「やだなぁ、イリス。またいつでも会えるよ。あたしはずっと迷いの森にいる」
そう言うフィオナの声も震えていた。
「もう、イリスが泣いたらあたしまで泣きたくなるじゃん。また会いにくるよ」
フィオナはイリスをぎゅっと抱きしめてから離した。
イリスは涙を流しながらフィオナを見上げた。
「絶対だよ? 私も会いに行くから」
フィオナは涙を浮かべながら微笑んだ。
それからフィオナはカルロスに手を差し出す。
「楽しかったよ。相棒」
「ああ、俺もだ」
カルロスは力強くフィオナの手を握る。そして口元に笑みを浮かべた。
そこでフィオナと別れ、お互い別の道を行く。
時折、振り返るイリスに対し、フィオナは一切振り返らなかった。
赤い髪を揺らし、手には樫の杖を持ち、まっすぐ前を向いていた。
イリスとカルロスは港を離れ、首都クルトを北へと歩いて行く。
街のはずれにある質素な木造の小さな家についた。
カルロスがノックすると女の子の声が返ってくる。
「どなた?」
「俺だよ。――カルロスだ」
カルロスが言い終わる前にダニエラが扉を開けた。
そしてカルロスを見て、その横にいるイリスを見た。
「ただいま、ダニエラ」
イリスが笑みを浮かべた。
その顔は旅をはじめた頃のイリスとは違い、しっかりと顔を上げていた。
「おかえりなさい」
ダニエラは嬉しそうに微笑んだ。
「お姉ちゃん、誰かきたの?」
家の中からコニーの声もする。
ダニエラが家の中を見て手招きした。
コニーは不思議そうに玄関までやってきて、それから目がこぼれ落ちそうなほど大きく開いた。
「カルロスとイリスだぁ」
そう大声で言った。
ダニエラは慌ててコニーの口元を押さえ、イリスとカルロスは慌てて辺りを見回した。
しかしそこには誰もおらず、ほっと息をつく。
コニーはダニエラの手の中でもごもごと言っていた。
「じいさんたちがどこへ行ったか聞いているか?」
「ええ。カルロスのおじいさんから伝言を頼まれていたの。だからちょうどよかったわ。おじいさんたちは南へ向かうと言っていた。今年は西へは行かず、南に滞在するって。そう言えば、カルロスには伝わると言っていたけど……」
ダニエラは少し不安そうだ。
しかしカルロスは満足そうに頷いた。
「助かった。それならすぐに合流できそうだ」
「すぐに出発するの? それともしばらくうちに泊って行く?」
ダニエラが首を傾げながら尋ねた。
「いや、すぐに出る。じいさんにも早く報告してやりたいからな」
「そう。時が止まった原因は分かったのね?」
「うん。もう大丈夫」
イリスが答えた。
ダニエラはほっとしたように胸に手を置いて息をついた。
イリスたちはダニエラの家をあとにして、今度は城へと向かう。
二人はお互いなにも話さなかった。
手をつなぎ、ただ一歩一歩城へと近づいて行く。
城門から少し離れたところで二人は立ち止った。
「カルロス、あなたがいてくれたから私は旅を終えることができた。本当にありがとう」
イリスはまっすぐにカルロスの瞳を見て言った。
草原のように爽やかな緑の瞳だ。その瞳が僅かに揺らぐ。
「イリスがやりとげたんだ。俺はその手助けをしただけだ」
イリスは首を横に振る。
「ううん。城から逃げる時、カルロスが手を引いてくれた。そうじゃなかったらきっと旅に出ることはなかったんだよ。風の魔女の言う通り、カルロスは私の『導き手』だったんだ」
イリスはそう言ってカルロスの手をとった。
まだ柔らかさを残したこの手がイリスに旅に出るきっかけをくれた。
「もう旅立ってしまうのね」
イリスがぽつりと言った。
「ああ、じいさんに会わなくては。だが秋には必ず戻ってくる」
カルロスは力強く言った。イリスはカルロスを見上げる。
その薄い茶色の瞳は潤んでいた。瞬けば涙がこぼれてしまいそうだ。
しかしイリスは微笑んだ。
「約束よ。きっと秋には戻ってきて。そしてまたお茶会で会うの」
「ああ。約束する」
そう言ってカルロスはイリスの頭を撫でた。
「じゃあな」
カルロスはイリスの背を押した。
イリスは城門へと向かって歩いて行く。
時折、イリスはカルロスを振り返る。
その度にカルロスは顎をくいっと動かして早く行けと促した。
やっと城門の前に辿り着いたイリスは、そこを潜ろうとして兵士に止められた。
「おい、娘。何用だ?」
イリスは兵士を見上げた。
「イリス・ド・バリー、ルーベンス王国の第一王女です。ここを通る許可が必要ですか?」
イリスは毅然とした態度で言った。
薄汚れた服を着て、ココアブラウンの髪は伸び放題だ。
けれど、その顔はたしかにイリス・ド・バリー、その人だった。
力強い薄い茶色の瞳で見据えられた兵士は目を大きく開いた。
「イリス王女……! おい、イリス王女が戻られたぞ。陛下に急ぎ報告しろ!」
兵士は向かいにいる同じく城門を守る兵士に言った。
その兵士は城へと駆けていく。
「イリス王女が戻られた!」
その声に反応するように、同じように叫ぶ者が次々と増えていく。
イリスは兵士を従えるようにして城へと戻って行く。
その途中でイリスは振り返った。
カルロスはもうそこにはいなかった。