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「なぁんもねぇな」
ホセが馬の上で手綱を握りながらつまらなそうに言った。
ダフネの街を出てから三日経つが荒野の景色は変わらない。
ダフネの街の男の言う通りであればそろそろ塔が見えてもおかしくない頃だ。
「三日って歩いて三日か? それとも馬車で三日か? それとも馬を飛ばしてか?」
ホセが独り言のように呟き続けている。
「さぁな。あの男が嘘を言ったのかもしれないし、そもそもあの男が持っていた情報が嘘だったのかもしれない」
カルロスは馬車の荷台に座っている。剣を腕に抱き、毛布に包まっていた。
その傍にはイリスが座り、その正面にはフィオナが座っている。
二人も毛布で身を包んでいた。
「嘘だとしたら戻ってとっちめてやらぁ」
「戻ってみろ。あの男をとっちめる前に、ダフネの街のやつらに八つ裂きにされるぞ」
「言えてらぁ」
ホセは笑いながら言った。それから荷台を振り返る。
「フィオナ姐さん、ちょっと空飛んで様子を見てくれよ」
「何もないって。塔って言っていたじゃん。ここから見えなきゃ、まだまだ先だよ」
そう言いながらもフィオナは立ち上がり、杖を箒に変えた。
そしてふわりと飛び上がると急上昇した。フィオナは北を眺める。
「おお?」
フィオナが黄金の瞳を大きく開いて声を上げた。
「なにか見えたか?」
カルロスは立ち上がり、フィオナを見上げた。
フィオナは慌てた様子で荷台に降り立つ。
そして興奮したように大きな身振り手振りで話した。
「この先こーんな大きな穴があって、そこになにか建っているよ!」
「塔か?」
カルロスが尋ねた。
「それは分かんない。けど高い建物みたいだ」
フィオナの答えにイリスはほんの少しだけ落胆した。
しかしこの先になにかあることは分かった。それだけでも大きな収穫だ。
それから二時間ほど経って、四人はフィオナの言っていた大きな穴の前に立った。
その穴はとても大きく、深かった。
その中にすっぽりと収まるように高い塔が建っている。
穴から家の一階分ほど頭を出していた。塔は白く、屋根は赤い。
「これが荒野の魔女が住む塔?」
イリスが穴を覗きこみながら言った。
その穴は半球を描くように傾斜がついている。
「行ってみれば分かるはずさ」
カルロスもイリスの隣でおそるおそる穴を覗く。少しだけ腰が引けていた。
フィオナはそんな二人のうしろに立ち、頭のうしろで手を組んでいる。
「でも、どうやって塔に入るのさ?」
「穴を下りるの?」
イリスは辺りを見回し、下りられそうな場所かあるか探した。
「いや、この穴を下るのは無理だろう」
「だよなぁ。転がり落ちちまう」
ホセは荷物を背負い、フィオナの隣に立った。
四人は困惑顔で穴の中を見つめた。
イリスが塔を見上げると、屋根の少し下にドアがあることに気がついた。
「ねぇ、あそこ。ドアがある」
「本当だ。けど、あんなところにあったら空を飛ばなきゃいけないよ」
そう言ったフィオナに視線が集まった。フィオナの口元が引き攣る。
「やだ、やだよ! ドアを開けたらなにがあるかわかないのにひとりで行くなんて!」
フィオナは首を横に振って慌てて言った。
「あのドアから入れるのか見てきてくれればいい」
「フィオナ姐さんなら大丈夫だって!」
カルロスの真剣な眼差しとホセの乗せるような言葉にフィオナは「うっ……」っと言葉を詰まらせる。
「お願い、フィオナ」
イリスがフィオナの袖を掴んで言った。
イリスの薄い茶色の瞳で見つめられてフィオナはしぶしぶと頷いた。
フィオナは空を飛び、そのドアの前まで行った。
深呼吸をしてからドアノブに触れようと少し高度を下げる。
それと同時に、足に何かが当たった。
「うん? なんだ?」
フィオナは足でそれを確認する。
最初はちょんちょんと右足のつま先だけで触れる。
そのあと右足をついてみた。すると見えない床のようなものを感じた。
おそるおそるそこに立ってみる。
「フィオナ姐さん、すごいな! 箒を使わなくても飛べるのか!」
ホセが目をまん丸くして驚いている。フィオナは振り返った。
「まさか。箒がなくちゃ飛べないよ。ここになにかあるんだ。見えないけど床みたいなのが」
フィオナはその場に跪き、手で確かめる。
そこは人がひとり歩ける幅があった。
フィオナは慎重にイリスたちの方へ歩いて戻ってくる。
その見えない橋はちゃんとドアと崖とを繋いでいた。
ホセもフィオナが歩いてきた橋を手で確認する。
「本当だ。フィオナ姐さんの言う通り、なにかあるぜ。どうなってんだ?」
「よかった。これであのドアまで行けるね」
イリスが嬉々として言う横でカルロスは顔を青くしていた。
ホセとフィオナが先に橋を渡りはじめる。
やはりなにも見えず、宙を歩いているようだ。
見下ろせば穴の底がよく見える。
イリスはカルロスの手を引いた。
「私たちも行こう」
「まだ死の谷の吊り橋の方がましだった……」
カルロスがぽつりと呟いた。
一番前にいるホセが振り返った。
「開けるぜ?」
ホセはゆっくりとドアを開けた。
塔の中は薄暗く、壁に沿うように螺旋階段がずっと下まで続いている。
明かりは一定間隔に壁につけられたランプだけだった。
塔の底を見下ろすとオレンジの光がぽつぽつと暗闇に浮いている。
「うえー。一番下が見えないよ。どこまで続いているんだろう」
フィオナが嫌そうな顔を浮かべている。
四人が塔の中に入ると、ドアがひとりでに閉まった。
外の明かりがなくなり、足元でさえよく見えない。
「いたっ!」
「あ、わりぃ、カルロス。踏んだのオレだ」
「ちょっとホセ、押さないでよ」
「わりぃ、フィオナ姐さん」
「きゃあ」
「わりぃ、イリスちゃん。大丈夫か?」
フィオナは杖を翳した。
杖の先に光が集まり、辺りがほんのりと照らされる。
そこにはイリスは壁に背を当て、ホセがそんなイリスに抱きつくような形で立っていた。
カルロスがホセの服を掴んで引き離す。
フィオナはホセに杖を突きつけていた。
二人とも今までに見たことがないほど怖い顔をしている。
「いや、いや! 誤解だから! よろけただけだから!」
ホセは顔の前で手を振って弁明した。そしてフィオナの杖を見る。
「フィオナ姐さんのお陰で明るくなったな」
「けどまだ暗いよね」
フィオナの周りは明るいが、少し離れるとその明かりは届かない。
階段は二人並べるほどの幅しかない。
「私もできる。少し待って」
イリスは目を瞑って手を前に翳した。
なにもない場所から光が生まれ、次第にランプの形を象った。
これで明かりの確保はできた。
先にフィオナとホセが、あとからイリスとカルロスが永遠と続くかのような螺旋階段を下りていく。
この先に荒野の魔女がいるのだろうか。期待と不安が胸を過る。
イリスは隣にいるカルロスの腕を掴んだ。その手は小さく震えていた。
「大丈夫だ。俺たちがついている」
そんなイリスの手にカルロスは手を添えた。
「ホセ、うしろでなにやらイチャついているよ」
「そうだね、姐さん。オレたちもイチャついとくか?」
「遠慮しとくよ」
フィオナとホセが淡々とした口調で話した。
「お前ら、無駄口叩いてないでさくさく下りろ」
カルロスは呆れたように言い、イリスがくすっと小さく笑った。
――そうだ、ひとりじゃない。
イリスはそう思いながらカルロスを見上げる。
緑の瞳が優しく微笑んでいた。
どのくらい階段を下りただろう。
時間の感覚のない、暗いこの塔の中では二時間経ったのか、半日経ったのかさえ分からない。
四人はひたすら階段を下り続けた。
階段の終わりにはひとつの扉があった。その周りに壁はない。
ただ木でできた扉だけがぽつりとそこにあった。
その前で四人は立ち止まる。
イリスはドアノブを回してドアを開けた。
光が溢れて視界が白くなる。イリスは眩しそうに瞳を細めた。