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時の守人  作者: 冬木ゆあ
4.うそつき少年
11/21

 ホセは耳元で小袋を揺らして音を確かめる。

 満足そうに笑った。


「待って!」


 うしろから少女の声がした。

 ホセはとっさに振り返る。

 そこにいたのはイリスだ。

 十歳くらいの少女がたしかな足どりで追ってきている。

 ホセはぎょっとして走るスピードを上げた。


 イリスは何度も転びそうになりながら必死にあとを追った。

 森で弓矢の訓練をして、この一カ月半という期間を歩いた。山も越えた。

 イリスの脚力はそこらの十歳の少女とは比べ物にならない。

 ホセのあとを離れることなくついて行く。


 この地域は雪が降るため、雪が積もらないように屋根には傾斜がつけられていた。

 滑り落ちないようにバランスを取りながら走るのは至難の業だ。

 すぐに二人の顔には疲れの色が見えはじめた。


「おい、お前。危ないから戻れ!」


 ホセが振り返って言った。

 イリスは首を振る。


「お願い! 返して」


 イリスの必死の叫びが月明かりが降り注ぐ街に響き渡った。

 ホセはちっと舌打ちをする。

 手にしていた小袋を懐にしまった。


 ――オレだって好きでこんなことしているんじゃない。


 ホセは苦々しく顔を歪めて思った。


「きゃあ」


 背後でイリスの小さな悲鳴が聞こえ、ホセは立ち止った。

 慌てて振り返ると、イリスは転んでいた。

 しかし滑り落ちることはなかったようで屋根にへばりついている。

 ホセはほっとした表情を浮かべてまた走り出した。


「ま、待って!」


 イリスの声が聞こえた。

 ホセは顔だけで振り返る。


「うわっ」


 自分の小さな悲鳴が聞こえ、体を打ちつける感覚が全身を走った。

 滑り落ちながらとっさに近くにあるものを掴もうともがいた。

 体が宙に浮いたと同時になにかを掴んだ。

 閉じていた菫色の瞳をおそるおそる開ける。

 視界に映ったのは果てしなく遠くにあるように見える地面と宙に浮く足だった。

 顔を上げれば、屋根の縁を掴む手があった。


 ――くそ。


 ホセは必死に屋根に上がろうとするが、寒さで悴んだ手では力が入らない。

 落ちないようにするのが精一杯だった。


 ――ああ。オレの人生もここまでか。


 ホセの気持ちが諦めに傾きはじめた。

 とはいえ屋根の縁を掴む手にはまだ力が籠っている。


「オレも相当諦めが悪いようだ」


 そう呟いた。

 しかし限界が近いのか手が震えはじめている。

 最期の悪あがきにもう一度手に力を籠めた。

 その時だった。

 眼前に黄金の光が溢れ、小さな手が伸びてきたのだ。


「掴まって!」


 少女の声がして手首を掴まれたのが分かった。

 黄金の光がおさまるとそこにいたのは自分を追いかけて来ていた少女――イリスだ。

 ホセは目を見張る。


「離せ! お前まで落ちるぞ」


 イリスは苦しそうな顔をしながら首を横に振っている。

 片手は屋根に差した黄金の槍を掴んでいた。


「離さない! だって落ちたら死んじゃう」

「オレが死んだところで悲しむやつはいない。でもお前は違うだろう?」


 イリスははっとしたようにホセを見た。

 薄い茶色の瞳が戸惑いの色を浮かべている。


「そんなことない。だって……あなたを知っている人はいるでしょう? きっと悲しい。私だってあなたが死んだら悲しいもの」


 イリスのホセを掴む手に力が籠った。

 ホセは菫色の瞳でイリスを見上げていた。


「そうだな。イリスの言う通りだ」


 少し離れたところから声がして、走る足音も聞こえた。

 イリスがそちらを見ると、そこにはカルロスがいた。

 カルロスはイリスの横に膝をつきホセの手を掴む。

 イリスとカルロスの二人でホセを引き上げた。

 三人は屋根の上に息も絶え絶えの様子で座り込んだ。

 カルロスは背後に手をついて夜空を見上げている。


「なにが、どうして、こうなった?」


 カルロスが隣にいるイリスに尋ねた。

 イリスは屋根に手をついてうつむいていたが、カルロスへ顔を向けた。


「そう言うカルロスこそ。どうしてここに?」

「イリスの声が聞こえて目が覚めた。しかしイリスはベッドにいないし、部屋のドアは開いたままだし、廊下の窓が空いていて外を見てみればイリスが屋根の上を走っているじゃないか。慌ててあとを追いかけた。間に合ってよかったよ。

 ――で、なにがあった?」


 イリスはカルロスの問いに答えず、屋根の上で仰向けに寝そべっているホセを見た。


「イリス?」


 何も答えないイリスにカルロスはもう一度尋ねた。

 ホセが肩をすくめながら起きあがり、懐から小袋を取り出してイリスへ投げた。


「返すよ」


 イリスは慌ててそれを受け取って大切そうに胸に抱いた。

 カルロスがイリスの手の中にあるものに気がついて目を見張った。


「それ俺たちの!」

「へへっ。大切なもんは寝る時も肌から離しちゃいけねぇよ」


 ホセはにっと笑って言った。

 カルロスはホセに掴みかかる。


「まぁまぁ、お兄さん。そんな怒んなよ」

「ふざけんな! お前のせいでイリスまで危険な目に遭わせやがって」


 カルロスは怒りを露わにして怒鳴った。

 ホセはイリスに目を向ける。


「悪かったな。お嬢さん」


 菫色の瞳がまっすぐにイリスを見ていた。

 イリスは小さく頷いた。


「それでさっきの黄金の光はなんだったんだ?」


 ホセが尋ねた。

 イリスとカルロスがぎょっとして顔を見合わせた。


 三人は屋根を伝い、廊下の窓から宿屋に戻ってきた。

 部屋に入るとフィオナがこちらに背を向けて座り込んでいた。

 フィオナの耳がぴくりと動いて勢いよく振り返った。

 駆けてきたフィオナをイリスが抱きとめた。


「フィオナ?」

「お、置いて行かれたのかと思ったじゃん! どこに行っていたんだよー!」


 フィオナが半泣きで言った。

 イリスとカルロスが顔を見合わせる。


「ごめんね、フィオナ」


 そして何があったのかを話した。

 フィオナの顔がみるみる険しくなる。


「で、どうしてこいつがここにいるのさ」


 不機嫌そうな顔でフィオナが尋ねる。

 イリスがフィオナに顔を寄せて小声で言う。


「助けた時に魔法を使ったの。それを見られて……」


 フィオナが呆れたような顔をした。


「使う時は気をつけなきゃ」

「うん、ごめん」


 イリスが申し訳なさそうに言った。

 フィオナがイリスの肩をぽんぽんと優しく叩く。


「少年」


 フィオナがホセの前に立った。


「いいかい? あんたが見たのは魔法だよ」


 イリスとカルロスがぎょっとした顔でフィオナを見た。

 ホセも目を丸くしている。


「魔法って……おとぎ話の魔女が使うあれか?」

「そうだよ。あたしたちはその魔女だ。あんたを助けてやるために使った。けど、実際は人前で使うことは禁じられている。他言したら地の果てまで追いかけて燃やすからね」


 フィオナの黄金の瞳が妖しく光った。

 ホセは顔を青くして何度も頷いた。


 ――フィオナならやりかねない。


 カルロスはそう思って苦笑を浮かべた。

 ホセがイリスに近寄り、耳打ちする。


「この赤髪のお嬢さん、こえーな」


 イリスがくすっと笑った。


「で、お兄さんたちはどこへ向かっているんだ?」


 ホセが尋ねた。


「北の荒野へ行こうと思っている」

「そういや犯罪やらかして逃げているんだっけ?」

「なんだって?」


 カルロスが驚いたように聞いた。

 さらに驚いたのがホセだ。


「廊下で言っていたじゃないか」


 カルロスは首をかしげたが、「ああ」と思いたしたように言った。


「俺たちは逃げているわけじゃない」

「どうかな? イリスを誘拐したことになっていたら、カルロスは追われているんじゃないかな?」

「は、はぁ?」


 カルロスが慌てたように言った。

 フィオナは口元に手を当てて笑っている。


「カルロス、もうルーベンスには帰れないね」

「いや、そんなことにはなっていない……はずだ」

「どうかなー」


 楽しそうに笑うフィオナにカルロスは赤い顔で反論しようとぱくぱくと口を動かす。

 しかし言葉にならず次第に青ざめていく。


「言われてみればイリスと逃げるところを見られているよな……」


 カルロスが青い顔でぽつりと言った。

 それにフィオナが慌てた。


「落ち込まないでよ! 悪乗りしすぎたよ! ごめんよ。

 ――でも、ほら、なにか言われたらあたしもちゃんと庇ってあげるから」

「私もカルロスに誘拐されたんじゃないって言うよ」


 イリスもカルロスに言った。


「お前ら……」


 カルロスが緑の瞳に涙を溜めて嬉しそうに微笑んだ。


「でさ、なんで北の荒野に行くんだよ」


 三人の感動劇など気にもせずホセが言った。

 カルロスは赤い顔で咳払いをする。


「北の荒野の魔女に会いに行くんだ」

「へぇ」


 ホセの菫色の瞳が輝いた。


「だが、死の谷を越える方法が分からなくてな。レオーネで情報収集をしようと……」

「オレ、知っているぜ」


 ホセがあっけらかんと言った。

 イリスたちが目を丸くしてホセに視線を向ける。


「どうやって越えるんだ?」

「案内してやるよ」


 カルロスの質問にホセがにっこりと笑って言った。

 そしてホセは手をパンと叩く。


「さて、話が纏まったところで行きますか」

「え? まだ外は暗いけど」


 フィオナが外を眺めながら言った。

 ほんのりと白く霞みはじめているが、まだまだ夜が明けるには時間がある。


「お前ら、まさか本当に銅貨五枚で泊れると思ってないよな?」


 ホセが驚いたように三人を見る。

 イリスたちは戸惑いの表情を浮かべてお互い顔を見合わせた。

 ホセが重いため息をつく。


「安い価格で客を呼び込んで夜中にこっそり金目のものを盗み出すように言われているんだよ。もし失敗してもオレが勝手に言ったってことで銀貨三枚は取られる」

「この宿全体がグルなのか?」

「そうだよ。だからこの時期なのに部屋が空いてんだよ」


 カルロスが頭を抱えた。

 ホセがその背中を叩く。


「世の中うまい話にはなにかしらあるんだ。勉強になったな」

「お前が言うな!」


 カルロスがホセの手を払った。

 フィオナが呆れた顔でホセを見る。


「なんだってこんなこと……」

「生きるためだ」

「生きるため?」


 イリスが聞いた。

 ホセは菫色の瞳をイリスに向ける。


「オレは生まれた時にはひとりだった。親の顔は知らない。死んじまったのか、オレを捨てたのかは今となっては分からない。そんな子供が生きるために手段を選んでいられるか。

 ――親方は悪いやつかもしれない。それでもオレを雇ってくれた恩人に変わりないんだ」


 ホセの言葉に迷いはない。

 イリスはホセを見つめたまま黙った。

 ホセはふっと笑ってイリスの頭を撫でた。


「あんたが気にすることじゃないし、理解する必要はないさ。

 ――さて、そろそろ親方が起きちまう。行こうぜ」


 ホセに促されてイリスたちは荷物を手にしてあとに続いた。

 ついた先は廊下の突当たりの窓だった。


「なんか俺たちが悪いことをしているみたいだな……」


 カルロスがぽつりと呟いた。


 屋根に降りて、壁に伝うパイプに掴まりゆっくりと下りて行く。

 そこは馬小屋だった。

 馬がイリスたちに気がついて鳴いた。

 イリスがしっと口元に指を当てる。


 カルロスのうしろにイリスが乗り、フィオナとホセもそれぞれ馬に乗った。


 朝靄が白く立ち上り、わずかに空が明るくなりつつある。


「衛兵が寝坊してなきゃ、そろそろ開門するはずだぜ」


 ホセが先導するように馬を歩かせている。

 背後からカルロスが尋ねた。


「いいのか? 親方に挨拶しなくて」

「いいの、いいの。別れの挨拶とか白けちまう。また会う機会があったらどこかで会うだろうし」


 ホセの軽い言葉とは裏腹に表情は少しだけ寂しそうだ。


「どこまでついてくる気なの?」


 フィオナが呆れたように言った。


「そこのお嬢さんには借りがあるからな。借りを返すまではつきあうぜ。それにお前ら、騙されやすそうで不安だ」

「お前が言うな」


 カルロスがまた呆れたように言った。


「そう言えば自己紹介がまだだったな。オレはホセだ」

「俺はカルロス。うしろにいるのがイリスだ。そんでそっちの馬にいるのがフィオナ」


 カルロスが簡単に紹介した。

 イリスは微笑み、フィオナは悪い笑みを浮かべる。


「ホセ。あんた、また悪さしたら……分かっているよね?」

「はい。フィオナ姐さん」

「その呼び方……」


 フィオナは満面の笑みを浮かべてぐっと親指を立てた。

 幼く見えるフィオナにとって目上のように扱われるのは嬉しいことのようだ。

 カルロスは苦笑いでそれを見ていた。


 外壁の門はホセの言うように既に開いていて、イリスたちは問題なく街をあとにした。

 カルロスは先を走るホセに尋ねる。


「それで死の谷を越えるにはどうしたらいい?」

「ああ、ここから東に一日ほど行ったところに橋があるよ」


 ホセはそうあっけらかんと言った。

 カルロスの眉がぴくぴくと動く。


「お前がついてきた意味があるのか?」

「ああ。北の荒野とか楽しそうじゃん」


 ホセが菫色の瞳を細めて笑った。


「帰れ。お前を養ってやる金はない」

「まぁまぁ。ここまで来てそれはないって。旅は道連れ、世は情けってな」

「お前が言うな」

「兄さん、頼むよ。仕事に失敗したなんて親方に知られたらボコボコにされちまう」

「……それが本音か」


 カルロスがまたため息交じりに言った。

 イリスがカルロスのうしろでくすくすと笑っていた。

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