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アルモノガタリ
作:弐乃菜子


「僕が人殺しであることを証明して欲しいんです」

 K県の最南端より少しだけ北より。都心まで電車で1時間半のところにY市がある。
人口は45万人、駅周辺はそこそこに賑やかで、少し離れれば山と海が広がる地味目な観光地として半端に繁栄した中都市。
そのY市のほぼ真ん中にあるのがI町。他に形容しようがないくらいの閑静な団地地帯。
元々山だった場所を切り崩して作った町の為、町の始まりから最後まで全てが坂になっていて、初めて訪れた人は必ず文句を垂れるのが当たり前。
若者には駅までバスで15分かかる事や、町内にコンビニが一軒もないことで大不評。
 年々町の若者が減っている、典型的な地方の町を体現したこの地にある唯一の喫茶店。
『アウローラ』。
 主にケーキを売りとしているがランチ時には軽食も出す喫茶店で、店内は中世ヨーロッパ風のアンティークで統一されている。
内装もメニューもこ洒落た感じをしていて、女性に人気そうではあるのだが常に閑古鳥が鳴いている寂しい店である。
それでも開店から7、8年ほど経っているあたり一定の収入はあるのだろう。
今までは三十前後のマスターだけで切り盛りされていたのだが、最近可愛いウェイトレスが入ったという噂が流れ、それを確かめる為にこの店を利用するのが、近隣の男子中高生の静かなブームとなっている。この場合、静かなブームというのは結局、流行っていないという意味である。
 そんな店のカウンターに、この静かなブームに乗せられてしまったのか、一人の男高校生が座っている。
 注文はまだしていないようで、彼の目の前にはお絞りと水とカウンター内に備品のようにいるマスターしか出されていない。
 噂のウェイトレスは水とお絞りを出した後、店の入り口付近で何をするわけでもなく立ったままだった。
 その少年の視線は噂どおり可愛かったウェイトレスに向いておらず、どころかメニューすら見ていない。
 それだけで彼が異質な客である事がわかる。
 これで鼻息が荒かったり、ちょっと異常行動を取ったら間違いなく通報コースである。
 その少年は出された冷水を一口飲むと意を決したように、目の前で明らかに接客する気が感じられないマスターに向かって、こう言った。

「僕が人殺しであることを証明して欲しいんです」

 そんな意味不明の事をいきなり言われたら聞き流したり、適当にあしらったりするのが普通だろう。
 そもそもここはただの喫茶店であり、高校生が自分の願望を告げたのは、ただの喫茶店のマスターなのだ。
 人殺しの証明なんてオーダーは、当然メニュー表には載っていない。
 ――しかし、
「ん? ああ、いいよ」
 マスターはテレビの録画を引き受けるような気軽さで、あっさりと頷いた。
「ほ、本当ですか!?」
 がばっとカウンターから身を乗り出す高校生に、マスターは首でメニューを示す。
「うん、嘘はつかないよ。でもその前に注文してくれる?」
 その応対は完全に接客業失格である。
「ど、どうやって?」
 男子高校生の視線は両手に持ったメニューではなく、マスターに釘付けだった。
「そんなの簡単でしょ。今から人を殺せば良い。それで、注文は?」
 マスターは極々普通に言った。
 完璧に。
 完膚なく。
 疑いのないくらい。
 嘘のないくらい。
 平然と日常会話をする感じに。
「何だったら、そこにいる子を殺してもらっても構わないけど?」
 マスターは入り口付近に立つ、ウェイトレスの少女を見て言った。
 ウェイトレスの少女がマスターを睨むのとほぼ同時に、少年はがっかりしたように肩を落として言う。
「……違うんです。そうじゃないんです」
「?」
「僕は人殺しであることを証明して欲しい。そして、僕が殺したいのはこの世でたった一人だけなんです」重く糸を吐くような声で少年は言った。
「は? ならその人を今からでも殺してくれば良いだけだろ?」
 マスターの台詞に少年は苦しそうにかぶりを振った。
「どういうこと? 意味がわからないから、わかりやすく言ってみてくれる? ……と思ったけど、ちょっと待って」
 マスターに静止されて、少年は眉を顰める。
「何でしょうか?」
 既に自らの壮大な物語を話す態勢に入っていた少年は、出鼻をくじかれる形になった。
 マスターはそんな少年の心境を完膚なきまでに無視し、
「その前に注文が先」と言った。
「……じゃあホットコーヒーで」
「かしこまりました」
 カウンターの奥からコーヒーの芳醇な香りが漂い始めた。
 暫くして注文の品が目の前に置かれると、少年はとりあえずそれを一口飲み、苦味に顔をゆがめると語りを再開した。
 ゆるゆると。
 とつとつと。
「僕は一人の同級生の女の子を殺しました」
 そして苦々しい顔のまま続ける。
「いや正確には殺す予定だったんです」

            *

 ありきたりで、
簡単で、
どこにでもあるような話だ。
 (さかき)(しょう)()は実の彼女、倉本(くらもと)あずさを屋上に呼び出して、ごく普通に暴行を加えたそれだけだった。
 別に二人の仲が不仲だったわけではない。
現に二人は、去年の文化祭でベストカップル賞などというものをもらうくらい、仲睦まじかった。
 それは内にいつも秘めていた衝動。
 翔太はあずさの事が大好きだった。
 愛していた。
 狂おしいほどに。
 苦しくなるほどに。
 でももしかしたらあずさは、いつか自分以外の人間を好きになってしまうかもしれない、という危機感。
 常に持っていた忌避。
 だから誰の手にも渡したくなかった。
 ただただシンプルな独占欲。
それだけだった。
「明日絶対来るから」
 あずさは体の痛みによって上手く表情を作れなかったが、それでも歪に微笑んで頷いた。
 猿轡をされ、手錠をされ、手足を折られ、額から血を流し、口から血を吐き出し、今すぐにでも病院で治療を受けなければ一日持たないほどに体中を痛めつけれて尚、あずさは翔太を信じていた。
「だからここでじっとしていてくれよ」
 しかし翔太はそんなあずさの思いを一切知らない。
知ろうともしていないし、それどころかあずさが微笑んで頷いたのは、自分を安心させようとする為の作戦だとさえ思っていた。罠だと思っていた。
 疑い。
 信じず。
 疑わず。
 信じる。

 二人の思いは永久に平行線のまま。

 次の日、翔太は当然のように屋上に行かなかった。

 それでもあずさは翔太を待っていた。
 来ないことがわかっていても、心から信じていた。

 翔太はいつも通り登校し、いつも通り授業を受け、いつも通り下校した。
 まるで屋上のあずさの事を忘れてしまったように。
 事実、翔太はこの日あずさの事を全く考えていない。
 考えようともしなかった。
 翔太の中で次にあずさの事を考えるのは、あずさの死体が発見された時だけだ。
 そう決めていた。
 次の日も、翔太は当然のように屋上に行かなかった。
 いつも通り登校し、いつも通り授業を受け、いつも通り下校した。
 次の日も、次の日も。
 
 それでもあずさは翔太を待っていた。
 それがすでに事切れた死体であろうとも。

 そしてあずさを屋上に放置してから1週間が経ち、翔太はあずさを思い出した。
 あずさの死体が発見されたのである。
 発見者は俗に言う不良と呼ばれている少年2人だった。
 少年2人は1週間ぶりに学校に登校し、職員室に侵入、屋上への鍵を入手し、タバコをふかす為に屋上へと向かった。
 その時の少年2人は勿論、屋上に死体があるだなんて夢にも思っておらず、何だか変な臭いがするな、と考えた程度だった。

「何か臭くねぇか?」
「下水の臭いでも上がってきてるんじゃねぇの。これから雨降るみたいだし」
「うぇ、マジで?」
「マジで、だから雨降る前に吸いに行こうぜ。ほれ鍵開けろよ」
「おう、待ってろ」
 ガチャリ、とやや錆付いた鍵が開く音。
 わけもなくニヤリと笑う少年2人。
 鍵を開けたほうがそのままノブを回し、ドアを引く。
「ん、なんか重てぇ」
「パワー不足なんじゃねぇの」カカカと片方が笑う。
 笑われた少年はムキになって扉を思い切り引っ張った。
 勢い良く内側に開かれる扉。
 その扉には見るも無残な少女の死体が貼り付けられていた。
「ひっ」
「ひゃあ」
 間抜けな声をあげた少年2人は、次の瞬間に大声で悲鳴を上げ、その場にへたり込む。
そして、「せんせぇ! せっせんせぇーーー!」と絶叫して教師を呼ぶ。
いくら不良といっても少年には変わりなく、この状況で助けを求める相手は大人である。
15秒ほど叫ぶと、今度はその場から立ち去ろうと試みるも、腰が抜けて立てない2人。
仕方ないので4つん這いで歩き階段を降りようとする。
その間も彼らは叫び続ける。
この現実から連れ去ってもらう為に助けを呼ぶ。
「しぇしぇんせーー! 誰か誰か来てくれーーーーっ!」
「誰かーー!! 誰かーーーっ!」
 片方が腕を滑らせて階段から転げ落ちる。
 それを見てもう片方が、同じ移動方を試みる。
 彼らは一刻も早くこの場から離れたかった。
 転げ落ちた痛みを忘れ、
のそのそと震える体で、
震える声で叫んでいると、
漸く、
時間的には5分とかかっていないが少年たちから見れば本当に漸く、ドタドタと叫び声を聞きつけた教師が数名駆けつけた。
 教師たちは少年2人の錯乱振りに驚き、
「おくじょぉ、おくじょぉにぃ」と片方の少年が言ったのを聞き、1人の教師が屋上を見に行く。
「ひぃっ」
 その教師はソレを見ると慌てて階段を下り、同僚の教師にすぐに警察を呼ぶように指示を出した。

 榊翔太による倉本あずさの暴行、監禁から1週間後、倉本あずさは死体となって発見された。

             *

 それだけの話ならそれで終わりだ。
 どこにでもありふれるただの殺人事件だ。
 しかしそんなありふれた話で終わるはずがない。
 それは朝が来て夜が来る事よりも確定的で確信的だ。
 なぜならここは、
『アウローラ』。
 全能だった一人の少女の名前を冠した、喫茶店なのだから。

             *

「でも発見されたあいつは……」
 死後3ヶ月以上が経過し、腐りかけていた。
 少年は思い出したようにコーヒーを一口飲んだ。
 やはり苦そうな顔をした。
 そんな少年の告白に対しマスターは、
「ふうん」とつまらなそうに相槌を打っただけだった。
「……驚かないんですか? 僕が人殺しでも」
 少年は今の話を聞いても、全く動じないマスターに問う。
「うん」マスターはすぐに頷いた。
「別に驚くほどの事じゃないからね。この世の中で、今現在人を殺したことがある人間が、人殺しだと呼ばれる人間が、一体どれほどいると思う? とんでもない数だよ。君なんてその膨大な数のたかが一つでしかない。もし自分が凄いことをした、自分は特別だ、なんて思っているとしたらその考えは捨てた方が良いよ。忠告というよりも警告かなこれは。君なんて、特別でも凄くもない、ただ一人のちっぽけな人間でしかない。だから君から『自分は人殺しです』、何て告白されたところでオレは全く驚かないよ。その程度の事でいちいち反応していたら、人は驚いているだけで人生を終わっちゃうだろ」
「……」
 ウェイトレスが『呆れた』と『胡散臭い』と『死ね』、をブレンドしたような、微妙な表情をしてマスターを見ていた。
 マスターはその視線を軽々と受け止める。
 まるでその視線など100年前に耐え切ったとでもいうように、ニヒルに笑いながら。
「それに、えっと死後3ヶ月経っていたんだっけ? だったら別に良いじゃないか? 結局そのあずさちゃんて子は死んでるんだろ? だったら別に良いだろう。君の目的の一つは達成出来たんじゃないのかい? 
だったら――、
 それでお仕舞だ。お終いだ」
 なぜかマスターは2回言った。
もうこの話に興味をなくしたように適当に。
 その態度に少年が湯を沸かしたように激高した。
「そうじゃない! あいつが死んだだけじゃ駄目なんです! あいつがどんな悲惨な死に方で、あいつがどんな無残な死に様で、あいつがどんな不思議な死体でも!

……僕が殺したことにならなくちゃ駄目なんです」

 少年はそう小さく呟くと、徐々に冷静さを取り戻して続ける。
「僕がこの手で殺して、
僕が殺したことになる事で、
僕があいつの人生を終わらせることで、
初めて僕はあいつの全てを独占できるんです。
そうそれこそが愛。
僕から贈ることが出来る最高のプレゼント!」
 またもや感情が高ぶる少年。
「ふうん」
それを心底つまらなそうに、冷たく相槌を打つマスター。
実際、マスターにとって少年の話は大変退屈でつまらなく、正直どうでも良いことだった。
 少年はそんなことお構いなしに進める。
「でもあいつは僕の愛を受け止めてくれなかった。……いや、受け止め切れなかった。だから死んで3ヶ月なんていう姿で発見されてしまったんです」
 僕の愛が大きすぎたから。
 彼女の器から溢れて、壊して、結果、彼女自身を侵食してしまった。
「そうさ、そうに決まっている! じゃなきゃこんな事っ――」

ありえるはずがない。

 少年の言葉にマスターは溜息をつく。
「でも実際起こっている事なんだろ? だったらありえない、なんて簡単に口にするもんじゃないと思うけどね。事実ありえたんだから」
「ありえない、ありえない、ありえないですよっ! だって殺してから1週間後に発見されて、死後数ヶ月なんてありえないでしょう!」
 少年は頂点までヒートアップし、最後にマスターに同意を求めた。
 しかしそれに対してマスターの返答は冷ややかで、完全な否定だった。
「この世にありえない事なんてないんだよ」
 マスターは馬鹿にしたように、口元を歪めて続ける。
「事実、それは既に起きたこととして、世界に刻まれているんだから」
 それが当然の事であるように。
「だから少年。この場合はその事実をありえないと否定するんじゃない、ありえてしまったこととして肯定する事から始めるべきだろう」
 まるで世界の全てを知っているかのように。
「なっ何を言っているんですか、あなたは!」
 当然、少年はマスターの言っていることを理解できない。
 それはいきなりそんな話をされて戸惑っているというよりも、それに同意してしまう事を恐れるようだった。
 もし同意してしまえば、自らの信じてきた世界が崩れてしまうといわんばかりに。
「まだわからないかなぁ。本当に面倒になってきた」
 マスターはそんな少年の態度を、もう何度も見てきた光景のように一瞥して、実に嫌そうに呟き、店の端で2人の様子を眺めていたウェイトレスの少女に手招きした。
「ちょっとこっちに来てくれる」
 トコトコとマスターの方に近づく少女、その歩みが3歩進んだところで、店内に轟音が響いた。
 音に一瞬遅れて少女の体が弾け飛ぶ。
 少女が腹を鮮血で染めて壁に叩きつけられた。
 何が起きたのか理解できていない少年がマスターを見ると、マスターの手には轟音を発した音源が握られていた。
 ボルトアクションのスラッグ専用、ショットガン。
 銃口から硝煙の臭いと薄っすらと見える煙。
「ふう」
マスターが何事もなかったかのように銃を仕舞う。
 マスターの行動を見終わった直後、少年は漸くこの現実離れした現状を把握すると、同時に襲ってきた恐怖によって震え始めた。
 しかし本当の恐怖と現実離れはこの後だった。
「ひいっ」少年が小さく悲鳴をあげる。
 そこには、たった今散弾銃でぶち抜かれたはずの少女が不機嫌そうに立っていた。
 死ぬこともなく。
 平然と。
「いったぁい。いきなり何するのよ。あーあ、この服結構気に入っていたのに」
 少女はごく普通に、それは急にデコピンでもされた程度の怒り具合でマスターに抗議する。
「あはは、悪い悪い。でもいきなりじゃないと君、避けちゃうでしょ」
 マスターも友人同士でじゃれあった直後のように適当に謝る。
 それを呆然と何かが崩れるような音を聞きながら、少年は震える。
 なんだこいつら。
 ありえないありえないありえない。
 否定の言葉で脳内を埋め尽くす。
 そして、この場から今すぐ逃げるようにと本能が脳に命令するも、体が恐怖によって動かない。

 がらがら。
 さっきから何かが崩れる音が聞こえている。
 がらがら。
 がらがら。
 徐々に音が大きく、激しくなる。
「わかったかい?」
 がらがら。
 がらがら。
 がらがら。
 全てを見通しているようなマスターの瞳と目が合う。
 その金色の瞳が物語る。
 これが現実だ。
 ありえない事なんてありえない。
 薄く笑うマスター。
 がらがら。
 がらがら。
 がらがら。
 がらがらがらがら。
 一際盛大な音を立てて、崩壊の音は鳴り止んだ。
 そして、
 少年の今まで信じてきた世界が、
 壊れた。

 ナニかの崩壊の音が鳴り止むのと同時に、マスターは言った。
「君を人殺しだと証明するチャンスをあげようか?」
「え?」
「君はその彼女を殺すことで、それを世界に認めさせる事で、彼女を独占したいのだろう?」
「……はい」
「それを解決する方法はなくもない」
「どっどうやって?」
 半ば茫然自失気味だった少年は、マスターの言葉に吸い寄せられるように瞳に光を戻していく。
「倉本あずさを、もう一度殺せば良い」
「そっそんなことできるんですか?!」
「ありゃ、知らないんだっけ? そりゃまずいな。てっきり知ってて言ってるのかと思った。うーん。知らない人間に教えるのは、本当はルール違反なんだけど。……まあ良いか。ただの喫茶店のマスターでしかないオレに、真っ先にあんな頼み事をしてくるあたりで君はもう壊れているから、ギリギリセーフだろ。それに君がここに来た事には、意味があるのだろうしね」マスターは何かを自己完結させると、深々とお辞儀をしながら言う。
「じゃあ改めて紹介しようか」
マスターは人の悪そうな顔をして、何かを見下げ果てたようにいった。
「ようこそ、「『何でも屋』へ」
 ぽかーん、と馬鹿みたいに口を明けている少年の表情を見て、満足そうにマスターは、くくくと笑う。
 理解が追いついていない少年に、理解させる間を持たせずにマスターは言う。
「OK、君の望みはわかった。君の願いを叶えよう」
「えっ!?」
 喜びで飛び出してきそうな少年を、待ったのポーズで制止させる。
「ただし報酬はいただくけどね」
「もっ勿論! 僕の家の財産全てでも構いません。もし本当に願いが叶うのなら、もう一度完全にあいつを殺せるのなら。どんなものでも差し上げます!」
「よろしい。その言葉に偽りはないね?」
「はい!」
「それなら今回の願いが叶った暁には、オレは君から『人生最高の幸福』を戴こうかな」
「『人生最高の幸福』? そんなものどうやって? もしそんな事が出来たらそれは奇跡じゃないですか」
 ここまで来ておいて今更、馬鹿みたいな質問をしてきた少年を、マスターは嘲笑う。
「奇跡なんて安いもんだ。奇跡と呼べるものなんて、毎日どこかで必ず誰かに起こっていることなんだから。少なくとも世界には、総人口分の奇跡が転がっているといっても過言ではないね」
「……どうしてそう言い切れるんですか?」
「だってそうだろう? もし奇跡なんてものが宝くじの一等みたいに、野球の新人王みたいに、特定の、または選ばれた人間だけにのみ降りかかるものだとしたら、それはとても悲しい事じゃないか。もし世界が本当に非情なのだとしたら、人は悲しむだけで人生を終えてしまうよ。でも人の人生は、悲しみだけに染められているわけじゃない。何故なら、人には命の分だけ人生があるのだから。これは奇跡といっても良いね。ほら、奇跡なんて今この場に存在するほどに安いものだろ」
 マスターは実に邪悪に優しく笑って続ける。
「じゃあ、依頼は受諾したから帰って良いよ。もうコーヒーも空だろう?」
 そう言われて、少年が自分のカップを見ると、いつの間にかコーヒーは空になっていた。
 少年は、「それじゃあお願いします」と頭を下げると、コーヒー代を置いて去っていった。

                *

少年がコーヒー代を置いて去ると、散らばった自分の肉片やら何やらを嫌そうな顔をして片づけをしながら、別の服に着替えたウェイトレスがマスターに質問した。
「ねえ、良いの?」
「何がだい?」
「今回の依頼を受けて」
「ああ、勿論。何か不満でも?」
「だってさ、今の願いを叶えるって事は」
「前の依頼内容と被るって話かい?」
「うん。矛盾していない?」
「いいや、矛盾していない」
「どうして?」
「報酬の問題だね。思い出してご覧」
「えっと、前の子は命、今の子は幸福でしょ」
「そうだ。別のものだろう?」
「……それってかなり屁理屈だと思うけど」
 マスターは嬉しそうに微笑んだ。
「そこまでわかるようになったのか。嬉しいもんだ」
「そりゃ、これだけ一緒にいればあなたの性格なんてわかるよ。でも考えていることはわからない」
 だって、それじゃあ意味ないじゃない。
 少女は悲しそうに言った。
 無意味とは少女が一番忌避する言葉だ。
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないね」
マスターは意地悪そうに口元を緩め、タバコに火をつける。
「どっちでも良いってこと?」
「まあ簡単に言えばね。オレは願いを叶えるけど、その後のアフターケアまではしない、というか出来ないからね。それに前の子の報酬は前払いで、もうもらっちゃったし」
「……じゃあ今の子の依頼、受けなければ良かったじゃない」
 マスターは首を横に振る。
「それは出来ない」
「なぜ?」
 不思議そうに首を傾げる少女。
 マスターはそれを眺めて奇妙な気分になる。
 良くもまあ、ここまで自然に振舞えるようになったものだ。
 それが感傷であろうと感慨であろうと、他人が見れば不思議な心境である。
 まるで、少女が自然に振舞うことが不自然とも言うような。
 少女が不自然に振舞うことこそ、自然と言うような。
 その感情を押し込み、マスターは少女の問いに答える。
「なぜか、と聞いたね。それは簡単さ」
 マスターは大げさに、この状況、その仕草を少女に教えるように、言う。
「ここが『何でも屋』だからさ」
「……たったそれだけの理由?」
 少女は半目でどこか見下げたように言う。
「それは違うよ。って、ああ、理由の事じゃなくて、君の反応のことね。この場合は、『あれだけ大げさに手振りして、たったそれだけの理由かよっ』とがっかり、もしくは呆れるところだ」
「……わかった。覚えた」小さく頷くウェイトレス。
「よろしい……でだ、やっぱり理由はそれだけだよ」
「ふうん」
 どこか不服そうな顔をする少女。
 その反応をマスターは満足そうに見て、
「納得できてないみたいだね?」と言う。
「うん。何かいまいち」
「じゃあ詳しく説明しよう。オレは説明キャラじゃないから、上手く出来ないと思うけどね」マスターは言い訳がましく前置きしてから続ける。
「ここはある特定の人にとっては、この店は全ての望みを叶える『何でも屋』になる。ある特定の人。それは簡単にいえば、全ての望みを叶える『何でも屋』、なんていう胡散臭い店を頼ってくる人間の事だね。そんな人間の望みを叶えてあげる事が、オレの罪に対する罰だ」
「……でもあの子は、ここが『何でも屋』だなんて知らなかったわ」
「うーん。だからちょっと今回のケースは特殊かな。普通ここに来る人は、最初から知っていてこの店に入ってくるはずなんだけどね。多分、前の依頼と内容が被ったから、この店の存在を知ることは出来なかった、けれども彼は順番が違っただけで、元々ここに来る事が決まっていたんだろう。だから彼は初めて会ったしがないおっさん手前のオレに、いきなり願い事を口にしたんだ。つまり彼は既に人の世から剥がれ落ちている。壊れていると言った方が近いかな? そういう人に手を差し伸べるのが、今のオレの……この喫茶店の仕事だよ。とはいっても特定の人以外には、この店はどこからどうみても寂れた喫茶店だし、オレの本業もその通り喫茶店の店主のつもりだけどね」タバコを灰皿でもみ消す。
「本業? え? ちょっと待って、そもそもこの店って、『何でも屋』なんでしょう?」
 ここって喫茶店だったの? 
 ウェイトレスの少女は首を傾げる。
「……今まであれだけウェイトレスやっといて、ここが喫茶店であることをわかっていなかった君に完敗だな。……ああ、そうかまだ君は、この店の外観を見た事なかったのか。これはオレの手落ちだ」
 マスターは自分に乾杯。と自分専用のカップに注がれたコーヒーを傾ける。
「そうだね、そろそろ外に出ても大丈夫だろうから、ちょっと見てきてご覧」
「え、良いの? わかった」
「店からあまり離れないように」
「うん」少女は初めての外出にわくわくしている。
「あなたは行かないの?」
「オレは店の外には出られないから」マスターは肩をすくめた。
「そう。ならちょっと見てくる」
「ああっと、ちょっと待って」
少女が店の出入り口のドアノブに手をかけたところでマスターが声をかけた。
「何?」少女は早く外に行ってみたくてたまらないらしく、散歩待ちの子犬のようである。
「ついでだから店の前を掃除してきて」
 マスターが箒と塵取りを少女に投げてよこす。
「……」
 一気にテンションの下がる、少女。
 彼女は掃除が何よりの苦手科目で、既に嫌悪感さえ見え初めているくらい嫌いなのだ。
「嫌いなものを好きになれとは言わないけど、やらなきゃいけないことはやりなさい。まあ良いじゃないか、外に出れるんだし」
 それでトントンだろ、と意地悪く微笑むマスター。
「ぐう」と少女は女性としてどうなのか、というようなうめき声を上げて、一瞬悩んだようだったが外に出る魅力には勝てなかったようで、結局で入り口に歩き出した。
 それをみてマスターは注意しようと思ったが、まだ彼女が女性というような年齢でもないのでやめておいた。
 カランカラン、という音を上げて少女は嫌いな掃除用具を持って初めての外に出た。
 その後ろ姿は、初めての外に戸惑いながらも、よくわからない理由で尻尾だけ振っている子犬のようだった。
 マスターはそんな事を夢想し、一人で笑うのだ。
 彼女の船出に乾杯。
 マスターは二本目のタバコに火を点けた。

                *

 次の日、少年が目を覚ますと携帯に表示される日付が1週間、正確には少年が倉本あずさを殺害した日まで戻っていた。
 少年は訝しんで、テレビで日付を確認したり、親にも日付を確認したが、やはり日付は1週間戻っていた。
 そして、何がなんだかわからない頭のまま学校に行き、倉本あずさの姿を認識して、全てを理解した。
 ああ、もう一度チャンスが来たのか。
 そして、少年は今度こそと、前と同じ時間、同じ手順で倉本あずさを屋上に呼び出し、暴行を加えた。
 ただし前を違うのは、前と違い半端ではなく完璧に倉本あずさの息の根を止めたことだ。
 倉本あずさの骸を見下ろして、少年は呟いた。
「心から僕は君を愛している。ちゃんと殺せてよかった」
 少年が幸せそうな顔をした瞬間に、彼の頭にどこかの喫茶店のマスターの声が響いた。
「これで二つ目の依頼は完了したね。さてと、一つ目の依頼に取り掛かろうかな」
「え」
 それはありえない光景だった。
 たった今。
 たった今、完膚なきまでに殺したはずの、
 倉本あずさの死体が、
 動いていた。
 動いて、自分の首を絞めている。
「んーーーんーーー」
 恐怖と動揺で暴れる翔太。
 しかしいくら暴れても翔太の首から、あずさの手が離れることはない。
 なんで。
 なんでなんで。
 なんでなんでなんでなんで。
 なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで。
 なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで。
 今、
 殺したはずの、
 あずさが生きている。
ありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえない。

ありえない。

 暴れる。
 ひたすら暴れる。
 殴る。
 あずさの顔を腕を殴る。
 好きだった顔。
 好きだったの人の顔。
 蹴る。
 あずさの腹を脚を蹴る。
 好きだった体。
 好きだった人の体。
 殴るが、
 蹴る、に変わり。
 蹴るが、
 ひっかく、に変わり。
 ひっかくが、
 悶える、に変わり。
 悶えるが、
 死体に変わった。

 薄れ行く意識の片隅で、少年の耳にあるフレーズが聞こえた気がした。

「言っただろ、ありえない事なんてありえないって」

 ああ、そうか。
 これが、現実。

「報酬は確かに戴いたよ。 
榊翔太からは、『人生最高の幸福』を。
倉本あずさからは、『命』を。
これで二つの依頼は完了だ。
 榊翔太は、自身の手による倉本あずさの殺害を。
 倉本あずさは、最高に幸福な顔をした直後の榊翔太の独占を。
それじゃあ、二人ともお幸せに」

 それから3ヶ月後、K高校の屋上で腐りかけた死体が発見された。
 それはこの世界しか知らないものから見れば、それだけの話。
しかし前の世界を知っているものが見れば、別の話。
二つの世界には2つの違いがあった。
発見された死体は1つでなく2つ。
死後数ヶ月経過した男女の死体だった。
2つの死体は折り重なるように、
抱き合うように、
片方は驚愕の表情。
片方は至福の表情。
願いは叶ったのだ。
それぞれ大切なモノを失うことで。
命と幸福。
少女と少年。
願いを叶えたいのが常に一人とは限らない。

追伸。
前の世界では、屋上で1人の少女の遺体が発見された後、一人の少年が失踪している。
ただそれだけの物語。

                              了


お読み頂きありがとうございます。
衝動的に書いてみた作品です。ですのでどこかおかしな部分があるかもしれません。

一応この作品だけでも完結していますが、裏設定としては、今執筆中の作品のノーマルエンド後といった感じでしょうか。なのでジャンルはファンタジーにしました。
こんなん書いてる暇あったら本編進めろよ、って突込みが聞こえてきそうです。はい。すみません。
でもまあ気が向いたら、またこんな感じの短編を書くつもりです。
本編で活躍する前に消えた人達のとかですね。案はいくつか頭にあるので。
執筆速度が遅いのでいつになるかわかりませんが、気長にお待ちください。

それではありがとうございました。













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