デートインザコーヒーショップ
「デートインザトラベルプラン」の続き。有子が延々警察からフルボッコされるだけの話です(待
高校の通学路、その途中にある喫茶店は、放課後には学生で賑わう場所である。
しかし、さすがに朝は客もまばらである。通勤前のサラリーマンが数人、せっせとモーニングを摂っている姿が見られる程度である。
その喫茶店に、警部の鹿屋警悟と、山下という鹿屋の部下が入り込む。そして、高校通学途中に呼び止められた加藤有子が後に続く。
暖房の効いた暖かい空気の店内は、冷たい風が吹き荒れる外とはえらく居心地が違う。
「いらっしゃいませ」
店主が人数を確認すると、鹿屋が「三人だ」と指を三本立てる。窓際の四人席に案内されると、鹿屋とその部下が席に着き、有子はその正面に座るよう促された。
有子は何回か友達と来たことがあり、店のことはよく知っている。しかし、まさか四十代の刑事とここでデートする羽目になるとは思ってもいなかっただろう。
店員がオーダーを聞くまでも無く、鹿屋がホットコーヒーを三つ注文する。そしておもむろに胸ポケットに手を突っ込んだが、
「おっと、高校生の前でタバコはまずいか」
すぐさま突っ込んだ手を抜いた。
「本当は放課後のほうが良かったのだろうが、なかなか時間が取れなくてね」
授業があるのにすまないね、と鹿屋はまず有子に謝罪した。
「あの事件から一週間が経ったのだが、少しは落ち着いたかね」
「ええ、なんとか」
「まあ、クラスメイトが亡くなられたのですからね。ショックなのは分かります」
小さな喫茶店の店内に、淹れたてのコーヒーの香りと、トーストの焼ける匂いがあたりに充満する。その香りを楽しむ暇も無く、鹿屋は続ける。
「ただ、我々としても、この事件を早く解決したいのです。辛いでしょうが、少しの間、協力していただきたい」
その言葉を聴き、有子も遠慮しがちにうなづく。鹿屋は「まあまあ、相手が警察だからと言って固くならずに」と有子をリラックスさせようと試みているが、なかなか警察の前となると緊張するものである。
さて、と鹿屋が話を始めようとした時、店員が注文していたコーヒーを運んできた。それを、それぞれの前に配膳する。コーヒーのよい香りが、じかに嗅覚に訴えかける。
隣の部下が必死に砂糖とミルクを大量に投入しているのを尻目に、鹿屋は出されたコーヒーを一口だけ口につける。
「おい山下、コーヒーの前に、メモの準備をせんか!」
「あ、はい」
鹿屋に怒鳴られ、山下はあわててかばんから手帳を取り出す。
「では、まずは最初の事件の被害者、佐藤有子さんの話を聞かせていただけますかな」
一週間前の土曜日、加藤有子と同じクラスメイトであった佐藤有子は、動物園前の駅のトイレで何者かに刺殺された。目撃者は誰もいず、金目のものが奪われていたことから、警察では物盗りの犯行だろうと考えている。
「ユッコ――佐藤有子さんは……」
「ああ、あだ名でかまわないよ。君も有子さんなのだから、わかりやすいほうがいい」
「ユッコは、私のクラスメイトで、親友でした。一年のときから同じクラスで、いつも一緒に話をしていました」
鹿屋と有子のやり取りを聞きながら、隣で山下が必死にメモを取る。
「佐藤さんは、どういう方でしたか?」
「そうですね、とてもおとなしくて、どちらかというと一人でいるのが好きなタイプでした」
「では、あなたが佐藤さんと親友になったきっかけは何ですか?」
「私はもともと、いろんな人と仲良くなりたいって思っていましたから、いろんな人に声を掛けていました。ユッコにも、同じ有子という名前だから、それをきっかけに声を掛けたんです」
そこまで言うと、有子は目の前のコーヒーを手に取り、口に運んだ。鹿屋も釣られて、コーヒーに口をつける。
「他に、佐藤さんと仲がいい人はいませんでしたか?」
「さあ、どうでしょう。たしかに毎日話はしていましたが、ずっと一緒だったわけではありませんから。ユッコにも、他に友達がいたのではないでしょうか」
「なるほど」
ふむ、と鹿屋は腕を組み、何かを考える素振りをした。隣で山下も同じポーズをとっていたが、恐らく何も考えていないだろう。
「最近、佐藤さんに変わった事とかありませんか?」
「変わった事、ですか」
手に取りかけたコーヒーを、有子は一旦コースターに戻す。
「そうですね、二年生になってからは彼女、少し明るくなったと思います。一年のときは、あまり自分からいろんな行事に参加するタイプじゃなかったんですけど、二年生になってからはクラスの行事にも、自分から手を挙げるようになっていました」
「ほう、それはやっぱり」
コーヒーを飲みながら話を聞いていた鹿屋は、それを聞いてコーヒーカップをコースターに戻した。
「あなたがいたからでしょうか」
「それは分かりませんけれど、何かいいことでもあったんじゃないでしょうか」
「何かいいこと、ねぇ」
しっくりこない有子の言葉に、鹿屋は何かさっぱりとしない表情を示す。
「誰かに恨まれたとか、嫌われていたということは?」
「それは無いと思います。そういう子じゃないし、そもそもあまり人と接点を作ろうとしていませんでしたから」
「なるほど。そうですか」
時々、鹿屋は山下のほうをちらりと見る。のんきにコーヒーを飲んでいた山下が、鹿屋の視線を感じるとあわてて手帳にメモを取り始めた。
時計を見ると、もうそろそろ一限の授業が始まろうとしている時間帯に差し掛かっていた。
「では佐藤さんについては最後になりますが」
一息つき、鹿屋は続ける。
「佐藤さんを最後に見たのは、いつ、どこでですか?」
鹿屋の言葉を聞き、有子は佐藤有子と最後に過ごした時間を思い浮かべた。
一緒に下校し、電車にのり、動物園の前の駅で一緒に降りるそして――
「ユッコを最後に見たのは、先々週の金曜日の十九時ごろ、動物園の駅前でした。部活が終わって一緒に帰っていたのですが、そこから帰る道が違うので、そこで別れました」
「そうですか。とても貴重な証言、ありがとうございます」
そういうと、鹿屋は自分の胸ポケットから手帳を取り出した。数ページめくると、そこで手を止める。
「実は、佐藤有子さんの死亡推定時刻も、金曜日の午後十八時から二十時ごろだとのことだったのですよ。その目撃証言が正しければ、佐藤さんはあなたと別れた後、何らかの理由でトイレに行き、誰かに殺された、ということになります」
「……そんな、あの後に……」
鹿屋の話に、有子は下に俯き震える。
「ちなみに、遺体が発見されたのは午後十二時。目撃者はトイレの清掃を担当していた女性。掃除をしようとしていたところ、一番奥の個室がほとんど閉じていた状態になっていて、携帯電話が鳴りっぱなしだったので様子を見に行っていたところ、発見したそうだ。ドアが閉まっているところには向かいませんから、発見が遅れたんだろうね」
淡々と説明される現場の状況。有子はその状況を想像しただけで、少し気分が悪くなっていた。
「……っと、少し気分が悪いようだが、大丈夫かね? 少し休憩をしようか。私はトイレに行ってくるが、君は?」
「いえ、私は……」
そうですか、と鹿屋は席に立つと、奥のトイレに入った。山下はコーヒーを飲み干すと、お替りを頼んだ。
少し緊張が解けたのか、有子は深く息をつく。時計を見ると、既に一限の授業も三分の一が終わろうとしているところだった。
鹿屋がトイレから戻ってくるまでの数分が、少し長く感じられた。
有子は今まで聞かれたこと、答えたことを思い返してみる。そうして、改めて佐藤有子はこの世にはいないということを実感していた。
もし誰もいなければ、その椅子にもたれかかって天井でも眺めていただろう。が、目の前には刑事の山下がいるので、あまりだらしのない姿は見せられない。コーヒーを一口飲むと、両手を膝に乗せて少し俯いた。
もっとも、当の山下はコーヒーを持ってきた店員と何故か楽しそうに話しており、有子のことは気にしていない様子である。
トイレから出てきた鹿屋がそれに気が付くと、「そんなことしてないで仕事しろ」と山下に一喝をいれ、席に戻った。
「さて、続けようか」
鹿屋は再び山下にメモを取るよう指示すると、コーヒーをゆっくり口にした。少しぬるくなっていたのか、一度口から話、カップの中を覗く。
「次は、田上健二君の話を聞きたいのだが、田上君とは面識は?」
動物園前の駅のトイレで見つかった遺体が佐藤有子であったことが分かった、一週間前の月曜日。今度は、二年六組の田上健二が校庭で血まみれで倒れている姿が発見された。警察の調べによると、屋上から転落して、頭を強く打ったらしい。
「あまり他の人には話していないのですが……」
有子はすこし口ごもり、一瞬視線をはずした。そして、再び視線を鹿屋に向ける。
「健二君は、私の恋人でした」
「ほう」
鹿屋と山下は、意外だという顔を見せた。すかさず、山下が手帳にこのことを書き込む。
「付き合い始めたのは、いつぐらいから?」
「去年の一月、今くらいでしょうか。私が健二君を呼び出して、告白したんです」
「そうですか」
鹿屋も、胸ポケットの手帳にメモを取る。
「実は、あなたと佐藤さんが親しい仲だったというのを、他の生徒さんから聞いて、しばらくあなたのことを観察させてもらったのだよ」
「え、尾行してたんですか?」
「ああ、すまないね。しかし、ずっと見ていても、落ち込んでいたり、何か考え事をしている素振りしか見せなかったのでね。なるほど、そういうことだったか」
鹿屋は何かを納得したように、繰り返し頷いている。
「しかし、クラスメイトに加えて、恋人まであんなことになってしまうとは、相当ショックだったでしょうね」
「ええ、しばらくは何も考えることができませんでした」
特に健二のことがあった次の日の火曜日は、有子はなんとか学校には行ったものの、気分が悪くて早退をしていた。
「その、何だね、二人が付き合っていることを知っているのは?」
「あまり広めたくなかったので、友達数人にしか話していません」
「佐藤さんには?」
「ユッコには、話しました。親友ですから」
「なるほどね」
健二の話になってから、有子は少し落ち着きがなくなっていた。心を落ち着かせるために、コーヒーを一口飲む。
「そうそう、ここだけの話なのだが」
鹿屋が少し体を乗り出して呟く。
「田上君、公には死亡したことになっているのだが、現在意識不明の重体で病院で入院中なんだ」
「えっ?」
思わず有子は、飲んでいたコーヒーを手放しそうになる。
「冗談だよ。びっくりしたかな」
はっはっは、と鹿屋は笑うが、有子は手にしたコーヒーカップをテーブルに乱暴に叩きつけた。
「からかわないでください。何でそんなこと言うんですか?」
「すまないすまない、でも、一度死んだと言われた大切な人が生きていたと知ったら、嬉しいと思わないか?」
「そりゃ、そうですけれど……」
先ほどの衝撃でこぼれたコーヒーが、テーブルを伝って制服に滴りそうになる。それを有子は紙ナプキンでふき取りながら言う。
「ちなみに、田上君を最後に見たのは?」
「あの日の朝ですね。一緒に登校して、玄関で別れました。その後のことは、健二君の友達に聞いたほうが早いと思います」
「たしかに。朝礼が終わった後、彼が教室から飛び出していくのを、多くの生徒が目撃しているね。つまり、このときに屋上に向かっていたわけだ」
鹿屋は手帳を見ながら、健二の行動を説明した。
「それにしても、佐藤さんと田上君の関係がどうもうまく繋がらないのだ。我々は田上君が、佐藤さんの事件と何か関係していると思っているのだが」
「もしかして、生徒手帳、ですか」
「その通り」
健二の制服のポケットには、何故か佐藤有子の生徒手帳が入っていた。何故入っていたのか、警察は今でもその理由を捜査している。
「生徒手帳には、佐藤さん本人の指紋と、田上君の指紋、そして、他にも何人かの指紋がついていたんだ。多分この指紋の持ち主の誰かが、事件と関係しているのではないかと思っているのだが」
「多分」
鹿屋の説明に、有子が割り込む。
「私の指紋もあると思います。ユッコとは、生徒手帳をお互い見せ合ったりしてましたから」
「ほう」
「それに」
さらに有子は続ける。
「指紋って、手袋とか付けたら付かないんじゃないでしょうか」
「確かにそうだね」
鹿屋はふぅ、と息をつくと、手帳を閉じた。
「しかし、だとすると、田上君が佐藤さんの生徒手帳を何らかの方法で手に入れ、持ち歩いていたということも考えられる。やはり佐藤さん殺害の犯人を、物盗りの犯行に見せかけるために、生徒手帳をいっしょに……」
「健二君は、そんなことができる人じゃないですよ。常に他の人のことを考えて、優しく接してくれる人ですから。それに」
残り少ないコーヒーを飲み干し、有子は続ける。
「それなら、田上君のアリバイを調べればいいんじゃないですか? たしか、その日は部活があって、部活が終わったらまっすぐ家に帰っているはずです。彼の家は高校の近くですから、電車に乗ることもありえませんし」
「たしかにそうだな。一応、調べてみるか」
そういうと、鹿屋は手帳にメモを施した。手つきを見る限り、あまり字は上手ではなさそうだ。
「さて、大体聞きたいことは聞けたし、新しい事実も分かった。ご協力、感謝します」
鹿屋は山下と共に、有子に一礼すると、すっと席を立ち、会計に向かった。しっかり、「領収書を」という声が聞こえた。
鹿屋が会計を済ませている間、山下は有子に外に出るように促す。店内にはほとんど客がおらず、店員がせっせと掃除をし始めていた。
喫茶店の外に出ると、冷たい風が有子たちを襲う。一応制服の下には何枚か着ているものの、それでも足元だけはどうにもならない。
「我々は署に戻って、田上君のアリバイを調べてみるとする。あなたは、これから授業に出るのだよね?」
「ええ、とはいっても、一限は中途半端な時間ですから、二限からになりますけれど」
通りは人通りが少なく、閑散としている。高校生の登下校の時間以外は、いつもこんなものだ。
「そうだ、何かわかったことがあったら、私の携帯に連絡して欲しいのだが」
「だったら、私の連絡先も教えておきます。赤外線通信はできますよね?」
そういうと、有子と鹿屋は、お互い赤外線通信で電話番号を交換した。山下も交換しようとしたが、鹿屋から「お前は必要ない」と止められてしまった。
「では、また新しいことが分かったら教えるから」
「あの」
立ち去ろうとする鹿屋たちに、思わず有子は声を掛ける。
「二人を殺した犯人は、この学校にいると思いますか?」
その言葉に、鹿屋は振り向いて答える。
「どうだろうね、物盗りという線がある以上断定はできないが、佐藤さんと関係がありそうなのは、この高校の生徒だからな。もう少し調べてみる必要がある」
「そうですか」
そういうと、有子は「失礼します」と言って一礼し、ゆっくり高校に向かって行く。
それを見届けると、鹿屋たちも乗ってきたパトカーに足を進めた。
「二人を殺した、か。田上君の件、調べなおしたほうがいいかもな」
「そうですね」
鹿屋と山下はパトカーに乗り込むと、エンジンを掛けて警察署へ向かった。