幻妖帝国〜グリウスの章・青き黎明の灯火(4/27)PDFで表示縦書き表示RDF


幻妖帝国〜グリウスの章・青き黎明の灯火
作:暁さくや



第一章・運命の萌芽 3


「ああーやっぱりいいなあ」
 シャオンは寝具の上に横になり、大きく伸びをした。
 寝台が二台と小さな机が配置されただけの狭い部屋だったが、シャオン達には十分だった。昨日は狭い洞穴の中で座って眠ったのだ。それを思えばまさに天国だ。
 ひとしきり伸びをした後、隣の寝台で黄金の髪を器用に編んでいる相棒を見た。
 美貌の青年は悪びれた風もなく外套を壁に掛け、寝支度をしている。
「しかし、今に始まったことじゃあねえけど、ウェルって怖ぇよなぁ」
「なにがです?」
「この宿の主人と知り合いだなんて嘘だろ? 神官だとか、上手いこと言って、結局タダ飯食って部屋まで用意させたじゃねえかよ」
「嘘とは心外ですね。私は知り合いだと言った覚えもありません。知っている宿があると言ったじゃありませんか」
 シャオンはウェルがあまりにさらりと言うので二の句が告げなかった。
「ちょうどあの老婆が足を見て欲しいと言い出してくれて助かりました」
「あの婆さんの足は治ったのか?」
「さあ、どうでしょうか」
 ウェルは秀麗に微笑むと、暖かな寝具の中に入った。
 シャオンは苦虫を噛み潰す思いだった。一度でいいから、この減らず口と説教癖を何とかしてやりたい。そうすればさぞかし気分がいいだろうと思った。
 シャオンはウェルに背を向けて寝具の中に潜り込んだ。
 脳裏に食堂での様子が浮かんでくる。
 無償で治療する。
 その言葉は食堂にいた者達の視線を一斉にウェルへと向けさせた。そこへ杖をついた老婆が歩み出たのだ。ウェルのかざした手が、老婆の杖を不要の物に変えるや、あっという間に行列ができた。
 シャオンもウェルの使う聖術のことは知っている。
 聖術は、世界を構成するすべてのものに宿る聖霊達の力を借りた呪術のようなものだ。
 火を操ったり、水を操ったりするだけでない。聖霊を動かせばどんな事もできるとウェルは教えてくれた。
 ただ、聖霊を見ることの出来る人間はわずかしかいない。一国に数人という希少さですらある。その力を借りて術を使うとなると、さらに稀なことになるだろう。聖術を使う者は聖霊と交わるが故に自然と神道へ進む者が多い。しかし、神官になるための学府は難関である。が、ウェルがそこを出たのかどうかを、シャオンは知らなかった。
 今の世では、神官といえば国を治める王に次いで尊敬されるべき地位だ。彼らは神の声を聞き世界の祭事を一手に引き受け、医術にも通じる。難関である学府を出なくては、例えいくら金を積もうが地位をひけらかそうが、神官になる事は出来ない決まりなのだ。
 シャオンはウェルのことを考えるうちに睡魔に襲われた。とにかくウェルのおかげで、今夜は金を払わずに宿を取れたわけだ。これ以上文句の出るはずもなかった。

 その夜、グリュックの老舗宿・トラオを訪なった者達がいた。
 妖獣の跋扈する世で、夜に外を歩く者はいないといっても過言ではない。夜半過ぎから降り始めた雨がしとしとと石畳を打ちつけ、月明かりもない夜なら尚更だ。
 黒い三つの影が音もなくトラオの裏口に並んだ。
 裏背戸を微かに叩く音に、扉がわずかに開けられる。
 トレーネは音もなく訪問客を宿に招き入れた。
 最後に入った者が外を確認してから音を出来るだけたてないように扉を閉める。
「トレーネ。急用とは何だ」
 フードを目深に被った三人の者の中で、一番先に入った人間が低い声で問うた。その後ろで、あとの二人は影のように膝を突き控えている。
「類稀な聖術を使う神官だという二人組みが、今夜宿泊しております」
「ほお……」
「いかがなさいますか?」
 トレーネは、来訪者達に椅子を勧めた。実際に座ったのは一番初めに歩み出た者だけで、後の二人は裏背戸の入り口に番犬のように立ったままでいる。
「二人とも剣を携えています。もしかすると、使えるのではないでしょうか」
 座った者は腕組みをしたまま低く唸りながら、目深に被ったフードから覗くあごひげを撫ぜた。
 円卓の上に灯された炎がジリリと音をたてて揺らいだ。
「父に世話になったと申すのですが、私には見覚えがありません。それに、どうも不釣合いな二人組みでして……」
「足止めできるか?」
 少女は眉をひそめた。
「分かりました」
「では明日中に使いを出す」
 男は後ろに控えていた者達を伴って、またグリウスの闇の中へと消えていった。

 シャオンが突然体を起こした。
 闇の中で、獲物の姿を捉えた野生獣のように瞳を見開いている。薄い氷でおおわれた湖上を歩くような危うさに似た空気が、シャオンの周りに張り詰めた。
 シャオンはじっと耳をそばだてて部屋の入り口を睨み付けた。闇に慣れぬ目をこする。
 そうして素早く寝具から出て、物音ひとつ立てずに立ち上がった。
 そのまま滑るように移動して戸口に耳を当てて立つ。
「どうしました?」
 隣で休むウェルもシャオンの異変に気付いて声をかけた。
 シャオンは声を出す相棒に、指で口元を押さえて「しっ」と呟き、静かにするように合図した。
「この宿に誰かが来た」
「こんな夜更けにですか?」
「三人だ。足音が聞こえる」
 裏背戸の開いた音、中に入った人間の数を正確に言い当てて、シャオンは寝台に戻って腰を下ろした。
「駄目だな、熟睡できやしない。せっかくの宿だってのによ」
「相変わらずよく聞こえる耳ですね。少しは蓋をしておかないと、身が持ちませんよ」
 シャオンはまた部屋の入り口を見た。右に覗く瞳が眇められた。
「嫌な気配だ。剣の使い手か、気配が鋭い」
「シェバ皇帝が来る事と関係があるのかもしれませんね」
 ウェルも声を低くして言った。
 シャオンは弾かれた様に振り返ってウェルを見た。すぐさま乱れた髪を整え、左半分を隠す。凍てついた体を解すように生唾を飲み込んでから、ウェルに言葉を返した。
 シェバ皇帝。グリュックを侵略した皇帝の名前。
「シェバが、来るのか?」
「足を治療した老婆に聞きました。それで役人の数が増えていることにも得心がいきます。今は治世十五年の祭り期間だと言っていました」
「……何しに?」
「さあ、それは私の知る所ではありません」
 シャオンの視線は再び扉に固定された。
 再び階下の扉が開く音がして、三人の人間が外に出た微かな音がシャオンの耳に届いたのだ。
「ウェル、明日は早くにここを出よう」
「そうですね」
 ウェルは言いながら体を横たえた。
 夜の旅亭トラオは、再び静寂に包まれた。












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