第六章・王城・決戦 3
グリウス城の最上階にある王の間は、もっとも警備が厳重な部屋であった。
王の間の最奥が寝室になっており、天蓋つきの豪奢な寝台が置かれている。その手前が応接室。人が二十人は囲めそうな机の周りに、一つ一つに豪華な彫り物がなされた椅子が十五客おかれていた。ちょうど前グリュック王家の大臣達の数であることは、もうすでに誰の知るところでもない。両脇には、王妃の間と、王家の者専用の居間が設けられている。さらに応接室の手前には空室と、警護の者が詰める部屋がある。
王の間の裏手は断崖になっており、足場もない四階の高さは、人間が上ってこられる高さでもない。
豪奢な飾りのついた王の間は、厚い暗幕に被われて闇に包まれていた。
もてなしを受けるわけでもなく、女を侍らせるわけでもない。シェバ皇帝が椅子の上に座し、闇の中にたたずんでいるきりだった。
大きな天蓋の着いた寝台もまた、使用されてはいない。
部屋には、細い筒を口に当てて息をしているかのような、ヒューヒューという呼吸音だけが規則正しく響いていた。
奇妙な静けさではあった。
生き物が呼吸をしているというのに、そこにはまるで存在感がない。
大きな天蓋の着いた寝台の隣には部屋を映す鏡が置かれていたが、それにもまた闇が映るばかりである。
その人の背の高さほどある鏡に映る闇がふいに澱んだ。
刹那、闇を切り裂く勢いで破裂音がした。
鏡は木っ端微塵に粉砕され、仄かな明かりが漏れ出でた。
地下通路から、封印を破ったウェルが腕で覆った顔をそっと覗かせた。
「すげえ、音」
後ろから、シャオンも顔を出す。
耳にはまだ炸裂した鏡の砕けた音が木霊して残っていた。
「ちょっと派手すぎんじゃねえの?」
「これでは敵がより多く集まって来てしまうではないか」
エリオンとシャオンが不満げにウェルに言った。
「仕方ありません。こんな風に封印が解けるなどとは私も思っていませんでした」
煙のたつ入り口の前で顔を覆っていた腕を口元に当て、ウェルのもう一方の掌の上には紫翠の石が乗せられていた。石はウェルの目にだけは微光を放って見えている。
ウェルの後ろで明かりをもっていたフェンダーが、鏡の入口から王の間へと足を踏み入れた。
辺りを見回すと、あったはずの窓には暗幕が張られ、わざと闇が作られているのが分かる。外はそろそろ日が落ちて、真の闇が訪れようとする時間になってきているだろう。
一同の闇に慣れた目が、すぐさま天蓋つきの寝台の傍に座る黒い塊に気付いた。
同時に、王の間の扉が開かれた。
「陛下、なにやら大きな物音が──!」
頬のこけた毛のない頭皮を持つ男が扉から顔を覗かせ、侵入者に気付いて一瞬息を呑んだのが、シャオンには分かった。
だが、その男の反応を待つまでもない。
シャオンはウェルとフェンダーを押しのけると、剣を抜きながら扉口に立つ男に切りかかった。
駆け出し、男の前で剣を振り下ろす。
が、何の手ごたえもなく剣は床に刺さった。
男はかろうじて剣をかわし、王の間に続く応接室へと逃れた。
「シャオン殿、剣は大降りにせず、必要最低限の動きですぞ!」
フェンダーが叫んで、明かりを左に持ち替えて右で剣を抜いた。
リグもフェンダーに続き、エリオンだけはゆったりと剣を抜きながら、鏡から出た。
ウェルは鏡の前に立ち、石を胸に抱いて瞳を閉じた。
シャオンが駆け出して行ったので、ウェルは王の間の扉ではなく、次の扉、すなわち応接室の扉を封印することにした。
ウェルが応接室の扉を封印する間、体を守るのはエリオンの役目になっている。
フェンダーは部屋に明かりを灯すために用意されていた入口にある燭台に火を灯した。部屋は仄かに明かりを得、中の様子を皆に知らしめた。
「確かに王の間だ」
エリオンの言葉が、一同を寝台近くにあった黒い塊に目を向けさせた。
「陛下!」
王の間の入口から男が叫ぶ。その後ろにはすでに何人もの役人が集まって来ていた。
黒い塊は微動だにせずに座っていた。
毛足の長い敷物の上に足を無造作に投げ出し、手は肘掛に添えられている。首は前に傾いでおり、俯いて下を向いた格好になっている。
饐えた匂いが皆の鼻をついた。
錦の織物の豪華な椅子に座る人間の頭には、もう数本の毛しかない。
土色の粘土をこねて所々に煤色を混ぜたような干からびた皮膚。
肘掛に添えられた腕は筋が浮き立ち、潤いも筋肉もすべてを無くした棒切れのように細い。かえって滑らかな布地で出来た白い装束が異様に浮き立って見える。とてもその俯いた顔を持ち上げて見ようなどとは思えなかった。そこに現れるであろう顔を想像するだけでも肌が粟立ち全身の毛がそそけ立ちそうだった。
「これが……」
エリオンが構えていた剣をおろして、懐疑的に椅子に掛ける朽ちた人間を見下ろした。そっと顔を覗き込み、短い悲鳴をあげて飛びすさる。
眼窩にはすでに眼球もなく、白い歯だけが目立って並ぶ朽ち果てた顔があった。
「──父上?」
エリオンが悲痛な声を発した時、応接の間の扉が大きな音をあげて閉じられた。
「扉は閉じました」
ウェルの声が静かに部屋に響く。
王の間の、二枚の扉が大きく開け放たれた。
頭に毛のない男、ヤノスが、にいっと笑う。
「エリオン様、お久しゅうござるな」
ヤノスの後ろに黒い服をまとった頬のこけた痩身の男が立つ。短い髪を、無理やり後ろで束ねている。メデスだ。
「メデス、貴様」
エリオンが歩み出た。
「おっと、お待ちを。今は貴方などどうでもよい」
ヤノスはメデスに目配せしながら手を上げた。
メデスは足音もなく後ろに立つ二十人ほどの役人達に顎で合図する。役人達はいずれも人の姿をしていたが生気に乏しく、妖しげな笑みを浮かべている。
「あなただ、シャオン様。まさか生きておいでとは思いもしませなんだ。陛下もお喜びでございましょう。ねえ、陛下」
シャオンは床に突き立った剣を抜き去り、ヤノスを睨んだ後、ゆっくり振り返った。
干からびたシェバ王から、低く聞き取り難いくぐもった笑い声が聞こえてきたからだ。
「ヤノス、シャオンを捕らえよ」
声が引き金になったように、シェバ王の足元から黒い霧が沸き立った。それは生き物のように蔦が這い、螺旋にシェバ王の体に巻きつくように立ち上っていく。
「エリオンを殺れ」
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