第六章・王城・決戦 2
翌朝。
誰もが思いつめた表情で、ゲフュールのふるまう朝食の席についた。
エリオンと、彼のそばに居たであろうトレーネも。
リグなどは、食事どころではないという塞ぎこみようだった。
シャオンは昨日フェンダーと打ち合って、少し腕の筋肉が軋んでいた。フェンダーの鍛え上げられた剣の腕は、全くシャオンの敵うところではなかった。
「よお、弟子よ」
フェンダーは食堂に来るなり、シャオンの軋む腕を掴んできた。もちろん左を。
「痛てえ、何すんだよ」
シャオンが睨むとフェンダーは朗笑した。
「随分きているな。朝飯を片付けたら、リグと一緒にもう一振りだ。隻眼にしては勘もいい、動きも言うことはない。リグ、いいな」
リグは驚いてフェンダーを見あげた。が、騎士らしく、椅子からきっちりと立ち上がると、短く返事をした。
「よしよし」
シャオンはリグが気の毒にさえなったが、彼の表情が幾分柔らかくなったのを見て、これもフェンダーなりの気遣いなのだと悟った。
頃合を見計らって、ゲフュールが席につき、食事が始まった。
「ウェルは?」
シャオンはウェルが居ないことに不審を抱き、ゲフュールに問うた。
ゲフュールは食べかけていた食事を皿に戻し、一同を見渡してから、まるで、参拝に来る者に説法を説くような厳粛な口調で言った。
「ウェルトス様は、聖石の間に──ああ……」
ゲフュールは右手を少し上げて皆を制し、「ご心配なさるな。食事はちゃんとお取り頂いた」と、にこやかに付け足した。
「昨晩のうちに斥候代わりに出した聖霊から、知らせが参ったのでな」
エリオンが身を乗り出した。
「まさか?」
「そう、その、まさかでございます。グリュックの東の街道に、数万のシェバ軍が到着した由」
エリオンとフェンダーが顔を見合わせた。
「早いですな」
「謀ったな、あの先触れ。私を油断させるつもりだったのか」
エリオンが拳で机を打った。
「とにかく腹ごしらえだぜ。それからでも遅くはねえだろ?」
シャオンがそう言って、豪快にパンに噛り付いた。
五人はエリオンの部屋で円卓を囲んでいた。
トレーネはすでに無理矢理トラオに返されていた。このままここにいても、彼女には心配する以外にすることはない。それならば自分の家に戻っていたほうが何倍も落ち着くに違いないと、シャオンが言ったからだ。
それにトラオはもう襲われないだろう。少なくともエリオンが神殿にいることは既に敵方・メデスの知るところとなっている。
「聖霊によると、どうも西の街道にはすでにアキロ軍が集結しつつあるようです」
「アキロも存外情報が早い」
エリオンは苛々したように組んだ腕の上で指を動かしていた。
「朝、東の街道に姿を現したということは、皇帝はもうそろそろ入場しているな」
エリオンがウェルを見る。
「出来るだけ夜は避けたかったのですが、朝までは待てそうにありません。このまま夜明けとともにアキロに侵攻されてはシェバの居所が不確実になるばかりです」
「シェバは確かに、地下通路の出口のある部屋に入るのだろうな」
「ほかに皇帝に相応しい部屋がありますか?」
エリオンはむっとしたように目を細めたが、「ない」と、そっぽを向いた。
「もちろん聖霊に協力してもらって確認もしますが、もし、封印された扉の向こうにシェバがいれば、気配で分かると思います」
間髪いれずに、フェンダーが身を乗りだしてきた。
「で、ウェル殿。我々がその通路の出口から部屋に躍り出たとして、その後はどうなさる。異変に気付けば、シェバは直ぐに外の兵を呼ぶだろう。時間がかかればかかるだけ、兵の数は増えて、我々は不利になる。それに妖獣がどれほどいるかも知れない。ドールクが言い残したメデスも妖獣だとすれば、なおのことだ。あのような力を使われては、我々には太刀打ちできん」
「闇の力は、心の持ちようひとつで防ぐことが出来ます。心の迷いや隙は、負の力を呼び、それによって幻覚すら見てしまいます。妖獣を恐れすぎれば、相手は実際よりもはるかに恐ろしいものに見えるものです」
ウェルは首から下げていた革紐を取り出した。その先端には麻袋がついている。
「さっき、聖石の間から持ってきました。これで神殿の結界をより強力にしました。この余韻は明日までは持つでしょう。ですからこれは持っていって使うことにしました」
そう言うと、中の物を取り出した。
紫翠の石だった。赤子の握り拳よりわずかに小さいほどの。
エリオンやフェンダー、リグ、シャオンには、ただの珍しい色の石にしか見えない。
「これは聖霊の力のこもった石です。これで、王の間の扉を封印しようと思います。ただし」
ウェルは言葉を切って、四人を見渡した。
「聖霊に願う間、ほんの少し時間が要ります。その間に部屋に入ってくる敵だけは、倒さなくてはなりません」
「そん中にはもちろん化け物もいるってこったな」
「そうです」
ウェルとシャオンは同時に頷いた。
「エリオン殿」
エリオンは不機嫌そうにウェルを見上げた。
「残られてもよろしいですよ。きっとシェバは貴方を一番に狙うでしょう。エリオン殿が反旗を翻したのを、グリウス城の中にいる者から報告を受けているでしょうからね。神殿ならば朝までは無事ですよ」
エリオンは眉根を寄せてウェルを睨む。
「冗談じゃない。私も行くぞ。私がグリュックの未来を切り開くのだ。そのための戦いだからな」
フェンダーもリグも、その言葉に頷いていた。
「それから一つお願いがあるのですが」
一同が再びウェルを見た。
「私の剣は妖獣に折られてしまったので……」
その言葉に、直ぐにリグが立ち上がり、一歩前に出た。
「これはドールクの使っていた剣です。共に持ってゆくつもりでしたが、これはウェル様にお預けいたします。少し重く作られていますが、いかかでしょうか」
リグは剣をウェルに手渡した。
どうやら剣はずしりとウェルの手に乗ったようで、彼の腕がわずかに下に重みで圧されたように見えた。
「彼に相応しい戦いが出来るよう、努力いたします」
ウェルがリグを見た。
リグも、どこか寂寥とした面持ちで、それに返した。
グリュックの空は、その日、暗澹とした雲に覆われていた。
明け方までの空は澄み渡って青く、朝日が人々の家の窓から輝かしく差し込まれ、一日の始まりを告げていた。
それが、午前中、シェバの軍隊が中央街道をグリウス城に向かって進行し始めたころから一転した。
急速に光を遮られ、今にも破裂しそうな水分を重く含んだ雲が厚く空を覆い隠した。
グリウスの中央街道を兵が歩く。
見るものが見れば、その中に人にあらざる者が混じっているのが見えたかもしれない。生気のない瞳に、ぎこちない微笑。土気色の顔色。
それが人の皮を被った妖獣である事に気付いた者はいまい。
シェバは何頭もの馬に引かせた大きな車に居た。
一行がグリウス城に入ったのは、午後も過ぎ夕闇が迫る目前のことであった。
「ようこそ、グリウス城へ」
頬のこけた痩身の男が、黒い外套を目深に被って頭を下げた。
部屋は黒い布で覆われ、微光の侵入すら許さぬ警戒ぶりだ。明かりは入口に灯された炎のみ。それも小さく揺れていた。入り口の辺りを仄かに点す役割しか持たぬ明りは、部屋をさらに漆黒の闇に落とすかのようだった。
闇の中で、シェバ皇帝はいつものように毛足の長い敷物に足を乗せ、錦の織物で作られた豪奢な椅子に腰掛けていた。
足をゆったりと組み、腕は肘掛に持たれかかっている。
表情はまるで黒い霧が立ちこめたようにはっきりと目にすることが出来ない。
「メデス。して、エリオン殿は?」
シェバの右隣から、低い声がした。
「は、ヤノス様。どうやら神殿におるらしいのですが今は見えません。なにやら聖術を使う者を味方にした様子」
「小僧め」
さらに耳障りな、半分聞き取りにくい声が響いた。
声はすでに人間の声ではなく、声帯の振動が邪魔をして声が二重に被さっているように聞こえる。
シェバの右に立つ男が、皇帝のそばに耳を寄せるかのように近付いた。ヤノスと呼ばれたその男も、黒い布を目深に被り、闇に溶け込んでいる。
「その者は何者かと、聞いておられるが」
ヤノスの低音が問うた。
「はきとはいたしませぬ。私の見たものは、顔が半分潰れた黒髪の男、それに長い金の髪の男、グリウス将軍としてエリオン殿に付き従って参ったフェンダー、その配下のリグとドールクでございます。ドールクのほうは、私の目にして送り返しましたが、どうやら殺されましたようで」
メデスはさらに深く腰を折った。
「か、顔の左か?」
ようやく聞き取れたその問いに、メデスは「ハイ」と答えた。
「皇帝陛下、確かご子息はマリノワ様をお庇いになり、左目にお怪我を。まさかとは、存じまするが」
ヤノスの言葉に、闇から苦悶の声が漏れ聞こえた。
「皇帝陛下はお疲れだ。部屋を用意いたせ、メデス」
メデスは再び腰を折って、部屋を辞した。
ヤノスはメデスが部屋を出てから、黒い被り物をとった。
頭皮に髪はない。瞳は部屋の闇を吸い込みでもしたかのように黒く、また見えているのが不思議なくらい細かった。顎が尖り、頬もメデス以上にこけている。
一見して異様な風貌だ。
皇帝の右から、正面に回ったヤノスは、片膝を付いた。
「もしも、シャオン様なら何といたしましょうや」
シェバは、喉の奥でごろごろと唾液を鳴らしたような音を立てた後、ゆっくりと言った。
「捕らえよ。我が血を濃く受け継ぐ子を。我の新しき器にするのだ」
ヤノスは無表情のまま頭を下げた。
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