幻妖帝国〜グリウスの章・青き黎明の灯火(14/27)PDFで表示縦書き表示RDF


幻妖帝国〜グリウスの章・青き黎明の灯火
作:暁さくや



第四章・伸びる闇からの触手 4


「どんだけいるんだ?」
 細く欠けた月の弱々しい光の中、紅く揺らぐ光が点々と見えた。
 闇に溶けた姿ははっきりとは見えない。ただ、紅い光だけがゆっくりとトラオの入口に立つ五人に向かってくるのだ。
「こいつら一つ目か?」
「いいえ、よく見ていて下さい」
 ウェルがそう言って剣の柄を握りなおした。
 紅い光は、ざっと数えて十個ある。だが光は一つ増えたり、三つ増えたりと定まらない。
 足音はない。いや、シャオンは聞いたのだから、人の耳には決して届かない。
 夜の闇の静寂に溶け込んでしまったように、時おり吹く弱々しい風が耳元を撫ぜていく音しか聞こえない。
 紅い光が浮遊するようにゆっくりとほんの手前まで近寄ってきた。
 五人が一斉に剣を抜き放つ。
 先頭にシャオンが立ち、後ろに四人が並んだ。
 トラオの裏口に灯された灯で、敵の姿が浮かび上がる。
 それは豹の様にしなやかな体を持つ四足の獣だった。
 黒い艶やかな皮膚には体毛はない。顔の中央にある紅い瞳は、顔の大きさの割には不釣合いに大きく見え、中央には縦に真っ直ぐ切れた黒い虹彩がある。それだけでも異常なのに、顔を横に向けるとまた同じ瞳が、そしてもう一方に顔を向けるとそこにも瞳があるのだ。つまりは顔の正面と横にそれぞれ一つずつ目がある、三つ目なのだ。口からは四本の牙が覗く。それも動物の犬歯の三倍はある長さで、乳白色に緩く弧を描き、先端は針のように鋭く尖っていた。
 足は長く、跳躍に長けていることがうかがえる。
「なんだ、こいつら」
「三つ目ですね。気をつけましょう。視野はほぼ三百六十度、周囲すべてが見えているのですよ」
 ウェルとシャオンの会話に、フェンダーが割って入ってきた。
「神官殿、影がないですぞ」
 確かにフェンダーの言う通り、化け物には影がなかった。ウェル達には薄い月明かりの影が出来ているというのに。
 さっそく一匹が躍りかかってきた。まるで蝶が飛び立つように、何の前触れもなく飛び立つ。
 同時に、五人はちりじりに散った。
 まず、シャオンが躍りかかってきた化け物の頭に剣を振り下ろした。剣は真っ直ぐに化け物の頭に滑り込んで真っ二つにした。
 ──はずだった。
 剣は何の手ごたえもなく、化け物の体をすり抜けた。
「げっ」
 シャオンは訳の分からない悲鳴をあげた。
 化け物の牙は、咄嗟に避けたもののシャオンの右腕をかすめる。
「つっ、斬れねえぞ! 体はまがいもんだが、牙だけは本物かよ」
 右腕からは一筋の赤いものが流れた。
 直ぐに体勢を立て直したものの、向かってくる獣の牙を受けるだけで精一杯になる。斬ることもできず、急所もはっきりしない。
 一方、ウェルも間髪おかずに飛び掛ってくる化け物の牙を剣で受けていた。
 フェンダーと二人の騎士達にも、均等に二匹ずつだ。
 だが斬ろうが突こうが、黒い獣は叫び声一つあげずに襲い掛かってくる。
 剣と牙が火花を散らす中、ウェルが一瞬の隙に二匹の獣に剣を銜えられた。
 凄まじい力で抑え込まれる。
 ウェルは剣を銜えさせたまま、闇夜に吹く風の聖霊に祈りを捧げていた。
 二匹の獣がウェルの剣を噛み砕く。
 刹那。
 突風が吹きつけ、二匹の獣を吹き飛ばした。
 ウェルは胸元に手を当て、瞳を閉じている。
 黄金の髪は風にあおられてなびき、まるで金色の光を背にウェルが立ったような錯覚に陥る。
 その時ウェルの体から閃光がひらめき、光が闇をなぎ払った。
 シャオンもフェンダーも、そして騎士たちも、一瞬視力を失って腕で目を覆った。
「いました。シャオン、右の角です」
 ウェルの声が、シャオンの耳に届く。
 目を開けると、黒い獣は紅く揺らぐ瞳を閉じて、身を低くしていた。
「右?」
 シャオンはまだ光が残像となってちらつく瞳を擦ると、目を凝らしてウェルの言うほうを見た。
 そこには木偶人形のように立ち尽くしたままの役人が立っていた。肩から赤い布を掛け、一目でシェバの家来であることが分かる姿で。ただ、瞳には赤い炎のような色がちらちらと揺らめいている。
 シャオンは目の前で徐々に視力を取り戻しつつある黒い獣の牙を左手で掴むと一匹を引きずってもう一方の獣に向かって投げ倒した。そのまま剣を倒れた獣の口に突き立てる。
剣が役に立たなかったはずの黒い獣は、いとも簡単に石畳の路地に縫いとめられた。
「ありゃ、口だけは本物か」
 シャオンは素早く縫いとめた獣を飛び越えると、真っ直ぐに役人の元に駆け寄った。
 役人はシャオンが近付いてきても、身動ぎ一つせずただ立っているだけだった。
「すまねえな」
 同時に、シャオンの拳は呆気なく役人の腹に減り込んだ。役人は崩れるように倒れこむ。それを間一髪受け止めた。
「本当に、目にされてるだけか」
「わあっ! なんだ?」
 フェンダーの叫び声にシャオンが振り向くと、ちょうど黒い獣達がまるで風にさらわれた黒い霧のように、陽炎たって消えていくところだった。
 やがて、黒い獣は跡形もなく消え去った。
「消えたぜ」
 役人を抱えたまま、呆然と立つシャオンの元へ、フェンダー達もやってきた。
「傷は?」
「たいしたことねえよ。おっさんは?」
「なんともない」
 騎士の一人が、傷を負った手で役人を抱えるシャオンに代わってくれた。もう一人は、懐から出した布を切り裂きシャオンの腕に巻く。
「悪いな、えっと」
「私はリグです。彼が、ドールク」
 リグと名乗った騎士は、シャオンの腕に手際よく布を巻いて止血した。ドールクのほうは抱えた役人の顔を悲痛な面持ちで見つめている。
「知ってる奴か?」
「ええ」
「そいつに罪はないらしいぜ。ウェルが言うには操られてんだと。なあ、ウェル……」
 振り向いたシャオンは硬直したように言葉を切って、トラオの裏口を見た。
 そこに、裏口に背を預けて座り込み、膝の上に頭を乗せてぐったりしているウェルの姿を見たからだ。
「ウェルっ」
 シャオンは駆け出してウェルに縋りついた。フェンダーも、リグも。役人を抱えていたドールクは一足遅れて。
 シャオンがウェルの肩を掴んで揺すると、金の髪がわずかばかり持ち上がった。
「大丈夫か? ウェル」
「なんとか」
 大きく息を吐き、ゆるゆると持ち上げた顔は疲労の色が濃く、青白くさえ見えた。
「ちょっと強引に光を呼んだもので……大丈夫」
 ウェルは膝に手を当てながら、ゆっくりと体を起こした。
「このまま、神殿に向かわねばなりません。それに中で、エリオン殿が苛々してお待ちでしょうから」
「でもお前」
「大丈夫ですよ」
 シャオンの心配をよそに、ウェルはいつもの微笑をフェンダー達に向けた。
「ウェル殿、あれは妖獣なのですか?」
 フェンダーは裏口の扉を開けるように中のトレーネを呼び出し、鍵を開けさせて、ウェルに中に入るように促しながら聞いた。
 ウェルも軽く礼をしながら答える。
「そうです。でもあれは幻。役人の目を使って放たれた幻影です。明らかに殺意がありましたがね」
「私と、エリオン殿を?」
「他に誰がいます?」
 裏口を最後に入ったシャオンが閉めたところで、エリオンが奥から飛び出してきた。
 ウェルが何か言いたげなエリオンより先に言う。
「話は後です。このまま神殿に向かいましょう。神殿には風の聖霊に頼んで使いを出しておきます」
「この役人はどうすんだよ」
 シャオンがドールクの抱えた役人を指差した。
「可哀相だが、外に出そう。目が覚めて、また操られでもしたら厄介なことだ」
 フェンダーの言葉に、ドールクが再び裏口から外に出た。
 騎士ドールクが戻ってきてから、七人は再び地下通路のある物置部屋へと向かった。そこから繋がっているグリウスの神殿に向かうためである。無論シャオンとウェルは荷物をまとめて背負った。ウェルは剣が折れてしまったので、苦笑いしながら鞘だけを持った。
 地下通路を隠していた敷物が除去され、再び暗い通路があらわになる。
 ウェル、フェンダー、リグ、ドールクが通路に降り、エリオンがトレーネを促した。
「あの、私は行けません」
「何を言うのだ。このままここにいては危険だ」
「でもエリオン様。今も宿泊なさっているお客様がいるのです。それにこの通路を最後に隠す者がいります。私が、元通り敷物を敷いておきますから、皆様は安心して神殿にお向かい下さい」
 トレーネは潤んだ瞳でエリオンを見ていた。
「だが」
「エリオン様。御武運をお祈りいたしております」
 エリオンは今にも泣き出しそうに手を組んで祈るようなトレーネを前に、何事か言いかけるように口を開いたが、言葉が見つからないのか何も言わなかった。
「俺が残る」
 シャオンがトレーネの後ろから言った。
「なに?」
「外に寝かせた役人も気になるし、少し様子を見てから神殿に行くよ。それならいいだろ。トレーネも連れて行くからよ」
「お前なんか信用できるか」
「なんだと」
「やめてください」
 トレーネは言い争うエリオンとシャオンの間に入って、二人を止めた。もう涙だけはとめることが出来ないらしく、大きな瞳からは涙が溢れていた。
「シャオン」
 地下通路からウェルが顔を出した。
「明日、必ず神殿に来てくれますね」
「もちろん」
 シャオンが親指を立てて腕を出すと、ウェルは目を細めて頷き、また地下通路を降りていった。
 シャオンはウェルの微笑で少し心が温まったような気がした。ウェルは自分を待っていてくれる。その言葉が、シャオンの心の奥深い所に鼓動と共に根付いた。
 神殿には入ることが出来ないかもしれない。その危惧はもちろんあった。トレーネの護衛を申し出たのも、そのことがあったからだとも思う。
 エリオンが舌打ちをしながら通路を降りていくのを見届けて、トレーネは扉を閉め、元通り敷物を敷いた。
 暫く敷物を見下ろしていたトレーネが、手で目元を擦って涙を拭う姿がシャオンの目にとまった。
「心配か?」
 トレーネは正直に頷いた。
「大丈夫だ、ウェルがついてる。ついで言うと、あんたには俺がいるから大丈夫だ」
 自信満々なシャオンの言葉に、トレーネは涙に濡れた顔で微笑みを返した。












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