幻妖帝国〜グリウスの章・青き黎明の灯火(13/27)PDFで表示縦書き表示RDF


幻妖帝国〜グリウスの章・青き黎明の灯火
作:暁さくや



第四章・伸びる闇からの触手 3


 密会していた部屋の隣は、小さな物置部屋だった。
 トレルオムが亡くなって三年、ほとんど放置されたままだった部屋は、埃っぽく湿気ていた。小さな明り取りの窓があり、古い本や棚に積み上げられた箱が所狭しと置いてある他は何もない。確かに部屋は、これでは残されたトレーネが整頓しようという気持ちにならないもの理解できるほど雑然としている。床には東方の織物と思しき、金糸の入った敷物が敷いてある。それも汚れていて、かなりの古さであることは疑いようもない。
 狭い部屋に、トレーネを先頭に七人が入ろうとしていた。
「ここです」
 トレーネは思わず手で口元を覆っていた。
 それほどに埃っぽい。
「すみません。掃除していなくて」
 手で宙を払う仕草をしながら、トレーネは足元に積まれた本を退ける。
 次に部屋を覗いたウェルが、一目見てこの部屋が出口であることを告げた。
 積まれた荷物の隙間はちょうど一人がゆっくり通れる幅。ウェルが臆せず真ん中辺りに進むと、敷物がわずかによれている。
 ウェルがその敷物を摘むとするりと持ち上がった。
 同時に感嘆の声が上がる。
 敷物の無くなった床には扉が付いていた。
 重く軋む音ともに、扉が持ち上がる。
 瞬間、湿気ってかび臭く混濁した冷気が物置部屋になだれ込んできた。肌があわ立ち、自らの腕をつい摩ってしまいたくなるような冷気だ。
 その暗い通路を覗き込むウェルの悲壮な表情がシャオンの目にはいった。胸が痛くなるような十五年という歳月をシャオンは感じていた。
 グリュックが侵攻されて十五年。王家が滅びて、少なくともこの通路を使う者はいなくなったのだ。
 ウェルとシャオンはくしくも同じ年、同じ時に大切なものを失った。
 一人は母親と左目を。一人は国も肉親もすべてを。
 仇は共にシェバだ。それだけは同じ。
 仇は同じでも、シャオンがシェバの息子であるという事実はどう足掻こうが変えようもない。それだけではない、ウェルはグリュックの王の子供だった。
 シャオンはウェルの硬い表情を見て思った。この瞬間初めて。
 ──ウェルが自分のことを本当はどう思ったのか、と。
 ウェルはシャオンの持つ力が闇に属する力であることを知っていて、それでも何も変わらずに今まで共にいてくれた。そしてシェバ皇帝の息子であることを知ってもなお、態度を変えずに今までと同じように笑っている。
 ウェルは決して自らの心の内を顔には出さないし言葉にも表さない。そんな事は重々承知の上だったが、それがシャオンには喉に痞えたような息苦しい思いを沸き立たせるのだ。
 いっその事、憎いシェバの息子だと責め立てられた方がマシではないかと思うほど。
 未だその思いの正体を漠然としかシャオンは理解してはいなかったけれど。
「一度降りてみましょう。使い物になるかどうか、多少の不安が残りますからね」
 ウェルはそう言って、梯子を降りていく。
 シャオンもウェルの言葉に我に返り、後に続いた。トレーネ、エリオン、二人の騎士、それにフェンダーも。
 通路の中は、真っ暗だった。
 あらかじめトレーネが用意していた明かりが灯される。
 炎はジジッという音を立てて、わずかな冷たい風を受けて揺らいだ。空気は湿気って肌にまとわり付き、独特の埃っぽい匂いが鼻に付いた。
 石に囲まれた狭い通路。足元は濡れたようにしっとりとしている。崩れた様子もなく、何の障害もなく通れる。七人はその通路をゆっくりと歩いていった。
 途中、足を滑らせたトレーネが恐縮したようにエリオンの腕に掴まった他は、誰も口を開かず、ただ仄暗い通路を真っ直ぐに進んで行く。
 どれほど歩いたのか、時間と距離の間隔さえあいまいになるほど何の変化もない通路で、突然それは二手に分かれた。
「こちらがもう一つの出口である神殿に向かうはずです」
 直進する方を指差してウェルが言う。
「こちらが、王室へと続く道」
 一同は左に曲がった先を確認するように覗き込んだ。無論その先が見えるはずもない。
「本当にこんなものがあるとはなあ。つくづくグリュックとはすごい国だ。長年にわたって南方の要所になってきただけはある」
 エリオンはウェルを見て、頷いた。 
「よし。この通路を使おう。我々の敵はただ一人。シェバだ。」
 エリオンの小さいが威厳に満ちた声に、フェンダーも頷いた。従った二人の騎士も。
 一同はそこで一旦引き返すことにした。
 もちろんエリオンとフェンダー達はまた監視の隙をついてグリウス城に戻らねばならないからだ。
 帰り道、何となく後方に回ったシャオンは、先行く明かりを持つウェルに遅れない程度に間隔を取って歩いていた。
 そこへフェンダーがシャオンの歩調に合わせてきた。
「あなたが噂のシェバ王の末子だったとは、驚きだ」
 フェンダーは小声でシャオンに囁きかけた。薄暗いので表情はわからないが、声の調子は全く変わらない。
「噂ってなんだよ」
 シャオンのほうは不機嫌そうに返した。
 フェンダーは声を殺して笑うと、「まあそう怒りなさんな」と気安く肩を掴んできた。
 シャオンはその手をとっさに払い除けた。睨み付けることも忘れずに。
「私はねえ、いちいちシェバのすることに楯突いたので、東の最前線にほり出されたのだ。だから何も知らんと言ったでしょう。でも噂なら風の頼りに聞くことはできる。シェバの末子はその血を受け継ぎ、後を継ぐに相応しい妖獣だとね」
 シャオンの足が止まった。
「だから噂だと言っている。ところがその噂は、グリュックを侵攻した頃からぴたりとやんだ。ま、遠く東にいたのでは真実のほどは分からんからね」
「ふんっ」
 フェンダーは低く笑った。
「剣は、誰に教わった?」
「別に」
「そりゃあ、いかんな。肩を掴んだ感じでは、しっかり肉は付いているようだし、この前の一振りで筋の良さは分かった。どうだ、教えてやろうか?」
 シャオンは明かりが遠のくのもかまわずにフェンダーを見た。
「おっさんは何でシェバをやりたいんだ?」
「きまっている」
 フェンダーは間髪をいれずに答えた。
「東の戦線でも、妖獣はいた。あれは侵攻ではない。一方的な虐殺だ。」
 答える声が怒りに震えているように聞こえた。
「対する国を褒めたいね。もちろん戦線が膠着するように私が戦を仕掛けなかったのだ。ま、おかげで、今度はグリュックに回されたわけだ」
 笑いながらフェンダーは先に行く者達に追いつくために足を速めた。
 シャオンにはとうてい笑える話ではなかったが、フェンダーという男が少しは分かったように思えた。
 顎に生えた無精ひげもグリュックの兵をまとめる将軍にしては不謹慎に見えるし、そうかと思えばエリオンに従って皇帝の暗殺に加担する。どうも掴み処のない人物に思えたが、皇帝を暗殺しようと目論むだけの理由はどうやら持ってはいるようだ。
 どうも一癖もふた癖もある人間達がここには集まっているらしい。
 シャオンにはそう思えた。無論自分も含めてだ。
 岩を踏み歩く足音が、シャオンの耳には鮮明に届いている。その仲間の足音が、シャオンには妙に心地よく聞こえていた。
 それはシャオンを地獄へと導く闇の魔王の誘いか、それとも、仲間の暖かな息吹なのか、はっきりと判別できなかった。


 異変は、地下通路の出口に戻ったところで起こった。
 七人全員が扉から出て、元通り敷物を敷いた。その時に。
「おい」
 シャオンが物置部屋の扉を睨みウェルに声をかけた。
「どうしました? 何か聞こえましたか?」
「なんだ?」
 エリオンが二人の間に割って入ってきた。
 シャオンが静かにするようにと、唇に人差し指を当てる。
 右目が炯炯とした光を放ち、暫くしてその瞳が閉じられた。
 緊迫した空気が狭い物置部屋に漂う。
「外に何かいる。人間じゃあねえ。足音がおかしい、そう、四足だ。ああ、四足だから何匹いるかはっきりしねえなあ」
「四足だ? 何を言っているのだ」
 エリオンがフェンダーと目を見合わせた。
「付けられましたね」 
 ウェルが妙に冷静な声で言うとエリオンとフェンダー達を見た。
「付けられたとは、我々がですかな?」
「そうです。その危険があるとは思っていましたが、こんなに早く……」
 フェンダーは無精ひげの生えた顎に手を当てた。
「帰れないということか」
「何言ってんだおっさん。んなもん蹴散らしゃあいい」
 シャオンが剣の柄を握り締めて言う。
「ふんっ、簡単に言ってくれるな」
 フェンダーも不敵に微笑んだ。
「待って下さい、二人とも」
 ウェルが今にも扉から飛び出しそうな二人の前に立った。
「エリオン殿、今回の事がどこからか漏れはしませんでしたか?」
「馬鹿を言うな。そんな事があるはずはない」
「では……」
 ウェルは物置部屋の扉に手をかけながら続けた。
「エリオン殿も監視されていた恐れがありますね。妖獣の一人がグリウス城の中に確実にいて、それが傀儡役人を操ったり、シェバとの連絡中継をしたりしているのでしょう。心当たりは?」
「あるわけない」
 エリオンは至極不機嫌そうに答えた。
「先ほども言いましたが、エリオン様に付き従うものがほとんどでした。新参のメデスも皇太子、つまりは本国におられるエリオン様の兄君に仕えていた者。皇太子ゲリュオン様もエリオン様同様、シェバ皇帝に対しては同じお考えと思っております」
 ウェルはフェンダーの答えに頷きつつ、扉を開けた。
「それでは、もう城へは戻れません。敵が分からねば手の打ちようもありませんからね。とにかく外の敵を何とかして、地下通路から神殿へ逃れましょう」
「神殿?」
 エリオンとフェンダー、シャオンが異口同音に言った。
「そうです。ご存じないかもしれませんが、神殿には聖なる結界が張られています。闇の力は簡単には進入できません。私もシェバの侵攻から逃れて三年もの間神殿におりました」
 ──闇の力?
 シャオンの心臓が大きくひとつ打ち鳴らされた。
 心の中でその言葉を反芻する。
 自分がその力に属することを、シャオンはウェルから聞かされたばかりだ。神殿の結界から弾き出される姿を想像して、シャオンは背筋が寒くなった。
 だがとにかく今は外の敵だ。
 うかうかして旅亭トラオの中にまで襲い掛かられては、大勢の宿泊客や従業員達に迷惑がかかる。
「いくぞ」
 シャオンはウェルが開けた扉から、一番に身を翻した。
 物置部屋から直ぐ隣の、いつも密会する部屋を抜け、さらに小さな円卓のある部屋に出た。
「その扉の向こうが裏口です」
 トレーネが入口を指差す。
 シャオンが裏口の取っ手に手をかけた。
「いいか、行くぞ」
「待って下さい。トレーネ、エリオン殿を奥へお願いします。それから扉には鍵を。どんな物音を聞いても決して開けてはなりませんよ。そう、フェンダー殿が扉を叩いて合図して依頼するまでは、決して開けてはなりません」
 ウェルがフェンダーに目配せしながらトレーネに低い声で告げた。途端にエリオンがウェルの肩に掴みかかってくる。
「私を除け者にするつもりか!」
 だがエリオンを制したのはウェルではなくフェンダーだった。
「エリオン様、あなた様がやられては、もともこもありません。ここはウェル殿のおっしゃる通りだ」
 エリオンは言葉にぐっと詰まった様子だったが、トレーネが腕を取り、奥を指し示したので、素直に従った。
 エリオンとトレーネが下がったのを見て、ウェルとシャオンは視線を交わした。
「久しぶりに血が騒ぐぜ」
「夜も更けていますから、ほどほどに」
 シャオンが嬉々として唇を持ち上げると、ウェルもいつもの微笑でそれに返す。それを見てフェンダーが呆れ返ったように溜息をついた。
「あなた達は本当に変わっている」
「行くぜ、おっさん。生きてたら、剣の手解き頼むぜ。まあ、いらねえと思うがよ」
 シャオンとウェル、フェンダーと二人の騎士が、滑り出すようにトラオの裏口から出た。
 それを見てトレーネが祈るように手を組むと、ウェルに言われた通りに扉に鍵をかけた。
「さあ、エリオン様、奥に参りましょう」












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