幻妖帝国〜グリウスの章・青き黎明の灯火(12/27)PDFで表示縦書き表示RDF


幻妖帝国〜グリウスの章・青き黎明の灯火
作:暁さくや



第四章・伸びる闇からの触手 2


 ウェルの顔は嬉々として輝いていた。こんな顔をしたウェルを、シャオンは見たことがなかった。
「私はこんな機会をずっと待っていたのかもしれません。本当は、すべてを忘れているような振りをして、実はそれをこそ望んでいたのかもしれませんね」
 感慨深げに言う美貌の青年は、何か固い決意をこめたように静かに立ち上がり、トレーネに筆を借りることができるかと尋ねた。
 トレーネはすぐにと返答し、しばらくして戻ってきた。手にした筆をウェルに手渡す。ウェルは丁寧に礼を言うと、机に広げられた紙に向かった。
 ウェルは筆をとって紙に線を書き入れた。グリウス城の四階の最奥の王の私室から、線はすっと階下に下り、城門の傍を抜け、隠し戸のある民家の横を通り、何もない空間へとすすんだ。
 その空間に小さく家を描き込み「トラオ」と名を入れた。
 みなが息を呑んでいることにもかまわずに、ウェルはその線の途中からまた書き足し、今度はトラオとは正反対の方向へ伸ばした。そこにも小さく家を描き「神殿」と書いた。
「これは代々のグリュック王家の王だけが使う隠し通路です」
 全員が同時にウェルを見た。
 いったい何を言っているのか、咄嗟には判断が付きかねたからだ。
 シャオンが立ち上がって、ウェルの肩に手を乗せた。
「ちょっ、と待ってくれ。そりゃどういうことだ」
「どうもこうも」
 ウェルはいつものゆったりと丁寧な口調を貫いてはいるが、はやる心が抑えきれないのか心持ち早口になっている。
「この道を使えば、誰一人傷つくことなくシェバ王の喉元に食らいつくことが出来ますよ」
 地図に目を落として釘付けになっていたエリオンがゆっくり顔を上げ、ウェルを見上げた。
 無論、不信感をあらわにしてだ。いま現在グリュックのグリウス城にいる自分達すら知らぬ地下通路を使おうと提案するこの人物に対して。
「──お前、誰だ」
 エリオンが上目遣いで、探るように低い声で尋ねた。
 ウェルは小さく息をつき、肩をすくめた。
「ここで誤魔化しても、エリオン殿は信じては下さいますまい。嘘は嫌いですが、ひとつだけ端折ったことがあります。私の本当の名は、ウェルトス──ウェルトスリディウス・ゼディウス・グリウス=ラ・グリュックと申します。それでおわかりでしょう?」
 瞬間、シャオンのウェルの肩に乗っていた手が、力を失って落ちた。
 そこにいた全員が、ウェルの言葉の真意を計れず呆けた表情になっていた。
 名にグリウスを持つ、彼の真の正体を、一体誰が直ぐに想像できたろうか。
「二度は言えません。何度言っても、誰も覚えては下さいませんからね」
 ウェルはそう言っていつもより少し口の端を持ち上げて、誰をも魅了する笑みを見せた。
 彼には今、冷厳とした犯しがたい気品がある。
 だが、その微笑みは一瞬後に消え去った。
「ですから、シェバは私には宿敵、父グリュック王と母の仇です」
 ウェルの感情を抑えた低い声が、狭い部屋の中にいる六人の耳に届いた。無理に感情を抑えたそれは、とても胸の詰まる、悲痛な叫び声と誰もが錯覚しそうだった。
 エリオンも、そしてフェンダーも、誰も声を出さなかった。
 それは詰まる所、ここにいるシャオンさえも、ウェルにとっては敵なのだ。
 グリュック王家、ただ一人の生き残りにしてみれば。
 部屋の入り口で、トレーネだけが手で口を覆って瞳を潤ませていた。
 どれほどの沈黙だったろうか。
 誰もが、ウェルの言った言葉を頭の中で何度も反芻し、それでも現実を直ぐには受け入れられずに、戸惑った。
 十五年前、グリュック王家の者は全員死亡したものと誰もが思っていたからだ。それほどに惨烈な侵略であった。
「……でも、それは昔のことです。私が仇をとったところで何も生み出しはしません。そのことは重々承知しているつもりですから」
 ウェルはエリオンの顔を見た。エリオンは眉をひそめてそれに返した。
「どういう意味か、説明してくれないか」
「お分かりではありませんか?」
 真っ直ぐなウェルの瞳にエリオンはたじろいだように唇を小さく尖らせた。
「シェバを倒しても、私にグリュックが戻ってくるわけでもありません。私にはすでに従う臣下もいません。いまさら王を名乗ったところで、この国が混乱するのは目に見えていることです」
 ウェルは意識してかせずか、一呼吸おいてふたたびエリオンとフェンダーの顔を見た。
「シェバを暗殺することは、まあ容易いとは言えませんが不可能ではないでしょう。けれどその後のことのほうが、何倍も大変なのです。国を、建て直さなくてはならないのですから」
「そんなこと! 貴様に言われたくはない。貴様を信じたわけではないからな!」
 エリオンは、ウェルがあまりに穏やかに淡々と語るので机に拳を振り下ろし、憤慨して吼えた。
「でしたら、私には何も言うことはありません」
 ウェルは机の上に広げられた紙に目を落とした。
 トラオと書いた家を指差す。
「これはこの旅亭のことです。トレーネ」
「は、はいっ」
 トレーネは瞳に溢れそうになっていた涙を手で拭うと一歩前に進み出た。
「この家の、どこか、使われていない部屋がありませんか? もしかしたら、トレルオムが封印しているかもしれません」
「あります! この部屋の隣は父が物置のように使っていたのですが、亡くなってからはそのままで、もうずっと開けていません」
 トレーネは扉の一方を指差し興奮したように言った。
「ではそこが入口です。そこから地下に入って、王宮の四階、王の間に続いているのです」
 一同は一斉に机上の地図に見入った。
 エリオンとフェンダーは懐疑的に、二人の兵士は互いに目を見合わせながら驚きの表情を隠さず、トレーネは地図と扉を交互に見、シャオンは地図から目を上げ沈痛な面持ちで隣のウェルを見上げる。
「昔……」
 ウェルは懐かしそうに目を細めて、トレーネを見た。
「子供の頃、父に連れられてここに来ました。トレルオムは列記としたグリュック王家の臣下、この地下通路の扉を守る番人でした……この部屋は、はっきり覚えていませんが、向こうの扉は裏口でしょう? 確か目立たない道に出たはずです」
「そうだ。だから、我々もここから出入りしている」
 エリオンがその扉を顎でしゃくった。それから、はっと気付いたようにウェルを見た。
 フェンダーもほおっと頷いた。
「なるほど、それでこの裏口は目立たないのですな。そう言われると納得することもある。少し行くと、直ぐに隠し扉の民家があって、いつも目立たずに出入りできる」
「グリウスはそれ自体がすでに城のようなものなのです」
 ウェルはそう言って、自らが書き記した印を辿り、王城の王の間に辿り着いた。
「そして、ここ。王の間の入口は現在、聖術によって隠されています。父王が私をここから逃がす時、元々仕掛けられていた力の封印を解き、そこを閉鎖しました。妖獣どもに見つからないように目隠しを施してあります」
 ウェルはおもむろに立ち上がり、
「では、行ってみましょうか」
と、涼しい顔で言った。
 皆が一斉にウェルを見上げる。
「今から?」
 エリオンがウェルに抗議の声を上げた。
「そうです」
 皆の反応に対して、ウェルの声は急に厳しいものへと変わった。
「シェバが四日後に到着するという保障はありません。むしろ早くなると思っておいたほうがいい。それ位でちょうどです。狙うなら、到着したその日。ほかにありますか?」
 否を唱える者がいるはずもなかった。
 シャオンだけが、再び真っ白な迷霧の彼方へ、誘われたかのようであった。












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