幻妖帝国〜グリウスの章・青き黎明の灯火(11/27)PDFで表示縦書き表示RDF


幻妖帝国〜グリウスの章・青き黎明の灯火
作:暁さくや



第四章・伸びる闇からの触手 1


 無限の暗闇とも錯覚する場所にそれはいた。
 闇に覆い隠されて姿も判然としない。
 ゆったりとした椅子に腰掛け、肘掛に体を預けている。
 もしも明るい光があるならば、錦の織物で作られた途轍もなく豪華な椅子であることが知れるだろう。が、暗闇の中ではそれは無用な飾りとも思われた。
 ゆったりと足を組んでいる。
 足元にも毛足の長い敷物が敷かれていた。
 頭は下方に向かって傾いでいる。
 部屋には窓があるが、分厚い布で覆い隠され、それはさらに光を通さずに、どんな明るい日差しも遮り闇を維持する勤めを果たしていた。
 他に何もない部屋である。
 壁を装飾するはずの絵画も、客人を大抵は喜ばせる美しい花も、机もないので茶器の類も見当たらない。
 ちょうど置かれた椅子の真正面にあった扉が、ゆっくりと開け放たれた。
 そこから一人の人間が滑り込むように部屋に入ると、外に立つ兵士が二人がかりで扉を閉めた。
 光のない部屋では、黒髪は闇に溶け、表情すら明らかにしない。
 部屋にやってきた人物は前に座す者に膝をついて礼をした。
「偉大なるシェバ皇帝陛下。只今、先触れが確かに届いたよし、連絡が参りました」
「ん」
 シェバと呼ばれた男は、わずかばかりに反響する低い声で短く返事をした。
 頭を下げた男は返答に満足したように声には出さなかったものの微笑んだようだった。
「五日後、と申しておきました。実際には二、三日の後に到着すると思います」
「ん」
「グリウスに居りまするメデスによりますと、エリオン様の動きがやや……」
「よい」
「は?」
「殺れ」
 それは短かったが、耳にまとわり付くように湿度のある低い不快な声だった。
 男は頭を垂れた。
「ヤノス。ぬかるな。グリウスからアキロへ進行するのだ。邪魔だてする者は容赦するでない」
「御意」
 ヤノスと呼ばれた男は、再び頭を垂れ、部屋を辞していった。


 再びグリウスの旅亭トラオに、夜がやってきた。
 向かい合わせに扉のある質素な部屋で、ウェルとシャオンは座っていた。
 斜向かいにある長椅子はまだ空いたままだ。そこに誰がやってくるのかは、話をせずとも知れている。
「いいのですか? 今ならまだ止めることが出来ますよ」
「いや」
 シャオンは間をおかずにはっきりとそう答えた。
「あいつ、いやエリオンのことはいい。あっちがどう思ってるか知らねえが、俺には兄貴でも何でもねえ。ただ、憎いのはシェバだ」
「父親でも、ですか?」
「親父? 馬鹿言うな。あいつは母上の仇だ。俺の左目をこんなにしたのも、みんなあいつだ」
 今にも暴発しそうな感情を抑えているかのように、シャオンは低く小さな声で話している。
「……そうでしたか」
 それきり、二人は沈黙した。
 シャオンはじっと足元を見ていた。
 今は何かを話せば泣き出しそうな自分がいる。ずっと心の深いところに秘めていた思いが、エリオンの顔を見たとたんに、噴火するかのごとき勢いで湧き出してきたのだ。一度溢れ出た感情はもう止める事は出来ない。
 シャオンはちらりとウェルの顔を盗み見た。
 そうして座っていても、どこか微笑んだように見える温容な顔。いつもと変わりのない彼が座っている。
 シャオンは少し安心した。
 ウェルが何も変わらなかったからだ。今まで通り、何も詮索しないし、問いただしたりもしなかった。シャオンにしてみれば、聞いて欲しいような欲しくないような、今は複雑な心境ではあった。
 いまシャオンが最も恐れていることは、幼い頃、皆が揃ってしたように、ウェルに妖獣だと指をさされて蔑視の瞳を向けられることだ。
 ウェルはシャオンのことを相棒だと言った。それが、シャオンの心に暖かな光を差し込んだような気がした。今まで、ウェルは金儲けに便利な片割れであったというのに。しかしそうではなかった。だから、話したくなったのかもしれない。するりと口から言葉が出てきた。
「なあ、ウェル。シェバは俺を可愛がってくれたんだ。あんまり覚えていないが、よく肩の上に乗ってたことは覚えてる。代わりに兄弟達には嫌われてたがな。でも母上はいつも悲しそうだった。そりゃそうだよな、そいつは妖獣だったんだしな。だから母上は俺と一緒に逃げたんだ。グリュックを攻めている混乱の最中に」
 ウェルは驚いたように、何かを言いかけた。シャオンは、左の前髪をいじりながら続けた。
「そりゃ可愛いよな、妖獣の血を引いた息子だぜ?」
 シャオンは引きつった笑みを浮かべた。膝の上には握られた拳が乗せられている。
「……母上は体を真っ赤に染めながら、それでも左目を抉られた七歳の重い俺を抱かかえて、街を走って逃げたんだ」
「では、シャオンの母上は」
「死んだよ。街の外れで力尽きて。だから、ちょっとグリウスに立ち寄りたくなったんだ」
 再びウェルが何かを言おうとした時、扉が開かれた。
 トレーネが入ってくる。
 少し怯えたように、ウェルとシャオンを見たが、直ぐに後ろにいる者達に椅子を勧め、自分は戸口に立った。
 四人の男達がフードを目深に被っている。
 うちの二人がフードを取りながら椅子に腰掛けた。エリオンとフェンダーだ。
 いつもなら二つの入口を見張りに行くはずの護衛の二人は、今日はエリオンとフェンダーの両脇を固めて立った。フードを取ると、いずれ劣らぬ精悍な戦士といえる鋭い目付きの持ち主だ。両腕は剣を振るうに十分な筋肉で覆われている。
 エリオンは険阻な顔でじっとシャオンを睨みつけていた。
 フェンダーも探るようにシャオンを見た。
 シャオンも今日は顔を隠さずに、二人を見据えている。
「なるほど、初めて見た時に、なんとなく見たことがあると思ったはずだ」
 フェンダーは豪放磊落にもエリオンを前に言った。無論エリオンが冷酷な瞳をフェンダーに向けたことは言うまでもない。
「マリノワ様に似ておられる」
 シャオンは警戒したようにフェンダーを見た。
 マリノワという名の人物に対する言葉遣いまで違っている。厳つい無精ひげの生えた顔までがどこか優しさを帯びていた。
「いやいや。御美しかったので、よく記憶しているのだ。私は直ぐに東の国境に送られたから、それ以後のことはよくは知らん」
「お喋りはその位にしておけ、フェンダー」
 エリオンがいかにも傲然と腕を組み隣のフェンダーを諌めると、フェンダーも直ぐに頭を下げた。
 エリオンは腹立たしそうに鼻を鳴らし、隣に立つ兵に顎で合図を送った。
 兵の一人は懐から巻物を出し、それを小さな机の上に広げた。
 完全に広げ終わる前に、エリオンが兵の手を止め、ウェルを見上げる。
「我々に力を貸すことに異存はないのだな。今更、とは思うが」
 挑むようなエリオンに、ウェルは相変わらずの微笑で返した。
「そう申し上げました」
「何故、我々に協力する?」
 ウェルは小さく首を傾げた。
「フェンダー殿にも申し上げましたよ。何も御奉仕しようとしているのではありませんからね」
 エリオンの片眉がきっと持ち上がって唇が歪んだが、そのまま兵の腕を押さえていた手を離した。
 兵の手で、紙が広げられる。
 そこにはグリウス城の見取り図とも言えるものが描かれていた。
 迷路のように入り組んだ城門から城の入口までの道のり、水路の配置。衛兵の巡回順路が赤色で示されている。城内は一階の部分が詳しく描かれ、奥にある階段から四階までが省かれ、最後に四階部分がまた詳しく地図として描かれている。
「これは……」
 とは、ウェルの言葉だ。
 ここまで丁寧に仕上げるには余程の時間がかかっていることが一目瞭然だ。
「よく見ろ」
 エリオンは言葉を発するたびにシャオンを睨みつけながら、青で示された線を指で辿った。
「この青い線は隠し通路だ。我々がいつも使っている。これはとある民家に通じていて、城のほうは巧妙な隠し扉となっている。ここから進入するのだ」
 シャオンとウェルは身を乗り出して地図に見入った。
「この赤い線が兵の見回り順路です」
 今度はフェンダーが、剣を振るうに相応しい太い指で赤い線を辿って見せた。
「ただし、ある時間だけは、この城の隠し扉から城の入口までが兵の監視の目から逃れられるように私がこの順路を組みました。だから、私共はこうしてここにいるのです。これを逆に利用し、神官殿が城に侵入する際の入口とします」
「なるほど」
 ウェルが感心したように頷いた。
「で?」
 続けてエリオンとフェンダーに話を促す。フェンダーはひとつ咳払いをして続けた。
「先触れでは五日後に、いや日が変わったので四日後ですな、シェバ王が到着致します。
到着したその夜、もちろんシェバはこのグリウス城で一番安全で豪華な部屋に宿泊するでしょう」
 そう言ってフェンダーは、城の入口から指を滑らせ、階段を上がり、四階部分の一番広い部屋を指差した。四階部分でもそれは最奥にあり、幾重もの扉を介して進まねば入れない部屋だった。
「ここです」
「もちろんシェバが到着すれば兵の数も増えるだろう。だが、城の入口までは確実に入れる。その後は、フェンダーの作った警備の隙をかいくぐって四階に上がる。部屋の奥には私の名を使えば容易く入れる。私は息子だからな、一応。そこからが戦いだ」
 エリオンは興奮したように椅子に深く掛けなおした。
 ウェルとシャオン、エリオンとフェンダーはしばし机に置かれたグリウス城の地図を無言で眺めていた。
「では、私は妖獣が現れた場合、力を貸せばよろしいのですか」
「そうだ」
 言いながらエリオンはまたシャオンを睨む。
「ふむ……」
 ウェルは形のよい顎に手を添えたまま地図を睨んだ。
「お聞きしたいことが二つあります」
「なんなりと」
 とは、フェンダーである。
「ひとつはシェバがグリュックに何をしに来るのか、ということ。もうひとつは現在、城内に妖獣はいるのかということです」
「シェバは隣国アキロに侵攻する為に来るのです。それから妖獣はいないと思います。殆どはエリオン様に付き従って来た者ばかりですし、新参のメデスも普通に見えます」
「ではシェバが到着すればどうです?」
 ウェルが上目遣いにフェンダーとエリオンを見、二人は困惑したように顔を見合わせた。が、二人が何か言うより早くウェルが先を続けた。
「当然、妖獣がシェバの周りには多くいるでしょう。どうやらシェバには心を食う妖霊が取り付いていると思われます」
「心を食う?」
「そうです」
 目を丸くしているエリオンに、ウェルはひとつ息をついてから話し出した。
 シェバの心の黒い野望、つまりは負の意識を食う妖霊がいること。それは簡単に伝染し増殖し、闇を引き寄せ、さらに強く深い闇、つまり妖獣を呼ぶこと。シェバを中心に妖獣が巣くっている可能性があることを話した。
「私一人で、それらに対することが出来るかどうかはわかりません。それから、これはとても重要なことですが……今現在もグリュックには妖獣がいますよ」
 冷静そのもののウェルの言葉に、エリオンとフェンダーは再び顔を見合わせた。驚きに満ちた顔を。
「昨日、街を歩いてきました。街には妖獣の使いにされている兵が歩いています」
 呆然とする二人に、シャオンが初めて口を開いた。
「四階まで行けたとしたって、そこにはわんさと敵がいる。俺ら六人で何が出来るってんだ?」
 エリオンは勢いよく身を起こして立ち上がった。
「刺し違えたって、シェバの息の根を止めてみせる」
「言うだけなら簡単なんだよ」
 シャオンは吐き捨てるように言った。立ち上がったエリオンの怒りに満ちた顔を下から睨む。
「やめましょう、シャオン。今は、もっと確実な計画を立てるのです」
 ウェルの顔からは、また微笑が消えていた。
「つまりは、この城門から入口までの道も既に安心ではないということです。妖獣の目にされている役人はフェンダー殿の指示に従って行動していないはずです。そしてシェバが到着すれば、妖獣の数は一気に増え、グリウス城自体に闇の結界が張られる恐れがあります。聖なる力の私がそれに触れれば、たちどころにシェバの知るところとなるでしょう」
 エリオンは端正な顔を険しくしたまま、椅子に腰を下ろした。フェンダーもため息をついている。もちろん両脇に立つ兵も互いに目を見合わせ、不安げな表情に変わっていた。
 この完璧な地図を仕上げ、ウェルという力を得たエリオンが、どんなにこの計画に自信を持っていたのか、シャオンには手に取るように分かった。
 それでも事実は事実だ。街には傀儡人形が歩き、シェバは強大な闇の力を持っている。たった六人でむやみに斬り込んでいったところで、一国の皇帝シェバが倒せるはずもない。
 シャオンは今まで、いろんな修羅場をくぐり抜けてきた。母親と死に別れてからは、死に物狂いで生きてきたのだ。それこそ命を懸けて戦ってきたのだ。もちろん妖獣とも斬り合った事もある。といっても人を食うような強力な妖獣には出会ったことはなかったが。
 シェバを倒すことなど、この人数ではもともと無理なことだったのだ。そんなことが簡単に出来るのならば、当の昔、自分がシェバに復讐していた。
 だが、ウェルの口から出た言葉は、他の誰もが想像もし得なかった言葉だった。
 ウェルはまるで今日の夕食はなんにしましょうか、などと軽口を叩くように、本当にさらりと言ったのだ。
「もっと確実な方法でシェバに迫りましょう」
 みなが一斉にウェルに注目したことは言うまでもない。












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