幻妖帝国〜グリウスの章・青き黎明の灯火(10/27)PDFで表示縦書き表示RDF


幻妖帝国〜グリウスの章・青き黎明の灯火
作:暁さくや



第三章・運命の邂逅 3


 広場から逃げ出した男は、短剣で人を脅して道を空けながら、裏路地へと入って行った。
 シャオンも負けずに後を追う。ここで逃しては一生悔いが残るというものだ。
 あの金はサナオに嫁ぐという姫を護衛して、二ヶ月も平和な旅を続けてきた恩賞なのだ。退屈料だ。しばらく遊んで暮らせると思っていた矢先のことだった。まさかヴァルという小さな愛らしい動物が金を盗んでいくとは考えもしなかった。金を手に入れたという安心感もあって、あの洞穴でシャオンは本当にぐっすり眠っていたのだ。
 それに金泥棒に遭いさえしなければ、グリュックに長居するつもりもなかったし、ウェルの知り合いの宿にも行きはしなかった。無論こんな厄介事に巻き込まれることもなかった。
 すべての元凶が今、目の前を逃げている。
 男はまた路地を曲がった。
 しかしそこは行き止まりであった。
 シャオンは追い詰めたとばかりに、唇を片方持ち上げて不敵に笑った。息は全くあがっていない。
 一方、男は肩で息をしていた。
 もちろんわずかに遅れて追いついたウェルも、肩で息をし、片膝に手を付いていた。
「だらしねえな、ウェル。息があがってるぜ」
 シャオンは剣を抜き、それを男に向けた。
「金、返せよ」
「馬鹿か、お前」
 男は言うが早いか、手を唇に当て小さく口笛を鳴らした。
 と、両脇にあった家から、男達が出てきた。
 十人はいる。
 咄嗟にウェルも身構える。シャオンは舌打ちして、憎憎しげに男を見た。男は既に勝ち誇ったように目をぎらつかせている。
 ウェルも剣を抜き、シャオンと背中合わせになった。
「どうするのですか?」
「遊んでやるさ」
 誰もがならず者と言われても仕方のない荒んだ表情に見えた。彼らは短めの剣を手に、
ニヤニヤと笑っている。
 その男達の背中越しに、役人の姿がみえた。
「シャオン、木偶人形です。傀儡役人が付いて来ています」
 ウェルはわざと男達にも聞こえるように大きな声で叫んだ。
「なに?」
 シャオンもウェルの見ている方向を振り向いた。
 さっき曲がった路地の角に、二人の役人が立っていた。
 何もせずに。騒ぎを起こしている者達を捕らえようともせずに。
 一番後ろで腕組みをしていた男が、顎で皆に合図をした。一斉にもとの民家に入っていく。
「あっ、おい待て!」
「やめましょう」
 ウェルは剣を収めて、シャオンの腕を取った。
「何だよ、冗談じゃねえ」
「見て御覧なさい」
 促されてシャオンは役人を見た。
 彼らは生気のない目で、じっとシャオンとウェルを見ているのである。
 死んだ魚のように生気がなく、不気味な目だ。彫像のように微動だにせず、その場にじっと立っている。
「見ているのですよ。私達を」
「気味悪りぃなあ」
「男達は知っているのですよ。役人に楯突けば自分達がどうなるかを。反対に騒ぎを起こさなければ、見逃してもらえる」
「でも、町にいる役人全部が木偶人形じゃあるまい?」
 二人の役人はシャオンとウェルに動きがないのを見ると、踵を返して路地の向こうへと姿を消した。
「たぶん彼らは知っているのです。木偶人形であろうが、本物の役人であろうが、彼らに楯突くことが、どんな恐ろしい結果を招くかを」
「どういう意味だよ」
「そのままです。本物の役人なら見ているだけでなく剣をふるうのかもしれませんね。そして傀儡役人なら、これは妖術を使って動かしている闇の使いです。使っているほうが本気になれば、あの体を通して妖術を仕掛けることくらい容易いでしょうから」
「食われるって言うのかよ」
 ウェルは首を横に振った。
「それは分かりません。でも、今騒ぐのはまずいでしょう?」
 シャオンもさすがにウェルの言っている事に従う他はなかった。シェバ皇帝を狙っているのに、ここで騒ぎを起こしてしまっては元も子もない。
「畜生、目の前に金泥棒がいるってのによ」
 シャオンは深い溜息とともに剣を収めた。
 ウェルは渋面のシャオンの肩に手を乗せると、辺りを見回しながら言った。
「さて、ここはどこでしょうか」
 とにかく男達が消えたこの袋小路に何時までもいてはまた騒ぎの元になるので、二人は
グリュックの王城を背に、歩き出した。


 ウェルとシャオンが旅亭トラオに到着したのは昼も過ぎた頃だった。
 二人は嫌というほど路地を歩き回ってきた。グリウスは水路が縦横に走り、道が網の目のように張り巡らされている。ひとつ曲がる角を違えれば、慣れない道はみな同じに見え、同じ所を回っているということすらある。
 これもグリウスが難攻不落である要因のひとつだ。
 整然と計画的に整備された街は、同じような家屋が並ぶ。二階建て以上の背の高い家もない。町の中心にグリウス城がそびえ立っているかのようだ。
 これについてはウェルがシャオンにこう話した。
 敵が万が一グリウスに迫った時、その動向は城から見下ろせば一目瞭然である、と。
 これほどに外的から守るために都すべてが整備されている国もまずないと、シャオンは感想を漏らしたほどだ。
 そんなグリウスを、十五年前、シェバは侵略した。
「あなたが言うように、そしてあの役人が証明するように、シェバが妖獣だとすればこの侵略がなぜ成功したのかの説明も付くというものですね」
 ウェルはシャオンにそう話した。
 もちろん、シャオンは「だから本当に妖獣だって俺が言ってるじゃねえか」と付け加えることは忘れなかった。
 裏路地を迷っているうちに、戻る道すがら目にする荒んだグリウスの様子には二人とも胸が塞がった。路地には今日の食べ物にも困窮しているように座り込んでいる者、物乞いする者、殴り合いの喧嘩、窃盗に恐喝、こ一時間の間に、犯罪と飢えはすべて目にしたようなものだ。
 そんな訳で、道に迷いつつトラオに到着した二人は空腹と疲労で目眩すら覚えていた。
 トラオでは昼食を摂る客ももう三組ほどになっている。
「ウェル様、シャオン様」
 入口を入ってきた二人を見咎めてトレーネはすぐさま駆け寄ってきた。
「どちらへおいでだったのです?」
「何だよ、俺達がどこへ行こうと──」
「すみません。ちょっと街を見に行ってきました」
 ウェルが笑顔でシャオンの前に立って言葉を遮った。ウェルの後ろで憤慨したシャオンが、白い歯を剥いているのがトレーネの目にも入って、彼女を小さく笑わせた。
「お客様がお待ちなのです」
「客?」
 シャオンはウェルの肩越しに顔を出した。
「グリュックに知り合いなんぞいないぜ」
 トレーネは困ったように小首を傾げて、二階に行くことを促した。二人の後ろにトレーネも従う。
 トレーネが部屋の扉を叩き、一呼吸おいて開けた。訪問者は窓際に立っていた。入口に背を向けている。
 まず、艶やかな黒い髪が目に入った。その者がゆっくりと振り返る。
 目鼻立ちのはっきりとした凛とした顔。こちらを睨む瞳には鋭く値踏みするような光が閃いた。
 トレーネが二人を部屋に通し、扉を閉め、入口を背に立つ。
 シャオンはトレーネが退路を断ったことを不審に思って何事か言いかけたが、すぐさまウェルに腕を掴まれて大人しく引き下がった。
 もちろんシャオンは不貞腐れて相手に顔を見られないように顔の左側を向けて立つ。
 ウェルは丁寧に頭を下げた。いつものように黄金の髪が肩から零れ落ちた。
「ほお。フェンダーの言う神官とはお前か」
 窓際の男が権高な態度で腕組みをし、人を見下すことになれた口調で言う。
 ウェルの斜め後ろでシャオンが舌打ちをした。
「ウェル、と申します」
「私はエリオンだ。グリュックの現在の城主でシェバの第三王子、といえば分かるな」
 その時だった。
「お前は……」
 ウェルの後ろで知らぬ顔を決めていたシャオンが、ウェルを押しどけてエリオンを見た。まるで霊体か妖獣を見たかのように強張った顔つきで。
 右目は大きく見開かれ、ウェルを押しどけて掴んだ腕が小刻みに震えている。
 エリオンが自分を見て「お前」呼ばわりする人間に向かって、腹立たしげに一歩を踏み出した。
「シャオン、どうしたのです? あなたらしくない」
 ウェルは腕を握り締めてきたシャオンの顔を覗き込んだ。
 だがそれに反応したのはエリオンの方だった。
「──シャオン、だと? まさか……まさか……」
「お前だったのか、シェバを狙ってるっていう馬鹿は」
 シャオンの感情を抑えた低い声が部屋に小さく響いた。
 エリオンの瞳が眇められた。堪えきれない怒りを抑えるように拳を握り締め、唇を噛んでいる。
 狭い部屋に張り詰めた空気が流れた。薄い膜がぴんと張り詰め、どんな些細な穴が空いても弾け飛びそうな空気。息を吐き出すのも躊躇われそうな緊張がある。
「お前か、化け物。まさか、本当に? 生きていたのか、貴様」
 シャオンは屈辱に耐えかねたような憂いに満ちた瞳でエリオンを睨んでいる。
「生きていたさ。それこそ血の滲む様な思いをしてな」
 エリオンがそれを聞いて、腰に差していた剣をすっと抜き去った。
「エリオン様!」
 トレーネの悲鳴が響いた。
 エリオンは唇に冷笑を浮かべていた。だが、目は少しも笑っていなかった。薄汚れた醜悪なものでも見るように、冷眼視している。
「だったら今ここで死なせてやるさ。なあに、直ぐにシェバが後を追う。あっちの世界も寂しくないぞ」
「やめてください」
 ウェルやシャオンが何か言うよりも早くトレーネは駆け出し、エリオンに縋りついていた。
「やめてください。何故です? エリオン様!」
「どくのだ、トレーネ。いいか、こいつは妖獣だ。シェバの、いや、妖獣にとり憑かれた父から生み出された悪魔だ」
 エリオンはシャオンをまっすぐ剣先で指し示した。
 一斉に視線がシャオンに集まった。
 トレーネは驚愕に目を見開いて。
 ウェルはいつものわずかに浮かぶ微笑を失って。
 シャオンは強く瞳を閉じた。屈辱に耐えるように唇を噛み、何の反論もしなかった。
「どけ、トレーネ」
「い、いやです。シャオン様は何もなさっていないではありませんか」
「何を言うのだ。あいつは普通じゃない。見ろ、あいつは妖獣の血を引いているのだ。憎き妖獣の子供なのだ」
 エリオンは興奮したようにまくし立てた。
「お待ち下さい」
 凛とした声がエリオンとトレーネの視線を集めた。ウェルがシャオンを背に庇う様にして言った。
「彼は私の大切な相棒です。彼を傷つけることは私が許しません」
 ウェルの語りは凪いだ波のように静かだったが、凛然とした態度がエリオンを黙らせた。
なまじ容貌が整っているだけに凄みがある。
「神官殿」
 エリオンは剣を収めたが、手は柄に添えたままだ。
「神官ともあろう者が、妖獣を庇うとは」
 ウェルが険しく眉をひそめる。
「シャオンは私の相棒です。彼のことがお気に召さないのであれば、この依頼はこれまでです」
 丁寧な口調なのにウェルの声は怒りに満ちていた。だが激高して声を荒げているわけではない。凪いだ波が突如として牙を剥き、一気に岸壁に押し寄せて砕けそうな、そんな激しさを秘めた声であった。
「では、結構。私はこれからシャオンとともにここを出ましょう」
 ウェルは言い終わらないうちに、壁にかけてあった外套と、寝台の上に置かれていた荷物に手を伸ばした。
 それから何かを思い出したかのように、ふっと顔をあげてエリオンを見た。
「言い忘れましたが、私達を消そうとしても無駄ですよ」
 ウェルはエリオンを厳しく見据えた。いや睨んだと言ってもいいかもしれなかった。トレーネはその怒りに満ちた顔に驚き、手で口元を覆った。
「私の力を見くびると、痛い目を見ます」
 トレーネとエリオンはその時、目の前の空間が、まるでガラスにひびが入ったような音を立てたのを確かに聞いた。
 稲妻が閃いたような衝撃に似ていた。今ウェルに触れれば、たちどころに怒りに感電でもしてしまいそうであった。
 エリオンは降参したとでも言うように、手を上げた。
「分かったよ。そいつのことは、あとだ。今は、もっと大きな敵がいる。貴方は怖い人だな。フェンダーの言う通りだ」
 ウェルは再び寝台に荷物を置き、エリオンを見た。微笑みは失ってはいるが、多少の怒りは解けたように見える。
「何か私どもに御用だったのですか?」
 エリオンは大きく息を付き、入口へと歩きながら言った。
「よい、また今宵、フェンダーとともに参る」
 無論、そばに立つシャオンを睨み付けてゆくことは忘れなかった。


 静寂が部屋を支配していた。シャオンは俯いたまま立ち尽くしていた。
 まさか、エリオンが現れるなどとは夢にも思わなかった。二度と出会いたくない自らの過去が、あまりにも突然、目の前に現れた。
 シャオンの頭の中は、真っ白だった。
 妖獣の子。
 その言葉が、剣となってシャオンの胸に突き立ったままだった。
「ウェル……」
「何も言わなくてもいいですよ。私は初めて貴方に出会った時から気付いていました」
 ウェルの言葉にシャオンは目を瞬いた。その顔は今にも泣き出しそうに弱気で、捨てられる飼い犬が縋りついて飼い主を見上げるように恨めしそうだ。
「何故って、私には聖と闇の力の区別がつくのです。シャオンの異常な聴覚と嗅覚、その体力、それらに闇の力を感じていました」
 ウェルの顔は今までとなんら変わりのないわずかな微笑を湛えたものだった。
「貴方はいつも聖でいようとしている、その事は見ていてすぐに分かりました。その心根の強さが、いつも素晴らしいと、思っていたのですよ」
 シャオンはその時、ウェルの歯の浮くような世辞でさえ、何故か嬉しかった。何か言いたかったが、言葉が喉につまって出てこない。泥と、清水が交じり合ったみたいだった。どんどん心が濁っていって、シャオンの思考というものすべてがせき止められたようだった。
「でもまさか、シェバ帝国の王子殿下だとは想像もしませんでしたよ」
「やめろ」
「すみません……ひとつ聞いてもいいですか?」
 シャオンは首を横にも縦にも振らなかった。無言の返答を了解ととったのかウェルが続きを話し出した。
「エリオン殿とシャオンが兄弟なのは分かりました。でも何故、貴方だけが?」
 シャオンは端的に話すウェルの言葉に直ぐに首を横に振った。
「俺が生れる前のことだからよくは知らない。だが、皆言っていた。シェバは突然他国を侵略し始めて、その頃からおかしくなったって。妖獣に体を乗っ取られたと噂されたらしい。俺だけがその後で生れたんだ」
「なるほど。では、妖獣ではなく妖霊が、シェバ王の心の闇の部分に入り込んだのです。そして体を乗っ取った。心の闇を食うのは妖霊、聖霊と妖獣の境界にいるものです。妖霊には実体がない、聖霊と同じです。これは厄介ですね、妖獣よりも手ごわい」
 シャオンはよろよろと寝台に行き腰掛けた。
 そんな事は、今はどうでもいい。妖霊だろうが、妖獣だろうが、シャオンにとっては同じことだった。
 すでに痛みすら感じない顔の左の傷が、うずいた気がした。
「ありがとう、ウェル」
 それにはウェルは何も言わなかった。シャオンも顔を上げなかったので、ウェルの表情は見ることが出来なかった。
「それにしても空腹ですね。ここは健全に、食事を取りませんか。夜に備えて」
 ウェルがにこやかにそう言ったので、シャオンもつられて微笑んだ。












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