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階段の女

作者: 円坂 成巳

 長い階段をひたすら駆け下りていた。追って来るものから逃げるためだ。


 職場の階段には変なものが出るって噂は前から聞いたことがあった。

 僕の職場は十八階まである大きいビルの中にあり、僕が働いているのは十三階だ。建物の中央には立派なエレベーターがあるのだが、運動不足解消のため、僕は毎日、階段で移動していた。慣れれば楽なものだし、階段を使わないと物足りなくなってくる。

 階段はビルの東西端にあるが、僕はいつも西側を使っている。働いている部屋が西側の階段のすぐ近くだからだ。この階段は本来は非常用で人が少ない。だれともすれ違わない日さえある。

 変な噂があるのはこの西階段だった。階段を降りるときに、何かが上から追いかけてきて、それに捕まったら大怪我を負うとか、気が狂うとか、死んでしまうとかそういう話。三年前、この階段で僕の同期が転落死している。もっと前にも事故はあったらしい。だからそんな噂が生まれたのだろう。この階段で転んで怪我をする人はけっこう多いのだ。いずれも深夜に多い。疲れているときに暗い照明の影響もあり、足を踏み外しやすいのだろう。

 階段を歩いていると、上から足音が聞こえてくることはよくある。みな同じ階段を使うのだから当然のことだろうが、時間帯によってはぞくっとすることもある。僕はかなり早足で階段を降りるので、他人に追いつかれることはあまりない。人を追い越すのも、人に追い越されるのも気恥ずかしいので、なんとなく避けようとしてしまう。そういう意味でも、人が少ない西側階段を僕は好んでいた。


 さて、その晩、僕は、深夜残業を終え、階段を降りているところであった。

 正直なところ、深夜にこの階段を一人で降りるのはかなり怖い。まず照明が暗い。労働なんとか法とか問題ないんだろうか。そして、非常階段でもあるこの階段は、オフィスのあるエリアと非常扉で隔てられている。つまり、階段エリアは扉を開けなければ閉鎖された空間となっているのだ。だが、小気味よくタタタンと早足で階段を降りていると、無心になってきて心地がよい。そんなとき、耳に入ってきたのが、別な足音だ。

 足音が聞こえてくること自体は別に不思議ではない。

 だが、妙に引っかかるのは、カツカツというハイヒールらしき音が、妙に不規則であることだ。早足というよりは走っているような歩調。足音は段々と近づいてきていた。よほど焦って怪談を降りようとしているのだろうか。

 この階段は、十二段降りると踊り場につき、左に折り返してまた12段降りれば1階分を移動したことになる。各階には、階段を降りて右手側に、鉄扉がある。

 上から来る人とは十二段差でお互いに顔が見えるようになるわけだ。

 音が近づいてきたので、私は何となく気味が悪くなって足を早めたが、向こうの方が早いようでどんどん近づいてくる。

 私が8階に着いたところで、足音はすぐ上の階まで来ているのがわかった。

 ふと視線を上にあげた。どんな人が上から来るのか見ようと思ったのだ。

 踊り場を曲って、姿を現す足音の主。

 女性だろうと予想はしていた。だが、それはそもそも人といってよいものか。顔を下に向け、細長い両手足を使い、四つん這いで昆虫のように階段を降りてくる髪の長い女。首と腰が妙な方向に曲がっている。

 背筋が凍った。一瞬の間をあけて、私は全力で駆け出した。当然の如く、それは追って来た。

  階段を全力で駆け下りるというのは、なかなかたいへんなことだ。常に転倒の危険がつきまとう。曲がるときは減速して、内側の手すりに左手を引っ掛けて、上手く身体を廻す。脚力とバランス感覚、テクニックが要求される。少しでも目測を誤れば、足を踏み外して大けがだ。

 ここ数年、階段で転倒した人たちは、これに追いかけられて転倒したに違いない。

 恐ろしくて振り向くことはできないが、階段を折り返すたびにそれは視界に入ってくる。全く引き離せない。むしろ近づいてきていた。

 各階の鉄扉を引いて開ければ、この閉鎖空間から抜け出せるのだが、しかし、その一瞬の動作の間に追いつかれてしまうことを想像すると躊躇してしまう。とにかく、下に逃げよう。

 6階、5階、4階、息が続かない。化物はもう真後ろに迫ってきている。3階、2階、足を踏み外しそうになるのを堪えて、階段を駆け下りる。結局下まで来てしまった。1階まで降りればもう迷わずに、追いつかれる前に扉を開けるしかない。

 覚悟しながら踊り場を回ると、そこには予想していなかった光景が広がっていた。

 行き止まりになるはずの1階から下に階段が、続いていた。

 階数を示すプレートには数字が書いていなかった。

 一階を通り過ぎて、階段を駆け降り続ける。それから何階分を走ったろうか。もう息が切れている。限界が近い。

 女はもう手が届きそうな近さにいる。一瞬視界に入った女は、にやにやした表情で、こちらに長い手を伸ばしてきている。

 突き落とされる恐怖よりも、その手に触れられることへの嫌悪感で、僕は咄嗟に内側の手摺りに飛び乗っていた。女の手を避けようとして内側の手摺りに手をかけ、少しでも手から体を離そうとしたら、自然にそうなっていたのだ。自分でもびっくりした。

 女も驚いた様子で一瞬動きが止まった。

 チャンスだと思った。僕は、手摺りを駆け上がると、上の階の扉の前に飛び降り、非常ドアを開けようと、ドアノブに手をかけた。

 空かなかった。押しても引いてもだ。

 終わったとそう思った。膝から力が抜け、その場にへたり込んだ。

 もう上の階に逃げるしかないが、もはやそんな体力はなかった。

 諦めが僕の身体を支配し、僕は女が近寄ってくるのを待った。

 何故か女は階段を登ってこない。

 僕は女を覗きこんだ。女は一段も階段を登ってこなかった。踊り場から追ってきていなかった。

 そして、気がついた。今は僕が上にいる。今度はこちらが追う側なのだ。

 やるべきことがわかった。

 私は、上の階に逃げるのではなく、下に向かって奴を追いかけた。奴はやはり下に逃げはじめた。理不尽さに怒りが込み上げてきた。僕が何をしたというのだ、なんでこんな目にあうのだ。走り、追いつき、力一杯、逃げるそいつの背中を蹴り飛ばした。

 階段を下まで転げ落ちたそいつは、ごすっと音を立てて壁に頭をぶつける。血を流しながら、恨めしそうな目で僕を見て、一言呟き、すっと姿を消した。

 気づくと、僕は1階の非常扉の前にいた。扉を開け、私は階段エリアを脱出できたのだ。


 女が消える前に、その顔に心当たりがあることに気がついた。女は僕の同期でも美人と評判だったが三年前にこの階段で転落死した女性ではなかったか。消える前に彼女はなんて言っていたか。「課長、どうして」と確かにそう言った。当時の彼女の直属の課長といえば、今は僕の上司、O課長ではないか。そういや、今日僕が着ているのは、O課長が着ないからあげると言うので、もらったばかりの新品同様のお下がりのスーツだった。

 課長いったいなにをしたんだ。ああ、明日どんな顔して出社すりゃいいんだよ。

勢いで書いた。追いかけてくるものが足音だけにするか姿あるものにするか迷った。あと最後が蛇足な気がして消すかどうか迷いました。

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