第04話
…つっ…疲れた…。
やっぱり、戦闘描写は難しいです。
現在時刻0840時
予定では、模擬戦開始まであと20分。
俺は整備が終わった愛機の操縦席に座り三舵と計器盤のチェックをしている。
視線を横に向けるとオリビア中尉も俺と同じように機体のチェックをしている。
先程、マックスと会った時に彼女が海軍兵学校でなんと呼ばれていたのかを聞いた。
“空戦の天才”
彼女はそう呼ばれていた。
海軍兵学校の鬼教官でさえ彼女の空戦技術には敵わないことがあったらしい。
それがひどく俺には嬉しい。
不謹慎だが、実力のある相手と自分の持つ全技術を出し尽くして戦うのは、言葉に出来ない昂揚感がある。
時刻0850時
模擬戦開始の10分前になったことを確認して、暖気運転の為にエンジンを回す。
エンジンが暖まったところで俺は無線をオリビア中尉の周波数に合わせた。
「中尉、聞こえるか?」
『はい、感度良好です。よく聞こえます』
「ヨシ…それじゃあそろそろ離陸をしよう。まず君から離陸してくれ」
『了解しました』
そこでいったん通信を切り滑走路に向かい地上滑走する。
格納庫を出たら、周辺になぜか野次馬が多いのが気になったが…気にしないようにしよう。
滑走路の所定位置に俺の機体が着いた時に地上要員の『離陸良し』の朱旗が振られ、それと同時に横にいた中尉機が離陸滑走を始めた。
中尉機が滑走路の半分まで進んだところで俺にも『離陸良し』の朱旗が振られた。
それを確認してエンジンを全開にして離陸滑走を始める。
計器盤の速度計の針が離陸速度を示したところで操縦桿を引き付ける。
愛機が空を上昇していくのを感じながら計器を操作し車輪を機体に収める。
現在高度1000m
模擬戦闘高度に達したのを確認した時、無線から声が流れてくる。
『こちらは基地司令のシュミット中佐です。二人とも聞こえますか?』
「こちらササキ大尉です。よく聞こえます」
「こちらオリビア中尉。感度良好です」
『二人とも聞こえているようですね…では、今回の模擬戦のルールを説明します。まず制限時間は“震風”が全力運動が可能な30分までとします。次に勝敗の決め方ですが、ペイント弾を両翼の20mm機銃に400発装填しています。そのペイント弾を撃ち込み、致命弾を与えた者の勝利とします。…何か質問はありますか?』
「いえ、丁寧な説明をありがとうございます中佐。質問は特にありません」
『私も特にありません」
『了解しました。それでは模擬戦……開始して下さい』
中佐の号令の下に模擬戦が始まった。
まず機体を180度旋回し中尉機に機首を向ける。
一方の中尉機も俺に機首を向けている。
中尉機と俺は高速で擦れ違った。今の航過で互いに一発もペイント弾を放っていない。
後方に眼をやるとすでに中尉機が180度旋回して俺の追尾を始めていた。
…なるほど…“空戦の天才”とまで称されるだけはある…
中尉機の射程に入ったのか、俺の機体に向かってペイント弾の束が放たれる。
中尉機の両翼に固定された20mm機銃が火を噴く瞬間に左右のフットバーを交互に蹴り付けて機体を横滑りさせる。
首尾線−機体の機首から尾翼にかけての直線−が合わなければ、いくら銃撃を浴びせても命中はしない。
おそらく今、彼女は弾が当たらないことにイライラしているだろう。
…しかし、このまま逃げていても芸が無いな…
久しぶりにアレをやってみるか…
そう決めて俺は操縦桿を引き付けて、宙返りの態勢になる。
機体の後方に眼をやると中尉機も俺を追ってくる。
俺はそれを確認した後、宙返りの頂点直前でエンジンの出力を少し落として失速させる。
その瞬間に左フットバーを踏み込む。
こうすると失速寸前で推力を失った機体は左斜め旋回する。
−決まった!
旋回した瞬間に左フットバーを緩める。そして代わりに右フットバーを軽く蹴飛ばす。
左斜め旋回を終わらせてエンジンを全開にする。俺の機体の正面にいるのは、先程まで俺を追尾していた中尉機。
使用した技は“左捻り込み”という戦闘機動。
現在の航空機パイロットの中でも最高難度の技だ。
これで形勢逆転だ中尉。…さぁどうする?
俺は機銃の照準の円環を睨みつける。
中尉機との距離は20mぐらいか…まだ遠い…
中尉機は首尾線をずらしながら回避運動をとっている。これでは当たらない。
突如、中尉機が上昇を始めた。
どうやら何か技を仕掛けてくるわけでは無いようだ。
中尉機は500mほど上空にある少し厚い雲に逃げ込むつもりらしい。
だが、俺は追わない。
中尉機が雲に入ったのを確認後、急上昇−−
なんてこと!強すぎる!!
今なら素直に言える。
隊長は強い。
あの教官達が口を揃えて優秀な教え子だった、と言っていたのが伊達ではないことを私は身を持って知った。
先程の“左捻り込み”今まで様々な人と様々な模擬戦をやってきたが、あの技を見たのは初めてだ。
あの技は危険すぎて実戦・模擬戦では誰もやろうとはしない。
失速した瞬間に機位を失って墜落する可能性があるからだ。
それなのに…躊躇いも無く、あの技を使うなんて…
そんなことを考えている間に雲が薄れて来た。
そろそろ雲を抜けるのだろう。
そして…雲を…抜けた。
その瞬間に後方を見る。
隊長機の姿は無い…
逃げ切った…?
そう思って、ホッ、と息をつく。
なんの理由も無く視線を落として操縦桿を握っといる自分の手、グローブを見たら小さくだが、影が写っている。
何だろう?と思い顔を上空に向けると眼に入ったのは太陽の強烈な陽射し。
慌てて視線を太陽からずらすと太陽を背負う形で小さい芥粒…違うあれは…急降下してくる隊長機!!
それを認識した瞬間に操縦桿とフットバーを操作して回避行動に移ろうとした−−
中尉機が雲の中に入ったのを確認した後、俺は追わずに急上昇し雲の上に出た。
下方を見張っていると中尉機が雲を突き抜け出て来たのを確認できた。
俺は太陽の位置を確認し太陽の中に隠れる形で、中尉機に向かい急降下する。
小さかった中尉機の姿がだんだん大きくなっていくのを確認しながら俺は照準の円環を睨みつけ、20mm機銃の発射把柄に指をかける。
俺の姿が確認できたのか、中尉機が慌てて回避しようとする。
だが、もう遅い
照準の円環から中尉機がはみ出すほど接近し、絶対不可避の距離から機銃を斉射
発射した後、中尉機と擦れ違いそのまま降下する。
200mほど降下したところで機首を持ち上げ中尉機の右隣に機体を移動させる。
中尉機の右主翼は俺の攻撃のペイント弾で機体基本色である緑が真っ赤に染まっている。
これがもし実戦なら20mm炸薬弾で右主翼が吹っ飛んでいる。
そしてそのまま墜落、という形になる。
何はともあれ模擬戦は終了。
無線の周波数を中尉のそれに合わせる。
「中尉、聞こえるか?」
…応答が無い…
「繰り返す中尉、聞こえるか?」
『…はい…聞こえています…」
もう一度、問い掛けてやっと応答があった。
それにしても随分と疲れたような覇気の無い声だ…
「模擬戦は終了だ。基地に帰投する。最初に君から降りろ」
『…了解しました…先に降ります…』
通信を終えた後、中尉機が基地に向かって旋回し機首を向けた。
俺もそれに続く。
滑走路が近くなり機体に収めていた車輪を下ろし高度計と速度計に注意しながら着陸態勢に入る。
先に中尉機が着陸、俺もそれに続き着陸した。
そのまま地上滑走しながら格納庫に向かった。
格納庫に近づいたところでエンジンを切り、ブレーキを利かせる。
機体が停止したのを確認し、風防を後方に滑らせ機体から降りる。
地面に足が着いた瞬間に俺を出迎えたのは、野次馬達の歓声と拍手だった。
俺が戸惑っていると副長兼親友兼ライバルのマックスが近づいて来た。
「よぉ相棒!相変わらずの鮮やかなお手並みだな!!」
「おいマックス…なんなんだこの騒ぎは?」
「なんなんだって言われても…平たく言えば観戦だな」
…だと思った…
だが少し気になることがある。
「…なんかよ…女性職員の人数が多くないか?」
「良かったじゃねぇか!この色男!!」
少し呆れてしまって、俺はこの喧騒から離れるために宿舎に戻ることにした。
…マックスの色男発言で顔が熱くなっているのは気のせいにしておこう…
夕食も食い終わり部屋に戻っていた俺は煙草をふかしながら日誌を書いていた。
そんな時に部屋のドアがノックされて俺の許可を取らずに入ってくる奴がいる。
…こんな入り方をする人間は、ひとりしか知らない…
「アレックス、今大丈夫か?」
「勝手に入って来てそれは無いだろうマックス…」
こいつの入室の仕方は学生の時から変わっていない…
それが嬉しい反面、改善して欲しいと思っている今日この頃だ…
「んなこたどうでも良い。…ところでお前、中尉にあの後、会ったか?」
「?…いや…会っていないけど…どうかしたのか?」
「晩飯の時に姿が見えなかったからよ少し気になったんだ。…もしかしたら部屋で休んでるのかもな…」
その後、マックスは二言三言、俺と話して部屋を出て行った。
俺は書いている途中だった日誌を急いで書き終える。
日誌を閉じて、短くなった煙草を灰皿に押し付ける。
寝る前に少し散歩しようと思い宿舎の外に出た。特に理由は無いがただ散歩がしたかった。
これもなんの理由無しに俺の部隊の機体が置いてある格納庫に向かう。
腕時計の針も2200時を告げているので、誰もいないだろうと思い格納庫の近くを通ると格納庫の一角が明るいのに気がついた。
不思議に思い、明るくなっている場所に足を運ぶとそこには、操縦席に座り計器の整備をしているオリビア中尉の姿があった。
明るかったのは中尉が持っているランタンの光だった。
「…お邪魔しても良いかな?」
遠慮気味に声を掛けたが、中尉は弾かれたように俺の顔を見て驚いた表情になる。
「たっ隊長!?どうかなさったんですか!!」
「いや…特に何も無いけど…邪魔じゃないなら少し見てても良いかな?」
「えっ?あっ!はいっ!どうぞ!!」
そんなに慌てる必要なんかないのにと思い苦笑を浮かべる。
俺は中尉の機体の側に置いてあった木製の椅子に腰掛ける。
「…ありがとうございました…」
唐突に中尉が声を掛けてきた。
…だが、俺は彼女に礼を言われるようなことはしていない…
「…悪いけど…何の“ありがとう”だ?」
「…今日の模擬戦で手加減せずに戦ってくださったことです…」
それを聞いて思いだした。
確かに俺は彼女に昨日、手加減せずに戦って欲しいと頼まれていた。
「…別に気にしなくてもいいさ…俺も勉強になったしね…」
「…勉強って…あんな機動する人が、私なんかから何を勉強したんですか?」
中尉は怪訝そうな表情で俺を見た。
少し自嘲気味の声で問い掛ける彼女に俺は微笑みながら答えを教える。
「…それは…状況判断だよ。君は俺に後方に付かれた時に躊躇せず、雲に逃げ込み俺を撒こうとした。…雲中飛行なんか普通のパイロットなら怖くてやらないよ…勉強になった」
「…おだてても何も出ませんよ…それにあの後、隊長にやられてしまいました」
「それは結果論だ。第一、最初は君が俺を追尾していたし、まさかあんなに早く追尾されるとは思ってもいなかったさ…もっと自分に自信を持て」
「…ありがとうございます」
中尉の声は先程よりも柔らかな声になっていた。
少しでも気が楽になってくれると俺も嬉しい。
…嬉しい…?何がだ…?
急に浮かんだ考えに戸惑っているとチェックが終わった中尉が機体から降りて来る。
「…夜も遅いですし、そろそろ寝ます…隊長も早く休んで下さい」
「ああ、分かった…じゃあお休み」
「お休みなさい」
そう言って格納庫の前で別れる。
まだ眠気が襲って来ないので、もう少しだけ散歩をすることにした。
歩きながらポケットを探り、煙草を一本取り出し、マッチを擦って火を点ける。
深く煙を吸い込み、紫煙を満天の星空に向かい吐き出す。
この基地には、まだ戦争の火種は飛んできてはいないが、今、この瞬間にも中央海の島々で、海域で、あるいは空で無数の兵士が戦い、傷つきそして命の華を散らしているだろう…
遅かれ早かれ、俺達は最前線の戦場へ投入されるだろう。
そんな時に思う、俺は彼等を無事にこの場所へ…家族の元に帰してやることが出来るだろうか…
柄にも無く、何処に居るかも分からない神とやらに祈った。
…どうか…彼等を無事に帰還させる為の道具として私をお使い下さい…
第05話に続く