第01話
−この惑星で人間同士が争わなかった時代などない…
歴史がそれを証明している…
この戦争もその一部に過ぎないことだ…−
1926年3月25日 中央海戦争開戦の日に… エスティリア国防海軍 シンヤ・ササキ中尉
現在高度3000m、雲量2〜3、南東に向け巡航中、敵影無し
はるか3000m下を睥睨すれば、美しくアクアブルーに輝く中央海が眺める事が出来る。
だが、俺にはそんな事をしている暇が無い。
俺が今、搭乗し操縦しているのは、軍用機、細かく分類するなら複座水上偵察機“静嵐”、最高速度時速550km/h、最大航行距離は巡航で、約4000km、武装は後席に7.7mm旋回機銃×1だ。
武装がこれだけなのだからもし敵に発見されたら、ひとたまりも無い。
俺は、アレックス。アレックス・ササキ。エスティリア国防海軍に所属している中尉だ。
何故、俺が偵察機を操縦して索敵をしているのかが時々、疑問になる時がある。元々、俺は戦闘機パイロットだった。
…1ヶ月前までは…
少しだけ眼を閉じ、俺が戦闘機パイロットを解雇される事になった事件を思い出す。
あれは、1ヶ月前の1941年5月24日、時刻1205時。場所は中央海。本国から西へ約5000海里の海域だった。
あの日の正午に中央海を挟み、遥か西にある“バスティア帝国”が、10年前に我が国と締結した不戦条約を一方的に破棄し、それと同時にエスティリア共和国に対し宣戦布告をした。
俺はあの時、エスティリア国防海軍が誇る正規空母“ネプチューン”に乗っていた。
そして俺の愛機である…いや…“だった”と言った方が正しいかも知れない。
単座戦闘機“震風”最高速度時速680km/h、最大航行距離は巡航で、約3100km、武装は通常で7.7mm固定機銃×2(機首)、20mm固定機銃×2(主翼)。
この機体は2ヶ月前に試験飛行が完了し、各工場で生産が始まっている。
今回は空母での運用を考えてのテスト飛行となる。
俺は3人の部下と共にテストパイロットとしてこの“ネプチューン”に乗っていた。
テストも問題無く終わり本土へ帰るための準備をしていた時にあの艦内放送が鳴り響いた。
『全乗組員に通達する!バスティア帝国が我が国に宣戦を布告した!よって全乗組員はこれより第二種戦闘配置に付け!!』
最初にあの放送を聴いた時は、よく出来た演習だと思った。
だが、周りにいた整備兵達が、俺達や他のパイロットが搭乗する戦闘機に実弾を搭載していくのを見てやっと気が付いた。
これは…演習では無い…
『なお、これは演習では無い!繰り返すこれは演習では無い!!』
戦争…が始まった
あの後は最悪だった…
開戦時にバスティア帝国はエスティリア国防海軍の要である、正規空母を撃沈させるために様々な海域や軍港に戦闘機、爆撃機、雷撃機を送りこんでいた。
“ネプチューン”も例外ではなく、敵攻撃隊の攻撃を受けた。
まるでウンカの如く襲い掛かってくる敵攻撃隊を防ぐために俺達も飛び上がったが、敵の方が数が圧倒的に多い。
はっきりとは数えられなかったが、おそらくは100機を越えていたと思う。
それに比べてこちらは、俺達を含めて、30機。
俺達4人は最新鋭戦闘機に搭乗しているが、残りのパイロットは、1世代前の戦闘機“隼風”に搭乗していた。
それでも、防ぐために戦った。俺は敵攻撃機と敵爆撃機を2機ずつ撃墜したが…その最中に、2人の部下が敵の集中攻撃を受けて、戦死した…
近くを飛んでいた他のパイロット達も次々と被弾して墜ちていく…
その時、“ネプチューン”の艦尾に大きな水柱が立ち昇った。
おそらくは、敵の航空魚雷を喰らったんだろう…
そして、その攻撃を受けて艦の舵が壊れたのかどうかは分からなかったが、“ネプチューン”はその後、回避運動をとらずに、敵攻撃隊の攻撃をまともに受けていた。
これ以上の攻撃をさせないために俺達は必死に戦った……が最終的に“ネプチューン”は左舷にゆっくりと傾斜していき、そのまま中央海の海底へと没して逝った…
その姿を俺は、ただ敬礼をして送るしか術を知らなかった…
この時点で空母“ネプチューン”を中心とした第1機動艦隊は駆逐艦3隻を残し事実上、壊滅した。
空母を失った俺達や他のパイロット達はこの海域から東に約150kmの地点にある海軍航空基地がある“オーシャン島”へ向かった。
辿り着いた時、この基地も空襲を受けていた。
機体の燃料、残弾数も残り少ないため、攻撃の隙間を見て航空基地の滑走路に緊急着陸をした。
機体を格納庫の近くまでランディングさせ、機体の風防を滑らせて飛び降りる。
そして敵の攻撃を避けるために視界に入った防空壕へ退避しようとした時、俺の後方で爆発が起きた。
振り返ってみると爆発が起きた場所には、部下の機体が無惨な姿となっていた…
部下は俺と同じく機体をランディングさせて格納庫の近くまで持ってこようとしたのだろう。
だが、敵機からみれば良い的になっていた。
敵機の銃撃を受け部下は戦死…
俺は3人の部下全員を亡くしてしまった…
敵の空襲が止むまで俺は防空壕に入っていた。
この状況では、離陸は出来ない。
空襲が止み、防空壕からはい出ると目の前の風景は先程とは違っていた。
俺が降り立った滑走路は爆撃で破壊され、島のあちこちで黒煙が昇っていた…
俺は愛機を確認するために機体を置いてきた場所へ走った。
そこには、破壊されつくした俺の愛機“だった”ものがあった……。
『…い……中尉!』
俺は、伝声管から響いてくる後席の探索員の飛曹からの問い掛けに、はっ、と気が付いた。
ずいぶんと長い間、回想していたらしい。
空中の監視を怠るとは、パイロットにあるまじき行為だ。
それに俺らしくもない…
そんな自分に苦笑いをしながら、操縦席の脇にある伝声管を手に取った。
「どうした?」
『敵影もありませんし、そろそろ帰投しませんか?』
しばらく逡巡して俺は後席に伝えた。
「…そうだな…そろそろ基地に帰投しよう」
機首を基地の方角へ向け、そのまま巡航する。
帰投する基地は“オーシャン島”あの後、電信で俺に対して、命令が送られた。
内容は、テストパイロットである、部下3人を亡くした事と最新鋭戦闘機“震風”を破壊された事による指揮官不適格の決定。
処分が決まるまで偵察機で索敵をしていろ、という命令だった。
理不尽な内容だ…
そんなことを考えている内に太陽は西に沈んでいく。
心が洗われる光景。
少なくとも戦争なんてものがなければ…。
東の空が暗くなり始めた頃、視界にオーシャン島が見えてきた。
高度を落とし、フラップを全開にして、エンジンをゆっくりと絞っていく。
着水速度になったところでゆっくりと操縦桿を引き付け海面に着水する。
そのまま、フロートで海面を滑りながら“静嵐”を固定させる桟橋まで操縦していく。
桟橋まで10mの距離になった所でエンジンを完全に切る。
そのまま余推力で桟橋まで進み、桟橋の中間地点で機体は停まった。
風防を後方に滑らせて機体の主翼の上に降り立つ。
後席の飛曹も同じように主翼に降り立っている。
波に流されないように水上機は桟橋に固定するのだが、それは待機していた整備兵達に任せて、俺は飛行服の胸ポケットに入れている煙草を取り出しマッチで火を点ける。
飛曹にも煙草を勧め同じように火を点けた。
後は基地司令部に帰還報告をして、宿舎に戻って眠るだけだと思っていたら、整備兵のひとりから俺宛の伝言が伝えられた。
「そうだった!ササキ中尉、シュミット少佐が呼んでましたよ。」
「なんでだ?」
「俺達に聞かないで下さいよ。おおかた、また特製コーヒーでも飲ませてくれるんじゃないですか?」
オーシャン島海軍基地の司令官であるシュミット少佐−本名ベルガー・シュミット 階級は少佐、性別は男性、歳は31歳、外見はどう見ても軍人には見えないくらい細い体形だ。
そして趣味はコーヒーのブレンドである。
…俺もコーヒーは好きだが…少佐の場合は…はっきり言って異常な程のコーヒー大好き人間だ。
確かに味は文句無しなのだが…新しいブレンドを作る度に俺に毒味させるのは勘弁してほしい…
そんな事を考えても埒があかないので、少佐の執務室へ向かった。
執務室の扉の前に立ち、ノックをして来訪を伝える。
「ササキ中尉です。シュミット少佐、いらっしゃいますか?」
しばらくして返事が……こない…
「?…少佐?……失礼します」
訝しんで執務室に入ったが、入った瞬間に気が付いた事は、強烈なコーヒーの香り…いや…悪臭と言っても過言では無い。
「…オヤ…中尉じゃないですか。待ってたんですよ!新しいブレンドが出来たので味見してみて下さい!」
「少佐……いらっしゃるなら、ちゃんと返事をして下さい…」
文句を言っても目の前の司令官殿はどこ吹く風で、コーヒーの入ったカップを差し出してくる。
「まあまあ…硬い事は言わずに…これでも飲んで疲れをとって下さい」
しかたないと言った感じで俺はカップを受け取りコーヒーを口に運んだ。
…これは…なかなか良い…モカがベースになっているのだろうか?酸味が効いているが、ほんの少し甘味がある。
「なかなか…美味いですね…モカがベースですか?」
「そうですね。モカをベースにして少しキリマンジャロを足してみました。酸味があるのに甘味があるでしょう」
少佐が嬉々とコーヒーについて語り出すとキリが無いため、俺は気になっていた事を問い掛けた。
「少佐、私に御用とは?まさかコーヒーの話では無いでしょう?」
「…そうでしたね。すっかり用事を忘れる所でした」
用事とは何だろう?
何かあったんだろうか?
身構えている俺を見て少佐は苦笑しながら、口を開いた。
「そんなに緊張しないで下さい。用事とは、保留にされていた貴方の処分が決まった事です。先程、本国から電信で命令文が届きました」
「…そうですか…決まりましたか」
「ええ…ですが、目を通した限りでは悪い処分では無かったですよ」
「……本当にそうでしょうか?」
「本当です…では伝えますよ。処分は2つあります。まずは、喜ばしい事です」
そう言って少佐は机の引き出しから何かを取り出してこちらへ来て俺に手渡した。
その何かを見て俺は目を疑った。それは大尉の階級章。
「おめでとうございます。大尉に昇進です」
「あっ…ありがとうございます」
とっさにそう返答したが、頭の中では疑問符が飛び交っている。
「この昇進は次の処分に関係しているようです。もうひとつは…貴方には良くても私には余り良く無い処分ですね」
「はっ…?」
「もうひとつの処分は、異動命令です。『本土のニミッツ海軍航空基地へ移動し、新設される“第208戦術戦闘航空隊”の隊長に就任せよ』だそうです」
ニミッツ海軍航空基地はオーシャン島から南東へ約1万kmの地点にある基地だ。
「しかし…残念です…貴方のようなパイロットが居なくなってしまうとは…」
「いえ…私など…指揮官不適格の烙印を押された士官です。パイロットとしても二流以下です…確かに戦闘機パイロットとして復帰するのは嬉しい事ですが…」
「それは、軍令部の馬鹿共が勝手に決めた事です。貴方は素晴らしいパイロットです。もっと胸を張って下さい」
こういう時、こんな言葉は本当に慰めになる。基地の職員や兵士達がこの司令官を慕う気持ちが良くわかる。
「ありがとうございます少佐…ところで出発は何時ですか?」
「出発は明朝0600時です。それまでよく休んで下さい」
「了解しました。早速“静嵐”の整備を終わらせます」
敬礼を済ませ機体の整備に行こうとしたら少佐に呼び止められた。
「待って下さい大尉。貴方には“静嵐”ではなく別の機体で行ってもらいます。格納庫にそれがあります。ついて来て下さい」
そう言って先に行ってしまった少佐を追い掛けた。
格納庫に着いた時、俺は目を疑った。
そこには、俺が搭乗する機体が…“震風”があった。
「単座戦闘機“震風”説明の必要は…ありませんね?」
俺は無言で頷いた。
そして機体に近付き胴体をゆっくりと撫でた。
「機体の整備はベテラン整備兵がしっかりとやってくれます。貴方は体を休めて下さい」
俺は少佐に振り返り、踵をあわせ、直立で敬礼を送った。
「了解しました!」
第02話へ続く