閑話休題
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父さんが任務に就くために家を出たのは3日前の事だ。
しかも、その日に限って俺は寝坊してしまい父さんを見送ることが出来なかった。
後で母さんに聞いたら酷く残念がってたらしい…
その分、父さんが帰って来た時は“いってらっしゃい”の分も“おかえりなさい”を言ってあげないと。
そんな事を考えながら俺は学校で出された宿題をリビングで片付けている。
はっきり言って俺は、今日の宿題である数学が大嫌いだ…!
体育は好きなんだけどなぁ…
でも、子供の頃からの夢であるパイロットになるには数学は必須の技術だ。
疎かには決して出来ない。
フゥ…、と息を吐き出しながらやっと宿題の半分ほどが書き終わったノートを閉じた。
残りは夕食が終わった後に済ませようと思ったからだ。
少し固くなってしまった首を回すとコキコキと小気味の良い音が鳴った。
耳を澄ませると台所からは母さんが包丁で何かを刻みながら鼻歌を歌っているのが聞こえてくる。
母さんは俺が生まれた頃から体調を崩していて度々、入院する事が度々あったがここ最近は体調が良いみたいだ。
もちろん俺もしっかりと手伝いはしているけどね。
「アレックス。そろそろ御飯できるから宿題片付けてこっちに来なさい」
母さんが台所から呼び掛けているのが聞こえてテーブルの上に置きっぱなしにしているノートや筆記用具を片付けようとした。
それを始めるかしないかのタイミングで玄関のチャイムが鳴り響いた。
「母さん手が離せないからアレックスが出て頂戴」
それを聞いた俺は急いで玄関に向かった。
玄関に着いた俺は扉を開いて少し驚いた。
扉の前に居たのはスーツを着た身なりの良い男性が数人とその脇に控えるように黒いスーツを着ている筋肉質の男性が4人ほどいた。
彼等の背後には黒塗の高級車が2台停まっているのが視界に入った。
「食事時にお邪魔致して申し訳ありません。私は大統領府事務次官の者です。失礼ですが、こちらはシンヤ・ササキ国防海軍中佐のお宅でよろしいでしょうか?」
身なりの良い男性のひとりが口を開いて俺に問い掛けた。
俺は頷き、肯定の意を表した。
彼等は俺の名前を知っているらしく母さんは居ないかと告げてきた。
おかしな雰囲気に気付いた母さんが台所から出て来てエプロン姿のまま玄関にやって来た。
彼等が自分達の自己紹介をしている間、俺の頭の中では様々な疑問が飛び交っていた。
なんで家に大統領府の人間が来るんだ?
しかもなんでこんなに?
俺がそんな事を考えていると先程、俺に自己紹介した男性が沈痛は面持ちで口を開いた。
「…実は、本日の昼頃に連絡がありササキ中佐が任務中に国籍不明機3機と戦闘になり中佐自身は全機を撃墜したのですが、最後の1機を撃墜した時に爆散した敵機の破片が中佐の機体に当たってしまい操縦不能になり脱出出来ないまま墜落しました。
そして…墜落した機体から中佐の御遺体が発見されました…」
彼等が家に来たのは父さんが“殉職”したことを告げるためだった。
父さんには異例の三階級特進、そして勲章が贈られ、遺族である俺達には助成金が贈られるというものだった。
彼等はそれらを告げると悔やみを込めて俺達に頭を下げた。
だけど、俺にはそれが見えなかった。頭をハンマーで叩かれたような衝撃を感じた俺はただ立ち尽くすだけだった。
家の庭で父さんの軍葬が取り行われた。
父さんの友人や部下だった人や戦争中に父さんに命を救われた人など色々な人が弔問に来た。
父さんは今、柩の中で花に包まれながら横たわっている。
墜落した衝撃や火事で身体の一部は酷く損傷していたけど、父さんの表情は…微笑っていた。
断絶に歪む表情ではなく
恐怖に歪む表情ではなく
痛みに歪む表情ではなく
ただ、微笑っていた…
とうとう父さんとの最後の時が来た。
この時間が過ぎれば柩は埋められて二度と父さんの顔を見る事は出来ない。
俺はそっと柩のガラス窓から父さんの顔を覗き込んだ。
俺とそっくりな…ただ髪は黒色の顔が微笑みを浮かべながら穏やかな表情で眼を閉じている。
そんな父さんに笑い掛けた後、俺は柩から離れた。
父さんの戦友や部下の人達がロープを使いながら柩を深く掘られた穴に降ろしているのを俺は静かに見つめていた。
“僕、絶対にパイロットになる!”
初めて父さんと空を飛んだ時、俺は操縦桿を握る父さんの膝に座りながら興奮した声で約束した。
父さんは何も言わずに大きな掌でただ俺の髪を乱暴に撫でただけだった。
初めて剣術を教えてもらった時。
喧嘩で負けて泣いている俺を慰めてくれた時。
様々な記憶、想い出が脳裏に浮かんでは消えていった…
柩に土が被せられ埋められていく様子を見ていた時、初めて俺は涙を流している事に気付いた。
だけど、こんな時くらいは…泣いても…良いんだよな?
そう思って久しぶりに涙腺を全開にした。
大粒の涙の雫が頬を流れ落ちていく。
埋められた穴の上に用意されていた墓石が乗せられる。
“シンヤ・ササキ 此処に眠る 享年40”
墓石にはそう刻まれていた。
軍葬が終わり人が疎らになった時間帯に俺は父さんの墓の前に来た。
その前で俺は両眼をつむり首に掛けているお守りを握り絞める。
これは父さんの機体から発見された物、つまり遺品。
それを握り絞めながら眼を開けて空を見上げた。
あの場所で父さんは散った。
そう想うと再び涙が浮かんで来た。
その瞬間に突然、穏やかな風が吹き俺の頬を撫で、髪を微かに乱しながら過ぎて行った。
まるで、その風が父さんのような感じがして俺は本当に…本当に微かに笑った。
もう一度、空を見上げた。
変わる事の無い蒼い空。
あの場所で父さんは生きていた。
あそこがどんな場所なのかはまだ分からない。
だからこそ目指したい。
何よりも父さんとの約束を俺自身の夢を叶えるために。
また風が吹き、俺の身体を包みながら過ぎ去って行く。
冬が過ぎ春の予感を感じさせる温かい風。
15歳の春間近の季節、中央海戦争停戦から1年、そして俺がパイロットを本気で目指した時だった。
第12話Part2に続く