第09話Part1
1941年9月1日 現在時刻1712時 場所ミッドウェー海軍基地 同飛行場 格納庫兼掩蔽壕
あと5時間もすれば格納庫前の滑走路に並んでいる輸送機約70機が一斉に飛び立ち、6時間後には輸送機の積み荷として運ばれる陸軍第1空挺旅団の約2000名の兵士達がマウアー諸島本島へ降下し、戦端が開かれる。
果たして何人の兵士達が無事に降下できるのか……。
それは分からないが神に祈るしかない。
といっても俺は無神論者だけどな。
ミッドウェー島の沖に停泊していた艦隊も明日の攻撃に合わせて今日の正午に出航した。
敵偵察機に発見されても良いように太陽が落ちるまでは南へ向け航行し、夜陰に紛れてマウアー諸島へ向かう手筈になっている。
艦隊と共に輸送艦隊や強襲艦隊も同時に出航した。
積み込まれた上陸部隊には、第1海兵師団第2歩兵中隊の面々も含まれている。
この部隊を率いるのは、サミュエル・ニコラス大尉。
出航直前、サミーが輸送船に乗船する前に俺とマックスは数少ない親友を見送った。
アイツはこれから戦場に向かうのに煙草を吹かし、背中にスプリングフィールド狙撃銃を肩にBARを吊しながら何時もどうり陽気に笑いながら乗船していった。
去り際の言葉は“中央海のどこかでまた会おう”と来たもんだ。
おまけにウィンクを混じえながら。
見送った俺達は、手向けに何か言おうとしたが言葉が見つからずに、結局はサミーと同じ台詞と何度繰り返したか判らない敬礼を送っただけだった。
俺は整備兵たちが取り付き整備されている愛機を眺めながら胸ポケットを探り、煙草とマッチを取り出す。
煙草を口にくわえてマッチを擦り、火を点ける。
深く吸い込み、紫煙を吐き出すと心地良い痺れが脳髄に訪れる。
痺れに酔いながら煙草を指先で転がしていると−
「ちょっとっ!!こんな所で煙草なんか吸ってるのは何処の馬鹿っ!?」
−という怒号が背後から浴びせられ、酔いから一気に覚醒めた。
恐る恐る、怒号の発生源を振り向くと立っていたのは、当基地整備班の紅一点、ジェーン・ガイア兵長。
振り向いた俺の姿を認めて彼女は急に顔色を変えた。
「すっ済みません!まさかササキ隊長だとは知らずに失礼なことをっ!!」
「ああ…。いや気にしなくて良いよ。…俺も不注意だったし…」
そう、彼女にはなんの落ち度も無い。
俺はここが格納庫だという事をすっかり失念していた。
格納庫には当然の様に燃料やオイルが置かれている。
もし、万が一、それに引火などしたら……。
……あまり考えたくない。
「済まなかったガイア兵長。今度からは気をつけるよ。…とりあえず整備、頑張ってくれ」
「ハイっ!任せて下さい!!」
そう言って兵長は太陽の様な笑顔を俺に向けた。
整備班だけでなく基地全体に彼女目当ての奴はいるらしい。
その理由がなんとなく判った気がした。
逆に怒らせると…この基地に赴任した初日のオズワルド曹長よろしく、強烈なスパンクを頂戴してしまうが……
現在時刻1946時 場所ミッドウェー海軍基地 食堂
太陽も沈み、夜の帳が落ちた。
今頃、味方艦隊は欺瞞航路から針路を変え一路、マウアー諸島へ向かっているはずだ。
各飛行隊の隊員たち、といっても空挺の連中たち以外は食事を終えて、搭乗員待機室やブリーフィングルームに詰めかけて明日の出撃に備えている。
まぁ徹夜などしないで軽い仮眠を取るのが普通なんだがな。
そうじゃないと明日は体調不良で大変な事になる。
誰だってそんな事で地面にキスなんかしたく無いからな。
俺たちブラック・ウルフ隊の面々は、結局、待機室とかに入る事が出来ずに、こうして食堂に追いやられた訳だ。
緊張感を和らげるためにコーヒーを相棒に入れてもらった訳だが、当の本人、我等が隊長殿はコーヒーが入っているカップに手を付けていない。
カップの代わりに煙草を時々、吹かし目の前の灰皿に置きながら、ガンオイルで所々汚くなった布の上にあるM1911A1を分解掃除している。
「…なぁアレックス。ここ食堂だぜ…。もうちょい別な物イジらねぇか?」
「それは、十分判かってるぜマックス。…こうしてないと不安なだけだ」
気持ちは分からないでも無い。
明日は否応なく地上も空も大忙しになる。
万が一に備えるのは、…まあ…当然っちゃあ当然だな。
会話している間に掃除が終わったのかオイルを所々に注して再び組み立てる作業に入っている。
「…凄い…」
ポツリとオズワルドが感嘆した様に呟くのが聞こえた。
確かに凄い。
コイツは兵学校の頃に銃の分解、組み立ての訓練で開校史上最速のタイムで終わらせた記録がある。
教官も同期の俺達も呆気に取られていた記憶がある。
確か…拳銃で14秒だったはずだ。
小銃でも32秒かからなかったと思う。
あの時よりもタイムが短くなった気がする。
作業が終わり、銃のスライドの噛み具合を確認しながら弾倉に.45ACP弾を込めている。
その一連の動作に疑問を感じた声が俺の向かいの席、アレックスの隣から発せられた。
「あれっ?…隊長、なんでまた弾倉を外しちゃうんですか?」
声を挙げたのは、オリビアだ。
今、アレックスは7発の弾が詰まった弾倉を装填しスライドを引き、まだ装填したばかりの弾倉を引き抜いた。
「…こうやって1発、薬室に初弾装填すると弾倉に空きが出来る。それに改めて1発の弾を弾倉に込めると本来7連発の銃で8発の弾が撃てるって訳だ」
そう言いながら再び弾倉をアレックスは銃に装填し安全装置を掛ける。
その説明を聞いてオリビアと俺の隣にいるオズワルドが納得したように頷く。
「…と言うかお前等、習わなかったのか?」
「「ハイ、全く」」
その答えにがっくりとうなだれる隊長殿。
緊張感が無い会話に思わず笑ってしまう俺。
「そんなら、お前が教えたらどうだアレックス?この前オズワルドの射撃訓練に付き合ったが、酷いのなんの…」
「大尉ッ!それは言わない約束でしょっ!!」
顔を真っ赤にしたオズワルドが非難するが、無視して爆笑。
近くのテーブルからも他の飛行隊の連中が忍び笑いする声が聞こえる。
「判った。今度、時間が空いたらオリビアとオズワルドにコーチしてやる覚悟しろよ?」
笑いながら既に決定事項となった事をアレックスが伝えると二人揃って了解の声が挙がった。
その後、俺達は少しの仮眠を取るために持ってきた毛布に包まってテーブルに突っ伏した。
ただし、アレックス以外はだ。
オズワルドは突っ伏して早々に寝てしまったが、オリビアはアレックスの肩に寄り掛かって寝てしまった。
そのせいで、煙草が吸えなくて困惑し赤面している我等が隊長に内心でエールを送りながら、俺は眼を閉じて身体の力を抜いた…。
現在時刻2250時 場所中央海 ミッドウェー島より南西へ約200kmの海域 輸送船甲板上
…ちょっとキザだったかな……
同期の親友達との別れを思い出しつつポケットから愛飲の煙草−Lucky Strike−を抜き出しオイルライターの火を点す。
この煙草は兵士達の間では縁起が悪いと言われがちだが、そんな事は気にしない。と言うよりは俺はジンクスを担いでいる。なんたって一応は狙撃手だからな。親友二人は確か、アレックスが俺と同じで、マックスはMarlboroだったと思う。
輸送船の甲板で吸っているため煙は風に任せて南の方角へと流れて行く。
部下の隊員達には武器、装備の点検を命令し、俺自身はこうやっている。
今頃、部下達は命令通りにそれらを点検しているんだろう。
南部戦線−深緑の地獄−と呼ばれた戦場から現在まで寝食を共にした部下…いや仲間達。
見知った顔が戦闘の度に消えていく様は隊長職にある人間としては…耐え難い…。
明日の早朝に俺達は艦隊と航空部隊からの砲爆撃支援を受けつつ、装甲が薄い上陸用舟艇に乗り込み、上陸し敵陣の真っ只中に突っ込む。
仲間達を全員救うとは言わない。
俺は神でもなんでもない。
ただの、ひ弱な人間だ。
俺に力は無い。
戦争を終わらせる力も人を死から救うことも出来ない。
だからこそ、俺の手が、眼が届く範囲だけでも−
「…出来得る限り護ってやる…」
−そう呟き、短くなった煙草を海に吐き捨てる。
さてと…俺も点検、終わらせるか…。
現在時刻0316 場所ミッドウェー海軍基地 同ブリーフィングルーム
私達、制空・爆撃飛行隊の出撃予定時刻まで二時間を切り、私達の部隊はブリーフィングルームに集まった。
普段なら広く感じるブリーフィングルームが狭く感じるのは他の飛行隊の隊員も集合しているからだ。そのせいで、ほとんどの隊員達が部屋に置かれている椅子に座れなかった。私達はなんとか座れたんだけどね。
周囲に眼を回すと、第142制空戦闘航空隊“ウィザード隊”の隊長を務めている、パトリック・アンダソーン中尉と眼が合った。
彼が、私に軽く手を振ったのを見て私も微笑んで返事をした。
再び正面に眼を向けると壇上では私の父親であり当基地の司令官を務めているクラウス・オリビア海軍少将が弁舌を振るっている。
内容は今作戦の詳しい概要と現在の戦況の状態。
戦況は、……隊長の危惧した通り、夜間に降下した空挺旅団が苦戦しているという事だった。
その隊長は、…私の右隣で配布され手元にある地図に眼を落とし戦況、戦域、部隊の任務を確認している。
彼…上官に対して“彼”と呼ぶのは失礼だけど…
私が仮眠から目覚めた時、無礼にも彼の肩に寄り掛かって寝ていたことに初めて気が付いた。
当の本人は寝てたけど…
それにアタフタしてたら他の部隊の人達に笑われてたな…。
ついでに副長とオズワルド君にも…。
そんなことを考えていたら、彼がこっちに眼を向けているのに気が付いた。
「…どうかしたか…?」
小声で心配そうに尋ねてくる彼に対し、首を左右に振り“なんでも無い”という意思を伝える。
怪訝そうな表情で納得した彼は再び地図に眼を落とした。
少し、本当に少しだけ顔が紅くなっているのを気にしながら私も再び正面に向き直る。
いつの間にか、父の訓辞は終わりに向かっていた。
「−尚、今作戦の本質は奇襲・強襲作戦の分類に入る。そのため、敵駐留軍の激しい抵抗が予想される。……おそらく、この場にいる者の何名かは二度と会うことは叶わないだろう…」
その言葉に部屋の雰囲気が重くなった。
誰もが、言葉を失い、眼を伏せている。
「…だが、私は和えて諸君等に言う。…誰一人、死なずこの場所に帰還せよ!どんな手段でも良い、必ずだ!…パイロットの第一原則とはなんだ!?」
父の言葉に、私の隣から声が挙がる。
「“必ず生還し、再び出撃すること”であります!」
隣に眼を向けると彼が私に視線を向けて、唇の端を曲げて微笑っていた。
父はその解答に微かに笑った後、再び声を挙げる。
「そうだ。ササキ大尉の言う通り、パイロットは必ず生還しなくてはいけない。…そのことを常に頭に入れておけ!そして作戦完了の夜には全員で宴会をするぞ!以上−出撃だ!!」
部屋のあちこちから挙がる歓声。見渡すと拳を突き上げている者までいる。
その歓声の中、父に敬礼しながらそれぞれの機体に向かうため部屋を駆け出して行く飛行隊の面々。
一人また一人と駆け出して行く。
あっという間に部屋の中にいるのは私達の部隊4人と父や幹部士官だけになった。
隊長がゆっくりと椅子から立ち上がり、直立不動の姿勢で父に敬礼する。
私達もそれに倣い敬礼すると、父も神妙な面持ちで敬礼を返した。
隊長は敬礼から直ると私達に目配せし、駆け出した。
行き先は言わずとも解る。
私達も隊長に続き、部屋を駆け出して行った。
時刻0337 場所ミッドウェー海軍基地 同ブリーフィングルーム
先程のササキ大尉の解答と表情を思い出すと、自分の過去の記憶をも思い出される。
先の戦争でも、このような大規模な作戦の前には、あんな事を言ったり、あんな表情をした男がいた。
ササキ大尉と同じ顔、正し髪色は漆黒だったがな…
“必ず生還し再び出撃すること”
それが、彼の信条であり彼が率いる部隊の不文律だった。
そして、その信条はこうして次の世代を担うパイロットに、若者に受け継がれている。
“想い、意思は必ず受け継がれる”
彼はそんな事も言っていた。
そのことに、一抹の淋しさと、それに勝る喜びを確かに私は感じた。
「…お前の息子は、本当に凄いパイロットに育ちそうだぞ…シンヤ。…たぶん…お前や俺も墜されるかもしれないような奴にな…」
現在は亡き、親友兼上官に昔の口調で報告するかのように呟いた。
現在時刻0413 場所ミッドウェー海軍基地 同格納庫兼掩蔽壕
うっすらと東の空が白んできた。
出撃予定時刻は0500。
それまでは休んでいても良いのだが、判っていてもそれが出来ない。
初めて経験する大規模な作戦。
何が起こっても不思議は無い。
万全をきすため、こうして愛機の点検をしている。
と言っても俺に出来るのは、機体周りの点検のみ。
主翼の下には、70kg爆弾が一発ずつ吊り下げられている。
ブリーフィングルームでの説明にあった通り、今回の作戦では爆装し、海岸線にある敵砲台群をいくつか沈黙させた後、制空任務に就く手筈となっている。
飛行訓練学校では爆弾投下訓練もやったが、あまり良い成績ではなかった。
出撃前に隊長から軽いレクチャーをして貰おうかな…。
ネジの離脱はないか、照準・計器に狂いはないかを確認した。
特に異常は無かったが、それ以外の事は専門家に頼むしかない。
その専門家−ジェーン・ガイア兵長−は、俺の愛機の尾翼の近くで毛布に包まっている。
徹夜明けで疲れているんだろう…。
普段の男勝りの気性からは想像が付かない、穏やかな寝顔。
起こすのも忍びないため、そのままにしておく。
愛機の点検も済み、隊長のレクチャーを受けに格納庫を出ようとしたら、彼女が身じろぎしたため、毛布がズレたのが視界に入った。
傍により、毛布をかけ直してやると顔がかなり近い事に気が付いた。
実は…俺は、異性と触れ合った経験が有り得ないぐらいに少ない。
頬が紅くなっているのに気が付き、慌てて身を離し足速に格納庫を後にした。
現在時刻0453 場所ミッドウェー海軍基地 同飛行場 駐機場
俺が率いる部隊−ブラックウルフ隊−は、既に出撃準備は完了している。
搭乗ギリギリまで、オズワルドに爆弾投下のタイミングや投下高度などの講義をしてやった。
俺達を始めとする制空隊の機体には爆弾が搭載されている。
爆撃部隊の到着までに対空砲群の露払いをし、安全に爆撃部隊が仕事をするためだ。
もっとも俺の場合は、胴体下に吊されている燃料の増槽もついでにお見舞いしてやるがな。
俺には本作戦で戦闘区域内に存在する友軍機−海軍機−に対して戦闘指揮権が与えられた。
部隊の指揮だけでも手一杯だってのに…。
だが、任された以上は全力を尽くしてやる。
改めて心に誓い、愛機のエンジンに点火し暖気運転。
プロペラが回り始め、快調なエンジン音を響かせる。
整備班の面々に感謝。
要員が手信号で滑走路への誘導を始める。
それに従い、スロットルレバーを押し込むと愛機が動き始める。
開いている風防から後ろを振り向くと、部隊の連中も移動を始めたのが確認できた。
滑走路に到着すると待機位置でブレーキを利かせて停止。
左手首に巻いてある腕時計をみると針は0459時を指している。
愛機の時計も同じだ。
そして、双方の針が0500時を指した。
それと同時に滑走路脇にいた要員が手にしている朱旗が振られた。
「隊長機よりブラックウルフ全機へ。出撃だ!離陸開始!!」
全機からの了解が耳に入り、スロットルレバーをゆっくりと押し込み離陸態勢。
地上滑走を始めた愛機を加速するためにスロットルレバーを限界まで押し込む。
速度計の針が離陸速度に達したのを確認し、操縦桿を手前に引き寄せる。
そうすると愛機は地上の重力を離れ、空に舞い上った。
そのまま愛機を高度1500mまで上昇させる。
達すると部隊の機体も俺のいる高度に到達し、編隊を組んだ。
しばらくすると、他の部隊も昇がり編隊を組み始めた。
これだけの機体が、どこにあったのかと聞きたいと思うほどの数だ。
当基地に存在する全稼動機が飛び立ち、大編隊が組まれた。
ゆうに、50機を越える戦闘機の群。
これに、すでに出港している機動艦隊に存在する航空機も含めたら100機以上になるだろう。
太陽が昇ってきた東の空に背を向け、俺達は西へと針路をとった。
目指すは、マウアー諸島。
俺達の戦場だ−。
第09話Part2に続く