閑話休題:帝国空軍大尉 エーリッヒ・ハルトマン
今回から登場している“エーリッヒ・ハルトマン”は実在の人物です。
旧ドイツ空軍に所属し、終戦時の総撃墜数は、352機!?
ちなみに、恋人の“ウルスラ・ペーチュ”も実在の人物。
お二人とも後に結ばれました。
帝都標準時刻0620時 バスティア帝国本土 ヒンメル空軍基地 同飛行場
眼の前では、俺の愛機である−と言っても二回、撃墜されてこれで三機目の機体だが−メッサーシュミットBf109Gを整備兵たちが一心不乱になって整備をこなしている。
俺は、エーリッヒ・ハルトマン。
一応は、栄えあるバスティア帝国空軍大尉だ。
所属部隊は、第52戦闘航空団 第III飛行隊第7中隊−通称 カラヤ中隊−。
同中隊の中隊長を務めている。
つい一月前までは、中央海の南部戦線に投入されていたんだが、戦況の悪化で本土のこの基地へ異動となったばかりだ。
そう…“なったばかり”だと言うのに再びの異動命令が下った。
異動先はマウアー諸島。
最近、エスティリア軍の交信頻度が多くなってきているため、近々、大規模な作戦が中央海の何処かで展開されるのだろうと言う上層部−特に総統府−の見解のためだ。
その一環として俺が所属する飛行隊がまるまる異動することになっちまった。
異動とは簡単に言うが、パイロットとしては骨が折れるものだ。
マウアー諸島と本土では直線距離で9000kmも離れている。
それに加えて、俺の愛機であるメッサーシュミットは、航続距離が増槽を使用しても1000kmを越えるかどうか分からないと言う燃費の悪さ。
速度や戦闘能力には文句は無いんだけどな…
この燃費だと長距離飛行が出来ない。
全くもってエスティリア軍パイロットが駆る航空機の優秀さには脱帽するばかりだ。
−と言っても大半の設計思想は倭国の技師の物らしいが…
結局、飛行での移動は諦めて空母に着艦して運んでもらうことになった。
現在、整備兵たちがやっているのは着艦に必要なフックの取り付け作業だ。
…空軍機に着艦フックを付けるなんて前代未聞だが…
その間に俺たちパイロットは、と言うと……はっきり言って暇だ。
簡単な整備なら手伝えるが、ああいう専門的な事は流石に出来ない。
整備が終わるまで、俺たちは空を見上げて流れていく雲でも眺めているしかない。
まぁ…どのみち、今すぐに出発とはならないだろう。
俺は一旦、宿舎の自室に戻ることにした。
まだ薄暗いため、部屋の電気をつけると机の上に一通の封筒が置いてある。
手に取って差出人を確かめると、自分でも頬が緩むのが分かった。
差出人は、ウルスラ・ペーチュ。
俺の幼馴染の恋人だ。
彼女は俺より二歳下だが、小さい頃は負けん気が強くて男勝りな性格だった。
現在は、だいぶ大人しくなったと……思う……多少は……。
そんな恋人からの手紙を読むために封筒の端をハサミで切り取り、中から二通の便箋を取り出す。
便箋には、見慣れた筆跡が綺麗な筆記体で文字を綴っていた。
−愛するエーリッヒへ−
お元気ですか?
たぶん、大丈夫だと思うけど忙しいからって、洗濯物を溜めてたり、靴下を脱ぎ散らかしたままで行方不明になっていませんか?
時間がないからって茹でたジャガイモで、ご飯すませていないわよね?
ちゃんと食べないと身体壊すわよ。
いきなりこんな事を書いてごめんなさいね。
最近の新聞や広報では戦況はこちらが優勢だと報じられています。でも貴方の所属は航空隊だから色々と危険な任務に着いているんだと思います。
そしてこの間、新聞の写真で貴方を見ました。
帝国三軍のパイロットで撃墜数がトップだという事も知りました。
恐らく貴方は出撃を繰り返しているんでしょうね…
昔、貴方が休暇で故郷に帰って来た時に、私は「空はどんな所?」と尋ねましたよね。
その時、貴方は「寒くて長時間の飛行は疲れる」と答えてくれました。
その事を思い出す度に故郷に降り注ぐ陽気な太陽の光と暖かい熱を貴方に届けたいと常々思います。
戦争が始まってから私は毎日、貴方の無事と武運を神に祈っています…
…どんなに格好悪くても良いから必ず、絶対に私の元に還って来て下さい。
それだけが、私の望みです。
書きたい事、伝えたい事は尽きませんが今回はこのぐらいにします。
必ず、また手紙を書きます。
それでは…。
ウルスラ・ペーチュより愛を込めて…
追伸
二日に一回くらいは髭を剃るように!
もし、還って来た時に髭が生えてたらキスしてあげませんからね
…………マズい…………
新聞に載った写真には無精髭が生えていた俺が写っていたはずだ……
見られたなら……たぶん、還ってもしばらくの間はキスしてくれないかもしれない……
異動前に気分が沈んでしまったが、返事を書いて謝らないとな……
そう考えつつ、机の引き出しから便箋と封筒そして万年筆を取り出して返信の構想を練り始めた。
−愛するウルスラへ−
まず、最初に…済まない…髭は二日に一度は必ず剃る…。
俺だって、君のお帰りのキスが欲しいしね。
…もし検閲官がこの手紙を読んだら笑うだろうけど…
君からの手紙を読む限りでは、故郷の方には戦争の影響は届いていないようだな…安心した…。
…戦況は確かに、帝国側の優勢に傾いている。
俺自身も、まだ大きな怪我もなく飛び続けている。
…きっと君の神への祈りが届いているんだろうな…。
その御加護を俺の部下たちにも分けてやりたいくらいだ。
俺たちの部隊は、この手紙を書き終わったら直ぐに次の戦地へ赴くことになる。
場所は、軍機密になるため伝えられない…済まない…。
俺たちの戦場となる空は、とても寒い…。
寒くて骨の芯まで凍りつきそうだ…。
……でも、ひとつだけ暖まることが出来る方法がある…。
…君のことを想うんだ…
戦争が始まってから、空戦になる度に俺は操縦席に貼ってある君の写真を観て、生き残る力と勇気を貰っている。
実は…対空砲で、二回ほど撃墜されたんだが、脱出する前に君の写真を剥がして一緒に落下傘降下している。
君のことだから、「写真なんかどうでも良い!」って言うんだろうけど、俺にとっては、心の支えになっているんだ…。
写真とは言え、君を戦場の空に連れて行っているのをどうか許して欲しい…。
最後になったが、俺は必ず君の元へ還る。
絶対にだ。
戦争は何時になったら終結するか、まだ分からない。
…戦争が終わって俺が故郷に…君の元に還ったら…その時は……。
……辞めておこう。
こういうことは、顔を合わせて言うもんだからな。
暇が出来たら、また手紙を書く。
では、またその時まで…。
エーリッヒ・ハルトマンより永久の愛を込めて…
……なんだか、甘い文章になってしまった気がする。
でも、まぁ…大丈夫だろう。
検閲に引っ掛かるようなことは書いていないしな。
だが、ひとつだけ愛する恋人についた嘘がある。
現在の戦況は良好では無い。
むしろ、帝国は劣勢に立たされている。
南部戦線の守備隊がほぼ壊滅した現在、共和国軍はマウアー諸島を始めとする北部戦線に圧倒的物量で襲い掛かってくるだろう。
恋人への嘘に一抹の後悔を覚えながらも書き終わった便箋を折りたたみ、封筒に入れて糊で閉じる。
一連の作業が終わるか終わらないかのタイミングで、部屋の外から部下が着艦フックの取り付けと整備の終了、そして出発の命令が下ったことを伝えてくれた。
それに了解の返事をして糊付けしたばかりの封筒を手に取り、座っていた椅子から立ち上がる。
まずは、この封筒を郵便課に出してから滑走路に向かうことにした俺は部屋を出て歩きだした。
第9話 Part1に続く