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高嶺の花

作者:猫山つつじ
 私は六甲山の高山植物園でキレンゲショウマの花を見ていました。私の好きだった花で、毎年夏になるとここに来ています。
 そのとき、ちょっと場違いな陽気な着信音が鳴って、一年ぶりに彼からのメールが届きました。


 一年前、私はそのメールの彼ではなく、学生時代から憧れていた先輩といつも一緒に出掛けたり食事をしたりしていました。
 五月には一緒に北九州の門司港に旅行に行ったりして、お互いに好きだと言った訳じゃないけれど、誰から見ても恋人同士でした。
 趣味も合うし一緒にいて楽しいし、私のことをかわいいとか魅力的だとか言ってくれて、近いうちにちゃんと告白してくれて、やがては結婚まで進むのだと信じきっていました。
 その矢先に、先輩からまさかの友達宣言をされたのでした。

 振り返ってみると予兆はあって、私が友達の結婚の話をするとすぐに話題を変えたり、既婚の友達の苦労話を持ち出しては、彼自身には結婚願望はないということをアピールしたりしていました。
 それでも私は、あくまでも今すぐには結婚しないというくらいの意味だろうと考えていたのです。
 ところが仕事で会えないと言っていた週末に彼が何度か他の女性と会っていたことがわかって追及すると、私のことは単なる友達としか思っていないと言い出したのです。
 私は彼を不誠実だとなじりましたが、彼はお互いに告白した訳でもないし、恋愛感情で付き合っていた訳じゃないと開き直って、浮気相手の女性のほうが本命だと言い放ったのです。


 心にぽっかりと穴の空いた私がそのとき連絡を取ったのが、冒頭のメールの彼でした。

 その彼と私が面と向かって関わっていたのは、三年前の春から一年間ほどになります。
 ある合同の食事会で知り合った彼は、典型的な優しいだけが取り柄のような男性で、よく一緒に出掛けたり食事をしたりしていました。
 彼は私のことを好きだと言ってくれましたし、私が楽しめそうなプランを毎回考えてくれて、食事も私の好みをよく覚えてくれていました。
 それでも仕事で優秀なふうでもなく、スポーツが出来るわけでも特技があるでもなく、見た目も平凡でどちらかというと口下手な単なるお人好しのような彼は私にとっては恋愛対象には見えなくて、そのことは正直に彼に伝えていました。
 それを承知で、彼は私との友達付き合いをしていたのです。

 この高山植物園にも一緒に来て、彼がキレンゲショウマをバックにして私の写真を撮りたいと言ったのを断ったことを覚えています。
 断った理由は単純で、彼氏でもない男性に写真を撮らせたくなかったからです。写真といえども、彼の物にさせたいとは思いませんでした。
 彼は私の嫌がることを無理強いしたりは決してしなくて、そのときも一瞬残念そうにはしていましたが、すぐに私の植物談義に合わせて笑顔でうなずいてくれていました。

 ただ、後日私が憧れの先輩との再会の話をしたあたりから、私と先輩の関係を気にする素振りを見せるようになりました。
 あからさまな嫉妬というほどではなく、ことさらに干渉するわけでもないのですが、彼氏でもない男性から少しでも詮索めいた態度を取られるのは私にとって面白くはありません。
 それに、先輩との関係を進展させる上では、はっきりいって彼の存在が邪魔でした。
 手一つ握ろうとしてこない無害な彼ですが、二人で植物園に行くような男友達の存在を先輩も喜ばないでしょう。

 なので、恋愛感情を持てないままの友達関係は彼のためにならない、素敵な出会いを探してほしいと言って、一昨年の春に彼に別れを切り出したのです。
 彼は友人関係を続けながらずっと私を待ち続けるつもりでいたので、少しは抵抗を見せましたが、どれだけ待たれても結論は変わらない、待たれることが私にとって苦しみになるのだと告げると、悲しげな目をしながらも受け入れてくれました。

 連絡を取り合うのもやめようと約束して、彼はその約束を守ってくれました。
 障害物を取り除いた私は、心置きなく先輩との仲を進展させることができました。


 その後、今から一年前に先輩との関係が破綻した後に、私は彼に一通のメールを送りました。

 同性の友人たちは陰で私を笑っている気がして信用できないし、彼なら今も私への想いを残したまま独りでいて、私の愚痴の一つも聞いてくれるだろうと思ったからです。
 魅力的な男性ではありませんが、弱味につけ込んで強引に言い寄ってくることもないだろうし、気持ちが弱くなっている私にちょうどいい人だと思いました。

 私は念のため誤字脱字がないかチェックして、近況を気遣うだけの内容の簡単なメールを送信しました。
 彼は今度こそ私と付き合えるかもと期待するかも知れません。でも私は一度たりとも彼のことを好きだと言ったことはないし、今回も好きだなどとは一文も書いていません。
 彼と再会して、もし彼が魅力的な男性になっていたら考えないこともないけれど、そうでなければ、あなたにはもっとふさわしい女性がいるはずだとか言ってはぐらかして、友達として彼の優しさだけを受け入れればいいのです。

 同じ日の夜遅くに、彼からの返信が届きました。
 戸惑いながらも喜んで返信して来たのだろうと思いメールを開くと、社交辞令を並べただけの挨拶文の最後に「僕には今お付き合いしている女性がいるので、友達として返信しました」と結ばれています。
 その文字に私は動揺しました。
 私は彼が私のことを好きなままでいると、確信のような自信を持っていたからです。
 これではまるで私が彼に未練を持っていて、彼のほうが高嶺の上から私を見下ろしてやんわりと拒絶しているかのようです。
 「友達」というのは私が彼を言い表す言葉であって、彼が私を言い表す言葉ではなかったはずです。
 私がメールを送れば彼は喜んで返信し、私が愚痴を言えば彼は喜んで聞いて、会って話を聞きたいと彼のほうから言ってくるはずだったのです。
 私は彼のことを友達と呼んで、彼は私がいつか自分を受け入れてくれると期待して、それが彼の幸せであるかのように私のために一生懸命になるはずなのです。

 次のメールで、私は今の自身の不幸を文面で訴えながらも、彼の幸せを祝福し、これを私からの最後のメールにすることを書き添えました。
 私はここに及んでもなお、彼が私を気遣って一生懸命になってくれるような気がしていました。
 しかし彼からの再度のメールもやはり、うわべのみ私を気遣う社交辞令の短文で、ようやく私は自身の思い違いを知ったのでした。


 それから一年、私は誰を好きになることもなく、自身の不幸と彼の幸せを悲しみながら生きてきました。

 いまさき彼から届いたメールを見ると、私がどうしているか気になっていると、情感のこもった文章で書かれています。
 一年前は自分の幸せのためだけに一生懸命だったが、今は違うとのことです。
 彼は交際していた女性とは上手くいかなかったのでしょう。彼は魅力的な男性ではないし、嫌われはしないまでも、愛されもしないのはありうることです。今さらながら、また私のことが気になり始めたに違いありません。
 少しうれしくなった私は、長文だったので画面をスクロールして先を急ぎました。しかし、そこに書かれている文字を見て、私はまたも自身の思い違いを知ることになります。

 彼は交際していた女性とこの春に結婚して、奥さんは妊娠中なんだそうです。大切な家族ができて、世の中は思いやりと助け合いで成り立っていると強く感じるようになったと結ばれていました。

 彼にとって私は単なる同情すべき不幸な友達だとでも言いたげな文章です。
 私は腹立たしくなって、いったん画面を閉じました。
 顔を上げると、手を伸ばせば届く所にキレンゲショウマの花があります。高嶺の花のプライドを捨て、この植物園で人間に媚びるだけに落ちぶれた、くすんだ黄色でうつ向き加減の哀れな花です。

 私は届いたばかりのメールを削除し、着信拒否設定にすると、彼のアドレスも電話番号も全て削除しました。
 これでもう、彼がどんなに私を心配したとしても、私はもう彼の手の届くところにはいません。彼の想いは永久に私には届かないのです。

「ざまあみろ!」
 私は叫びました。
 清々しい高原の風が私の横を通り過ぎていきます。私の心も風のように澄みきって、私は思わず声をあげて笑いました。
 通りすがりのカップルがぎょっとして私を見やりましたが、関係ありません。
 こらえきれない涙があふれてきます。でも、これはきっとうれし涙なのでしょう。

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