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三界大戦記―好色皇子と三界の姫たち― 作者:安里優

第三部:人界侵攻・龍玉編

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第37回:再誕(下)

 その人は、美しかった。
 その人は、凛々しかった。
 その人こそ、全き美と武の体現者であった。

 彼女にとって、その姿は憧れであり、崇敬の対象であり、そして、なによりも、自らが少しでも近づくべきはるか遠き道標であった。
 人外の美と人の想像すら及ばぬ力持つ、その存在の名をマハーシュリー。
 その女神の姿を見た時、ローザロスビータの人生は大きく変わったのだ。


 ローザロスビータは、戦王国の姫として育てられた。
 しかしながら、戦王の娘という立場は、姫という名が相応しいほど確固としたものではない。
 戦王国の外に出れば、何代も領地を確保している小貴族などごろごろいる。ところが、そんな彼らより広い領土を持っていたとしても、一代で途絶えてしまうのが戦王国だ。姫だなどと言われるような立場とは言い難い。

 そんな戦王国で、国家機構を次代に引き継ぐという偉業を成し遂げたのが、彼女の父母であった。
 母は、母方の祖父が持つ領地よりもずっと小さい戦王国の王子であった父を伴侶として迎え、二つの戦王国を結び付けた。
 父はそんな母の期待に応え、元々の二つの戦王国よりもずっと大きな領土を確保して、名将の名をほしいままにした。

 彼女もまた父母を見習い、自らの身を守るため、民を守るため、そして、なによりも父母と彼女の夢――恒久的な王国建設とそれによる一帯の平和――をかなえるため尽力するつもりであった。
 だが、それは、母が行ったように、父の後継者に足る人物を見つけ、その人物を支えることで成し遂げられるだろうと、なんとなく思っていた。
 それなのに。


 歩けなくなった父に与えられた神秘の動甲冑の様子を見に来たマハーシュリーの姿を見、声を交わし、その手に抱き上げられた。
 どんなことを話したのか、緊張のためか、さっぱり思い出せない。あるいは失礼を働いたのでは無いかと時折気に病むくらいに。
 だが、一つだけはっきりと覚えている。

「この子は良い目をしている」

 彼女はそうローザを評した。
 その時から、ローザロスビータが目指すべきは、マハーシュリーという女神にほんのわずかでも近づくこととなった。
 女神に近づくという不遜とも言える難行を果たすためには、消極的な態度ではだめだ。
 父の後継者を探すなどと待っているわけにはいかない。

 ローザは、学び、鍛え、ひたすらに自らを磨き上げ、己が父の後継者を担うに足る人物となろうとした。
 その努力の全てが、その願いの全てが。
 マハーシュリーという女神、そして、彼女が象徴する神々という尊き存在に捧げられたものだ。

 彼女の戦いは自らのためであると同時に父のためであり、神の栄光に捧げられるべきものだ。
 彼女の行いは、全て神界の誉れとなるべく律せられている。
 彼女の生は、究極的には神々のための供物であると、そう心に決めている。


 そんな自分が、いま、魔族の虜囚か……。
 まわらない頭で、ローザはそんな風に考える。

 マハーシュリーと初めて会った時の夢を見ていた。
 その夢と地続きな感覚のまま、彼女は視界に入る情報をなんとか処理しようとしている。

 見覚えのある風景では無い。
 体も首もうまく動いてくれないせいで、見回すことも難しい。
 寝台に拘束でもされているのではないか、としばらくしてから彼女は気づいた。そうでなければ、こんなにも体が重いはずが無いし、下半身の感覚がほとんど感じられないわけもない。

 いずれにしても、彼女が魔族に虜にされていると判断したのは、彼女がいる部屋の様子では無く、そこにいる人物を見てのことだ。
 名前は……覚えていたはずだが、記憶のどこかに入り込んでしまったようで出てこない。
 しかし、頭に布を巻いた少女が、魔軍の中にいたことは覚えている。

 たしか、自分はなにか彼女に憤っていたことがあったはずだが、その感情もどこか遠い。
 この思考の緩慢さも、魔族どもになにかされているか、あるいは捕虜となる過程で傷でも負ったのかだろう。

 どちらにしても、いま、動くのは得策とは思えない。

 まずは、事態を把握しなくてはいけない。
 魔族どもに捕らえられているのはわかったが、それがどうして起きたのか、そして、自分がいまどうなっているのか。
 それを識別し、対策を立てる。

 だが、いまはそれもおっくうだ。
 ずくんずくんと体の中で心臓が音を立て、彼女を眠りに誘う。
 体内から生じているとしか思えない熱が、ローザを夢へと引きずり込んでいった。
 幸せな過去と、なぜかそれにつきまとう奇妙な暗い影の同居する夢へ……。


                    †


「では、改めて紹介しよう。諸君。彼がクラウスフレート・ゲデック侯爵。新たな魔族の一員だ」

 ローザロスビータが夢とうつつの合間で揺れている間にも、物事は進んで行く。
 この日は、ヴェスブールの調査報告を受け、改めてカラク=イオ幹部の集会が開かれていた。
 その中で、スオウがゲデック侯爵をカラク=イオ幹部に迎え入れることを宣言し、彼のことを紹介していた。

「わかってはいても、なんだかこそばゆいですな」
「まあ、そう言うな。侯爵はすでにカラク=イオの一員ではあるが、魔族の新規参入者となれば、これはまた格別のことでな」

 どういう顔をしていいかわからないという初老の男の様子に、その場の皆がおかしそうに笑った。その笑い声に、ますます照れたように、侯爵は頭をかく。

「さて、幹部としての扱いですが、これまでの我々のように、軍の幹部であり、かつカラク=イオという組織そのものの幹部として働くというのとは少し異なり、侯爵にはあくまでカラク=イオのまつりごとの部分で働いていただきます。具体的にはこれまで通りゲデック統治ですが、いずれはソウライ各都市の取り纏めも担っていただく予定となっております」

 笑いが収まり、スオウとクラウスも席に着いたところで、スズシロが二人に代わって立ち上がり、そう説明した。
 すると、フウロが目を細め、探るようにスズシロのことを見る。

「んー。それって、侯爵は軍のことには口出せないけど、あたしらは統治のことにも口出せるってことだろ? ずるくない?」
「ずると言われても」

 思わず苦い表情になるスズシロに、侯爵がすかさず言葉を挟む。

「最初からおられた方々が特別なのは、当たり前のことでしょう。不満などありませんよ」
「いずれ人が増えれば、我々も軍務に専念するか、あるいは、政務へとまわる者も出てくるだろう。いまの時期だけのことだ」
「ああ、なるほど。人材確保の問題ってことですか」

 侯爵の意見をハグマが補足する。それに対して、フウロは理解したという風な顔で頷いた。

「まあ、俺としては相談できる相手は確保しておきたいところだからな。いまはそうした形でいかせてもらう」

 そこにスオウの声がかかることで、その場の空気が変わる。それまでは討議であるが、これは決定である。
 カラク=イオの意思決定者であるスオウが望むなら、そのようにするのがいいだろうと誰もが納得していた。

「さて、侯爵。はじめになにかあるかね?」

 スオウが軽く問いかけたのに対し、応じた侯爵のほうは顔を引き締め、鋭い視線を幹部たちに飛ばした。

「魔族のしきたりや、占領地統治のやり方などについては今度詰めていくとして、近々に起きた出来事で二つほどおうかがいしたく」
「ああ、どうぞ」

 スオウに促された侯爵は、しかし、しばらく口を開かなかった。その様子に、カノコとエリが不思議そうに顔を見合わせる。

「一つは、その……魔族として認められるならば、あのようなことをこの身にもすべきなのですかな?」
「あのようなこと?」

 ようやく疑問を口にしたクラウスであったが、その言葉が指し示すものは明確ではなかった。スズシロが聞き返すのも当然であろう。

「ミュラー=ピュトゥの娘に……その、された処置です」

 そのスズシロに彼は困ったように顔を歪めて、そう告げた。

「ああ、そういうことか」

 それでようやく彼の言わんとすることが理解できたスオウが、思案しながら、顎を撫でる。どう説明したものかと考えている様子であった。

「そうだな……。侯爵が望むならやらんこともないが、普通はしないな。魔族であることは肉体に依存しない。人と変わらぬ体であろうと、心根がそうであれば、天を墜とすために生きる者はそう認められるんだ」
「では……」
「ああ。体を改造する必要は無い」

 あからさまにほっとした顔を見せる侯爵。
 その様子に、スオウはシランと視線を合わせた。二人で見つめ合い、シランがにっと不敵な笑みを見せる。
 それを見てスオウが安心したように微笑むのに、シランはその片目をきらきらと輝かせるのだった。

「で、では、もう一つですが……」

 侯爵は続ける。最初の疑問に対して、次のものはずいぶんと深刻なようで、言葉を紡ぐ間に彼の声はどんどんと固くなっていった。

「ヴェスブールの惨状は自ら見分して参りました。その上で、思うのですが、ヴェスブールを消失せしめたあの力をもってすれば、神を名乗る悪鬼どもは、簡単にこの軍どころか、魔界全土を灰に出来るのではありませぬか?」
「出来ますわね」

 それに応じたのはユズリハだった。金の髪を揺らしながら彼女は軽く肩をすくめる。

「けれど、それは為されないことでしょう。決してね」

 そして、そんなユズリハの言葉を継いだのは、ミズキ。彼女は自らの灰金の髪をいじりながら、つまらなさそうに言葉を吐き出していた。

「何故に?」
「確かに、神界、あるいはその協力者たちが持ちながら封印している力を全て解放すれば、魔界どころか、この大陸全土を灰燼に帰すことも可能でしょう」

 結局、詳しく説明を始めたのはスオウの頭脳であるスズシロであった。

「しかしながら、それが解放されることはありません。なぜならば、魔界にもそれと同等の力が封じられているからです」
「なんと!」
「これらの力が無制限に解放された場合、大陸そのものが粉々に砕け散り、海に沈んでしまう……いえ、海すら乾ききってしまうかもしれません」

 侯爵は声も無くぽかんと口を開けてしまっていた。もはや、彼の想像力の限界を超えているのかもしれない。
 彼の他に、エリもまた驚いたような表情になっている。
 こちらは真龍としての知識があるため、事前に多少はわかっていたはずだが、改めて聞かされると驚くしか無いのだろう。

「そうなれば、誰も得しない。たしかに神魔は嫌悪しあい、互いを滅ぼしたがっているかもしれんが、大陸全土を巻き込もうと思うほど見境無しじゃない」

 色々と愚かではあるがな……とスオウは誰に言うとも無く呟いた。

「ともあれ、協定を結び、あまりに強力な力は封印することとした……わけですが」

 物思いにふけりそうな主に対して、ハグマがそう話を振ると、スオウは大仰に肩をすくめた。

「ああ。だが、ヴェスブールには用いられた。確かに協定では人界のことには触れていないとはいえ……。非道きわまりない話だ。それでも、今後そうそうあるかと言われると疑問だな」
「今後、無闇とあのようなことが起きることはないと?」
「無闇とはな」

 慎重の上にも慎重を重ねた様子で尋ねかける侯爵に、スオウはそう請け合った。

「まあ、それも神界の連中がいよいよおかしくなったんじゃないって前提ですけどねぇ」
「そこを疑い出すときりがありません。いずれにしても、今回の件については今後も調査が必要でしょう」

 フウロが不快そうな顔で吐き捨てるのに、スズシロがたしなめるように声をかける。それから、彼女は小さく付け加えた。

「……生存者も確保しているわけですから」

 そこで、誰もがローザの姿を思い浮かべたことだろう。
 彼女は、侯爵言うところの『処置』をスオウに受けて以来、ほとんど目覚めることが無い。

 おかげで、彼女から証言を得ることは未だ出来ていなかった。
 彼女が目覚めれば、それはそれで問題が生じてくるので、いまはとりあえず様子を見ているのが現状だ。

「それにしても」

 話が一段落したと見て、ユズリハが苦笑交じりの軽い調子で言う。

「こうして間近にいたわたくしたちもわかりませんのですから、魔界では余計に頭をなやませていることでしょうねえ」
「それはねぇ……」

 シランはそれに対して軽く同意していたが、一方、カノコはなにか思い出したかのように険しい顔付きになる。
 そんな険しい顔のまま、彼女は意を決したようにぴっとまっすぐに手をあげた。

「太子様、太子様」
「ん?」
「その件に関して、少し考えていることがあるのですけれど、よろしいです?」
「ああ。もちろんだ。話してくれ」
「はい。ええとですね」

 スオウの許しを得たことで反射的に、にへらっとゆるんだ顔を引き締めて、カノコは小さな体をめいっぱい動かしながら説明を始める。

「今回はヴェスブールに対して砲撃が行われたわけです。ですが、これがこの軍目がけてだった場合、さすがの僭主もなんらかの手を打つと思うのです。もし、神界が、魔軍の一部とはいえ軌道砲撃による殲滅などしでかしたならば」
「ふむ……。メギがどれだけ俺を憎んでいようと、さすがにそれで一切の反撃をしないとなれば、魔界の主としての見識を疑われる。皇帝を僭称する立場であればなおさら、やらざるを得ないか」
「はい。ですから、あちらとしても調査に人を派遣せざるを得ないのではないかと……。そう思うのです」

 カノコのその意見に、感心したような空気が流れる。ヴェスブールの件は実際に起きたことの印象が強すぎて、周辺事態にまでは意識が及んでいなかった者がほとんどだったのだ。

「なるほど……。その可能性は大いにありますね。となると……」
「関が開くか」

 スズシロが言うのに、ハグマが渋面を作る。魔界本土との戦闘は、いまのカラク=イオが望むものではなかった。

「そうなります」

 だが、それが避けられないであろうと、彼女は結論づけざるを得ないのであった。


                    †


「実際の所、なにが原因だと思う?」
「神界がヴェスブールを消滅させた理由ですか」
「そうだ」

 幹部たち全員の会合が終わった後で、スオウはスズシロの部屋に来ていた。いるのはスオウとスズシロ、それに彼女の副官のヌレサギだけだ。

「いくつか考えられますね。たとえば、我らに敗北したことへの懲罰」
「そこまで神界の連中が狂っていたら、俺とメギとの争いなど吹き飛んでしまうな」

 とてつもない力を秘めた存在が狂気に陥っていたとしたら、魔族同士の争いなどしている場合では無い。
 全面的な滅亡を回避するためなら、スオウは自らを犠牲にすることも厭うつもりは無かった。
 だが、いまはそこまで考える必要はないだろう。

「では、ヴィンゲールハルトたちが戦を止めようとしていたというのはどうです? 一度敗れたくらいで逃亡となれば、神界の怒りを買うでしょう」
「鳳凰を数機飛ばせば十分だろう?」
「ええ。仰るとおり。『インドラの雷』を使うほどの理由ではありませんね」

 神を名乗る者たちが怒りを感じたとしても、通常戦力だけで人界の一軍を滅ぼすことは出来る。なにも封印された力を解き放つ必要は無いのだ。
 それはスズシロも承知の上だったのだろう。一応は考慮にも入れてみたというところであろう。

「る、る、『ルドラの暴風』でも、『アグニの業火』でもなく『インドラの雷』だったことが……気にかかる」
 そこに、それまで黙っていたヌレサギが口を挟む。ぶっきらぼうな口調にかえって嬉しそうな顔になって、スオウは尋ね返した。
「なにが違う?」
「破壊の本質が。『暴風』は竜巻がその地域全体を破壊する。『業火』は文字通り焼き払う。『いーかづち』は、空間そのものに荒れ狂うの力を注ぎ込む」
「根本的には、『インドラの雷』は、無限振動機関の炉を解放しているのと変わりありませんからね」
「先史時代を終わらせた例の事件の小規模版になるというわけだな」

 かつて『大いなる都』を消失せしめ、一つの時代を終わらせた出来事があった。
 今回のヴェスブールの破壊は、それを縮小したものであると、彼らは語っていた。

「そう。生じるのは、破損や焼失ではなく、物質そのものの分離」

 その言葉に、スオウはしばし考え込み、顎をなでながら思いついたことを口にした。

「燃えかすや残骸も残したくなかったと、そういうことか?」
「おそらく。そうであるならば、原因は一つ。神界最大の禁忌」
「そして、我らが明らかにしようとしている真実ですね」

 さすがにその説にはスオウも目を剥いた。
 この地に降臨した『神々』が抱える最大の秘事。
 それは、魔族と神族が争うそもそもの理由でもある。

「神族の欺瞞を嗅ぎつけた者がいたと?」
「もちろ……ん、推測でしか無い。でも、他には……考えにくい」

 ヌレサギの推論を支持するというように、スズシロが無言で頷く。
 自身が頼りにする自慢の頭脳二人に思いもかけないことを主張され、スオウは深
々とため息を吐いた。

「ならば、奴らの行動原理からすればそうする他無いな」

 疲れたような声でそう言ってから、スオウは椅子に座り直し、背筋を伸ばした。

「だが、それを我々が受け入れるかどうかはまた別の話だ」
「その通りです」

 そして、彼らがそれを受け入れられるわけがない。
 戦争をしている相手でもなく、むしろ、自らの陣営に仕えているはずの人々をあっさりと殺し尽くし、その骸すら残さないなどという悪逆非道を、彼らが許せるはずも無いのだ。

「それに、我々が人界に居座り、それに程近い場所で神族の禁忌を知る者が出た。たとえ、その秘密を知る者を消し飛ばしたと確信していたしても、そのままに放っておくとも思えません」
「奴らも動いてくる、か」

 しばし、沈黙が落ちる。
 スオウは黙ったまま視線をさまよわせていたが、小さく鼻を鳴らし、笑みを見せた。

「真龍の問題もある。頭が痛いな」
「本当に」

 スオウとスズシロ。
 二人はもっともらしい声音でうなずき合う。
 だが、その顔に浮かんでいるのは鏡に映したように同じ表情だ。
 獰猛で、挑戦的な笑み。

 そんな二人を、ヌレサギは実に楽しそうに見守っていたのだった。


                    †


 ヴェスブールの消失より十二日。
 医官がどうあっても生きのびることはないと断言した日よりも後となるその日、ローザロスビータは、初めて明晰な意識を取り戻す気配を見せる。
 午後になって、周囲との会話も可能となったところで、スオウに連絡が届いた。彼女と面談出来るようになったら自分を呼ぶようにと厳命していたのだ。

 そうして、やってきた彼は、自分以外の者を退出させた。これには反対もあったが、結局、ミズキと医官の二人が扉のすぐ外で待機することとなる。
 暗殺にも慣れた自分であれば、ローザがおかしなことをしでかしそうになったら感じ取ることも出来るだろうと、ミズキ自らが主張したのだ。

 そうして、静かになった部屋の中で、スオウは寝台の横に腰掛ける。彼は、寝台で横たわるローザのことをじっと見つめた。
 旭姫とも呼ばれる女性は、その鮮やかな色の髪を枕に垂らし、横たわっている。一時は枕を支えに半身を起こしたりもしていたのだが、寝ているほうがまだ楽であるようだった。

 なお、見る者が見れば、彼女の髪がずいぶんと短くなっていることに気づいたろう。だが、それを知る者は、もはやそのほとんどがこの世にはいない。

「体調については医官から聞いている。万全ではないが、会話は出来るはずだと」
「する気分ではないと言ったら解放してもらえるのか?」
「もちろん、またにしてもいい」

 スオウの答えに、ローザはふんと鼻を鳴らした。

「捕虜の身からの解放は無しか」
「それもまた条件次第だな。だが、少なくともいまは無い。君が床を離れられるようになるまでは」
「恩に着せるつもりか?」

 馬鹿にしたような問いかけに、スオウは応じなかった。
 その代わり、ゆっくりと用心深く問いかける。

「君は、自分が囚われ人となったことを知っているわけだ。だが、どういう経緯でそうなったかを、把握しているかね?」
「それは……」

 ローザは口を開きかけ、しかし、何も言葉が出てこないことに驚いたような表情を見せた。

「覚えていないか」
「さて、どうだろうな」

 気にしていない風を装ってはいても、ローザの眉間には皺が寄っていたし、うっすらと額に汗もかいている。
 彼女は、自らがどうしてこの場にいることになったのか、その成り行きを思い出せないことに焦りを感じているようであった。

「思い出せないなら、思い出さないほうがいいのかもしれないな」

 独り言のように言ってから、スオウはローザのことを真剣な瞳で見つめた。
 ローザを苛立たせる瞳で。

「いずれにしても、君がここにいるという、その責任は全て俺にある。そのことを忘れないでくれ。君は俺の囚われ人であり、そこに生じた事の責任は俺に帰属する」
「全て貴様の思うとおりというわけか? そうはいかん」

 敵意の視線を向けるローザに、スオウは微笑むだけだった。その余裕ある態度が余計に彼女を苛立たせる。

「まあ、まずは体を治すことに専念したまえ」
「言われずともそうさせてもらおう」

 ローザは体に堪えない程度に嫌味な声を出して、相手の感情を逆撫でようとする。

「動けるようになればなったで、貴様らの尋問が待っているのだろうがな」
「それはそうだ」

 だが、スオウは悪びれもせずにそう言った。

「しかし、いまはまだ……」
「まあ、いい」

 彼女が健康を取り戻すまでは、と繰り返そうとする男の言葉を遮って、彼女は鋭い声を放った。

「囚われている以上、それはお前たちの好きにするがいい。尋ねられて、答えるかどうかは私が好きにする」
「ずいぶんと豪気な虜だな」

 本気で感心したように言うスオウに再び鼻を鳴らして、彼女は続けた。

「まさか唯々諾々と言うことを聞くとでも思っていたのか? いかに身動きが取れなくても心まで弱りはせんぞ」

 たしかに体は重い。少し動くだけでどっしりとした疲労がやってくるし、ずっとじくじくと熱っぽい。
 だが、それでローザの心が挫けるわけはなかった。

 動けぬなら動けぬなりに、やるべきことはある。
 いまは、事態を把握するため、相手のことを探るときだ。そのためには多少の挑発も必要となろう。

「そうか。それはいい」

 けれど、スオウはそんな彼女の態度に本気で喜びを覚えている様子だった。捕虜の心が折れぬのを喜んでどうするというのだ、とローザは内心呆れてしまう。

「その調子なら、回復もすぐだろう。また話すのを楽しみにしているよ」
「なんだ、もういいのか? 一体何をしに来たのやら」

 腰を浮かせるスオウに、わずかに焦りの声をにじませながら、ローザは憎まれ口を叩く。
 捕虜となっている組織の首魁である。できる限り情報を引き出しておきたかった。

 さすがに一度で全ては無理があるにせよ……。

「さっきも言ったろう」

 スオウはローザの願いもむなしくすっと立ち上がり、肩をすくめる。

「君がここにいるのは俺の責任だとはっきりさせるためさ」
「なるほど。それはわかった」

 納得したように言いながら、彼女は普段ほど明瞭無い思考を叱咤して、なんとか彼を引き留める理由を探そうとした。

「だが、そちらの言いたいことを聞くだけというのは、いかにも片手落ちではないか。私もなにか貴様に質問の一つくらいしてもいいのではないかな」
「……いいだろう。ただし一つだけだ。それ以上は負担になるだろうからな」

 スオウはしばしためらったようだが、結局は寝台の横の椅子に再び腰掛けた。

「ああ。承知した」

 これ以上は粘れまい、とローザは直感していた。
 最初からあまりにも反抗的な態度を取ると、この男は面倒がって接触を断つかもしれない。生意気だが、情報を得るには有用な相手と思わせておいたほうが、また機会を得やすいことだろう。
 だから、彼女は一つだけと提示された質問について考え込んだ。

 最も尋ねたいのは、父やマテウスたち同盟者、そして部下たちのことだ。特に父の安否についてはなんとしてでも知りたい。

 しかしながら、それを知らないと明かすことが、果たして得策であるかどうか。
 弱みを見せることにもなりかねないその質問を最初に持ってきていいものだろうか。

 ローザはそう考え、それについてはもう少し頭の回転が速い時に回すことにした。
 だから、彼女はこう尋ねかけた。

「この指はどういうことだ?」

 かぶっていた布の下から手を引き抜き、スオウに向けて広げてみせるローザ。その手は掌までと指の部分の色が明らかに異なっていた。
 特に指先の膚は、色だけでは無く、まるで生まれたての赤ん坊のように柔らかく変じている。

 子供の頃から武具を握り、戦の中で鍛え上げた彼女の手とは思えないほどだ。

「毒か?」
「いいや、違う」

 目を覚まし、汗まみれの顔をぬぐった時に、彼女は両手の指の異変に気づいていた。
 あるいは寝込んでいる間になにかされたのかと思い、確認したわけだが、男はきっぱりと否定した。
 その上で、なにか深刻そうな顔で彼女を見つめている。

「そうか、気づいてしまったか。ずいぶんと早い」
「なに?」

 解毒剤を欲しければ……という脅しかなにかかと思っていたローザは奇妙な声を出した。
 もちろん、スオウの言葉の全てを信じているわけでもなかったが、いまのところ、目の前の男が嘘をついているようにも思えなかったのだ

 だが、なにを言おうとしているかはさっぱりわからない。
 彼の態度は彼女の想像の外にあった。
 そして、続いた言葉もまた。

「それは君が失った部位だ」
「なに?」
「その指は炭化してしまっていて、切り離すしか無かった。これは、足の指も同じだ」
「馬鹿を言うな」

 ローザは手をさらに彼の前に差し出し、にぎにぎと動かして見せた。
 たしかに膚の様子は以前と違い、色も多少濃いように見えるが、思い通りに動かすことも出来るし、感覚だってある。
 彼の言う通り、指を切り離したのだとしたら、いまあるこれはなんだというのだ。

「君にとっては敵の言葉だ。当然、信じるに足るものではないかもしれない。だが、伝えなければなるまい」

 彼に向けて、指をうごめかしているローザに、彼ははっきりと告げる。

「君は重傷を負っていた。それは、体の部位を切り離さねばならないほどのものだった」

 彼の態度は彼女が口を挟むことを許さない。
 ローザは驚愕の面持ちで彼の言葉に耳を傾けた。

「それを補った。……我らの体で」
「補う?」
「我らはなんであるか思い出したまえ。魔族が、どのようなものであるか」

 魔族。
 それは、おぞましき真の姿を持つ種族である。
 その姿を変え、その骨肉を変形させる種族である。

 そのことに思い至った時。
 彼女の喉から悲鳴がほとばしった。
 それは、いつまでも続いた。

 いつまでも、いつまでも。


(第三部・完 / 幕間に続く)
 今回で第三部が終わり、次回より、『真龍内乱』という幕間を挟んで第四部へと進みます。(第三部をもう少し続ける予定を変更して真龍部分をまとめました)
 一回予告回を挟むかもしれませんが、できる限り定期的に更新していきたいと思っております。
+注意+
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