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三界大戦記―好色皇子と三界の姫たち― 作者:安里優

第三部:人界侵攻・龍玉編

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第33回:反攻(上)

 それをなんと言えば良いだろう。
 風に舞う布。
 あるいは、すぐに消えてしまう水の泡が固定化されたもの。
 人の頭を越える高さの空間にふわふわと漂っている透明な膜のようなものを、周囲の者は物珍しげに眺めていた。

 ゲデック城内のとある中庭。
 そこに、いま、カラク=イオの代表者たるスオウとその参謀スズシロ、それに人と真龍の両方の血を引くという珍しい来歴の少女、エリがいた。

 彼らの中心には宙に浮かんでいるものよりずいぶんと透明度は落ちるものの、おそらくは同じ類のものであろうと思われる塊があった。
 大きさは、人が体を丸めてうずくまった程度のものであろうか。空を漂うものと表面積だけを比べるならこちらのほうが小さいかもしれない。
 だが、これには膜の内側にたっぷりと液体が詰まっていることを感じさせるだけの張りがあり、しかも足のようなものや様々な器官と思われるものが備わっている。さらには、なんと、生物らしき脈動も行っていた。

 骨や筋肉のようなものはなさそうだが、水がたっぷり詰まった袋のようなそれは、それなりに存在感を放っている。
 これが、襲撃大隊長シランの副官アシビがその『海月相』を露わにした姿だと言われて、すぐに呑み込める者はそうはいないだろう。
 だが、もちろん、この場にいる三人はすでにそれを承知の上で、アシビがその体から生み出し、宙を漂っているそれを観察しているのだった。

 三人の視線が徐々に上がっていく。当初は彼らの目の高さを漂っていた透明な膜は、ゆらゆら揺れながら上昇を始め、ついには空へと消えていってしまった。

「あれって、くらげですか?」

 空の青の中に霞む膜を追いかけるのを止め、視線を落として尋ねるエリに、スオウは感心したように呟いた。

「おや、エリはくらげを知ってるのか」

 たしかに、雰囲気だけを見れば、上空に消えたものも、あるいは彼らの足下で律動するアシビも、水中を漂うくらげに似ている。
 だからこそ、その相は『海月相』と呼ばれるのだから。

 だが、人界の者は海を利用しない。
 もちろん、エリは真龍としての知識や経験もあるため知っていても不思議ではないのだが、スオウはついついそのことを忘れてしまうのだ。

「ええ。海辺にたまに出ます」
「……出る? 流れ着くってことか?」

 スオウは、海岸に打ち上げられて潰れたようになっているくらげの死骸を想像しながら尋ねる。
 しかし、エリは不思議そうな顔で否定の仕草を返した。

「いえ。違いますよ? 飛んでくるんです。さっきみたいにふわふわって」
「……それで?」

 予想外の返事に黙り込んでしまったスオウに対して、スズシロは興味深げにエリを促した。その瞳がきらきらと輝いている。

「かなり上の方を飛んでるときはいいんですけど、下がってきたら要注意ですね。馬でも人でも、包み込める大きさのものなら、上からばさっとからみついてきて捕食しちゃいますから。たいていは鳥を食べて満足してるみたいで、降りてくることは稀ですけど」
「なるほど」

 スズシロはうんうんと頷いて、懐から出した紙片になにやら書き付けている。それらをしまった後で、彼女は結論づけた。

「確かにくらげのようですね」
「俺の知ってるものとは少し違うようだが?」
「たしかに、魔界で一般的に知られているものは、海にしかいません」

 いぶかしげなスオウに、スズシロは講義でもするように続ける。エリも興味があるのか黙って耳を傾けていた。
 ぷるぷる震えているだけのアシビがそれを聞いているかどうかは見た目からはわからない。

「しかし、いまは神界のあるあたり……とある南部の海ではそのような形態に変化をしたものがあると聞いています。古代の、それこそ神魔が分かれる前に記された文献に記録されています。その描写といまの話とでは多少異なるところもありますが、空中にも適応したという部分は共通していますね」
「出来るものなのかね。脳や内臓も備えた海月相と違って、本物のくらげは水ばっかりじゃなかったか?」

 スオウの疑問に、スズシロは肩をすくめる。

「その通りですが、やらざるをえなかったのでしょう。学問的には、海中から飛翔する鯨に付着していたくらげの一種がたまたま空気中でも生きのびた結果だという説が一般的ですから」
「いきなり空に飛ばれちゃって……その結果ってことですか?
「そうですね。それでも生きるための能力を手にしたのでしょう。エリの話のくらげはさらに適応している様子ですが……。しかし、こんなに北部まで進出してきているという話は知りませんでした」
「たくましいものだ」

 どこか嬉しそうにスオウは笑う。
 その笑みを心地よく受け止めながら、エリはその笑みがこの場にふさわしいもなのかどうかよくわからない。

 カラク=イオ軍が嵐を押して出撃し、敵をさんざんに追い散らし、ゲデックに帰還したのは昨日のことである。
 だが、敵軍は消え去ったわけではない。いまはヴェスブールに退いているにしても、軍が再編されれば再び北方へ進軍を開始するかもしれない。

 そして、なによりももう一つの敵――エリの古巣であり、その血肉の半分を構成する真龍という脅威はそのままに残っている。
 そんな状況なのに、こんなに温かな、こんなに嬉しそうな笑みを浮かべていいものだろうかと、彼女はなんだか不思議に思う。
 あるいは、あの嵐の夜とはなんだったのかと思わせるようなあたたかな日差しの中だからこそ余計に奇妙な感覚を抱くのかもしれない。

 その一方で、そうしたことが出来るからこそこの人たちはいまも戦場に立っているのだとも思うのだった。

「とはいえ、さきほどのものはくらげに似ているが、くらげそのものではない。あれがエリに見て欲しいと頼んだ兵器だ」

 彼女がおかしな感慨を抱いているとなどと想像しているのかどうか。スオウは生真面目な調子で説明を始めている。

「兵器ですか。あれが」
「正確にはさきほどの膜に包まれていた気体が兵器ですね。膜は高空までそれを届けるためのものです」
「なるほど……」

 スズシロの補足を聞き、彼女は二人が求めていることがなんなのか、なんとなく察しをつけた。

「その気体が真龍に効果があるものかどうか、私の意見が聞きたいということですか?」
「理解が早くて助かる」
「……ええ。わかりました」

 エリはしばし沈黙を守り、結局はぎゅっと唇を噛んで頷いた。
 スオウもスズシロもその間についてなにを言うでもなく、表情を変えるでもなく受け入れ、話を続けた。

「では、詳しく効果を説明しましょう」

 そこから始まったスズシロの説明によると、気体の中にはとんでもなく小さな、生物と物質の中間的存在、『生命機械』とでもいうようなものが含まれており、それが金属や生体にとりつくと侵食を開始するのだという。
 効果としては、鳥の羽毛程度なら、見る間に侵食するものの、神族の生体装甲や、真龍の鱗であれば長い時間をかけねば全てを破壊することは出来ない。

 実際、戦闘となれば、戦闘を行っている間には『浸食が始まった』と気づかせるくらいの効果がせいぜいであろうとのことだった。

「それでも、先日の神族との戦いでは、この兵器が効果を発揮しました。実際にどれだけの損害を与えたかはわかりませんが、警戒させるだけの効果はあるわけです。ただ、それは神族が自らの装甲について一定時間毎に異常が無いかどうか確認していたためでしょうから……」
「真龍ではどうかわからない、ということですか」
「ええ」
「うーん……」

 エリは腕を組んで考え込む。
 それから、彼女は自らの額――龍玉――に触れつつ話しはじめた。

「まず、真龍の鱗は感覚がありません。ですから、目に見えるような傷が出来ない限りは気づくことはないと思います。つまり、神族より気づくのは遅くなりますね」
「ふむ」
「それに、真龍の中でも龍身の者は、大人になるまで幾度か脱皮します。実際、体中の鱗が全部置き換わることは稀ですが、成長が著しい一部ははがれて落ちます。さらに、成長しきってからも鱗は生え替わります。あまり老いない限りは、ですが」

 スズシロはエリの言葉を咀嚼するようにしてから、慎重な調子で応じる。

「つまり、鱗が傷つく事への忌避感は低いということですね?」
「はい。むしろ手遅れになるまで気づかずにいてしまうのではないでしょうか」

 その言葉に、スズシロは困ったような表情になった。

「なるほど。しかし、それは……殿下」
「まずいな、それは」

 スズシロが困惑混じりで呼びかけるのに、スオウも苦い表情を示した。

「俺たちは、なにも真龍を殲滅したいわけじゃない。そりゃあ気づかずにいて手遅れになれば効果はあるだろうが、そこまでやるとなると禍根を残す。俺の望むところじゃないな、それは」
「となると……。使い所が難しくなりますね」

 エリの言葉を最後に、沈黙がその場を支配する。
 三人は難しい顔をして考え込み、中庭の中で動くのは海月相のアシビの蠕動だけとなる。

「ところで」

 そうして、しばらく経ったところで、エリがふと下を指差した。

「ん? なんだ?」
「大丈夫なんでしょうか、アシビさん」

 言われて見れば、彼らの足下で震える半透明の存在が、それまでの一定の調子の蠢き方を崩していた。ぷるぷる揺れていたのが止まり、時折なんだか全身でしゃっくりでもするかのように大きく震える。
 その様子を見て、スズシロは顔色を変えた。

「まずい。水分不足です。水を汲みます! 手を貸して!」
「あ、はい!」

 そうして中庭の隅にある井戸に慌てて取りつく二人を見ながら、スオウは外套を脱ぎ、ぱさりとアシビの体の上にかけてやるのだった。
 その体全体が隠れたのを確認して、彼はささやきかける。

「もう獣化を解いていいぞ」
「……いつ、そう仰っていただけるものかと……」

 疲労困憊といった様子のアシビの声がその外套の中から漏れてきたのは、ほんのわずか後のこと。
 その返答を聞きながら、スオウはわたわたと水をくみ上げている二人にどう声をかけるか考え始めるのだった。


                    †


 足萎えの雷将ことヴィンゲールハルト・ミュラー=ピュトゥの姿は、その時、ヴェスブールの戦王マテウスの館にあった。

 だが、あるのはその体だけである。
 その意識は、嵐の襲撃の時以来戻っていない。
 抜け殻のような痩せた体だけが、柔らかな寝具に埋もれているのだ。

 そして、そのかたわらには、鮮やかな金緋の髪を持ち、旭姫の名で呼ばれるヴィンゲールハルトの娘ローザロスビータの姿が常にある。

「どうだね、様子は」

 そんな親子の部屋に入ってきた男は、でっぷりと太った体を揺らしながら尋ねる。疲れ切ったような、しかし、期待を込めた問いかけ。
 だが、この館の主のそんな問いかけにも、ローザは哀しげに首を振るだけだった。

「だめか」
「……一度、目は開けました。……が、私のこともわからぬようで」

 父の手を両掌で包み込むようにしている娘の言に、ヴェスブールの戦王はふんと鼻を鳴らした。

「一応は好転と言っていいのだろうな」

 マテウスは、部屋に作り付けの棚から酒と杯を取り出し、手酌で飲み始める。これまで何度かローザにも勧めているのだが、毎回断られているのでもはや諦めたらしい。

「いや、そうでなくてはならん。こやつが起きてくれねば、全てが瓦解してしまうぞ」
「……ええ」

 ローザは暗い声で応じる。

「わかっております」
「いいや、わかっておらん」

 マテウスはいらだたしげに酒杯を振る。注がれた酒がぴちゃぴちゃと音を立ててこぼれて、彼の指を汚すのもお構いなしに。

「いいかね。此度の戦で……そう、戦と言おう。あれは紛うことなき負け戦だからな。その戦で、どれだけ兵が消えたかわかっているかね?」
「死傷者は、合わせて千程度でしょう」
「死傷者はな」

 頷いて見せてから、しかし、マテウスはぐいと杯を呷り、そして、いらだたしげに続けた。

「だが、問題としているのは、消えた兵の数だ。死傷者だけではない。戻ってこなかった……逃げ去った者がどれだけいるかだ」

 マテウスはそこでしばらく待ったが、ローザがなにも答えないのを見て取って、話を進めた。

「いいかね? 我が軍……このヴェスブールの出費で雇った兵で四割、八百程が戻っておらん。死傷者を含めてとはいえ、どう考えても逃げた者のほうが多い」

 ふふんとマテウスは自嘲気味に鼻を鳴らす。

「まあ、これはしかたない。所詮は一時の傭兵だからな。実際、次の戦を嗅ぎつけて、雇ってくれと言ってきている傭兵団もある。連携なんぞは無理だろうが、数だけは補充出来るだろうさ。数だけはな」

 しかし、と彼は緊張感を込めた声で続けた。

「問題は君たちの……ヴィンゲールハルトの軍だ。どれだけが逃げたか、わかっているのかね?」
「……わかっております」

 ローザはようやくのように口を開けた。さび付いたような、ひどいかすれ声だった。

「当初は死傷者以外のほとんどがこのヴェスブールに退却して参りました。彼らはこう思っていたはずです。今回のことは残念だが、俺たちの雷将がなんとかしてくれるはずだ、と。それを最後の希望として抱き、ようやくこの地まで逃げ帰ってきた」

 そこで、彼女は笑みを見せた。
 泣きそうな表情をごまかすような、あるいは自らを嘲るような、そんな表情だった。

「ところが、父は意識を失い、目覚めようとしませんでした。いかにそのことを隠そうとも、目撃している者も多く、実際に父が皆の前に現れることも出来ない以上、無理というもの。結局は皆がそれを知り、そして、千五百あまりが去りました」
「去った者だけで、二割ほどとなる。これは由々しき事態だぞ」
「ええ。戦王国が崩壊する過程ではよくあることかと」

 どこか他人事のように、ローザは言うが、その内容自体は正しい。
 アウストラシアの南方、戦王国群を構成する戦王国は、それを打ち立てる実力者の能力と魅力だけで成り立っているようなものだ。
 故に実力者がその力を失ったり死んだりすると、彼に従っていた者は別の所に去ってしまう。

 兵もそうだし、国の政を動かす官僚たちもそうだ。
 結局の所は、国などではなく魅力ある頭目に付き従う武装集団――それが戦王国なのだろう。

「彼らは、結局の所、私では頼りにならないと判断したわけです」

 もしかしたら、こんな負け戦の時で無ければ、ヴィンゲールハルトからローザへの継承はすんなりといったかもしれない。

 だが、それまで勝ち続けてきたところに魔族という新たな敵が現れ、思いも寄らない形でそれに敗れた。そんなところで当主が意識不明と来れば、見限る者が出てくるのもいたしかたあるまい。

「まあ、そうなるだろう。だが、いま問題なのは……」
「父がそうであったように」

 マテウスの言葉を遮って、ローザが鋭く言う。それだけは自嘲の気配よりも、咎めるような、あるいは不満の思いが強かった。

「なに?」
「父は、以前から血を吐いていました。しかし、それを全て演技であると私に思い込ませていたのです」

 彼女はそこで父の手を柔らかな寝具の下に戻し、ひょいと肩をすくめた。

「結局は、子供扱いしかされていなかったのですよ」

 そんな彼女の様子に、マテウスは顎をかいて考え込んだ。
 だが、彼はすぐに破顔する。

「ならば、子供ではない、頼れる相手だと見せつけねばなるまいな」
「……マテウス殿?」

 妙に楽しそうに笑みを見せる男のことを、いぶかしげにローザは見る。
 マテウスは気にした風もなく、強い口調で続けた。

「まさか一度で諦めるつもりかね?」
「そうでは……ありませんが」
「あるいはヴィンめが起き上がるまで呆けているつもりか?」
「そのような!」

 挑発とわかりながら、ローザはマテウスの言葉に強い口調で抗議した。
 そうすることで、自らの中にわずかとはいえ残った矜持を掘り起こせるものと思ったのかもしれない。

「では、なにをしているのだね?」
「それは……」
「子供のままいたいなら、ずっとそうして座っているがいい。だが……」

 マテウスはヴィンゲールハルトを鋭く指差した。

「こやつが目覚めたとき、そこは戦場であるべきだ。我らの作り出した戦場であるべきだ。そうではないか?」

 ローザはマテウスの顔をじっと見つめ、次いで喉に詰まったような呼吸を繰り返す父の枯れ木のような姿を見た。
 そうして、彼女は決意をこめて、こくりと頷いた。

「では、万端整えておこうではないか」

 ヴェスブールの戦王マテウスは、その手から酒杯を放り出し、その太った体を揺らした。

「立ち上がりたまえ。ぐずぐずしている暇などないぞ」
「……ええ」

 ローザの答えは短いものであったが、実に気概と決意に満ちあふれたものであった。
 旭姫という名にふさわしく。
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