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三界大戦記―好色皇子と三界の姫たち― 作者:安里優

第三部:人界侵攻・龍玉編

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第25回:演技

 漆黒の竜が、空へと昇っていく。
 漂う白い雲に、その姿は良く映えた。
 スオウとエリの二人は、ゲデックの郊外でそうしてツェン=ディーが飛翔する姿を見上げていた。

 砕けた龍玉を見た途端、用は済んだとばかりに出て行こうとするディーを、スオウはあえて引き留めはしなかった。
 彼が自分の内側に閉じこもって、こちらにろくに注意を払っていないのは見ればわかったし、そんな相手と交渉できるわけもない。

 だが、ただ街中に放つというわけにはいかない。
 監視をつけるにしても、この相手では勝手をよく知るエリに任せるのが最適だったし、ツェンにも会いたいところであろう。

 そんなわけで――兵を後ろに待機させてはいるが――二人で見送りという名の見張りにやってきたのだった。
 しかし、ディーはなにをするでもなくツェンと合流し、いま見ているようにさっさと空へと向かってしまった。

「あんなに急いで上昇したら、頭痛はするわ、目はちかちかするわで大変なんですよ。意識を失うまではいきませんけどね」
「ほう」
「子供の頃はそれが楽しくて遊んでました。自分の限界を試したいのもあったんでしょうね。まあ、ああして大人もやっちゃうんですけど」

 エリは、空を見上げたまま、そんな風に漏らす。
 その言葉に、うっすらと悲しみの色が乗っているのに気づき、スオウは彼女に気づかれないよう横目で見る。

 ずっと昔から抱えているが故に、何度も何度も心の内から取り出し、すり切れてしまった。そんな悲しみ。
 それは、失って、もはや取り戻せないと承知しているものへのどうしようもない感情だ。
 憧憬によく似て、そして、決定的に違う心の澱。

 スオウは空を見上げるエリの横顔を美しいと思い、そう思う気持ちをそっと心の奥にしまって、目を空に戻した。

「あれ」

 エリが驚いたように呟き、それによって、スオウはもう一頭の竜が空にあることに気づいた。
 背景を同じ色をした空色の竜は、漆黒の竜が進む先へと猛然と突っ込んでいく。

「攻撃か?」
「いえ、ただ単に我を忘れるほど急いでるだけかと思います」

 スオウが誤解したのも当然だろう。
 実際に、その空色の竜は、漆黒の竜に体当たりせんばかりの勢いで接近し、驚いたツェン=ディーが回避の行動を取ったことで、再びそれに追いすがるというような機動を取っていたのだから。

「あーあー、慌てちゃって」

 だが、エリはしかたないというように笑ってそれを眺めていた。
 二頭が通常の飛行になんとか移行したところで、彼女は空から目を離し、スオウのほうに向き直った。

「どうやら、本当にお忍びだったようですね」
「ん?」

 スオウが疑問に思うのに、彼女は空を指差す。

「あの空色の真龍」
「ああ、前にも見た」
「あれは、ラー=イェン。私と兄の幼なじみです。そして、昔から兄のことが好きで好きでしかたない娘です」

 その言葉に、スオウは思わず笑みを漏らす。

「どうにも慌てて飛んできたのはそういうわけか」
「ええ」

 頷いてから、エリは少し考えるようにして、空色の竜に追われるように北東へ向かう兄の姿を見直した。

「……これは推測ですけど、いまは彼女は政治的にもなんらかの役目を帯びているものと思います。以前からそうすることを望んでおりましたし。そういう意味では……」
「側近にも隠すほどのことだったわけだ。そして、急を聞いて、やってきたと」
「ですね」

 エリの兄は、龍玉が砕かれていると言った。
 それがなにを意味するかはわからない。
 だが、兄にとって、それを確認することに重要な意味があったことは間違いない。
 エリは、じゃれあうように飛ぶ真龍を改めて見ながら、低い声でスオウに尋ねた。

「……殺すべきでしたか?」

 千載一遇の機会であったのは間違いない。
 ディーを殺すことが出来れば、ツェンは一時的にでもその精神を失調させる。その間は、ツェンはただの飛竜でしかない。始末する術もエリは知っている。
 証拠も残さずツェン=ディーを葬ることが出来れば、真龍の指揮系統に大きな打撃を与えられるだろう。
 それで生じる混乱を利用して時間稼ぎを狙う事も出来たのでは無いか。

 エリはそう告げた。

「エリ」

 兄の暗殺を淡々と語るエリに、スオウは苦笑のような表情を浮かべた。
 だが、どこか、その表情はあたたかい。

「血塗られた道でも共に行こうと言ったのはたしかだが……。そう、気負うな」

 スオウの言葉に、エリは驚いたような顔をしていた。
 彼女はスオウの顔を探るように見つめていたが、ふと納得したように、いつも通りの笑みを浮かべた。

「はい」

 その声はとても明るい。
 彼女はそれから、ふうとため息を吐いた。

「肩に力はいっちゃってました」
「そうだな」

 スオウは笑いながら、踵を返す。もはや、竜たちは空の彼方に去ろうとしていた。

「まあ、それよりも、だ」

 歩き出しながら、彼は話しかける。
 エリはひょいひょいと軽い調子でその後を追った。

「やつは何かを得た。そうじゃないか?」
「ええ。兄のあの表情からすると、確信した、というべきかもしれません」
「ああ。だが、それがなにかは俺たちにはわからんな」
「はい。ただ……」
「真龍の中で、嵐が起こるかもしれん」

 口ごもるエリに、スオウはそんな風に返す。
 こっくりと彼女は頷いてみせた。しばらくしてから、彼女は張り詰めた声で言った。

「私たちにとってそれがどう作用するかですね」
「そうだ。スズシロに話を通しておこう」
「ええ」

 それから、彼らはゲデックの街の中心目指して帰路に就く。
 その最中で、スオウは隣を行く少女に聞こえないよう舌をそっと動かす。

「私たち、か……」

 そう呟く彼の顔は、実に嬉しそうであった。


                    †


 ごうごうと炎は燃える。
 すでに燃えやすい布の類は燃え尽き、いまは火は木材をなめとるのに夢中だ。
 そうして燃えさかる荷車を前に、幾人かの男たちがいる。
 へたり込む者あり、がっくりと膝をつく者あり、ぼんやりと立ち尽くす者あり、それぞれではあるものの、共通するのは、その表情。
 信じられない、いや、信じたくないという思いを宿すその顔。

 彼らは、つい先ほどまで――いまばちばちと音を立てて燃えている――荷車をヨロイウマに牽かせ、旅する商人であった。
 だが、いまや、憐れな破産者でしかない。
 荷車は破壊され、積み荷は燃やされ、ヨロイウマさえ連れて行かれた。
 騎竜にまたがる魔軍の一団に襲撃され、彼らは全てを失った。

 彼らの下に残されたのは、傷一つ無い体くらいのものだ。なにしろ、彼らの抵抗は魔族に相手にさえされなかったのだから。
 ただ、別の経路で南方に行くようにという命に従わなかったばかりに。

 そして、実を言えば、燃えているのは彼らの荷車ばかりではない。
 よく見渡せば、転々と、各地で煙が立ち上っているのだった。

 ヴェスブールの戦王、マテウスアンドレアス・アンゲラーは、自らの支配する街の城壁の上で、苦々しげに、いくつもの煙の筋を眺めていた。
 つい最近、突貫工事で高さを倍近くまで伸張した城壁からであろうと、なにが燃えているかまで見えるわけでは無い。
 だが、彼には何に火がかけられているのかなど手に取るようにわかっていた。

 ソウライ地域と戦王国群の中継貿易を円滑に行うために彼が設けた拠点が、彼の子飼いの隊商たちが運んでいた物資が、隊商に一夜の宿や食糧を提供する小村が燃えているのだ。
 ここ数日で、北方からの物資の流入は完全に止まってしまった。
 魔族たちは商人たちにヴェスブールを通過することを許さず、他の道を通るよう強請した。それでもなおヴェスブールに向かった者は、その馬車や竜車を打ち壊され、燃やされ、積み荷を奪われている。

 そのことをマテウスは報告を受けて知っていた。
 だが、商人たちを救うために兵を向けるようなことは出来ない。それをすれば、ずるずると戦いに引きずり込まれることは間違いないからだ。
 それでは、魔族たちの思うつぼだ。

 ヴェスブールに向かう隊商を襲うのも、彼の息のかかった拠点を焼き討ちするのも、全ては彼を引きずり出し、魔族たちにとって都合のいい戦いを展開するためのものだ。
 マテウスと、その同盟者が望む決戦の機をずらし、己の領域へと引きずり込むための挑発であり、襲撃だ。

 ソウライを支配する魔族たちと事を構える覚悟をしたマテウスであったが、敵が主導する戦いにわざわざ突っ込んでいくほど愚かでは無い。
 彼には彼なりの計画がある。そのためにはいまは耐えることが必要であった。

 ぎりと奥歯を噛みしめて、彼は城壁を去り、自らの館へと向かう。
 そこには、足萎えの雷将と呼ばれる彼の盟友が待っていた。

「どうしたね? マテウス」

 部屋に戻った彼の姿を見て、ヴィンゲールハルトが気遣わしいに尋ねかける。その様子に、マテウスは吐き捨てた

「魔族どもめ、火を使う」
「放火か」
「ああ」

 それ以上のことを、二人は話さない。
 敵の力を殺ぐためには当然の戦術であることは承知の上であったし、我慢のし時だなどといまさら言えば苛立ちを深めるだけであろう。
 だから、ヴィンゲールハルトは、懐かしむようにこう告げた。

「昔もよく見たね」
「そうだったな。……だが、あのときよりはましだ。いまの煙は、味方の城が燃えるそれではない」
「痛手ではあっても、か」
「痛手ではあっても、だ」

 それに、とマテウスは続ける。

「魔族どもは、南方からの兵にも物資にも手を出せないでいる。いくらあれらでもセラート大河を渡るには苦労するのだろうよ」
「そうだな」

 嘲るように言うマテウスの様子に、ヴィンゲールハルトは喜ばしいというように頷いた。
 それが、魔族が川を渡って南方を攻撃出来ずにいることに向けてなのか、自らの話の持って行き方でマテウスが調子を取り戻したことへの思いなのか、判然とはしない。

「だが、まあ、もうしばらくの辛抱だよ。ほんとうにもう少しだ」
「ああ。もう明日には準備が出来るだろうからな」
「そう。そして、うまくいけば明後日には全軍が橋を渡る」

 二人は言い合って、獰猛な笑顔をその顔に浮かべる。
 でっぷりとしたマテウスのそれは顔が裂けんばかりの笑みであり、細身のヴィンゲールハルトの頬に浮かんだそれはほんのわずかな歪みで強烈な凶暴さを示していた。

「ついに、だな」

 マテウスは言って部屋の奥に向かった。二人分の酒を用意するつもりであった。だが、次に発せられた言葉が彼の足を止めた。

「ああ、ついにだ。ついに、君との約束を果たすことが出来る」
「お前……」

 愕然と振り返るマテウスに、ヴィンゲールハルトは微笑みを向ける。なんとも子供っぽい、悪戯心満載の笑みだった。

「約束だよ、マテウス」
「約束か」

 静かに言うヴィンゲールハルトの声に、マテウスはすっとうつむき、そのまま再び酒を取りに向かった。
 その声が震えていたことを、ヴィンゲールハルトは指摘しなかったし、マテウスは絶対にそれを認めなかったろう。

「君はこれまで約束を果たしてきてくれた。君からの陰ながらの援助がなければ、私の戦などすぐに行き詰まっていただろう」
「俺の領地のためには、戦王国群の北方の安定は必須だった。それに一番近いのがお前だと考えた。それだけさ」

 お互いの前に杯を置き、なみなみと酒を満たしてマテウスが言うのに、ヴィンゲールハルトはくっくと喉を鳴らした。
 その意地っ張りな態度がおかしかったのかもしれない。

「だが、おかげで私は北辺の覇者となることが出来た」
「俺は金を送っただけだ。お前に会いもしなかったし、文も交わさなかった。金を活かしたのはお前さ」
「そうか?」
「そうなんだよ」

 二人は酒を呷りながら、どこか遠くを見つめていた。目の前の相手を見ていながら、それを通じてどこか遠くを。あるいはずっと昔を。

「そういえば、あの約束では、お前が戦王国群を少なくとも半分は支配してなければいけなかったはずだぞ。その余力で俺と共にソウライを手にする。そういう約束だろうが」
「それはだね……」

 そこで、ヴィンゲールハルトがその細い体を急に折った。ごほごほと咳き込む声がその下がった頭の向こうから聞こえてくる。

「おいおい、どうした。おかしなところに入ったか?」

 しかたないな、と言う風に布を差し出すマテウスが、その太い指から布を取り落とす。
 それは、卓に散った赤いものを見たためだ。

「お前……!」
「見ての……通りさ」

 ぜいぜいと苦しい息のまま、しかし、ヴィンゲールハルトは顔を上げる。その口の端から、一筋の血が垂れていた。逆の端には泡のようになった血がこれまたこびりつくようにしている。

「……痩せたのは動かぬせいだけではないということか」
「そうだ」

 マテウスが取り落とした布を引き寄せ、ヴィンゲールハルトは口を覆う。卓に吐いた血泡もその身で隠すようにするのに、マテウスは目をそらした。

「残念だが、中途半端な約束になってしまったのはこういうわけだ。それだけの、時間はないんだ」
「……そうか」

 マテウスは黙って卓を離れ、今度は酒ではなく水を注いで、ヴィンゲールハルトに渡した。
 彼は布で口元を隠しながら、それを飲み干した。

「娘御はこのことを?」
「知っていて黙っていられるような性質と思うかね? 出陣などもってのほか、国を出ることも許してくれないさ」

 躊躇うようにしてから尋ねた友に、ヴィンゲールハルトはそんな風に応じる。布で隠していてもその口元に苦笑が浮かんでいるのがわかる口調であった。

「そうか」

 マテウスは深く椅子に腰掛け、背もたれにその身を任せた。彼の体重に耐えかねた椅子がぎぃと鳴くのも構わず、彼は天井を睨みつける。

「戦場には出るんだな?」
「ああ」
「死に花を咲かせようなどとは考えまいな?」
「ばからしい」

 マテウスの心配を一蹴して、しかし、ヴィンゲールハルトは明るい調子で続けた。
「だが、勝利は欲しいな。戦歴の最後を締めくくるなら、やはり勝ちがいい。勝ち逃げするのが一番だよ」

 マテウスはその言葉に言葉では応じなかった。
 ただ、力強く頷いただけであった。


                    †


「どうだったね?」

 しばらく休みたいと主張するヴィンゲールハルトを置いてマテウスが去ると、すぐに隣の部屋から一人の女性が現れた。
 ヴィンゲールハルトは彼女に向けて、真っ赤に染まった布をふりながら、柔らかい調子で尋ねかける。

「こうしたやり口は好きません」

 ようやく染め色も抜けた明るい色の髪をふりながら、ヴィンゲールハルトの娘ローザロスビータは呆れたように告げた。

「病など装わずとも、あの方の戦意に不足などなかったのではないでしょうか?」

 彼女の視線は、父の持つ布へとどうしても向かう。
 それを染める鮮血が、父の仕込んだまがいものであると、彼女は事前に聞かされていたのだ。
 よくよく見ると、血泡の混じり具合が多すぎるような気もする。
 派手に見せるためであろうとローザは見当をつけた。

「だが、やつは余計に奮起した。そうじゃないか?」
「それは……」
「やり口はともかく、効果はあった」

 そう言われてはローザもぐっと黙り込んでしまう。
 実際、密かにこの部屋を覗いていたローザは、マテウスの気合い気勢の上がりようをしっかり見届けていたのだから。

「この戦は負けるわけにはいかない。我々だけの戦じゃないんだ。それに、自分の国を広げるってだけの戦でも、ない」

 それにね、とヴィンゲールハルトは優しく語り掛けた。

「時間がないのは本当だよ。魔族を叩くには、この機しかない」
「それには同意します。あれらはいま叩いておかねば……」
「だろう? だから、そのためなら、人をたぶらかすくらいなんでもないさ」

 平然と言う父に、ローザはついに彼を責めることを諦めた。小さく首を振り、優しい表情を見せる。

「そうですね。まずは勝ちましょう。その後でなら、マテウス殿に謝罪する時間もあることでしょう。私も一緒に謝ります」
「それは心強い」

 言って、ヴィンゲールハルトは笑う。
 愉快そうに、実に楽しげに。

「その後でなら……か」

 そうして、娘もまた立ち去った後、一人残ったヴィンゲールハルトは呟く。

「さて、いつまで騙されてくれることだろうね」

 雷将のその声を聞く者はいない。
 だが、いたとしたら、こう思ったことであろう。
 それは、果たして誰に向けてのものであったのか、と。
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