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三界大戦記―好色皇子と三界の姫たち― 作者:安里優

第三部:人界侵攻・龍玉編

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第20回:秘密(下)

「私はエルザマリアではありません」

 彼女はもう一度繰り返した。
 呆然としているスオウの頭にその情報が染み渡るように。

「人界での名は、ユエリ・ショーンベルガーといいます」
「……エリ、ではあるわけか」
「そうですね」

 スオウが思わずという調子で漏らした言葉に、エリもまた苦笑いで返す。苦笑であるはずなのに、どこか泣き出しそうな笑み。

「でも、エルザマリアではありません。私はエルザマリアの叔母にあたります」
「では、公の」
「はい。公爵は腹違いの兄になりますね」

 そんな話が確かにあった、とスオウは思い出す。ショーンベルガー公爵と話したときに、叔母の存在が話に出たはずだ。
 あれは引っ込み思案なエルザマリアが叔母のおかげで外に出るようになったとかいうものだったか。

「しかし、もう一つの名も持ちます」
「もう一つ?」

 更なる真実があるとエリは告げている。スオウはもはや自分の考えが追いつかないことを認めた。

「話してくれ。一度に聞いてしまうほうがいい」

 なるべく声に険が出ないよう気をつけたが、果たして功を奏していたかどうか。
 エリは続けての発言は、彼の顔を見ずに発した。

「では、これをご覧ください」

 言って、エリは立ち上がる。
 彼女は頭に巻いていた布に手をかける。
 そこでスオウは気づいた。彼女がそれを取ったところを見たことが無いことに。
 実を言えば、彼女はスオウどころか、誰の前でもそれを外したことは無いのだ。そのことを、カラク=イオの者たちが意識したことすらない。
 まさにこの時までは。

「エリ、お前……」

 エリの手によって、するすると布は解かれていく。
 時折その布からほつれて見えていた亜麻色の髪が、スオウの目にさらされていく。
 そして、それが現れる。

 彼女の額に輝く宝玉が。

「私のもう一つの……かつて持っていた名は、シン=ユエリ・ロン=フェル・クル=クルル・セロ=ローゼ・サリ=クランド・ディー=ロン」

 その宝玉と名は、彼女の正体を如実に現していた。

「私は真龍です」


                    †


「はっ」

 スオウが思わずという風に息を吐く。

「はははっ。なるほど、真龍の血は何度かショーンベルガー家に入った。まさに公の父上の代でもそうであったか」
「はい」

 乾いた笑いを漏らすスオウに合わせてか、エリもまた笑みを浮かべる。なにか別の表情に無理矢理に貼り付けた仮面のような笑みだった。

「だが、疑問もある。真龍だというなら片割れはどこにいる? 龍の姿をしたものは?」
「それは……」

 声を揺らすエリに、スオウはたたみかける。

「それと、先ほどの名にはどうも聞き覚えがある。俺の記憶違いで無ければだが」
「……そうですね。そのあたりもご説明しましょう」

 それから、彼女はスオウのことをのぞき込むようにしながら尋ねた。

「……座っても?」
「俺は驚いてはいるが、なにか気分を害したりしているわけではないぞ。驚いている者の常として、多少はつっけんどんかもしれんが……」

 立ったままでいろとでも言うと思っているのか、とスオウはむしろ拗ねたように顔をしかめた。
 その様子にエリは申しわけなさそうに微笑む。

「すみません。馬鹿なことを聞きました」

 座り直し、彼女は『んっ』と可愛らしい声で喉の調子を整える。緊張しているのだろうが、どこか覚悟が決まっているようにも見える。
 考えてみれば、最初から彼女はそうであった。そう、スオウは思い出す。
 緊張もするし、控えめな態度をとってはいても、けして折れることは無かった。
 その肝の据わりぶりを評価したからこそ、彼はショーンベルガーとの同盟を決断したのだ。

 そのことを思うと、なんだか心中で騒がしく蠢きだそうとしていた様々なものがすっと静まっていくのを感じるのであった。

「私の真龍としての名前ですが」
「ああ」
「あれはほとんどツェン=ディー、つまりは殿下たちが対面した真龍族の若長と共通しています。そこは、殿下の記憶通りです」
「やはりな」

 しかし、そうなると……とスオウはエリに先を促すような表情をする。
 彼女は彼の推測を認めるように、こくりと頷いた。

「はい。ツェン=ディーは同巣どうそうの兄です」
「同巣?」

 聞き慣れぬ言葉に首を傾げるスオウに、エリは苦笑に似た表情を浮かべた。それから、しばし考えて、ゆっくりと言葉を選びながら続ける。

「まず、我々真龍にとっては、人身と龍身、つまり人の姿をした存在と龍の姿をした存在は、同一の人物の一側面だと考えられています。つまり、人と龍揃って一人です」
「習慣的に、そういう扱いをされるという意味か?」
「いいえ。真龍にとっては、それは真実なんです。なにしろ、龍身と人身はお互いが考えていることがわかるんですから」

 その言葉に一瞬絶句したスオウであったが、ぶんぶんと頭を振り、身を乗り出す。

「思考が読めるというのか?」
「思考も感情もです。痛みも苦しみも快楽も伝わります。それは、間に壁があっても変わりません。さすがにある程度離れてしまうと無理ですけど」
「なんとまあ……。世の中俺の知らないことだらけだな」

 スオウはもはや驚きが追いつかないと感じていた。
 エリのことだけでも、感情が追いついていないというのに。

 とはいえ、これは聞いておかねばならぬことなのだろう。エリがなぜ姪を騙り、そして、なぜいまそれを明かしたか。
 そのことを彼女自身が教えてくれているのだから。
 エリはスオウの反応にはにかむようにして続ける。

「そのおかげで、真龍の人身と龍身は、それぞれの人格が分かちがたく結び合って一体化しています。実は個性がないわけではないのですが、このことがわかることはほとんどありえなくて……」

 彼女は、話が逸れたというように言葉を切って首を振る。

「ともあれ、そうして生きている真龍たちですが、不思議なことに妊娠の機もほぼ一致します。つまり、たいていは龍身と人身の両方が一度に卵を産むのです」
「ふむ。……ん?」
「そして、私たち真龍の女は人の姿であろうと、龍の姿であろうと、妊娠すると必ず一対の卵を産みます。つまり、人身と龍身で二対、計四つの卵が一時いちどきに……」
「ちょっと待て」

 つい先ほど何事かひっかかったような顔をしていたスオウが、ついにその疑問の大元をつかみ取り、ばっと掌を指しだしてエリの言葉を止めた。

「なんです?」
「エリは、真龍……なのか?」
「ええ。ですから、それをご説明しようと……」
「いや、そうじゃなくてな。種族的……いや、違う。肉体的にだ」

 なぜだか妙に焦った調子で聞くスオウに、エリは小首を傾げながら口を開く。その額の宝玉が鮮やかに光を反射した。

「そうですね。父は人ですが、私の体には真龍の特徴が色濃く出ています。身体的には、ほぼ真龍と言っていいものかと」

 スオウはますます焦った様子で、ぐっとエリに顔を近づける。

「じゃあ、お前、卵を産むのか?」
「え? ええ、まあ」
「卵を?」
「はい。そうですが……」

 いっそ不思議そうに応じるエリの姿に、種族的差異を感じ取り、魔界の皇太子は深々と椅子に体を沈めた。

「そうか、卵で生まれるのか……。俺の子が……」
「す、スオウ様!?」

 いきなりの言葉に素っ頓狂な声を出し、その後でみるみる真っ赤になるエリを、スオウはかえっておかしな顔で見た。

「そういう約定だろう? お前は俺と婚姻を結び、そして、お前の子がソウライを手にする。そういう約束だ」
「それはエルザマリアとの話でしょう」
「会ったこともない相手ではなあ。それに」

 そこで、彼は真剣な表情になり、静かに告げた。

「俺が血塗られた道の同道者に選んだのはお前だ」

 はっと息を呑むエリ。
 彼女の顔は赤くなりっぱなしだったが、何かに気づいたように頬がひくひく震え、ぐっと拳が握り込まれた。
 それから、彼女は呟くように言う。

「……スオウ様は意地悪ですね」
「なぜ!?」
「……スオウ様が変なこと言うからです! とにかく話を続けますよ」
「あ、ああ」

 エリは顔をごしごしとこすって、話を続ける。
 赤くなっているのをごまかしたいのか、表情を隠したいのか判別しがたい動きであった。

「先ほどの続きですが、四つの卵が一度に産み落とされるのが通例なわけです。そして、この四つの卵を一つの巣で人身と龍身、つまりは『一人』の真龍が面倒を見るというのもまた通例となっています。真龍にとっては、龍身が生んだものであろうと、人身が生んだものであろうと同じというわけです」
「その四つの卵から生まれ出て、同じ巣で育った者たちが『同巣どうそう』というわけか?」

 話の流れからしてそうだろうと結論づけてスオウが言うのに、エリが頷く。

「その通りです。私の場合、シン、ユエリ、ツェン、ディーの四者となりますか」

 エリはそこで一度口を閉じ、ぎりと唇を噛んだ。

「そのうち、シン――つまりは私の半身として龍の体を持って生まれ来た者は、死にました。私が殺したんです」

 しばらく待ってもそれ以上続けようとしないエリの姿を見ながら、スオウは放っておかれたままの料理のうち、肉の一片をつまんで口に放り込んだ。

「その様子から察するに」

 それを呑み込んでから、スオウは言葉を舌にのせる。その声音になにか感じたか、エリはつと顔をあげた。

「なにも憎んで手にかけたわけでもあるまい」
「それでも」

 彼女の言葉は弱々しく頼りない。

「私は殺したんです。私の姉、私の半身、もう一人の私を!」

 だが、話すうちに内にこめていたものが漏れ出てきたのだろう。それは叫びに近いものに変じてゆく。

「私は『私』を殺した! そして、そして……」

 もつれる舌で彼女は必死に叫ぶ。

「一人きりになってしまった」

 顔を覆ってしまった少女に、スオウはかける言葉を見つけられなかった。
 その言葉の持つ意味が、彼と彼女では、否、魔族と真龍族とでは決定的に違うと想像できたからだ。
 生まれたときから、痛みも心地よさも喜びも悲しみも共有する相手がいること、それを失うことの意味を、彼には実感できない。

 ただ、その心痛を想像するしかない。

「真龍ならば、共に死ぬべき場面だったんです。……でも、でも、私は生きたかった。彼女もそう望んだ。望んでくれたんです」

 それはスオウへの言葉だったろうか。ただ、彼女の内にあるものを吐き出していただけではなかったか。

「でも……本当に?」
「それに答えられる者は、もういない」

 ふらふらと身を起こし、彼女は彼を見る。
 その瞳の虚ろさは、なにもかもが吸い込まれそうだ。
 スオウはその救いのない空虚さをよく知っていた。彼もまた抱えていたものだから。

「死者は答えてくれない。どんなに尋ねても、答えはない。あるように思うのは、ただの錯覚だ」
「言い切りますね」
「だが、事実だ。死んだ者がこう考えていたに違いないと生者が思うのは、驕りであり、逃避だ。死者はただ見守るだけで、この世界に干渉したりはしないものだ」
「寂しいですね」
「そうだ。寂しく、むなしい。どこを探しても死者はいないのだから。ただ、彼女たちが遺してくれたものもある。俺たち自身だって、ある意味じゃそうだ」

 彼女と彼は言う。
 それは、エリの半身シンであり、彼の亡き妻サラのことでもあろう。

「答えはない。だからこそ、俺たちは過去を丸抱えして、未来を見なくてはならないんだ」

 そこで、彼は笑いかけた。
 優しく、どこか切なく、けれど、力強い笑みを。

「エリが、彼女のおかげで生を拾ったならば、生きたほうがいい。高天に昇ってからの土産話が増える。彼女の存在を礎に生きてきた日々のな」
「そうですね。きっと私が死ぬべきは彼の時ではなかったのでしょう」

 力強くエリは頷く。
 一見、彼自身の言葉に勇気づけられたように見えて、どこかかみ合ってないような違和感をスオウは覚えた。
 だが、それが形になる前に、彼女は言葉を続ける。

「横道に逸れましたけど、話を戻します。私に半身がいない理由と、ツェン=ディーが人界でいう同腹の兄と同じ立場にあることは、理解していただけたと思います」
「だが、しかし、実際には同腹ではないのだよな?」
「そうですね。兄たちは龍身の『母』から生まれましたし、私の母は龍身の『母』の半身とは契らずに先代公爵と結ばれましたし」

 そうしたことは、非常に稀なのだという。
 もし人に恋したとしても、通常は龍身の者も人を愛する。
 子を成すことは出来ずとも、二人と一頭が共にある姿が作り出されるのだという。

 ところが、エリの母の場合はそうではなかった。

「変わり者なんです。うちの母」

 なんだか照れ臭そうに言っているものの、それはなかなかの大事なのではないかとスオウは思う。
 人の姿をした者と、龍の姿をした者。それぞれが別々の相手を選んだということは、その時点で人格が分化していたということではないか。

 だが、それを詳しく聞こうとするのは憚られた。
 きっとエリが話すべきと思えば話すことだろう。

「そんな真龍の私が、姪であるエルザマリアを騙っていたのは、主には兄の病気のためです」

 こちらの兄とはショーンベルガー公爵のほうだろう。
 もう長くはないであろう父親の傍に娘を残しておいてやりたい。そんな気持ちを抱くのはスオウにも理解できるところだ。

「ただ……兄はもう意識が特に明晰な時にしか、私とエルザマリアの区別がつかないようですが……。これはしかたありませんね。人である兄の感覚では、私は子供にしか見えないでしょうし」
「……そうか」

 エリが真龍の特徴を色濃く有しているならば、人と同じように加齢はするまい。真龍族は下手をすると魔族よりも寿命が長いのだから。
 いつまでも年老いない妹を、病のために混濁した意識の中で、娘と混同してしまうのを責めるのは酷だ。
 だが、遣る瀬無い話ではある。

「ですから、まあ、単純な年齢の積み重ねの差で、私が交渉に出たというのもあるんです」
「なるほどな。そうすると……」
「言っておきますが、スオウ様よりは年下です」
「いや、俺は別に」
「年下です」
「……わかった」

 妙に強い語調で念を押すエリに、それ以上何も言えないスオウであった。

「いずれにしても、だ」

 次々明かされる衝撃の事実の数々をなんとか――かなり無理矢理に――呑み込んだスオウは、そもそもの話に筋を戻そうと試みる。

「エリは、父方からはショーンベルガーの血を、母方からは真龍の血を引いているわけだ」
「そうなります」
「そして、真龍のことをよく知るはずのお前が、真龍たちを納得させる手があると言う。つまり、それは特異な立場にあるお前が、我らと同族の仲立ちをしてくれるということか?」

 ふるふるとエリは首を振る。
 断固とした否定の仕草。彼女が絶対にそんなことはあり得ないと信じていることをはっきり示している。

「残念ながら、それは難しいでしょう。真龍族の大半は、私のことを『同胞殺し』と忌み嫌っておりますから」
「では、どうすると?」

 そこで、エリは再び立ち上がり、スオウの顔をみた。
 泣き出しそうな、嬉しそうな、悔しそうな、哀しそうな、名残惜しそうな、大事なものをいとおしむような……その全てであり、それ以上でもある表情だった。
 それから、彼女はすうと息を吸い、なにかを振り払うかのような顔で告げる。

「たとえ、同族に忌み嫌われていようとも、私の体はご覧の通り、真龍としての特徴を宿しています。ですから、スオウ様」

 エリは……亜麻色の髪と額に美しく光る宝玉を持つユエリは、真っ直ぐにスオウのことを見つめて懇願するように言った。

「私のこの額の龍玉を、真龍に差し出してください」


                    †


 真龍が住まう島の中央に位置する巨大な湖。
 その湖から突き出た岩棚に、それは作られている。
 自然の洞穴を加工しているのだろう。なめらかな傾斜を降りていくと、石筍や石柱の立ち並ぶ鍾乳洞へ至る。
 天井からつり下がるつらら石が見当たらないのは、危険性を考えて除去しているのかもしれない。

 一部は水没しているその洞穴の中を、一頭と一人が行く。
 漆黒の鱗を持つ巨龍ツェンと、その半身であるディーだ。
 龍の身でなければ越えられない水没部分や、人の身でなければ解錠できない扉などを抜けた後で、ようやく二人は目当ての空間に至る。

 そこは、取り立てて特徴の有る場所では無い。先ほどまでと同様、石筍や石柱の並ぶ場所だ。
 唯一異なるのは、その壁面。
 そこに、等間隔で並べられているものがある。

 どこかから入り込んでくるわずかな光にきらきらと輝くそれは、『龍玉』の数々。

「さすがに圧巻だね、ツェン」

 ディーはその壁面を飾る龍玉の列を眺めながら、半身である龍に語り掛ける。黒龍はその声に同意するようにぐるぐると喉を鳴らした。

「それにしても不思議だよね。生きながらえぐり出さないといけないなんて」

 それを想像したのか、ぶるりと身を震わせるディー。

「普通に死んじゃったら十日もせずに崩れちゃうのに、生きてる間に取り出すと魂が宿って、何百年も輝きを保つ。輝きを保つってのは、いま見てるとおりだけど……。魂云々は本当かな?」

 喉を鳴らす声が戸惑うように揺れる。龍玉の並ぶ壁へと近づくディーを止めるべきかどうか悩むような様子でもあった。

「大丈夫だよ。おかしなことはしないさ」

 龍玉のいくつかにそっと触れながら、ディーはツェンの不安を笑い飛ばす。

「なにしろ、ここにはうちの先祖たちもいるんだしね」

 ディーの言うとおり、ここには彼の祖父や曾祖父たちの龍玉も並んでいた。
 この場所は、歴代の族長と功労者の龍玉を祀る場所であり、ツェン=ディーの一族は族長や筆頭戦士の座を占めることが殊に多かったのだから。
 ディーはしばらく龍玉のいくつかを興味深そうに撫でていたが、腕を組んで考え込み始めた。

 その様子に、ツェンがひときわ大きく喉を鳴らす。

「……ん? ああ、ちょっとね。いずれはここに叔父上も並ぶんだなあって思ってさ」

 その答えに、鼻息を吹くツェン。人間で言えば、鼻を鳴らすような仕草であったろうか。

「まあ、あの人は族長にはちょっと……だし、父上がここに並ぶべきだったとは思うけど。それはしかたないよ」

 ディーは肩をすくめ、ツェンはそれに何も意見を示さない。

「妹たちの『母上』が父上を選ばなかったのは僕らにはどうしようもないし、『母上』には『母上』の考えがあったんだから。だからって『母上』やシン=ユエリを恨んだりしてないだろ?」

 ディーが振り返って尋ねるのに、ツェンは再びぶふぅと鼻息を吐く。それから、苛立つように首を振った。

「そうだよね。シン=ユエリは僕らの恩人だものね。ある意味でもう一人の母親みたいなものだ」

 ツェンはそこでふぃーと長い息を吐いた。
 どこか剽軽さを持ったその動作からすると、もしかしたら、それは龍の笑いであったかもしれない。

「本当にね。まさか、人身と龍身とで別々の個性や思考が生まれ得るなんて」

 真龍にとって、『一人』の個を構成する龍身のシンが死に、人身のユエリが生き残ったという事実はとてつもない衝撃であった。
 真龍は一頭と一人で『一人』。どちらが欠けても、生きてはいけないはずであった。ましてや、まともな精神を保てることなど想像も出来ない。

 それなのに、ユエリは生きのびた。
 しかも、ショーンベルガーの血族の一人として、人間社会でまともな生活すら送っていた。
 これは驚くべき事であり、恐るべきことである。
 自らを構成する常識の根幹が崩壊する事例となるのだから。

 故に、真龍の大半は彼女を侮蔑し、嫌悪し、無視した。
 ありえない存在だと。人の血が入って、狂ってしまったのだと。
 だが、兄であるツェン=ディーにはそうは思えなかった。

『自分たちの母たちもまた別々の選択をした。もしかしたら、人と龍の体は別々の思考を形作れるのではないだろうか』

 こうした発想に至ったツェン=ディーは、お互いの思考を、お互いに漏らすのを中断した。
 それから数年。
 彼らは、それぞれの『個』を手に入れた。
 彼らは『彼』から『彼ら』となり、半身の代わりにかけがえのない兄弟を得たのだった。

 二つの思考、二つの感情、二つの反応、二つの経験。

 再び思考と感情を伝え合うことで、彼らは個性を保ったまま、お互いの経験を取り入れることに成功する。
 これは画期的なことであった。
 少なくとも一般の真龍にそれは不可能だ。

 彼らは飛躍的に経験からの学習速度を上げ、めきめきと力をつけていった。
 ついには叔父に奪われた一族伝来の長の座を狙えるほどに。

「ともかく、父上のことをいまさら言ってもしかたない。それに」

 言って、ディーは再び龍玉の壁に向き直り、にやりと笑みを形作る。

「あの人は龍玉に閉じ込められるより、遠く旅立つ方が似合ってる。今度こそ、『母上』を手に入れるため、かの公爵閣下に決闘を申し込んでいるかもしれないよ」

 明るい調子でディーは笑う。その笑い声にあわせるように、黒龍が体を揺らし、その感情を表現する。

「それはともかくとして、妹たちについては、一つだけ疑問なことがある」

 二人の『笑い』が収まったところで、ディーは再び龍玉を見つめながら呟く。

「真龍の族長や功労者として認められる者たち……つまりは龍玉を遺すに足るとされた者たちは、死期を悟ったならば、自らの龍身で龍玉をえぐり出す。そうだろう?」

 こくんと龍の首が揺れた。
 淡々と語ってはいるものの、実に恐ろしい光景だ。巨大な龍の爪で人の体にはりついた宝玉をくりぬこうというのだから。

「その行為で人身の者は死を迎え、龍身の者も感じ取った死の苦痛で息絶える。これが当たり前だ」

 一拍おいて、ディーは小首を傾げた。

「それなのに、ユエリは生きている」

 ツェンが深く息を吐く。なにを感じ取ったか、ディーはそれに大きく頷きを返した。

「そう。あのときの状況じゃ、彼女だってほとんど死にかけていたはずだ。そして、もっと瀕死だったシンに、ユエリのほうに思考や感情が伝わらないよう制御する余裕なんてあるはずがない」

 つまり、とディーは続けた。

「彼女は死に至るだけの苦痛を感じても生きている」

 そこで、彼はなにを思ったのだろう。
 瞳には恐怖に似た感情が揺れているようにも思えた。
 だが、それはツェンがうなりをあげる声で霧散する。

「いや、そうじゃない」

 自らも不吉な影を振り払うようにぶんぶんと首を振って、彼は言う。

「僕らの妹は強い。たぶん、それがなによりも真実に近いんだろう」

 見上げる彼の視線の先で、いくつもの龍玉が美しいきらめきを放っていた。
 だが、その龍玉はなにも語ろうとはしない。
 たとえ、どれだけ眺めていても。
 彼の望む答えをくれたりはしないのだ。
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