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三界大戦記―好色皇子と三界の姫たち― 作者:安里優

第三部:人界侵攻・龍玉編

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第9回:防衛(下)

 男は足音も高く廊下を行く。
 寝乱れた髪を整えながら、一歩毎に鬱憤をはらすかのようにどすどすと床を蹴る。
 それも当然だろう。
 その日起きた重大事への対策に頭を悩ませ、なんとか今後の方針を指示してようやく寝付けたのだ。そこに、客が押しかけてきたとなれば、機嫌良くいろというほうが無理というものだ。
 まして、男はもう五十二歳。無理の利く体力とはもはや無縁であった。

 彼の名は、クラウスフレート・ゲデック。
 ソウライ七大都市の中ではショーンベルガー公爵に次いで年かさの――つまりは実質的に最高齢の――領主であった。

 侯爵は廊下の途中で一度立ち止まり、大きく深呼吸すると、先ほどよりはゆっくりと歩き出した。
 彼は客が待っているという部屋の前にたどり着いたが、すぐに入ろうとはせず、隣にある小部屋に入り込み扉を閉める。

 光の入らないその部屋で、彼は壁にぴったりと体をつけた。指先で少し探ると、わずかに光が入ってくる。
 本来はいざというときのために護衛が詰める場所だが、こうしてのぞき穴から客人の様子を確認するのにも利用することができた。

 彼はそこで隣室の様子を眺め、思わずひゅっと息を吸った。

「おやまあ、本当にミュラー=ピュトゥめのお嬢ちゃんじゃないか」

 ペトルスの渡しことヴェスブールを戦王国群からソウライへの入り口とすれば、ゲデックは戦王国群から来たものとソウライ地域の諸々の事柄が混じり合う場所である。
 その土地を支配する侯爵であるクラウスは、ソウライの他の領主たちに比べれば戦王国群の事情に明るかった。

 実際に知っているのは戦王国群でも北部地域だけだが、それで十分だ。
 足萎えの雷将ヴィンゲールハルトの顔も、その娘の顔も知っているのだから。

「さてさて……」

 かすかな明かりの中で彼は奇妙に顔を歪め、小部屋を出てローザたちの待つ部屋へと足を踏み入れた。

「やあやあ、ローザ。久しぶりだね。その髪はどうした? おしゃれには見えんぞ」
「これは侯爵閣下」

 妙に明るい調子で言う侯爵に、ローザはあくまで厳粛に礼を示す。
 クラウスはうんうんと笑顔で頷き、彼女の後ろで跪いていた供の者たちに小さく手を振った。

 彼らは揃って部屋の隅に移り、ローザとクラウスが残る。
 二人は儀礼的な挨拶をいくつか交わしてから、相対して柔らかな詰め物がされた布張り椅子に身を預けた。

「包囲されているはずの我が都市に、あるはずのない旭姫の姿があり、しかも見るからに変装している事情をあえて聞こうとは思わないよ。君には君の……いや、君と父上の理由があるのだろう。だが、我が眠りを妨げた理由くらいは聞かせてもらえるだろうね?」
「もちろんですとも閣下。簡単に言えば、私はディステル陥落が偽情報だと考えております」
「根拠があるのかね!?」

 がばりと身を乗り出すほどの勢いで、彼はその言葉に反応した。
 ゲデックを支配する領主として、様々な角度から今日の出来事を検討したに違いない。その中で、当然のようにディステル陥落が民の心を狙った偽情報であることにも思い至ったのであろう。

 ともあれ、ローザは内心胸をなで下ろしていた。
 もし、ゲデック侯爵やその側近がこのことを思いついていなかったとしたら、最初から説明し、納得させる必要があるからだ。
 少なくともこれで、侯爵と彼女はある程度問題意識を共有していることが判明した。
 だからこそ、次の言葉を口にするのは残念でならない。

「ありません」

 クラウスが体を戻す勢いは、彼の内心の失望をあからさまにしていた。

「ですから、いまからそれを手に入れるのです」
「なに?」
「我々はこのゲデックを出ます。そして、できうる限りの情報を得ようと考えています」

 いぶかしむ侯爵に、ローザは一語一語をはっきりと発して説得を試みる。ここは慎重に行かなければ、何も進まなくなってしまうかもしれない局面であった。

「これは我らの目的とも合致しますが、ゲデックの利益にもなると考えます」
「利益……。そうだな。利益とはなるだろうか。知らぬまま疑心暗鬼となるよりはね」

 ようやく興味を持ちだしたらしいクラウスに、ローザは柔らかにほほえみかけた。駆け引きの中で作られた表情とは言え、その笑顔は春の日に咲く花のように美しい。

「ええ。ディステル陥落がまやかしと知れれば、ゲデックの民の心も幾分かは安まりましょう」

 だが、まやかしでなければ?
 侯爵もローザもそのことには触れなかった。
 その可能性を論じても意味は無いとお互いに理解しているのだった。

「あるいは、ディステルに援軍を頼むことすら出来るかもしれません。あちらとて魔族の侵略は見過ごせぬでしょう」
「まあ、そちらは無駄になるかもしれんがね。試みても損はないだろうね」

 たとえディステルが無事だったとしても、魔族の侵攻が迫っている時に、他所に避ける兵があるだろうか。
 大局的に見れば一時的に自領の守りを薄くしてでも、侵略者を叩いておくほうが正しいとしても。
 それに、そもそもなんとか援軍を仕立てあげたとして、その時までゲデックが持ちこたえられるかどうかという問題もある。

「だが、それもこれも君たちがディステルにたどり着くことが前提だな。一体どうやるというのだ? 魔族の囲いを突破するのかね?」
「まさか。我々だけでそのような」

 その言葉をどう受け取ったか、クラウスの顔が曇る。彼は渋い声で告げた。

「私としてもディステル陥落については真実を知ることが出来るものなら嬉しく思うよ。だが、そのために我が兵を損なおうというつもりはないぞ。いかに君が我々のためにもなると主張しようともだ」
「仰りよう、実にごもっともなことと存じます」

 ローザは真剣な顔付きで、彼の言葉に頭を下げた。だが、すぐに顔をあげ、彼を真っ直ぐ見つめる。

「ですから、侯爵にはほんの少し力を貸していただきたい。そう、わずかな助力です。けして侯爵の兵を失うような結果にはならないと、我が名にかけてお約束いたします」

 彼女は確信を籠めてそう言い切った。
 その勢いに、侯爵は首を傾げ、しかし、彼女に導かれるように続きを促すのだった。


                    †


「はぁっ」

 五頭の馬の最後尾についた禿頭の男が、一つ気合いを入れて、自らの乗騎を急がせる。彼の前では、追い立てられるように四頭の馬が走っている。
 いや、事実追い立てられているのだ。
 彼らひとかたまりの五頭の少し後ろには、十頭ほどの一団が続く。そちらは五頭のように固まらず広がっていた。

 禿頭の男の耳に風を切る音が聞こえ、少し離れた所になにかが刺さった。彼はちらとそれを見て、さらに馬を急かした。
 地に落ちたのは矢。
 後ろの集団が彼らに向けて放っているものであった。

 ただし、騎射の技術はなかなかに難しいものであり、今回それを放った人物もそれほど名手というわけではないようだった。
 実際、いま放った男は馬の足をほとんど止めてしまっていた。一射放ってから、急いで仲間たちに合流しようとしてる。
 彼らのほとんどがこうした有様のため、追跡集団のほうは密集出来ずに緩やかに広がってしまっているのであった。

 とはいえ、いかに巧者揃いでないとはいえ、後ろから射かけられるのはとつてもない恐怖であり、重圧である。
 先の五頭に乗る者たちはまさに必死で逃げていた。
 問題は、五頭の中心、他の四頭で囲んでいる一頭の馬であろう。
 これには女性が二人またがっていた。いかに体重が軽いとはいえ、二人乗せれば
馬の足も鈍る。
 弓を使うことで隊列の乱れる後ろの者たちを引き離せないのも、これが理由であるらしかった。

 だが、その逃避行ももう終わろうとしていた。
 なぜなら、彼らの向かう先に、漆黒の天幕群が見え始めたからだ。
 それこそ、ゲデックの街を包囲する魔軍の陣地。

 天幕はまだなんとか見分けられたというだけで距離はあるものの、その周囲を魔族が巡回していないはずはない。
 逃げる彼らの姿に魔族たちが気づくのも時間の問題であろう。
 そのことに、追う者たちも気づいた。

 追っ手の足がみるみるうちに鈍る。彼らはそれからもわずかの間だけ追いかけるような素振りを見せたが、結局は皆で馬首を返した。
 最後に罵倒のような声が飛んでいたが、逃げる六人の耳にはもちろん届かない。
 そして、追っ手が都市へと戻り始めた途端、彼らの視界の端に竜に乗った魔族の姿が現れた。

 一体どこからやってきたのか。
 追っ手が戻ったのとあまりにも機が一致していることからして、ひそかに観察していたのかもしれない。
 いずれにせよ、逃げる一団にとって、それを怪しんでいる暇はなかった。
 彼らはその騎竜兵たちのほうへと馬を進め、こう叫んだのだ。

「お助けくださいませ!」

 と。


                    †


「保護を求めてきた?」
「はい」

 黒ずくめの男――すなわち黒太子とも好色皇子とも呼ばれるカラク=イオの首長スオウは、参謀が頷くのに不思議そうに首を傾げた。

「ゲデックの住民がか?」
「住民かどうかはともかく、ゲデックにいたのは確かですね」
「へぇ……」

 彼が考え込むのを、参謀のスズシロは黙って見守っている。その一つにまとめた髪を無意識にいじっているのは、ご愛敬といったところだろう。

「揺さぶりがもう効いたのか? いや、それにしても早すぎはしないか?」

 カラク=イオがディステル陥落の報をゲデックに打ち込んだのは昨日の昼のことである。心が折れた者が出るにしても早すぎる気がした。

「エリに見てもらったところ、一団のうち男たちに関しては兵士であるようです。鍛えている様子だと。となると、我々が打ち込んだその場にいたのかもしれません」
「ふうん。……ところで、女もいるのか?」
「殿下」

 スズシロの声が剣呑な響きを帯びるのに、スオウは破顔する。
 いくら彼だって、そんなに無節操に手を出すわけではないことは、彼女自身もわかっているはずだ。
 それでも、そんなことを言うのは、どこかおふざけの気持ちあってこそだ。そして、そんなことが出来るのは、現状余裕があるが故のこと。
 だから、彼も余裕をもって応じることが出来る。

「いや、女連れでよく出てくる決心をしたと思ってな」
「むしろその女性たちがいるからこそ出てきたのでは? 自分はともかく愛する者は……と思う者もいるでしょう」
「それもそうか」

 彼が納得したところで、スズシロは話を進める。

「現在、簡単な聞き取りをミズキが行っております。本当に保護を求めてきたのならば、当然保護せねばなりません」
「そりゃそうだ。俺たちは占領後も統治していく予定なんだからな。民は大事にしなきゃならん」
「しかしながら、たとえば保護を隠れ蓑に、破壊活動や暗殺行為を狙っているならば、これは無力化しなければなりません。排除できれば簡単ですが、そうもいかないですから……。もし、なにか企んでいそうな場合は監禁しなければなりませんね」
「それはそれで厄介だな」

 監禁を行うには、当然に監視も必要となる。念を入れるならば、仲間を分断して別々の場所で監視下に置くべきだ。
 当然、こちら側の手も取られる。

「実際、相手の疲弊を狙って避難民を押しつけたりする戦術はありますからね。その土地での今後を考えている勢力であれば有効です」
「人間たちの間での俺たちの評判からするとやりそうには思えないがな? さすがにもう略奪だけして帰るとは思われていないかもしれんが……」
「いまは、そうでしょう。ですから、今回はあてはまらないと思っております。しかし、今後は考慮しなければならないかと」

 スズシロは真剣な様子で言っている。
 スオウは自らの頭脳となっているこの女性を心底から信じていたし、頼りにしていた。
 ただ、時折、あまりに気を回しすぎではないかと思うこともあるのだった。
 とはいえ、それが参謀としての彼女の責務であり、当人にとっての喜びであることもうかがえるため、ここでは彼はこう言うのだった。

「うん。よろしく頼むよ」
「お任せください」

 彼女が軽く頭を下げたところで、天幕の外で声がした。

「よろしいですかしら、殿下」
「ああ、入れ」

 声と口調からミズキであると理解してスオウがそう応じた時には、スズシロがすでに天幕の入り口の布を持ち上げている。
 そんな見事な連携が行われているとはつゆ知らず、ミズキは、そのゆるやかに丸めた灰金の髪を揺らしながら天幕に入ってきた。

「どうだ?」
「まだ細かいところまでは聞いておりませんけれど、ひとまず暗殺を生業としている者には思えませんわね」

 彼女はそう応じてから、にっこりと微笑んだ。

「もし、他のことを企んでいたとしても……。ちゃんと仕込んでおきましてよ」
「仕込む?」
「明日の朝まで、風邪によく似た症状が出ますの。夜には寝込むことでしょう。熱も出ますけれど、それも朝には下がっておりますわ」

 軽い毒を服用させたということだろう。ミズキはそれで十分行動を縛れると考えたようだ。
 だが、スオウは不安そうな顔を見せた。

「人間相手で分量は大丈夫なのか?」
「殿下。お忘れかもしれませんけど、魔界にも人間はおりましてよ? いまは純血の者はほとんどおりませんけれど」
「ああ。すまん、忘れてた。そういえばそうだったな」

 魔界にはかつての人界襲撃の折に捕虜として、あるいは貢ぎ物として魔界に連れ去られた人々の子孫が存在する。
 辰砂氏はそうした者たちの生理機構もしっかり把握しているようだった。

「用心にこしたこはありませんね。とはいえ、あなたも心得てはいるとは思いますが、死なせたりはしないようお願いします」

 スズシロが念を押すのに、ミズキは万事承知という笑みで応じる。

「ええ、もちろん」
「では、聞き取りを続けてください」
「わかりましたわ」

 そうして彼女がスオウに礼をして出て行こうとしたところで、当のスオウがすっと手を上げた。
 中途半端な姿勢で止められたミズキと、不審そうなスズシロの視線が彼に刺さる。

「ところでな」
「なんですか、殿下」
「ミズキの尋問だが、俺も同席しようと思うが、どうだろう」
「必要無いと思いますが?」
「特に殿下がおられる意味はないのでは?」

 冷たい声できっぱり拒絶するスズシロと、なだめるように言うミズキ。
 ただし、当然だが相手は主である。表面上の言葉が柔らかなものになるのはしかたのないところであろう。

「別にいたって構わんだろう? 暗殺者じゃないことはミズキが保証しているんだ」
「それはそうですが……」

 いまひとつスズシロが煮え切らないのは、スオウが現状それほど忙しくないのを知っているからだ。
 いずれ来たるであろう真龍対策では、彼が様々に決断を下さざるを得なくなる。いまはそのための材料や力を蓄えている期間とも言える。
 故に、それほど逼迫した状況は無く、興味があるというのなら……と思ってしまうところがあった。
 それでも精一杯の抗議として、彼女はできうる限り醒めた目を彼に向ける。

「殿下」

 ミズキも彼女に加勢して、咎めるような視線をぶつけていた。
 しかし、スオウは二人の女性の厳しい目にも、悪戯っぽい笑みを浮かべるばかり。
 二人の女性は顔を見合わせた。

「まったく……」
「困ったものです」

 二人の大きなため息に、ますます笑みを深くするスオウであった。
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