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三界大戦記―好色皇子と三界の姫たち― 作者:安里優

第二部:人界侵攻・蒼雷編

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第21回:婚約(上)

 もう長くはあるまい。

 ショーンベルガー公爵を見た時、スオウの脳裏によぎったのはそんな惻隠の情であった。
 エルザマリア・ショーンベルガーの父であるショーンベルガー公爵は、当年とって五十五歳。人界の基準で考えれば、老齢にさしかかってはいるものの、貴族階級であればこの年ではまだかくしゃくとしている者も多い。
 だが、いま目の前にある公の姿は、まるで枯れ木のようだった。水気を失った膚と、筋肉のげっそりと落ちた体は、寝台の柔らかな布の中に沈み込んでいきそうに見える。
 年齢など関係のない死病が、彼には取り憑いている。

 その中で、落ちくぼんだ眼窩の中で光る目だけが、生気を示していた。
 それさえもたいていは暗く霞み、まともに話せるのは三日に一度。こうして客を招くことが出来るのは半月に一度あるかないかくらいのものだと、スオウは説明を受けていた。

「ようこそおいでくださいました、スオウ殿下。ショーンベルガーの領主、ウルリヒヘクトール・ショーンベルガーと……」

 流暢な魔界の言葉を口にした公爵は、そこで少し咳き込んだ。息を押し出すのもおっくうというようなかすかな喘鳴であった。

「失礼。どうぞお座りください、殿下。この咳は他人にはうつりませぬからご心配には及びませんぞ」
「ありがとうございます、公爵閣下。お気遣いいただき嬉しいが、もし貴殿が伝染性の病に罹っていたとしても、人の病が私に感染するかは疑わしいですな。あまり気になさらないでいただきたい」

 寝台脇の椅子に座りながら、微笑んでそんなことを言うスオウを見ながら、公爵は楽しげに目を細める。

「ははあ、なるほど。違うものですなあ」
「ええ。違いますな」

 そうして二人はもう一度笑みを浮かべあい、会談を始めた。

「もっと早くにお目にかからなかったことなど、色々とお詫び申し上げたいことはあるのですが、この通りでしてな。自分でもどうにもしようがありませんもので、要点のみとさせていただいてもよろしいかな」
「ええ、もちろんですとも。私としましても、閣下を長々と煩わせるのは本意ではありませんからな」

 スオウがショーンベルガー公爵を見舞うことについては、カラク=イオ側も、ショーンベルガー側も以前から望んでいたことだ。
 公爵の体調やスオウの予定のすりあわせでこれまで延び延びになっていたが、ようやく、今日実現したのには理由がある。

 リースフェルトが陥落し、スオウとエリの婚約が本決まりとなったのだ。
 ゲール帝国皇女(リディア)との取引や、『王城』で接収した財貨によってショーンベルガーへの未払い金が支払えるようになったという裏事情も、そこにはある。

 いずれにしても、同盟を深化させるためにスオウとエルザマリア・ショーンベルガーとの結びつきは重要であり、スオウとしては一度は父であり領主である公爵と会っておく必要があったのだ。

「三界を制覇なさるおつもりだそうですな」
「はい。そのためにご息女を妻として迎えたいと願っております」

 公爵はじっとスオウのことを見る。そのしなびた顔に浮かぶ表情から、彼がなにを考えているのか推測するのは容易なことではない。

「方便であろうと言う者もおります。大きな事を言っておいて、その実、我らに頼りたいだけだと」
「警戒なさるのは当然のことですな」

 公は小さく頷いた。

「ええ。常に警戒しているものとお思いください。弱き者にはそれしかないのですから。とはいえ、私個人は殿下の本気を疑ってはおりません。エルザマリアから聞く備えの数々を思えば、目指すところが遠大なることは明らかですからな。ただし……」
「なんでしょうか」
「殿下の本意であるかどうかは、よくわかりませんな」
「本意ですか」

 公の意図を掴みきれず、スオウは不思議そうな表情を浮かべた。その様子に公は頷いて続ける。

「ええ。殿下がなにを思って三界制覇を志されたのか。たとえば、部下たちを食べさせていくことが主眼であったのか。あるいは、周囲にかつがれた結果であるのか。それとも、ご自身の望みであったのか。私にはそこが気に掛かるのです」
「なるほど」

 スオウは淡く微笑んだ。

「やむにやまれずと見えてしまうことは、重々承知しております。実際、魔界と切り離されたからこそという点はありますからな。しかし……。そうですな、なんと言いますか」

 そこでスオウは照れ臭そうに笑った。

「少年の頃の夢でして」
「夢ですか」
「はい。世の仕組みをわかりかけてきた、けれど本当にはなにもわかっていなかった頃の夢です。考えたことはありませんか、ショーンベルガー公。世界が一つになれば、争いなど無くなるのではないかと」

 公はまぶしげに目を細めた。
 それほどに、そのときのスオウは輝いて見えた。言葉通り少年のような笑みを浮かべながら語る彼の姿は、公にはきらきらと光を放つように見えたのだ。

「国々で争うのではなく、統一された主権の下に、人々は境を気にすることなく生きる。そんな世があるのではないかと思ったことはありませんか。神も魔も人も、獣も竜もない。ただ、己が己であるというだけで生きていく世界を」

 そこで、彼は小さく肩をすくめた。

「もちろん、争いが無くなることなどありはしません。いまではそれもわかっております。たとえ私が三界をまとめ上げても、それを不満に思う者が世を乱すかもしれません。ええ、わかっているのです」

 あるいは、それを直截に語ったのは、公だからこそであったかもしれない。遠からず死に行く者に迂遠な言葉は必要無い。信頼関係を築く時間を惜しんで、スオウは内心をあからさまに示しているのだろう。
 そのことを公もよくわかっていた。

「なによりも、現状では平地に乱を起こしているのは我々なわけですからな」
「そうですな。見事に巻き込まれております」

 ともすれば批難の色が乗りそうな言葉を、公はさらりと明るく言ってのけた。その様子にスオウは笑みを深くする。

「そうですか、夢ですか」
「ええ、夢です」
「夢ですなあ」

 再び咳き込んでから、公は晴れ晴れとした顔で言った。

「ならば、これはもはやどうしようもありません。男の夢を阻めるのは女だけですからな。その女が後押しを望んでおるというなら、私に出来ることはありません」
「では」
「ええ。エルザマリアをどうぞよろしくお頼み申し上げます」

 公は深々と頭を下げた。その時だけは背筋にぴんと芯が通ったかのような綺麗な姿勢であった。
 スオウもまた無言で頭を下げる。

「ただ、領主としてはそれでよいのですが、父としては案じることも多くあります」

 身を起こした公は疲れたように体を大きな枕に預け、打ち明けるような口調で続ける。

「あれは……私が年をとってからの娘でしてな。その上、あれの母もあれを産んでまもなく亡くなってしまって……」

 たしかに人界の基準で考えれば、ずいぶん遅くに作った子になるのだろう。その上母親も失っているとなれば、公爵のエリへの思いはいかばかりのものか。

「そのせいかどうか……。人見知りの上、どうにも引っ込み思案になってしまいました」

 人見知りで引っ込み思案?
 エリを評するのにその言葉はとても似合うものではないとスオウは思うものの、親の立場で見えるものはまた別なのかもしれない。
 彼は礼儀正しく口を挟むのを控えた。

「そうはいっても妹のおかげで、それもだいぶましになったと思うのですが」
「妹? ご息女は二人おられたか」
「ああ、いえいえ。エルザマリアの妹ではなく、この身の腹違いの妹のことでして。エルザマリアにとっては叔母にあたりますか」
「なるほど。そのような方が」

 あるいは母を亡くしたエリを実質的に育てたのは、その叔母という人物なのかもしれない。
 スオウが存在も知らぬことを鑑みると、その女性もまたこの世を離れているのだろうか。

「いずれにしても、あれは優しく繊細な娘です。私の名代として気を張っている内はともかく、いずれへたりこんでしまうかもしれません。それが私には心配でなりません」
「閣下……」

 自分が死んだとき、娘がどうなるか。公爵ならずとも、心配せずにはいられないだろう。淡々と言葉を放つ公の内心を思い、スオウは唇を噛んだ。

「幸いにも、あれは頭がいい。いや、親ばかと笑いめさるな。本当に、エルザマリアはなかなかの策士ですぞ」
「ええ、存じておりますとも」

 切れ者であることは知っているものの、実際にはスオウが評価しているのは彼女の胆力のほうなのだが、それはあえて触れずに、彼は小さく笑うに止めた。

「生来の頭の良さで、いずれは全てを呑み込み立ち上がることでしょう。しかし、それにどれほどかかるか。その間はどれほど苦しいことか」

 再び喘鳴に呑み込まれそうな声を振り絞るようにして、公爵はスオウに懇願した。

「その時は……ぜひ、殿下に支えていただきたい」
「閣下」

 スオウは息を呑んだ。
 枯れ木のごとき公爵の体がふくれあがったかのような錯覚を覚えたためだ。
 それを成したのが公の精神と体の奥底から発せられた燃えるような闘気であると膚で感じた瞬間、スオウは思った。
 いま答えを誤れば、この老人は自分と差し違えようとするだろう、と。

 魔族の力など知らず、皇帝家の相など了解せず、彼は喉笛に食らいつき、おそらくは死んでも離しはすまい。
 娘を絶望の淵に追いやるくらいならば、それを作り出す者の野望を砕かんと、残る命の全てを燃やし尽くす存念であろう。
 そのことがわかったからこそ、スオウは彼の手を取り、はっきりと言葉を発した。

「お約束いたしましょう、彼女を支えると。艱難辛苦が与えられるであろう場所に引きずり出す当人に言われてもおかしな話と思いましょうが、それでも、私は彼女と共に行きましょう」
「安心いたしました」

 それだけ言って公爵の体から力が抜ける。もはや喋るのも辛そうなその様子に、スオウは潮時だと悟った。

「殿下」
「はい」

 礼を取って立ち上がるスオウに、公はかすれた声で告げる。

「先ほどの言は、殿下にとっても……大切なものですぞ」

 ひゅーひゅーと鳴る喉をなんとか御して、彼は続けた。

「自らの望みを果たすために、我を通すのは、なかなかに辛いことです。どうぞ二人で支え合うことをお忘れなきように……」
「心に刻みます」

 スオウの返答が届いたか否か。もはや公は目を閉じ、なんの反応も示さなかった。
 その姿に、スオウは一礼して部屋を辞す。待機していた医者に後を託し、彼はかつかつと音を鳴らして廊下を歩き始めた。
 そんな彼を、廊下の先で待っていたスズシロが迎える。

「いかがでしたか」

 緊張の面持ちで短く問う彼女に、スオウは安心させるようにほほえみかけ、こう言うのだった。

「どうも、俺は岳父には恵まれる性質たちらしい」

 と。


                    †


 スオウとショーンベルガー公爵が対面しようとしていた頃、ゲール帝国第十一皇女リディアとその腹心たるオリガは、招かれて陣城へと入っていた。

「へー。それじゃ、ミズキさん、幹部じゃないっすか」
「いえいえ。そのような。末席もいいところでしてよ」
「末席って言ったって七人の幹部の一人なんでしょう?」
「それはその通りですわ」

 リディアたちが驚かされたことに、彼女たちの案内役であるミズキは、実に人界の言葉に堪能であった。
 それも、ソウライ地域で使われている北方語ではなく、ゲール通商語を話している。本国人であるリディアたちが聞いても、気になる部分がほとんどないほどであった。

「実戦部隊が三つ、それを支援する部隊が二つ。その内の一つの長があんた、か」

 自己紹介も兼ねた雑談で聞いた話を確認するようにリディアが呟く。

「ええ、その通りですわ。皇女殿下」
「出来ればその皇女殿下ってのはやめてくれ。正体を言いふらして周り中を平伏させながら歩く趣味はねえし、ついでにくすぐったい」

 会話の通りカラク=イオの幹部である防諜隊長ミズキは、驚いたように発言者の姿を見た。
 こざっぱりとした、人界の基準でも簡素な――けれど貧相ではない――服を身につけた女性は、たしかに大国の皇女としての立場を押し出しているようには見えない。

 その凛とした美貌や、上着を押し上げる胸は隠しようもないものの、あえて目立ちたい者のする姿ではないだろう。
 ミズキは口元に手をやり、申し訳なさそうに眉を落とした。口元を隠す指の、美しく彩られた爪が目を惹く。

「これは失礼をいたしました。リディア様」
「様ってのも……。でも、まあ、あんたの立場じゃしょうがねえよな」
「お二人をお招きしたのはこちらですから」

 皇女の位ではなく、客としての敬意だと強調してから、ミズキは二人の案内を再開した。
 といっても、まだ陣城は造成途中であり、案内出来る場所もあまり多くない。
 むしろ、土木作業に従事する魔族たちの姿を見て回る形となっていた。

「さすがの迫力ですね」
「力自慢はここが見せ場ですもので……。我が軍は遠距離型が多いので、余計に張り切るところもあるのではありませんかしら」

 魔族の中でもかなりの大きさを誇る者たちが土を掘り出し、固め、運んでいる様子を見て、オリガがそんな感想を漏らす。
 実際、腕が四本ある大柄な魔族が平たく広がった爪状の組織で土を掘り進む様子などはなかなかに見物であった。

「でも、いいのか? 自軍の者以外をここまで入れちまって」

 いま、三人は陣城の中央にすえられた巨大な天幕の方へ向かっている。司令部天幕を撤去して建てられたそれは、百人単位で人が入っても十分余裕があるほど大きかった。

「特に問題はありませんわ」
「なかなかの自信だな」
「いえ、そうではなく……」

 リディアの質問に少し戸惑ったように声が揺れ、ミズキはしばし考えた後で答えた。

「人界の者にここまで攻め寄せられるようなことがあれば、それはもはや我々の負けですわ。ですから、構いませんの」

 もし、そんなことになれば潔く諦めるというのか。
 あるいは、そんなことは起こりえないと言っているのか。
 おそらくは後者であろうとリディアはあたりをつけた。やはり大した自信であった。

「一方、魔界から見れば、この陣城の構造はそれほど珍しいものではありませんもの。隠すことなどありませんわ」
「神界はどうだ?」
「あれらは空から現れます。掘って隠れますわ」

 いずれもなんでもないことのように言うミズキに、リディアは面白そうに目を輝かせた。
 その表情を見て、オリガがなんだか困ったような顔をしていたりするが、もちろんリディアは気にしない。

 そんな彼女が再び口を開こうとしたとき、ミズキは道を逸れて、巨大な天幕の脇に備えられた小天幕群へと向かった。
 出鼻をくじかれたリディアは、黙って彼女に続く。

「こちらですわ」

 こぢんまりとした――おそらく五人も入れば満杯の――天幕の前で足を止め、ミズキは手で示す。

「ん? ここに皇子殿下がおられるのか?」
「いえ、殿下はいま出ております。お二人の歓待の儀はまた後ほど……。それよりも、実はお二人にお願いしたいことがありまして」
「願い?」
「はい」

 そこでミズキは鋭く顎を引いた。ふわふわとした灰金の髪が揺れる。

「実はここにいるのはエルザマリア・ショーンベルガー嬢なのです」
「ああ、花嫁か」
「いや、まだ結婚じゃないでしょう」
「あ、そうだ。婚約だった」

 リディアとオリガが陣城に招かれたのには、いくつか理由があった。もちろんその主目的は、取引の完遂だ。だが、それに加えてカラク=イオ首長とショーンベルガー公爵令嬢との婚約式典への招待というのも大きな比重を占めていた。
 つまりはこの中にいるはずのエリと、この集団の長スオウの婚約を記念した式典の場に居合わせて欲しいと頼まれたわけだ。

「そのエルザマリア嬢なのですが……。どうにも緊張していらして」
「まあ、そりゃそうだろ」

 大々的に行われる婚約式典の前というだけでも、色々と思うのに十分だというのに、相手は魔界の住人である。
 しかも、三界制覇――言い換えれば人界侵略――のための協力体制をとるためにだというのだ。
 思い悩まない方がおかしい。

 たとえ覚悟が決まっていようと、揺らぐのが人間だ。

「出来ましたら、人界の方に話など聞いていただければと」
「アタシらに?」
「初対面だぞ?」

 実を言えばファーゲンですれ違った上に、スオウと二人の所を尾行したりしているのだが、それでも知り合っているとは言い難い。

「無理なお願いとは存じておりますわ」

 頭を下げるミズキの姿になにを感じたか。リディアの目が剣呑な光を帯びた。

「これは、皇子殿下のご内意か?」
「殿下の発案ではございません。ただ、許しは得ておりますわ」
「なるほどな」

 ミズキの答えに、リディアはにっと笑みを浮かべた。客先で浮かべることなどまずないような獰猛な笑みだった。
 一方、ミズキはその笑みを泰然と受け止めている。

「姐御?」

 取り残されたオリガが戸惑ったような声を出す。そんな彼女にリディアは楽しげに説明してやった。

「公爵令嬢の緊張をほぐしたいのは本当だろうぜ。彼女への思いやりは感じる。だがな、それに加えてこっちへの含みがあるんだよ」
「え?」
「自分たちに協力する人間……人界の存在を知ることで、カラク=イオを知れってことだよ。そうだろ?」
「皆様の交流が深まることは、我らにとっても喜びですわ」

 しれっと言うミズキに、今度は声を立てて笑うリディア。

「よし、いいぜ。お祝いを言わせてもらおうか」

 そうして、エリとリディアは顔をあわせることとなったのだった。
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