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三界大戦記―好色皇子と三界の姫たち― 作者:安里優

第二部:人界侵攻・蒼雷編

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第20回:城塞

「なぜだ! なぜ貴様らがここにいるっ!?」

 あごひげを生やした壮年の男が、血走った目をぎょろつかせながら叫ぶ。その言葉は人界で言う極北語。常は使われぬ言葉で語り掛けねばならない相手に、彼は問うていた。
 男の周囲には彼を守らんと決死の気迫をみなぎらせる近衛が三人。

 いや、本当はもっとたくさんいる。
 だが、そのほとんどはもはや物言わぬむくろと化して部屋の中に転がっていた。
 すでに玉座の間は、血と死であふれかえっている。

「ふうん。あんた、魔界の言葉が上手いな。さすが王様」

 男たちの構える槍や剣を怖れる風もなく、ゆっくりと彼らに歩み寄ってくる赤毛の女が興味深そうに呟いた。
 さすがに武器が届く間合いには入らず立ち止まった彼女は、そこで小首を傾げる。

「ところで、なんでって言われても、ファーゲンの話聞いてない? 聞いてたら、次は自分のとこだって思うもんだろ?」

 彼女のために道をあけた者たちが、その背後に集う。
 人よりずっと大きな体と様々な力を持つ化け物たち。
 竜と獣と人と虫。あらゆる生き物を混ぜ合わせたかのような恐ろしい姿の彼らこそ、魔族――魔界に住まう者たちだ。

 その中で赤毛の女性は実に美しく見える。
 そのしなやかな体の動きに、見つめると意識が吸い込まれていくような瞳に、騙されてしまいそうになる。
 だが、なぜ彼女は一滴も血を浴びていないのか。
 魔族は言うまでもなく、この城の持ち主たる男たちでさえ、敵と言わず味方と言わず血と臓物でその体を汚しているというのに。

 その答えは簡単だ。
 彼女こそ魔族の頭目の一人なのだ。その膚に敵の血が降りかかることを、魔族の兵たちは許しはしなかった。

「そうではない!」

 だから、壮年の男、ソウライ王家の末裔にしてこの城の主たる自称ソウライ王ニクラスバルドゥーインは、彼女の正体――カラク=イオの襲撃大隊長――を重々承知しながら、吠える。

「貴様らが恐るべき奇手を用いてファーゲンを占領したことなどとうに知っておるわ! 先日よりこのリースフェルトを囲んでおったこともな。だが、儂が聞いておるのはそんなことではない!」

 そこで彼は声を詰まらせ、わなわなと震える指で赤毛の女を指した。

「貴様らがこの城に攻め寄せたのは、今朝のことではないか!」
「うん」

 軽く応じて、フウロはようやくわかったというように手を打った。

「あ、なるほどな。さくっと城が陥ちたのが疑問なのか」
「ぐっ」

 ニクラス王は悔しげにうめく。フウロは気にした風もなく、明るい声のまま続けた。

「そりゃあ、しかたない。だって、あたしらと戦うこと考えた城じゃないからな、ここ」
「そんなわけがあるか! 我らソウライは人界の楯。魔族の侵攻を何度も経験してきている! たしかにここは伝来の王宮ではないが、しかし……」
「あー、うん。だろうな。だからさ、あたしらはちょっと違うんだよ」

 王の言葉を遮って、フウロはぱたぱたと手を振った。その動きに従って、彼女の後ろから一体の魔族が進み出て来る。
 硬い殻のようなものをまとう巨大な体の各所から、水晶のように煌めく宝玉を生やしているその怪物を、王たちはおののきながら見つめる。
 フウロはその魔族に、壁の一角に飾られた旗の一つを示した。

「あれだけ燃やせるか?」
「出来ますが、よろしいのですか?」
「まあ、延焼させないようにな」
「はい」

 魔族が頷いて手首のあたりにある宝玉を、旗がかかっている石壁に向けた。途端に旗が波打ち、次いでくしゃくしゃと歪んだかと思うと端から火を噴いた。

「なっ」

 みるみるうちに燃え落ちる旗を見て、王たちは驚愕の声を上げる。一方で、魔族たちは特に反応を示さなかった。

「こいつはさ、熱線――見えない熱の波を放てるんだ。それが当たった所はああして熱くなって、ものによっては燃え上がる。こんな能力の使い手が、うちには百単位でいる。熱線とは限らず、光線の奴も含めればもっとな」

 フウロは旗の残骸を指さしてから、王たちのほうに向き直った。

「さて、これが人に向かうとどうなると思う? 特に櫓に籠もった射手たちとかな」
「惨いことを……」

 ニクラス王は声を震わせる。狭い櫓の中で蒸し焼きにされた兵たちの苦しみを思うと共に、報告が届く間もなかったことの意味を彼はようやく理解する。
 見張りを務めるべき部署の者たちが不可視の攻撃によって全滅させられてしまっては、王をはじめとした指揮官たちは異変を知ることすら出来ない。
 そうして気づかぬ間に城に侵入されることで混乱は加速したのだろう。

「焼かれるのもでっかいなにかに押しつぶされるのも、そう変わらないだろ。死ぬのは同じさ」

 魔族の指揮官は小さく肩をすくめた。

「実際の所、撃ち出す弾の重さにものをいわせて破壊するやり方のほうが魔族の間でも普通だし、危険も少ない。なにしろ、とんでもない遠距離から攻められるからな。普通の編成なら、城攻めはそういう奴らの仕事だ。ソウライの城もそれを想定してると思うぜ」

 人界における投石機や弩砲にあたる能力を持つ者たちも、魔族にはいると彼女は説明した。ただし、それらは自分の部下には少ないとも。

「ところが、カラク=イオは諸事情から『熱鬼』や『光鬼』ばかり配属されてる。おかげで、少し変則気味の攻めをするしかなかったんだよ。わざわざ今朝から攻撃を開始しますよって昨日の夜に通告したりな」
「なんと、あれが罠であったと……」
「罠っていうほどの策じゃない。引き籠もられるのが嫌だっただけだよ」

 魔族が攻撃開始を通告したのは、なにも紳士的な態度を取ろうとしたわけではない。そうすることで精神的圧迫を加え、兵たちを持ち場に勢揃いさせるのが目的だった。
 超遠距離からではなく、せいぜい目視距離からしか攻撃できない『熱鬼』たちで効率的に敵を始末するにはそちらのほうが都合が良かったのだ。
 そうして、攻撃されていることすらわからぬうちに城壁や櫓に詰める兵たちは一掃され、門塔のいくつかに魔族がとりつくことを許してしまった。

「まあ、そっから先、塔の壁を爆破して中に入り込めるかどうかは賭けの部分も強かったんだけどな」

 さすがに壁にはしごをかけたりして登ろうとすれば時間がかかり、残った兵たちに見つかる可能性が高まる。そこで、魔族は強引に塔の外壁を破壊して内部へ侵入する方策を採った。
 人間たちの混乱と恐怖を引き出すためにも、速度を優先させる必要があったのだ。

 うまく壁を抜けるかどうかは、いま話しているフウロにしてみてもかなり疑わしかったのだが、通信大隊に所属する戦闘工兵は見事にやってのけた。
 そうして守備側からするとなにが起きているかもよくわからない状況で、なだれこんだ魔族たちによる大暴れが始まる。

「そんなわけだ。こっちも原則的なやり方じゃないもんだから、一気呵成にやらなきゃいけなかった。おかげでそっちからすると、驚くほど短時間で城が陥ちたように思えるんだろ。けして犠牲が出てないわけじゃないんだけどな」
「なるほどな。無理を強いるだけの城ではあったか」

 ニクラス王は、相手の言葉を聞いて少しは溜飲が下がったようだったが、それで彼らの戦意が失われるわけもない。
 フウロはそんな彼らを眺めてこう告げた。

「ともあれ、もう終わりだ。ここ以外は抵抗出来るやつもほとんど残ってないぜ」

 だからさ、と彼女は続ける。

「降伏を勧めるけど。どうする?」
「降伏だと!?」
「ああ。あんたを殺せとは言われてないからな」

 特に生かせとも言われていないとはフウロは続けなかった。わざわざ煽る意味もない。

「降伏か……」

 王はいっそ気が抜けたように呟いた。

 今年四十一になるニクラスバルドゥーインは、ソウライが一体であった時代を、王家によりソウライが統治されていた時代を知らない。
 彼の父も、あるいは彼の祖父さえまともには知らないだろう。
 なにしろ、王家の分裂とそれに伴う王権維持派のハイネマン放逐が六十八年前。王権維持派が旗頭とした彼の祖父でさえ、当時、まだ十歳の少年であった。

「ソウライの王が魔族に降伏、な」

 劇的なことでもあれば、あるいは諦めもついたのかもしれない。彼はこれまでの人生でよくそんなことを考えていた。
 たとえば謀反や暗殺といった事件があれば、そこでソウライ王国は終わったと認められたかもしれないと。

 だが、実際にはなにも起きなかった。

 八十年ほど前に真龍との接触が断たれ、魔族の侵入もほとんど考えられなくなった時勢を背景に、人界の楯として建国されたソウライ王国はその一体性をじわじわと失っていった。
 真龍との連携が不可能となった王家が焦って軍備を増強しようとする中、諸都市は独立性を強め、王家の命を徐々に無視しはじめた。
 それに対して中央が兵を出すことでもあれば、事態ははっきりと進展したのかもしれない。

 だが、王家にはそこまで踏み切ることもできなかった。ぐずぐずとしているうちに王権は極端なまでに弱体化。それに対して当時の王が自ら退位を宣言する結果となった。
 大伯父であるその王がどんなつもりで退位したかまでは、ニクラス王にもわからない。ただ、もしそれが王家を蔑ろにする諸都市への抗議であったなら、それは逆効果であった。
 彼の後継者が王位を襲うことを諸都市は認めず、ついに王国の存続を主張する一派が王都を追放される憂き目を見ることとなってしまったのだから。

 そうして、血が流れることすらなく、王国は分裂してしまった。
 七都市が並立し、平和を謳歌する中、ニクラス王たちだけが、王国の再建を夢見た。否、王国は分裂などしていないのだという甘い幻想の中に生きてきた。
 目を覚まされるような出来事にも出会わずに。

 そして、いま。
 目の前で魔界からの侵略者が降伏を勧告している。
 ソウライの王に降伏せよと告げている。

「他国の王であったなら……」

 ため息を吐くように彼は言った。

「ん?」
「ソウライの王でなければ、降伏という手もあったやもしれぬな」

 魔族の女が不思議そうな顔をするのに、彼はかっと目を見開いた。

「だが、儂はソウライの王。人界の楯となるべき者。魔族に屈することなどあるはずがないわ!」
「そうか、残念だ」

 赤毛の魔族は落ち着いた声でそう応じた。馬鹿にした風もなく、しかたないと彼に同情する様子さえあった。

「だが、一つだけ頼みがある。厚かましい願いと思ってくれてよい。聞いてはくれんか」
「なんだ?」
「儂が死んだ後もこやつらが生きていたなら、もう一度(くだ)るよう勧めてはくれんか」

 ニクラス王は己を囲む三人の兵を見回してそう頼み込む。

「陛下……」
「我々は……」

 兵たちが声をかけてくるのに、王は手を挙げて彼らを制した。

「さすがにここで儂を見捨てて降れと言うても聞くまい? だが、儂が死んだ後までつきあう必要はない。生きてソウライのために力を尽くせ。まあ、生き残ることが出来たなら、だがの」
「……承りました」

 兵たちは嗚咽混じりで王に答える。それを聞いて、彼はフウロに声をかけた。

「それでよかろう? 魔界の将よ」
「まあ、それはいいけどさ」

 王と近衛の会話は北方語が主であったが、フウロにもその大意は理解できた。それよりも、王自身がどうするつもりか、彼女は興味があった。

「あんたはどうするつもりだよ?」
「もちろん、戦うに決まっておろうが!」

 それまでとは打って変わって激しい叫びをニクラス王は放った。

「我こそは、ニクラスバルドゥーイン・インドゥーラ! 雷帝の名を賜りしソウライの王なり!」

 近衛の者たちが弾かれたように武器を構え直す。ニクラス王も槍を持ち直し、それまでの構えを変えた。身を守るものから、より攻撃的なものへと。

「ふうん、やる気かあ」

 ととっと軽い調子でフウロは距離を取った。部下たちがそれに代わって前に出ようとするのを、彼女は鋭く制した。

「手を出すな。あたしがやる」
「名を聞いておこうか、魔族の将よ」

 三名の近衛が彼を中心に陣形を取る中で、王はフウロを見据え、静かな調子で問いかけた。

「金剛宮尖晶部闇月氏タゴの娘フウロ。カラク=イオ襲撃大隊長」

 一方、フウロは簡潔にそれに応じる。

「我が相の名を千刃相」

 彼女が腕を振ると、一瞬にしてその腕全体が刃と変じた。ぶつんと音がして彼女の身にまとうものが全て断ちきられ、床に落ちる。
 その下から現れるのは、刃、刃、刃。
 全てが刃面で形作られた体が、そこにあった。
 槍の如く長く伸びた足で石の床を割り、彼女は立っている。

「正体を現したな、魔の者よ!」

 頭部すらも刃の重なりと変じたフウロの姿に臆する心を隠すように、ニクラス王は叫ぶ。
 続いて、裂帛の気合いが玉座の間をふるわせた。

「我ら神々の雷霆なり」
「神々の怒りにて魔の者を討つ雷なり!」

 王の言葉に、近衛の者たちが揃って応じた。

「我ら人界の希望なり」
「人の望みにより魔の者を滅ぼす人界の楯なり!」

 言葉が放たれる度、四人の闘気がふくれあがり、その体に芯が入っていくのを、フウロは見て取った。

「言霊か」

 言葉は力を持つ。
 弱気な言葉を口にすればそれだけで心はくじけるし、心を鼓舞する言葉を口にすればそれだけで前向きになれる場合もある。
 もちろん、言葉だけで物事が変わるわけではないが、心を変えることは出来る。
 人がまだ終わりではないと口にするのは、諦めないと宣するのは、虚勢はったりではなく、そうあろうという意思であり意地だ。

 魔界ではそれらを総称して言霊と呼んだ。
 だが、人界の武術においてはもっと明確にそれを利用する技術があった。それを、交神儀かみおろしのぎという。

「我ら蒼き雷なり」
「魔の者に死をもたらす人界の刃なり!」

 他者であるフウロから見ても、四人の様子はそれまでとは明らかに変化していた。
 恐怖やおびえは影をひそめ、生き残ろうとする欲まで減じている。おそらく、彼らの内面は実に静謐なものとなっているであろう。
 そうして残るのは、それまでに鍛え上げた武と、敵を滅せんとする意思だけだ。

 自らが刃と変じたように、彼らもまた研ぎ澄まされた刃と化している。フウロはそんなことを思う。

「我ら四つの雷なり!」

 そして、四人の声がぴったりと揃う。
 その次の瞬間、三つの影が飛翔し、一つが疾駆した。

「魔の者滅ぶべし!」

 四つの刃がほとんど同時に飛来する。
 上方から突き下ろされる三つの刃と、とどめとしてすくいあげるように振られる槍。
 それらは、ほんのわずかにだけ攻撃の機をずらしてあり、どれかを避けようとすれば別のものが襲いかかり、どれかを弾けば他の刃がねじ込まれる。そんな必殺の連携であった。
 人ならざる魔族であっても、その攻撃を受けきることは難しかったろう。

 だが、相手は千刃相であった。

「ふっ!」

 両腕が振られ、頭が振られ、蹴りが放たれた。
 両腕は人界であれば大剣と呼ばれるに相応しい刃であり、頭部から髪の毛のように連なるのもまた刃である。そして、三角錐の形状を持つ長大な脚刃。

 髪鞭ともいうべき刃に絡め取られた男は、それが引き戻されるときに叫びと血を吐いて気絶した。
 両腕に払われた男の片方は、肘から先を失って血の海を転げ回る。もう一人は肩口から胸まで入り込んだ刃に串刺しにされて、すでに絶命していた。

 そして、ニクラス王は蹴り脚によって腹を切り裂かれ、吹き飛ばされていた。

「あ……ああ……」

 フウロが左腕に串刺しになっていた死体を落として近づいてくるのを見ながら、ニクラス王は裂けた腹から腸がはみ出していくのを意識せずにはいられなかった。すでに腰から下の感覚がないことからすると、腹を裂かれただけではなく、背骨も傷つけられたのかもしれない。

「残った奴には治療する。安心しろ」

 生きている二人にはすでに彼女の部下たちが向かっている。気絶していないほうは異形の者に近づかれて暴れていたが、すぐに拘束されてしまった。

「そうか……。くくっ」

 自分をのぞき込むきらきら光る刃の集合体を見つめながら、ニクラス王は自分が死ぬのだと悟る。
 すると、自然と笑みがこぼれた。

「ん?」
「くははっ。……これでよい。これでよい!」

 ニクラス王は嬉しそうに、実に嬉しそうに叫んだ。

「父祖よ、ご照覧あれ! 我がソウライは魔族によって滅ぼされましたぞ!」

 そうだ。ソウライは魔族によって滅びる。
 けして、時の流れの中でなんとなしに消えていくのではない。
 いま、ここでソウライ最後の王は、魔族の手によって死ぬのだ。

「我らは、魔族を阻む、人界の、楯として……」

 その後はもはや声にならない。ごぼごぼと血泡を吐いて、彼は手を持ち上げた。その目はもはや焦点が合わず、なにも見えていないだろう。
 だが、王は手を伸ばした。
 彼だけの見るなにかに向けて手を伸ばし……そして、力尽きた。
 ニクラスバルドゥーインの命は、こうして潰えた。

 すでに命を失ったその体を、フウロはじっと見下ろす。なにを思っているのか、刃だけで構成されたその姿からではうかがい知ることなど出来ようはずもない。
 しばらくしてから、彼女は遠巻きに自分を見守っている部下を手招いた。

「大隊長」
「こっちの流儀でな、丁重に弔ってやれ」

 近寄ってきた部下に、彼女はニクラス王の骸を示してこう言うのだった。

「ソウライ王国の最後の王の亡骸だ」

 と。


                    †


 ショーンベルガーの郊外には、カラク=イオが本拠地とする陣城が存在する。
 そもそもは魔界からの襲撃行の駐屯地であり、ならした地面に天幕が張られているだけであったその場所。だが、いま、そこでは猛烈な勢いで築城作業が行われていた。

 あたりをつけるように掘られた空堀をさらに深く掘り出す作業が行われる横で、木製の壁が二重に建てられ、その間に粘土が詰められていく。
 詰められた粘土を焼き固めて強度を得た所で、木壁全体を土で覆い、さらに分厚く盛り上げていく。これによって強靱な土の壁が築かれることとなる。
 その高さはおおよそ人の背丈の倍。現状の堀だけでも、高低差は人の背丈の三倍以上だ。おそらく、最終的には五倍程度になるのだろう。

 そんな作業工程が様々な場所で行われているのを、少し離れた丘から見ている二人組がいる。
 ゲール帝国第十一皇女リディアとその腹心オリガである。

「へぇ。あれがカラク=イオの本拠地かあ」

 リースフェルトの『王城』が陥ち、ニクラスバルドゥーイン王の死がソウライ全土に喧伝されはじめてから、半月ほど後。彼女たちはショーンベルガーに到着し、こうして手近な丘を見つけてカラク=イオの陣城を眺めていた。

「どう見るよ?」
「いやあ、すごいっすね。常識が覆されますよ」
「そういうもんか」

 リディアの問いに応じて、オリガは身振り手振りを交えて、解説を始める。

「全体が八角形の形をしてると思うんですけど」
「そう見えるな」
「まず、これがないですよね。地形に合わせた場合は別として、こんなだだっ広い平地に建てるなら、まあ、円か長方形じゃないっすか?」
「言われてみればそうだな」

 城の中心となる城館を中心に、四方に塔をたてるか、あるいは円を描くように塔を築き、その間を壁でつないでいく。
 壁が先か塔が先かなどには変化があるとしても、それが基本だろうとオリガは思う。
 しかし、この陣城は違う。

「そもそも城館らしきものが見えませんしね。大きな天幕はありますけど、あそこに建てるとも……。うーん……」
「まず外から作ってく手じゃねえのか?」
「そうかもしれませんけど、その外にしたって違いますよ」

 言って、オリガは北の方を指さした。

「あれ、見えます?」
「ああ、小さい陣地があるな」

 彼女が指さした先では、陣城本体とは少し離れた位置に、三角形に近い小ぶりな陣地が築かれていた。

「ええ。まだ他が出来てませんけど、たぶんあれって本体の周りに花びらみたいに配置するもんだと思うんですよ」

 おそらくは、本体と連携して防御を行うと共に、逆襲のための待機場所ともなるはずだ、とオリガは説明する。

「ははあ」
「あれ見て色々考えてみたんですけど……。たぶん、死角がなくなるように作ってるんじゃないですかね」
「死角?」

 リディアが問うのに、オリガは指で線を引くような仕草をする。

「ええ。一般に想像しやすい四隅に丸塔があるような城塞だと、ある塔から他の塔を援護しようとすると、その援護を受ける塔自体が邪魔になって死角が出来るんすよ」
「ははあ」

 リディアは頭の中で想像の城塞を描き出し、しばらく考えて納得する。

「まあ、これは人界ではそんなに問題だと考えられてないっすね。なにしろ、よそからの援護がそこまで有効じゃないんで」
「弓か弩だもんな。そもそも届くかどうかも怪しい」
「ええ。でも、魔族は違う……らしいですからね」

 そのあたり、オリガにもいまひとつ自信がないようだった。
 彼女にしてみても、魔族が実際に戦うところを見たことはない。伝聞を元にした資料だけでは確信が持てないのも仕方のないところだろう。

「なるほどなあ。意味があるかもしれないと」
「はい。アタシらにはわからないやり方で、戦うための城だなって感じを受けます。その分、支配する城としての威圧感は低いですね」
「人間にはわからない形式じゃあな」

 リディアの言葉にオリガは苦笑のような表情を浮かべ、再度北側の小陣地を指した。

「ただ、あの陣地」
「うん?」
「最初につくったのが北側だってのが面白いなって思いますね」

 その言葉に、リディアはつややかな黒髪を振って考え込む。

「北……。ショーンベルガーを向いてないってことか」
「ええ。街道やショーンベルガーを睨むなら南にまず作るべきですからね。思うに、対魔界用なんじゃないすかね、この城」
「ああ、なるほどな……」

 スオウが魔界の皇太子であり、魔界から追放されたらしいことはリディアも知っている。それでも、魔界とカラク=イオとの関係については情報不足な面もあった。
 北に警戒の重点を置いているということなら、魔界との関係はよく言って険悪なものなのであろう。

「まあ、そのほうがこっちとしちゃあありがたいか。魔界の手厚い支援を受けてる組織に食い込むのは難しいだろうからな」
「ですね」

 それから、オリガはしばし考えて、それくらいですかね、と肩をすくめた。

「これ以上は中に入ってみないと」
「では、ご案内いたしますわ」
「うわっ」

 突然の声に、オリガは思わずリディアを抱き留めるように動いていた。彼女に守られながら、リディアはいきなり現れた人物に鋭い視線を向ける。

「あら、驚かせてしまいました? これは失礼を」

 灰金の頭を下げてから、その女性は二人を安心させようと艶やかな様子でほほえみかけた。
 オリガがリディアの体を離して向き直り、慎重にそちらを観察する。リディアとオリガは共に剣の柄に手をそえたままだった。

「気配を消して近づくのは勘弁してくれ」

 わずかな間対峙した後で、リディアはそう言って体の力を抜いた。その様子に、魔族の軍服を身につけたその女性は、再び深々と頭を下げた。

「あらためて謝罪いたしますわ。リディア皇女殿下とオリガ様の案内役を務めますミズキと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
+注意+
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