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三界大戦記―好色皇子と三界の姫たち― 作者:安里優

第二部:人界侵攻・蒼雷編

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第13回:侵攻

「殿下」

 スズシロが天幕に入ってきた時、スオウはちょうど石板を削っているところだった。
 自ら記した文字を、湿らせた砂をつけた木の棒を使ってゆっくりなぞり、削っていく。実に根気の要る作業だ。

「ああ、スズシロ」

 作業の手を止めて、スオウは顔をあげる。そこで見た張り詰めた参謀の顔に彼は首を傾げた。
 いまは、そんな暗い顔をするような出来事が起きる流れにはないと思っていたからだ。
 スズシロは抱えていた袋を彼が作業していた卓に置く。その仕草の恭しさにスオウはますます困惑した。

「これを」
「ああ、エリに頼んでいたやつだな。ありがとう」

 袋を引き寄せ、中が頼んでいた石板だと知って彼は頷く。恭しい態度も張り詰めた顔も、これを持っていたためだったかと納得したのもある。
 だが、スズシロはそれに留まらず深々と頭まで下げてきた。

「配慮が行き届かず、申し訳ありません」
「ん?」
「さきほど、これを殿下のもとに届けるエリと行き当たるまで、全く意識にのぼりませんでした。本来は私がきちんと用意しておくべきことです。これも、エリから無理矢理受け取ったようなもので……」

 ふむ、とスオウは息を吐き、スズシロを見つめた。

「まあ、そんなに恐縮するな」
「しかし……」

 頭はあげたものの申し訳なさそうに縮こまる彼女の姿に、困ったように微笑むスオウ。

「元来これは俺の役目だ。そうだろう?」
「それはその通りですが、しかし、普通は建前であって……」

 その戦の責任者が、石板に一つ一つ戦死者の名を彫り、遺族へと手渡す。昔ながらの魔界の風習であるが、もちろん、文字通り実行している者は少ない。
 戦死者が所属していた部隊長が『望んで』代行したり、あるいは最初から専門の者に任せたりする。

「俺がやりたいんだよ。なにしろ、遺族に手渡すことはしばらく出来ないしな」
「それは……」

 現状、スオウたちは魔界に戻ることは出来ない。鳳落関を通じて、というのもいまは難しい。
 カラク=イオの戦いが続く中で、もしかしたら遺族たちにその死を知らせる機会もあるかもしれない、程度のことしか言えない状況だ。
 死者の石板に名を刻んだとしても、結局はずっとスオウが保管していくことになるだろう。

 それでも、自ら名を刻みたいと彼は言う。

「なあ、参謀殿。今回の小競り合い、俺たちの勝ちだろ?」

 スオウは不意にそんなことを彼女に尋ねかける。スズシロは戸惑いながらも、求められた答えを述べた。

「……はい。我々は庶務中隊四百八十名あまりを合流させ、おそらくは相手に死傷者五十以上の損害を与えました。一方で、我が方の死者は十二、重傷者は五。紛れもない勝利です」

 それだけ彼我の被害がかけ離れた理由は、カノコやカズラが生き抜くことすら忘れて暴れたためだ。
 そのことを当然スオウたちはしっかり理解している。

「そうだ。その通りだ。俺たちの立場では、そう判断する」

 スオウは先ほどまで削っていた石板を手に取り、ぱちりと卓に置き直した。

「俺たち幹部は勝敗を数で判断するし、そうするべきだ。……だがな」

 すでに名を刻んでいる何枚かの板をぱちりぱちりと並べていく。

「それでも、出来るなら俺は一人一人の魔族を見たい。……数を数としてではなく、声や顔や仕草で見たくなる。覚えていたいと思う」

 彼を逃がすために死んだ者たちの名の刻まれた石板を前に、スオウはそう呟く。そのために、自ら名を刻むのだと。

「まあ、自己満足の一種かもしれんな」
「いえ……。皆、高天で喜んでおりましょう」

 真剣な顔でスズシロは言った。スオウもそれには反駁せず頷いて返す。

「ただ、刻む名に悩む場合もないではないがな」

 言いながら、彼は石板の一枚を指でなぞっていた。そこに『カズラ』と刻み込まれているのをスズシロは知らない。

「名を……? ああ、昨日処刑した暗殺者ですか?」
「……そうだな。彼女もそうだ。ハグマにあそこまで近づけたのは敵ながらあっぱれだから、石板は作っておこうと思うが……。名乗っていたのは偽名だろう?」
「おそらく。尋問でも一切話しませんでしたし……。ああ、しかし、ミズキなら見当がついているのでは?」
「ああ、そうか。それもそうだ」

 スオウは感心しきりといった風情で頷いた。それから、彼は腰かけ直してスズシロに尋ねかける。

「他にもなにかあるんじゃないか?」
「はい。今後の侵攻計画についてですが」
「うん」

 ショーンベルガーから最も近い大都市は、名をファーゲンと言い、ファーゲン伯爵家に代々統治される都市国家である。
 スオウたちはまずこの都市の占領を狙っていた。襲撃大隊がヤイトたち鳳落関側と対峙する間にも、ファーゲンについての調査は進められていたのだ。

「ファーゲンが『難攻不落』と呼ばれていることが判明しました」
「ほう?」
「まず、ファーゲンの地勢ですが、谷間を堰堤えんていでふさぎ人工の湖を形成しています。その堰堤の水門部分に付属する島のような部分が都市となっているようです」

 三方は水に囲まれ、残る正面には水門を持つ。正面に大軍が押し寄せても、水門を開放すれば、人工湖が抱える水の暴力で相手を押し流すことが可能だ。
 まさに難攻不落であろう。

「その人工湖、そもそもはショーンベルガーの地下湖と同じ役割だろうな」
「はい。人にとって清浄な水の源でしょう」
「それが都市を難攻不落としている、か……」

 そこでスオウは、にぃと唇の端を持ち上げた。彼の獰猛な笑みに、スズシロの瞳も怪しく光る。

「それはいい。実にいい」
「ええ。カラク=イオの名を高めましょう」
「出来るな?」
「お任せください」
「よし」

 それだけのやりとりで、ファーゲンへの侵攻計画は了承された。二人はしばらくいくつかの案件について話し続けたが、それを終えたところでスオウが立ち上がる。

「じゃあ、ちょっと出てくる」
「どちらへ?」
「ミズキの様子をな。あれもいきなり幹部にされて色々あるだろう」

 その返答にスズシロは面白そうに微笑む。そうして、彼女はこんなことを言うのだった。

「あれも一筋縄ではいきそうにない人物ですからね」
「だからこそこの組織の幹部になれる」

 その組織の長たる人物の言葉に、スズシロは沈黙を保った。


                    †


「あの、姫様。私たちここでなにしてるんですか?」
「姫様はおやめさない、キズノのウズ。隊長とお呼びなさい、隊長と」
「隊っていったって私と姫……じゃなかった、ミズキ隊長の二人きりじゃないですか……」

 薄紅色に彩られた爪で灰金の髪をくしけずっている隣の女性に呼びかけた兵は、強くたしなめられ、情けない声をあげる。

「それはしかたありませんことよ。防諜部隊は出来たばかりなんですもの。それに、諜報活動にあかるくない者を入れても邪魔になるだけじゃありませんこと?」
「そりゃまあそうですけどね」

 いま、ミズキとウズの二人は配給所入り口のすぐ傍に陣取って、食事を摂っていた。
 本来配給所付近は混み合うので、少し離れて食べたり飲んだりするよう定められている。だが、ミズキが幹部の権限を使って、無理矢理そこに卓を広げているのだった。

「でも、それなら、もう一人も生かしておいたほうがよかったんじゃないんですか? 手練れだったんでしょう?」

 ヨロイヒツジの包み揚げ――挽き肉と野菜を皮に詰めて、皮がぱりぱりになるまで油で揚げた料理――をはふはふと頬張りながら、キズノのウズは尋ねた。

 彼女は、スズシロの暗殺に失敗した後、高熱からなんとか生還してみれば『全て嘘でしたけれど、これからもあなたはワタシに従うんですのよ』とかなんとか言われて、ミズキの配下に組み込まれてしまった。
 一方、ハグマを狙った暗殺者――ウズは名も知らない――はすでに処刑されてしまっている。

 この差はなんなのか、彼女自身よくわかっていなかった。

「それは俺も聞きたいな」
「うわふっ!」

 唐突に背後からかけられた言葉に振り向けば黒太子その人が近づいてきていた。キズノのウズは思わずおかしな声の出た口を押さえ、立ち上がろうとする。

「ああ、いや。そういうのはいい」

 言いながら、彼は空いていた椅子に滑り込んだ。それまでも配給所近くに居座る彼女たちには奇異の視線が飛んできていたが、よけいに注目を集めることとなる。
 なにしろ、兵たちのほとんどがここを通るのだから。

「それと、処刑した女の本名も教えてほしいんだ。死者の石板に彫る」
「あれの名はグルズのキリでしてよ」
「キリか。ありがとう。それで?」
「ウズを残し、キリを処分した理由は明快でしてよ。あちらは有能すぎましたもの」

 ただ、スオウとミズキは注視されることなど慣れている風情で、全く気にしている様子はない。結果、キズノのウズだけが、顔を青くしたり赤くしたりしていた。

「有能すぎてはだめか」
「だめですわね。有能が故に諦めることができませんもの。裏切る機をうかがうような者を配下にするのはごめんですわ」
「……ということは、彼女は諦めているということかな?」

 スオウとミズキの視線が、キズノのウズに飛ぶ。周囲の兵たちの注目などとは比べものにならない圧力に、ウズは震え出さずにいるのがせいいっぱいだった。

「彼女は一度ワタシの毒をくらっていますもの」
「ふむ」

 そこでスオウはウズに向けて言葉を発した。

「まあ、いきなりこっちのために働けなんて言われても困るだろうが、なんとか順応してくれ。また毒を盛られるのは嫌だろう?」
「あ、はっ……。いえ、その、一度失敗しておりますのであちらに戻ることはもう考えては……。むしろ、生かしていただいているだけで……」

 もつれる舌でなんとか言葉を発するウズ。その様子ににやにやと意地の悪い笑みを浮かべて、ミズキはスオウにこう請け合う。

「心配しなくても大丈夫ですことよ。ワタシの解毒薬を一月ごとに飲まなかったら、放っておいても死にますもの」
「ちょっ、えっ? あ? う、嘘ですよね!? 姫様!?」
「もちろん嘘でしてよ。それと隊長ですわよ」

 そんな二人のやりとりに苦笑しつつ、スオウは辺りを見回す。配給所に向かう兵たちに敬礼されるのに返礼したりしつつ、彼は不思議そうに尋ねた。

「それにしても、こんなところで食べなくてもいいだろうに。誰か捜してたりするのか?」
「あ……実は私もそれを聞こうとしておりまして」

 いつの間にか話は逸れてしまったが、最初はここでなにをするのかと尋ねようとしていたのだった。ウズはそれを思い出し問いかける。

「ただご飯を食べていればいいって言ってましたけど、なんの任務なんです? これ」
「そうですわね」

 ミズキは考えるようにしながら、手元のヨロイヤギの乳粥をかき回す。

「ささやかな仕返し、ですかしら」
「仕返し?……ああ、いじめのか」
「いじめ!?」

 ミズキを幹部に引き上げる事務処理の過程で、彼女が部隊の中で嫌がらせを受けていたことを知っているスオウが呟くのに、ウズが目を丸くする。彼女は身を乗り出し、興奮した声で言った。

「隊長をいじめるとか命知らずにも程がありますね!」
「なんだかそしられているような気がするのですけれど」
「いえ、そんなことは」
「まあ、それはともかく、だ」

 おかしな掛け合いになっている二人を制止して、スオウはさらに尋ねる。

「ここで食事を摂ることの、なにが仕返しになるんだ?」
「大したことではありませんのよ」

 言ってミズキは淡く微笑んだ。

「以前、ワタシが配給所で食べ物を受け取ったときに足を引っかけてそれを台無しにした者たちがおりましてね」
「ふむ?」
「彼女たちもワタシが幹部に入ったことは知っておりますわ。そんな彼女たちが配給所の傍で『誰かを待っている』かのようなワタシを見たらどう思いますかしら?」

 まして、こうしてスオウと共にある姿を見せつけていたとしたら。
 沈黙する二人に、彼女は笑みをよけいに柔らかくした。

「もちろん、幹部になったからといって、彼女たちになにか直に圧力を加えるような、品のないことはいたしませんことよ」

 それはそうだろう。そもそも彼女がやろうと思えば、他人には気づかれないよう毒を盛ることが可能なのだから。

「まあ、少し胆を冷やす程度で許してやれよ」
「ええ」

 言いながら立ち上がるスオウにミズキはかわいらしく小首を傾げる。

「あら、どちらへ?」
「いや、俺も腹が減ったからな。少し分けてもらってくる」

 そのまま配給所に入り、驚きの声をいくつも受けることになるスオウを見送って、ミズキはキズノのウズに流し目をくれる。

「面白い人でしょう?」
「……まあ、今後退屈はしなさそうですね」

 辰砂の潜入員の中で唯一人生き残った女性は、慎重な声でそんな風に答えるしかなかった。


                    †


 大陸随一の経済国家にして、南方の二大国家の一つ、ゲール帝国は大陸各地に租借地を持っている。
 ゲール帝国の源流はゲルシュター隊商団。『穢れた地』を通る道を見つけ、『大いなる都』の消失後に大陸各地で分断されていた人類を再び結び付けた、偉大なる商人集団である。
 彼らが築いた各地の拠点は、後に興った近隣国家の庇護を受け、今日まで継承されていた。

 それがゲール帝国の飛び地ではなく租借地となっているのは、名目より実利を取る商人らしい論理の結果に過ぎない。
 実際には、租借地内はゲール帝国の兵が駐屯し、その領域内の支配者が誰であるかを明確に示している。

 そんな租借地の一つに、アダーがある。
 ショーンベルガーや戦王国群のあるアウストラシア地方の西端、ネウストリアからアウストラシアへの入り口にあたる場所であった。

 場所柄、この租借地にはアウストラシア、ネウストリア両地域からたくさんの産物が運び込まれ、保管され、加工され、取引され、運び出されていた。
 おかげで、租借地の大半が倉庫で埋まっているといっていい。
 そのアダーに先ほど到着した隊商団がある。

「……ようやくだな。アウストラシア」
「ネウストリアがあそこまで混乱してるとは思いませんでしたねー」

 凛々しい顔つきの黒髪の女性と額から頬にかけての傷痕を持つ短髪の女性の二人組が、その集団を構成する先頭の馬車から降りてくる。
 彼女たちは部下にいくつか指示を下した後、手近な兵を呼び、自分たちを総督の館へと案内させた。
 面倒くさそうに近づいていった兵が、一言二言会話した途端に背筋を伸ばしきびきびと動き出す様子は、周囲で見ている者がいたら不思議に思ったことであろう。

「いやあ、こういう時は皇女の身分もいいもんだと思うぜ」
「こういうときだけです?」

 通された豪華な部屋に付属していた風呂で湯浴みを終え、長いつややかな黒髪を乾かしながら言うのに、短髪の女性が呆れたように応じた。

 彼女たちはリディア・ゲルシュターとオリガ・ゼラ=ゲルシュター。どちらもゲール帝国の帝室ゲルシュターに連なる人物であり、リディアに至っては、第十一皇女の身分を持つ。
 彼女たちは、アウストラシア――ショーンベルガー近辺で魔族が交易を行っているという話を聞いて、はるばるゲール帝国からやってきたのであった。

 オリガに尋ねかけられたリディアは髪の水分を布に含ませながら、しばし小首を傾げた後、こんな風に答える。

「まあ、そんくらいだな」
「そ、そうっすか……」
「でもめんどくさいんだぜ。宿が確保できるのはいいけどよ。この後も皇女として話さなきゃいけねーんだから」
「総督の代理が来るんですからしかたないですよ。それだけ情報も得られますし」
「まあなー」

 凛とした顔を実に嫌そうにしかめて言うリディアに、オリガがなだめるように言うと、しかたないというように肩をすくめる。
 リディアは十二の年になるまで身分を隠し市井で育てられていたためか、いまだに皇女としての振る舞いを忌避しているところがあった。

 しかし、そんなリディアも実際に総督の代理が彼女たちに近辺の情勢を話しに来ると、皇族として相応しい行動を取った。
 すなわち、会話のほとんどをオリガに任せたのである。
 元来下々の者に皇族が話しかけるとは思ってもいない租借地総督の代理人は、それを不審にも思わなかった。

 だが、そんなリディアも、カラク=イオ――すなわち、彼女たちが商売の相手として想定していた集団――が、旧ソウライ地域の都市ファーゲンを占領したと聞いて目を剥いた。
 そして、その手法を聞いて、ますます驚きに包まれるのだった。

 それは、人界では考えようがない、思いつきようのない戦法。
 それを聞いた彼女は、オリガと共に呆然と呟くしかなかった。

 すなわち、

「……泳いだ?」

 と。
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