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三界大戦記―好色皇子と三界の姫たち― 作者:安里優

第二部:人界侵攻・蒼雷編

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第11回:退陣(下)

 陣を引き払ってから二日、撤退する襲撃大隊の最前部は先発していたユズリハたち庶務中隊に追い付いてしまった。
 ひとまず両部隊に休息を取らせ、幹部たちは小さな天幕に籠もって協議を始める。

「なるほどそのようなことが」

 ヤイトとの会談の最中に攻撃を受けたこと。
 おそらくそれはメギの差し金であろうこと。
 しかしながら、スオウたちにしてみれば意図がどうであれ攻撃を受けた以上、これ以上の話し合いは不可能と見て撤退してきたこと。

 そうした経緯を話した後で、スズシロが暗殺されかけたことを告げるとユズリハは不快そうに眉を顰めた。金の髪もどこかいらだたしげに揺れる。

「いまのところ、こちらではなにも起きてはおりませんわ」
「それはよかった」

 スオウはほっとしたように頷いた。スズシロもその横で安心したような顔をしている。

「出来れば陣城にも事態を知らせたい。こちらから伝令を出せるか?」
「はい。いつでも」
「まあ、ハグマのことだ。放っておいても大丈夫とは思うがな」

 この時すでにハグマもスズシロ同様に暗殺されかかっていたことなど、スオウたちはもちろん知るよしもない。
 捕らえた刺客を尋問している暇はなかったし、なによりも当の刺客が高熱で意識が朦朧として、とてもまともな受け答えが出来る状態ではなかったからだ。

 ともあれ、撤退戦となっていることも含め、知らせるべきことはたくさんある。
 スオウはユズリハに書くものを借りて書簡をしたためはじめた。

「ところで、殿下はこのまま先行なされますの? 庶務中隊には余力があるものと思いますけれど」

 衝撃大隊とは違って、庶務中隊は特に急いでいないため疲労は溜まっていない。スオウが陣城に一刻も早く入るのを優先させるなら、そのほうがいいだろうというユズリハの申し出であった。
 スオウはそれに対して小さく首を振った。

「いや、俺はこのまま襲撃大隊と共に行く」
「ふむ……」
「まあ、どうしようもないほど危険ならさっさと逃げるが、そこまででもない。あまり怖がりすぎると、兵に伝わりかねないからな」
「カラク=イオはいまだ領土も持たない脆い組織です。殿下は文字通り支柱ですからね。物心両面でお守りせねば」
「……なるほど。いまは心を尊ぶ時と」

 危険を避けるのは当然だが、あまり臆病な振る舞いをすれば、人心は離れかねない。自分を守って共に駆けてくれた襲撃大隊と行動するというスオウたちの考えは、ユズリハにも理解できた。
 口にこそしていないが、そこには襲撃大隊の面々へのねぎらいの気持ちも込められていることだろう。

「ただし」

 とスズシロは続ける。

「庶務中隊にはやはり先を急いでもらいます。このまま谷の出口まで急行していただきたい。そこで陣形を整え、陣城からの援軍を待ちつつ、敵がそこまで追ってきた場合に備えるのです」

 スオウたちの現行の根拠地である陣城からヤイトたちに対して陣を張っていた場所まで――騎竜の多い親衛旅団が――普通に行軍すれば、約四日半というところだ。
 スオウと襲撃大隊の先行部隊は通常なら三日かかる道のりを二日足らずで走り抜け、庶務中隊と合流するに至る。
 いま休息を取るこの場所から陣城までは、普通の行軍速度で一日半。

 ただし、ここから少し進めば周囲の崖はだんだんと低くなり、谷間は緩やかに広がりはじめる。そうして一日行ったあたりで谷は途切れ、草原へと出るのだ。
 その草原への出口に陣取れとスズシロは言っていた。
 そこに位置することが出来れば、待ち受けている側は谷の出口に攻撃を集中できる。正気の指揮官なら、そんなところに突っ込む気にはまずならないだろう。
 さらに、スオウはハグマに書を送り、陣城から援軍を出させるつもりである。鳳落関の追撃部隊がどれほど往生際が悪くても、そこで諦めるはずであった。

「なるほど。理解いたしましたわ。わたくしはそこで殿下をお待ちすればよろしいんですのね」
「その通りです」

 スズシロは頷いてから、気遣わしげに俯いて下唇を親指で撫でた。

「相手がもっと早く諦めてくれればいいのですが……。しかし、あちらの指揮官も初陣でしょうから……」
「退き際を知らない、と?」
「私たちもよく知らないくらいですからね」

 その発言に三人はひとしきり笑った。ユズリハの高笑いは聞いていていっそ気持ちいいほどであった。

「ただ、冗談ではなく、万が一殿下を討つことが出来れば、僭主の覚えめでたいことは間違いありませんから」
「それはありますわね」

 退き際を知らず、新しい権力者におもねる軍に諦めさせるには相手にとって圧倒的に不利な状況を作り出すしかない。
 そのために庶務中隊が先行し、まずその場を固める必要があった。

「では、そのように。わたくしは準備を始めさせますわね」
「ああ、頼む」

 そこで立ち上がったユズリハはスオウをのぞき見るようにした。

「ん?」
「少し、よろしいですかしら? 殿下」
「なんだ?」

 手を止め、彼女のほうに体を向けるスオウ。その彼の顔をふっとやわらかなものが覆った。

「おいおい。こっちは走りずくめだから汗臭いぞ」
「わたくしとて、そう変わりはしませんもの」

 ユズリハの豊かな胸のふくらみに埋もれながらスオウが言うのに、くすくすと彼女は応じる。
 わずかな間ではあるが、二人はお互いのぬくもりを分かち合った。

「んー。名残惜しいですけれど、続きはまた後ほど」

 彼女の行動を予測できていなかったスズシロがなんとか驚きから醒め、咳払いでもしようかと身構えたところでユズリハはすっと体を引いた。
 そのまま、実に機嫌の良さそうな笑いを残し、彼女は出て行く。
 その後、妙に静まりかえった天幕で、スオウは書き物に慌てて戻った。

「まあ、なんだ。その、親しい者が、こう……な?」
「特に言い訳は必要無いかと存じます。殿下」
「そ、そうか」

 ハグマへの書を書き終えたスオウがなぜかおずおずとそんなことを言いながらスズシロも目を通すようにと手渡すと、彼女は平板な声で応じた。

「正直、あれくらいでやる気を出してくれるなら安いものです」
「いや、まあ、ユズリハは普段から……」
「余計にやる気を出してくれるなら、ですね。……実際の所、それほど危険でもありませんが、けして楽観視できる状況でもありませんから」

 ざっと確認した彼女は顔をあげ、スオウをまっすぐに見つめる。付け加えることは特になさそうだという彼女から書簡を受け取り封をしながら、スオウもまた張り詰めた顔で頷いた。

「俺たちがいま危険じゃないのは、フウロたち殿しんがりが食い止めてくれているからこそだからな」
「はい」
「休息はどれほど必要だと思う?」
「庶務中隊の姿が目視出来なくなるくらいまで待って出発といったところでしょうか。しばらくはそれほど速度は出せないでしょう」

 うん、とスオウは頷く。

「では、それまで休むとするか」
「はい。休むのも務めです」

 二人は言い合い、姿勢を楽にする。スオウのほうは目までつぶってしまった。
 だが、二人は共にわかっている。
 沈黙の中でお互いが思うものを。思いをはせている場所を。
 それは、彼らの背後、フウロたち殿軍が奮戦しているその場なのだと。


                    †


 その殿軍に参加し、小隊を率いる辰砂氏ユスフのウズは竜を走らせながら、沈思黙考していた。

「しつけーなー、あいつらも」

 彼女から少し離れたところでは、襲撃大隊長フウロがそんな言葉を周囲の者に漏らしている。
 その騎竜の背には、意識を失ったカノコが布にくるまれ、まるで荷物のようにくくりつけられていた。
 フウロ曰く数日は目を覚まさないらしいので、そうするしかないのだ。

「損害だけ出して、成果が無いでは帰れないんですかねー」
「まあ、そうなのかもしれねえけどさ……」

 フウロやそれに応じている彼女の副官が言うように、鳳落関の追撃はいまだ続いている。
 しかも、カノコによる襲撃で警戒したのか、獣化した状態のまま追走し続けている。その状態では消耗が激しすぎて脱落する者も出るはずだが、元よりそれらは関に戻せばいいと割り切っているのだろう。

「ただ、大隊全員を相手にするのはもう難しいですよね。あっちがどれくらい出してきたかわかりませんけど、いま追いかけてきてるのって、たぶん三百くらいでしょう?」
「そうだな。だから、まあ、うちら殿しんがりを叩くのに注力することにしたんだろ。殿下まで危害を及ぼせれば幸い、そうでなくても多少の被害は出せるってな」

 獣化状態を常に保っていれば、本格的に交戦出来ずとも、たまたま追い付いたところで攻撃をかけることもできる。
 実際に、最後尾を走っていた兵が相手の放った破砕弾や棘を受けて幾人か負傷していた。
 フウロたちのほうが身軽なため逃げ足は速いものの、引き離すまでの間にそうした被害は出てしまうのだ。

「竜の死骸でだますのももう難しいですかね」
「ああ。三度目は問答無用で吹き飛ばしたみたいだからな」

 カノコが印象的に用いた竜の死骸。これを利用してフウロたちは何度か罠をしかけていた。
 一度目は思わせぶりに竜の死骸を道に置き、二度目は死骸の腹に爆発物を仕込んだ。
 三度目も同様に触れれば毒の霧が発生するように仕込んでいたのだが、追撃部隊は確認する手間も惜しんで吹き飛ばしてしまったようだ。背後からとどろいた爆音でそれと知れた。

 逃走について来られずに倒れてしまった竜を用いて、わずかなりとも足止めが出来るのは便利だったのだが、もう通用しそうにない。

「谷が広くなれば、さすがに諦めますかねえ?」
「そうだな。こっちが逃げ切れるからな」

 草原への出口に近づくにつれ、谷間は広くなる。そこまで来れば部隊は思う存分速度を出すことが可能となり、追撃部隊が追いつく余地はなくなる。
 それに、そこまでいけば、先に進んでいるはずの隊とも合流して反撃できる。
 だが、まだ谷は広くなる気配もない。

 ユスフのウズはそこで一つ頷いた。

「大隊長、申し述べたきことが!」
「ん? なんだ?」

 声を張ると、フウロがこちらを向く。周囲の竜たちが速度を落とすのを見て、ユスフのウズは手綱を操り、フウロの横に竜を駆け寄せた。

「決死隊による伏撃を提案いたします、大隊長」

 彼女の言葉に、フウロはちらっと後ろを振り返る。しばらく戻ったあたりはちょうど両側の崖がせばまって狭隘な地形を作り出しており、待ち伏せには適していた。

「逃げ切れないと判断するのか?」
「いえ、逃げ切れましょう。しかし、余計な被害が出ます」
「だからって決死隊を?」
「被害が少なくて済みます」

 きっぱりと言い切る彼女を横目で見て、フウロは何事か言いかけたが、諦めたように首を振った。

「何人だ?」
「私の他に五人もいれば」

 そこでフウロがなにか言う前に、ずいと彼女は身を傾かせ、大隊長の耳元に口を寄せた。

「一つ、お耳に入れたきことが」
「なんだ?」
「先ほど参謀閣下を狙った賊、あれは辰砂の者です。名はたしかキズノのウズとか言ったはず。これまで気づけずにおりましたが、以前より潜り込んでいたのでしょう」
「ふうむ……。ありがとな。でも、いいのか、お前」
「辰砂の全てが卑劣な戦いを好むわけではありませんから」

 そうか、とだけフウロは言った。
 それで、全てが伝わったようだった。赤毛の女はウズに向け、高々と手を挙げる。

「高天でまた会おう!」
「はっ! ゆっくりおいでください」

 魔族の死生観は単純だ。
 生きる者は、死ねば高天に昇り、子らを見守る。
 死者は現世になにかしてやれるわけではない。ただ、全てを見守っている。
 魔族はそう信じている。

「殿下のために死にたい者は集まれ!」

 竜首を返しそう叫ぶウズに対し、いくつもの手が挙がる。その中で五人を選び、ウズは死地へと向かうのだった。


                    †


 ユスフのウズは生まれたときからウズと名乗っていたわけではない。それどころか、辰砂の氏族に属してさえいなかった。
 父は黒銅宮、母は水晶宮。
 通常であれば黒銅宮で生きていくはずであったし、実際に幼いときはそうだった。

 ところが、ウズの『相』が発現した時、それは辰砂氏にふさわしいような種類のものであった。
 そこで両親は考えた。
 自分たちは三大宮の末端も末端に生まれ、持つ『相』も変わったところのない平凡なものであった。しかし、この子は違う。
 黒銅宮にも水晶宮にも稀な才能を持つこの子を、三大宮で埋もれさせていいものだろうかと。

 もちろんそこには打算もあった。
 小氏族である辰砂氏であれば、ウズの持つ『相』を生かし、中枢に食い込めるのではないかと。
 それは、あるいは三大宮に生まれた者の驕りであったかもしれない。
 そうして、一家は揃って辰砂氏に移り、彼女は名を変えてウズとなった。

 それ自体は魔界においては珍しい話ではない。ふさわしい場にふさわしい者が移るのは喜ばしいこととされている。
 しかし、そこで彼女の父母はほんのわずかに期待を膨らませすぎてしまった。
 ウズという名が辰砂ではありふれていたように、ウズ自身の能力も、辰砂ではそれほど珍しいものではなかった。
 体内で毒を作り、病を生み出し、敵を殺す術となる。そんな能力。

 有用な能力であるから、辰砂氏もそれを生かせるような訓練は施してくれた。しかし、それを運用する細かい技術については、辰砂のそれぞれの一族、分家に伝わるものであり、なにより幼い頃からの積み重ねがものをいう。
 生来努力が嫌いでもなかった彼女はそれなりの成果はあげたものの、辰砂の『手』――破壊工作員となることは出来なかった。
 それをこなせるだけの精神的な基盤を築くことが出来なかったのだ。

 そのことが明らかとなった途端、両親は彼女に熱心に婚姻を勧めてくるようになった。
 有り体に言えば彼女自身の才に見切りをつけ、婚姻によるつながりで氏族内の地位を高めようとしたわけだ。

 彼女はそんな両親に反発を覚えた。
 それまで、期待をかけてくれていたのは知っている。教育に力を入れてくれていたのも感謝している。
 だが、辰砂の『手』になれなかったというそれだけで、自分の未来を否定しないでほしかった。
 辰砂の『手』になれなかった自分の価値は、少しでもいいところに嫁に行き親を支えることだと、それだけしかないのだと決めつける父母は実に不快だった。

 だから、彼女はより一層努力した。
 一心不乱に勉強に励み、訓練で自分を磨き、友人や先輩たちから交友関係を広げ、なんとか――旅団編成になる前の――親衛隊に採用された。
 なぜならば、そこに入れば嫁に行けなどとは言われなくなるから。
 後宮に入る者に手を出そうとする男などいないから。

 妃候補になったと知った両親は泣いて喜んだが、その裏で彼女はほくそ笑んでいた。
 スオウ殿下が気に入らないわけでもないから、後宮に入るのは構わない。だが、妃になどなるつもりはなかった。一生を後宮の警護に尽くし、実家のことなど忘れてしまおう。
 そう、思って。

 もちろん、その目論見は僭主一派による謀反と、カラク=イオの成立によって大きく狂ってしまう。ただし、彼女にとってそれは特に問題とならなかった。
 むしろ、両親からようやく解放されたかのような気持ちになれたくらいだ。

 そうして、おそらく周囲とは少々異なる感覚でカラク=イオ成立の酒宴を楽しんでいたあの日。彼女は、ふとスオウに声をかけられたのだ。

「うーん」
「なんでしょうか、殿下」

 声をかけてきながら奇妙に唸るスオウに、ウズは戸惑いを隠せなかった。スオウは首をひねりながら、思い切ったように口を開いたものだ。

「いや、君がユスフのウズだとは知っているんだが」
「はい」
「どうもな……。昔、カズラと名乗っていなかったか?」

 その時の彼女の感情をどう表現したらいいだろう。
 おそらく、普段であったなら、彼女が青くなって白くなって赤くなるその様子を、周囲の皆が驚きの目で見たことだろう。
 だが、彼女もスオウも、それに周囲にいる者全員が良い具合に酔っ払った大騒ぎの中なので、誰も気にしなかっただけだ。

 カズラ。
 それは、彼女の名だ。
 彼女が生まれたときにつけられた、ウズと名乗る前に持っていたはずの名だ。
 だが、それを知る者など、ほとんどいない。いないはずだった。

 あまりにも動揺した彼女は、その場ではスオウの言葉を肯定するだけで、それ以上なにも言うことが出来なかった。
 だが、酔いが醒め、日が経つと、なぜスオウがかつての自分を知っていたかを知りたくてしかたなくなり、彼の天幕を訪ねることとなる。

「黒銅宮は十歳で改めて名付けの儀をやるだろ? それに呼ばれてたんだな」

 その時のことを覚えていたのだという。
 子供がある程度まで育ってから、改めてその誕生と成長を祝う儀式は氏族ごとに形は異なるものの、それなりに存在している。黒銅宮ではそれが大々的なものになっていた。

 だが、彼女が十歳の頃といえば、スオウの歳もそう変わらないものであったはずだ。

「子供の頃から、美人には目がなくてな」

 冗談めかして応じたスオウの言葉が真実であったかどうか。ただ、彼女はそれを受け入れた。
 そして、出来れば、かつての名で自分を呼んでくれと彼に願った。

「うん。久しぶりだな、カズラ」

 その時の喜びを、彼女はけして忘れないだろう。自分が何者であるか取り戻した時の歓喜を。

 彼女はそのまま彼に抱かれた。
 自らの全てを捧げ、彼に無上の喜びを与えられた。
 カズラ、と名を呼ばれる度に悦楽は増し、彼の唇から漏れるその音の連なりだけで、震えるほどの幸せを感じた。

 彼女は幸せだった。
 何よりも、誰よりも幸せだった。
 自分が何者であるか知ることが出来たから。スオウという男が自分を取り戻させてくれたから。

 だから、死のうと思った。
 彼のために死のうと思った。
 この場で彼女が死ねば、部隊の同輩たちの損害は減り、スオウの下に残る兵は増える。
 そのためだけに死んでもいいと、そう思った。

「相手は三百ぐらいだっけー?」
「一人……五十殺」
「やれるかな?」
「無茶言うなよ。まあ、やれて二十」
「それだけ減らせりゃ充分だな!」

 軽口をたたき合う仲間たちも、おそらくは似たような気持ちなのだろう。そう彼女は推察する。
 五人はすぐに集まった。
 スオウのために死ぬ覚悟の者が彼女を含めて、ここに六人。
 彼女たちはすでに獣化を済ませ、敵がやってくるのを待っている。

「実はですねー。スオウ様に抱いてもらっちゃったんですよ、私」

 その中の一人が、内緒話を打ち明けるような口調で言う。毛でびっしりと覆われているため表情はうかがい知れないが、おそらく人の姿であったなら頬を染めていたことだろう。

「あ。あたしもあたしもー!」
「自分も……です」
「なんだよー、みんないいなー。って私もだけどさっ!」

 言葉には出さずとも頷く者もいる。どうやら全員がスオウとの閨を経験しているらしい。
 彼女たちはお互いに顔を見合わせ、くすくすと笑った。

「なるほど」

 指揮官格であるウズは皆の様子に深く頷き、問いかける。

「では、死ぬのに悔いはないか?」
「いやいや、ありますよー」

 ぶんぶんと手を振って否定する者の声は、なぜだか妙に明るい。

「あたしも悔いは残りまくりですっ! でも、死ぬには良い感じです」
「本懐、です。好いた男を逃がすために死ぬのなら」

 明るく言い切る者もあり、口べたさが窺える口調で懸命に自分の気持ちを語る者あり。
 悔いがあると言う者も、そうでない者も、一様に死を怖れる様子はない。
 ウズはそんな彼女たちに、やれやれと肩をすくめる。その肩口で毒嚢がゆっくりと揺れた。

「優しくしていただいたか?」
「それはもう」
「あたたかかったか?」
「すりすりしたくなるくらいですぅ!」
「たくましかったか?」
「高天でも忘れることはないでしょう」
「心地よかったか?」
「幸せ……でした」
「覚悟はいいか?」
「いつなりと」

 彼女たちの耳に、地鳴りのようなものが聞こえ始める。
 それは、敵が近づいてくる証拠。
 彼女たちの決戦の時が迫る証。

「いいか、一人でも多く殺せ。殺せないなら腹を裂け、背をくだけ、腕をもぎ取れ。わずかでも相手を弱らせろ。そして、血が流れたら目つぶしの良い材料と思え。腹を刺されたら、刺した腕を折れ。腕が無くなったら、牙を剥け。腸がはみ出たら、それを相手にひっかけろ。それが我々のあがき方だ」

 ユスフのウズは高らかに告げた。
 その言葉に、全員が頷いた。

「さあ、惚れた男を守るため、惨めに無様に、そして、誰よりも誇り高く死に行こう」

 そして、彼女は死ぬ。
 敵兵の腕から伸びた槍のような肉の器官に刺し貫かれながら、ユスフのウズ……否、カズラは確信する。
 自分はいまから死ぬと。

 体は、獣化形態を取ることすら出来ず、脆弱な人のものに変じている。仲間たち五人はもはや判別すらつかぬ肉塊と化している。
 だが、その肉塊の周囲には、さらに多くの死体が転がっている。死にかけの者がはらわたをぶちまけて痙攣している。怪我人が血を流してうめいている。
 彼女たちは殺した。不具にした。恐怖を植え付けた。
 だから、彼女は死ぬ。
 それでいい。

「この、腐れ女が!」

 敵が叫ぶ声は聞こえない。
 その腕が彼女自身の体を真っ二つに引き裂くことも、彼女にはわからない。

『カズラ』

 ただ、スオウが呼ぶ声が聞こえる。
 彼女を優しく呼ぶ声が聞こえる。

 その瞬間、カズラの心臓は破裂し、彼女の体の各所で活動していた『抑制機構』が揃ってその機能を停止する。
 血液は沸騰し、細胞は不気味に増殖を始めた。
 彼女の死体はまるで風船のようにふくれあがり、驚いた敵兵が振り払う前に、ぱあんっと小気味良い音を立てて破裂する。
 彼女の体の全てを食い尽くし生成された生体毒素がその破裂によって辺り一面に飛び散り、敵兵数十体を巻き添えとすることなど、彼女にはわからない。

 彼女の名を呼ぶ声の中で、カズラは幸せに息絶えたのだから。
+注意+
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