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三界大戦記―好色皇子と三界の姫たち― 作者:安里優

第二部:人界侵攻・蒼雷編

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第9回:退陣(上)

 ハグマは、魔界随一の戦闘経験を誇る将である。
 むしろ、彼以外、まともに実戦経験がある将がいない。それは、今回の謀反においても変わることはなかった。
 故に実際の戦場で学んだことを彼から吸収したがる者は多い。

 だが、彼は自らの経験を語ることはほとんどなかった。その代わり、部下たちには基礎を学び直すことを強く勧めた。
 皇太子親衛隊における訓練では、その傾向がさらに強まっている。

 そもそも親衛旅団は、魔界でも類を見ないほど高等教育を受けた集団である。
 多くの者が上級士官育成のための校尉学校出身であり、それ以外も中級士官以上を育成する校尉予備学校、あるいは専門士官のための各種学校出身者が占める。

 普通の部隊に行けば、最低でも小隊を任される者が一兵卒を務めているのが実状だ。

 それは――妃候補としての売り込みの要素はまた別として――皇太子の親衛隊というものの本来の性質から要請されるものである。
 皇太子はいざという時、魔界の全軍を率いて魔界を守らなければならない。大動員された兵たちを円滑にその隷下に組み込み指揮するために、兵たちにも将士としての資質が求められているのだ。

 そんな兵たちであるから、基本的なことはすでに学んでいる。
 しかし、軍にある日常と、実戦という場の緊張はそれを忘れさせる。そうハグマは感じていた。
 それ故に、忘れようにも忘れられないほど、体にたたき込もうとしたのだ。
 そうしてたたき込まれた基礎の一つに、こんな言葉がある。

『撤退戦は守勢ではなく攻勢を主体とする機動戦である』

 それは、校尉学校で用いられる教科書にも記されている言葉である。
 襲撃大隊はもちろん、鳳落関側の主要な者たちは知っているはずの言葉だ。
 だが、それを戦場で思い出す者や、実感出来る者は――ハグマの考え通り――多くない。
 そうでなければ、スオウたちの反撃の激しさにヤイトが驚くことはなかったろうし、鳳落関の兵たちがいまきたしているような混乱が生じるわけもなかった。

「腹立つほど中途半端だなあ。あっちから仕掛けておいて」

 赤毛の女はそのつんつんとはねた髪をふっていらだたしげに吐き捨てた。その見つめる先で、敵陣から撃ち込まれたなにかが地面をえぐる。
 しかし、フウロが立つ防柵の傍には、そのかけらさえ届かなかった。
 彼女の指揮の下、襲撃大隊が足並みをそろえて行っている長距離攻撃に対して、鳳落関側の反撃は実に散発的だ。

 空を飛ぶ真龍との戦いを予定していたため、長距離攻撃が得意な『相』の持ち主の割合は、親衛旅団のほうがずっと高い。
 同様に、空で動く真龍を狙わなくてはいけないため、発射速度と身の軽さを重視されているため、大質量のものを撃ち出したり、強力ながら移動が難しい『相』などは鳳落関のほうがずっと多い。
 なにしろ、あちらは関の中から相手を攻撃するための『相』が選ばれているのだから。

 それなのに、あまりにもばらばらな攻撃のために、有効な打撃となり得ていない。
 敵のことながら、あまりにお粗末だと憤慨するフウロであった。

「意思統一がされていないんだろう」

 そう声をかけるのはスオウだ。
 指揮を全てフウロに任せて眺めているだけではあるが、彼の姿が最前線にあるというだけで周囲は士気を上げる。
 逃走の準備が出来るまでは、彼はここを動くつもりはなかった。

「っていうと?」
「最初の攻撃は俺たち――俺とヤイトに向けてのものだったろう?」
「でしたね」
「ところが、ヤイトの奴は、自分を危険にさらしてまで罠を張るような胆力はない。だから、ちょっとかまをかけてやったんだよ。メギの差し金だろうってな」

 俺にも確信があったわけじゃないんだが、と彼は肩をすくめた。

「俺の言葉を聞いて青ざめてやがったよ。少なくとも、攻撃はヤイトの本意じゃない。それは自信を持って言える」
「僭主が殿下を……ってことですか」
「まあ、そうだろう」

 血を分けた兄の敵意に、スオウはいっそ痛快というように微笑んだ。
 それが本心かどうか、つきあいのそれなりにあるフウロでもわからなかったが、それでも、彼の気骨は感じられる。

「しかし、そうなると厄介ですね」

 爆煙の切れ間から覗く敵陣の様子を眺めながら、フウロは頬をなでる。

「混乱してくれてるなら、怯んでくれる奴らも多いでしょうけど、僭主の意を受けてあくまで追いかけてくるのもいるでしょうし……」
「追いかけてくるほうが多いと見ておいてくれ。ヤイトは所詮黒銅宮の女を妻にしているに過ぎない。だが、メギには黒銅宮の血が流れている上に、帝の名もある」
「わかりました」

 厳しい事態を想定しろという命に、彼女は素直に頷く。
 そこでスズシロからの伝令が駆け寄り、逃走の準備が九割方終わったと告げてきた。
 フウロはばんと両手を打ち合わせると、周囲の部下たちに向けて吠える。

「よっしゃ! お前ら行くぞ!」

 そうして、それまでに倍するほどの勢いでヤイトの陣に向けて攻撃が放たれる。
 最後に爆炎鬼の爆炎球による一斉爆破が行われ、それによって谷間に充満した煙が晴れた頃には、スオウたちの陣はもはやもぬけの殻となっていたのだった。


                    †


『撤退戦は守勢ではなく攻勢を主体とする機動戦である』

 その言葉の意味は明白である。
 撤退しようとする者は、追撃する敵に攻撃を加え、相手が足を止めた時に退く。あるいは待ち伏せを行い、相手の警戒を強め、結果として相手の追撃を鈍らせる。
 これらの組み合わせと繰り返しで移動していくほか無い。

 もし、ただただ逃げつつ相手の攻撃に耐えるだけとなれば、損害は際限なく増加し、総崩れを起こしかねないのだ。
 なによりも、追われているという精神的圧迫は非常に強いものであり、けして敗走ではない状況でも、兵たちに恐怖を植え付ける。
 それを防ぐためにも攻勢は必要なのであった。

「思うにですね。私たちの目が前についているのが悪いと思うんですよ。私たちだけじゃなくて、人も神も基本的にはそうなんですけど」

 後退するカラク=イオ軍の殿しんがり
 そこには、フウロとそれに従う百八十の兵たちがいる。
 彼女たちはいずれも戦闘の時の獣化形態を解いて、身軽な人の姿で竜を走らせていた。

 その中には先ほどから長広舌を振るうフウロの副官カリンの姿もあるし、彼女の言葉に興味深げにうんうんと頷いているカノコの姿もあった。

 カノコは、その立場を考えれば先行する本陣にスオウたちと共にいるべきなのであるが、どうしてもと志願して殿軍に参加している。
 ただし、彼女は――体が小さすぎて――竜を操るのが上手くないため、四脚竜の背にべったり体をつけてしがみついている風であったが。

「獣化している時は後ろのほうも見える魔族もいるにはいますけど、基本的には前を向いてるじゃないですか。しかも、前半分全て見えるわけじゃなくて、集中したりすると、見える範囲ってずっと狭いわけですし。おかげで見えない部分を必要以上に警戒しちゃうんです。自分が感知出来ないものへの恐怖ってのがものすごいと思うんですよ」
「なるほどー……」

 カノコは律儀にあいづちをうっているが、襲撃大隊の者は構うことなく竜の操縦に集中している。
 この副官の、一度始まると止まらない怒濤のようなおしゃべりには慣れきっているのだ。
 これだけずっと喋っていて、よくもまあ自分より上手に竜を操るものだと感心している兵たちはいたけれど。
 ともあれ、走る竜の背で、カリンのおしゃべりは止まらない。

「だってですね、私たちはすでに戦いには勝っているわけですよ。カラク=イオに賛同しない人たちを魔界に帰すことにも成功しました。カノコさんはじめ、庶務中隊の五百人を受け入れることも出来ました。ね? 目標達成ですよ。五百人ってとっても強力な増強ですから。あ、そういえば、庶務中隊って、中隊って言いますけど、五百人もいるんですよね。すごいですよね。普通の中隊の三倍くらいですものね」
「はい。うちは増強中隊ですから」
「なるほどー。だから、カノコさんは大隊長と同等扱いなんですね。あっと、そうじゃなくて」

 そこでカリンは思い出したように会話の方向を修正する。

「ともかく、私たちは勝ってるんです。別に黒銅宮のほうも負けたってわけじゃないと思いますけど。ただですね、追われてるとなると、怖いわけですよ。びくびくしちゃうわけですよ」

 言いながら、カリンは自分たちがやってきた道を振り返る。切り立った崖に囲まれた谷間の道は、いまのところ竜に踏み荒らされた低木が転がっているくらいで、人影はない。
 だが、ひたひたとなにかが迫っているのではないかと思わせる。
 思ってしまう。

「一本道ですしねぇ」
「そうなんですよ。草原に出るまでは谷間の道をずっといかなくちゃいけないから、どうしても怖くなっちゃうんですよ。側道もないわけじゃないですけど、とてもみんなで動けないですしね。狭いところを通って押し合いへし合いしてるところに攻撃されちゃったりしたら、もっと怖いですよね」
「あたしらはとりあえずお前のおしゃべりが途切れない限りは安心だけどな」

 カノコの言葉に怖い怖いと連呼するカリンに、フウロがそんな声をかける。周囲で広がる笑いに、カリンはぷうと頬を膨らませていた。

「あの」

 その間に、フウロの横になんとか竜を寄せたカノコが声をかける。

「なんだ?」
「やっぱり追いかけてくると思いますか?」
「……そうだな。追撃が一番痛撃を与えやすい。カリンの言うとおり、あたしたちはいまのところ勝ちと言っていい状況だが、それだってすぐひっくり返る」
「でも……太子様が無事なら勝ち、ですよね?」

 竜にしがみつくようにしながら自分を見上げる顔に、フウロはわずかな間考えて頷いた。

「ああ、それは違いない」
「じゃあ、やっぱり最初の足止めは私が」
「……そう言うと思ってたよ」

 晴れ晴れとした顔で言い切るカノコに、フウロはしばし視線を上の方にさまよわせた。
 それから、しかたないという風に息を吐く。

「まあ、それはいいだろう。けど、死ぬのはなしだ」
「でも、そうなると……」

 困ったように眉が下がる。そんなカノコに、フウロは繰り返した。

「なしだ」
「……わかりました」

 不承不承カノコが頷いて、そういうことになった。


                    †


 黒銅宮の側の先遣隊がカラク=イオの殿に追い付いたのは、日も暮れそうな時分であった。
 数は二百。

 これだけしか動かなかったのは、やはり上層部の思惑が食い違っていたためである。
 しかしながら、追撃は手柄の立て所である。逸る兵を押しとどめることはヤイトたちにも出来ず、この二百の後に四百が出撃している。
 もちろん、その裏にはメギの部下たちの後押しがあるのだが、末端の兵たちはそんなことを知るよしもない。

 ともあれ、彼らはフウロたちの姿を見つけたものの、その場では攻撃する機会を得られず、一度は彼女たちに引き離されてしまった。
 そうして、さらに竜たちに鞭を入れ足を速めた結果、彼らは奇妙なものを目撃することとなる。

 それは、狭い道をふさぐように横たわる竜たちであった。
 両側の崖が突き出て、極端に道が狭くなっているところに三頭の竜が横たわっている。
 おそらくは逃走の中で走り疲れ、もはやついていけなくなったのであろう。見る限り、三頭のうち二頭はもはや死んでいる。
 一頭だけが、わずかに動きを見せていた。

「罠……ですかな」

 この部隊を率いる中隊長が、くつわを並べる男に話しかける。口調が硬いのは、相手が禿頭の男の部下だからだ。
 帝都からやってきた皇帝直属の部隊の人間ともなれば、鳳落関の中隊長の身では萎縮してもしかたあるまい。

「そう見せかけて、こちらを躊躇させる手かもしれませんな。うちから何人か出して観察させましょう」

 言って、男は三人の部下に、竜たちを確認してくるよう言いつける。
 彼は、三十名ほどの部下を引き連れて来ていた。禿頭の小男本人はヤイトによって鳳落関に留められていたが、部隊の者はほとんどが追撃隊に参加している。

 部下たちは獣化することもなく竜の骸に近づいていった。ただし、手には先におもりのついた縄を持っている。
 ある程度まで近づくと、男たちは縄を投げる。錘が竜たちにぶつかってもいきなり爆発したりなどということはなさそうなことを確認し、彼らはさらに接近した。

 そして、彼らは発見する。
 その竜たちが三頭とも死体であることを。
 いずれの竜も、その首もと――竜の急所の一つ――に致命傷が与えられている。苦しまぬよう一撃で処理されたのは明らかであった。
 それなのに、動いているように見えたのは、なぜか。

「うぇっ」

 その光景に、思わず一人がえずいた。
 彼らが近づいてきた方向からでは竜の陰になって見えなかった場所で、その死骸に取りついている姿がある。
 それが与える動きが、竜を生きていると錯覚させたのであった。

「おいおい」
「勘弁してくれよ」

 残る二人も疲れたような声を発する。どこか気が抜けたようなところがあるのは、脅威とは思っていないからだろう。
 そこには、一人の少女がいた。
 魔族の基準ではずいぶんと小さい。はっきり言ってちびと嘲られるくらいの背をしたその少女は、その体を竜の血と内臓にまみれさせている。

 特に上半身が赤く染まっているのは、その体を竜の切り開かれた腹に突っ込んでいるからだ。
 彼女は竜の死体を切り裂き、それを口にしているのだ。
 いまも、彼女は引き裂かれた腹から内臓の一部を引きずり出し、そのまま口に運んでいる。

「そりゃあ、俺たちだって竜は食うけどよ……」

 えずいた男が呆れたように呟く。
 そう、魔族は竜を食べる。だが、生で食べるのはよほどのことだし、なにより、敵前で死体を引きちぎって喰らったりはしない。

 だが、少女は、男たちが近づいていることに気づいた様子もなく、竜の死骸を引きちぎり、かぶりつき、その肉と内臓と血を嚥下している。
 まるで、自分より大きな竜の体全てを喰らい尽くしてやろうとでもするかのように。

「こりゃあ……気がふれて置いてかれたんだな」
「憐れなもんだ」
「とりあえず、こいつごとどかしちまうか」
「そうだな」
「よし。おーい。大丈夫だから、何人か来てくれー」

 男たちは助けを呼ぶ。三人で竜をどかすことが出来ないわけでもないが、人の姿では時間がかかるし、獣化するのも手間だ。
 人手があるのだから利用する方が良い。
 そう思って、彼らが仲間を呼び寄せるその後ろで、少女は竜を喰らい続けている。

 ぞぶり。

 ぞぶり。

 ぞぶり。


 彼女が肉を噛みちぎる音が、妙に耳につく。


 ぞぶり。

 ぞぶり。


 ごつ……がぶん。


 ぞぶんっ。


 手助けの男たちがやってきた時、彼らは見た。
 竜の腿が消えるのを。
 竜の肩が噛み砕かれるのを。
 竜の頭が一口で呑み込まれるのを。

「そんな……なんで!」

 最初にやって来ていた男の一人が、振り向いて悲鳴のような声を上げる。そこにいるのはちびの狂人のはずだった。
 だが、いまや竜を喰らう女の姿は、その場にいる誰よりも大きい。
 通常の魔族ならば真の姿を露わにした時に達するほどの背になりながら、彼女は人としての、女としての姿を保っている。

 その脚はしなやかに長く、その体は力強くも美しい。
 ただ、口だけは全てを喰らい尽くそうとするかのように大きく裂けている。

「お前たちは魔界を裏切った」

 ぞぶり。

 竜が一頭消えた。
 女の背は、さらに高く。

「お前たちは帝室を裏切った」

 ぞぶり。
 ぞぶり。

 二頭目の竜が平らげられる。
 女の脚はさらにたくましく長く。腕は大きく伸びて前脚に。

「お前たちは太子様を裏切った」

 ぞぶり。

 三頭目は一口で。

 もはや、そこにいるのは少女でもなければ、女でもない。
 遅まきながら、彼らは気づく。
 これは獣化であったのだと。
 自らの内に秘めた姿を解放する通常のやり方とは違う、異形の獣化。けれど、そこにはたしかに一つの『相』が顕現している。

 小型とはいえ騎竜を一呑みにするほどの顎を持ち、巨大な体躯を支えるだけのたくましくもしなやかな四本の脚を持ち、それら全てを覆う、美しい毛皮を持つそれ。
 それを知らぬ魔族はいない。
 この大地にもわずかに似た種が存在するものの、その本質を示すのは、伝説の存在のほうであろう。
 はるかな昔、魔族の先祖が生まれ出た故郷にいたといわれる、その獣。

 狼という名の獣がそこにいた。

 だが、いかに伝説の存在であっても、その牙が人の腕ほどもあろうか。その頭が、魔族の真の姿をもってしても届かぬ高みにあろうか。
 なによりも、その瞳が熾火のような光を宿すものだろうか。

「あ、あ、ああああああああぁぁ!」

 誰かが叫ぶ。
 それを契機に男たちの硬直は解け、彼らは全ての力を込めて逃走を開始した。

 狼は、それを追って一声吠える。
 それは暮れゆく光に照らされた天地を振るわせ、聞く者全ての心肝を寒からしめる、そんな咆哮であった。
いつもご覧になっていただきありがとうございます。
これまで、基本的に朝に更新して参りましたが、次回より、更新時間が夜に変わります。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
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