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三界大戦記―好色皇子と三界の姫たち― 作者:安里優

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波紋(三)

挿絵(By みてみん)


「あー。去年の収支はどうやっても赤だなあ」
「一昨年に続いてですか」

 がしがしと頭をかきながら、一人の女性がばさりと机の上に書類を放り投げた。
 彼女の机に寄せた小机でこれも書き物をしていた短髪の女性が、書類を手に取り目を通していく。

「あちゃあ、厳しいっすね、姫様」
「姫様はやめろっつってんだろ」

 最初の女性が苛ついたように身をよじると、その豊かな双丘がぶるんと揺れた。
 長いつややかな黒髪といい顔立ちといい、凛々しいという言葉が似合う女性であったが、そのたっぷりとした柔らかそうな胸だけがその印象を裏切っている。

「はいはい。わかりましたよ、リディア皇女殿下」
「そ、それもやめろ」

 ひるんだように、彼女は言う。
 そんな彼女の名は、リディア・ゲルシュターという。

 南方の二大国家のうちの一つにして、大陸随一の経済国家・ゲール帝国の第十一皇女であった。
 だが、その称号で呼ばれるとどうにも落ち着かなくなるらしい。
 あるいは、彼女が十二になるまでその身分を隠して市井で育てられていた影響かもしれなかった。

「じゃあ、なんて呼べばいいんです?」
「アネキでいいだろ」
「それ、こないだ下品だからやめろって言ってたじゃないですか」
「そうだったか?……じゃあ、姐御か」
「変わりあるんすか?」
「いいんだよ!」
「はいはい」

 もうほとんどおなじみとなりかけているやりとりを終わらせて、短髪の女性は書類を精査し始める。それは、リディアが関わる仕事全ての収支報告書だ。
 彼女自身もその作成に関与しているのだが、最終報告を読むのはこれが初めてである。

 快活そうなその女性は、リディアとは別の意味で中性的な魅力を持つ女性であった。
 だが、左の額から右頬にかけて走る傷痕がその均整を崩していると見る者もいるかもしれない。

 名はオリガ・ゼラ=ゲルシュター。
 姓でわかるとおり、ゲルシュターの流れに連なる人物であるが、帝室とはずいぶん前に分かれた家系の出身である。

「ともかく、基本的には儲かってるんですよ。こんな場所でこれだけの利を出すってのは姐御には商才があるんでしょう」
「だろ?」

 褒められた途端、渋面から一転、顔をほころばせるリディア。
 その部屋の空気自体が明るくなるような、華やかな笑みであった。

 いまリディアが帝国の代官として派遣されているこの土地は、ゲール帝国でも辺境の上『荒れ野』に近く、通常はろくな利益が出るような土地ではない。正直、税収だけでは土地の予算さえまかなえないのだ。
 そこを、リディア主導の商いで補えているのだから、大したものと言えよう。
 いかにゲルシュターの名があるとはいえ、博打すれすれの商売を何度も成功させているのは、彼女自身の商才に他ならない。

 だが、オリガは苦い顔で続ける。

「ただし、あの珍妙な艀に注ぎ込んでる金さえなけりゃあ、ですけどね」
「艀じゃなくて船だっつってんだろ」
「で、その『船』とやらは、儲けにつながるんですか、ほんとに」

 オリガの問いに、リディアは不機嫌そうに鼻を鳴らす。

「そんなもん、ちょっと考えればわかんだろ。海を行ければ、南北の輸送はだいぶ楽になるんだからよ。なにせ、あの『穢れた地』を抜けなくて済む」

 人界は『荒れ野』と『黒森』という『穢れた地』によって、実質的に南北が分断されてしまっている。
 かつては人の往来すら不可能とされていたが、それを可能としたのがゲルシュター隊商団、つまりはゲール帝国の源流である。

 そして、リディアはさらなる南北交易の改革を企んでいた。

 すなわち、古代の伝説にわずかにその存在を知られる『船』を造り、海を利用しようというのだ。
 魔界の住人であれば、なにを当たり前のことをと言いたくなるような計画ではある。だが、なにしろ人界には海を利用するという発想が無い。
 リディアはその意味で正しく異端児であった。

「そりゃそうですけど、いつ実用になるんですか?」
「そら……まあ、なんだ」

 普段はまっすぐに目を見て話すリディアが、視線をそらす。それだけで、オリガが深いため息を吐くには十分な理由だった。

「一年ごとはともかく、五年まとめては黒を出さなきゃまずいんすよ。わかってます?」
「……わかってるよ」
「この試練に失敗したら帝位継承権を失うんすよ」

 ゲール帝国の帝室において、継承権は血統だけでは手に入らない。血統に加え、自らの価値を示す必要があるのだ。
 リディアの場合、見捨てられたこの土地で五年の間に黒字を上げることがその試練であった。

「わかってるっつってんだろ!」

 吠えるような怒号。しかし、リディアはすぐにはっと気づいたような顔になって頭を下げた。

「すまねえ。八つ当たりだ」
「いや、構わないっすけどね」

 ぱたぱたと手を振って、オリガは相手が顔を戻すよう促す。リディアが苦笑いを向けてくるのに、彼女は書類を手に肩をすくめた。

「まあ、姐御が船とかいうのに賭けたいってのもわかりますよ。正直、これ以上博打は上手く行かないでしょうからね」
「ああ。この二年は、それでも勝算はあった。だがよ、これ以上は無理だ。ここでつっぱったら、狩り場すらなくなっちまう」

 さすがの引き際だ、とオリガは感心する。

 普通は、うまくいったならそのやり方に執着する。損が出るぎりぎりまで粘ろうとする。
 ところが、リディアはあっさりと次に向かうことが出来る。
 これだけでも、この人についている価値はあると彼女は思っていた。

「でも、税収はあてにならないっすよ。いくらここの連中使って金が動くようにてこ入れしたって言っても」
「そこだ。色々考えてはいるんだけどよ……」

 派遣されてからの二年――つまりは一昨年と去年――は、事前に準備したり、あたりをつけていた事業において機を掴むことで、通常よりも大きい利を生み出すことに成功した。
 それらの事業自体は続けるにしても、これまでのような極端な利益は望めない。
 新たな展開を考えねばならない局面にあるのだが、儲け話なんてものは、そうそう転がっているものでもないのだ。

 ただし、オリガには最近仕入れた情報がないでもなかった。

「一つ、あてがないこともないんすけど、遠いんですよね」
「どこだ?」
「ショーンベルガー」

 聞き慣れない地名に、リディアが額に手を当てる。

「んー……。あー、ちょっと待て、思い出す」
「北の方っすよ」
「ああ、わかった。ソウライか。そりゃ遠いな」

 ソウライは人界の基準で考えれば北の果て。
 ゲール帝国人でその都市の名を知っているだけでも大したものだろう。

「ええ。でも、そこに魔族がいちを立ててるらしいんす」
「なんだと?」
「魔族っすよ。ソウライのさらに北にいる」
「魔界が門を開いたってのか? なんでまた」
「アタシに聞かれても」
「まあ、そりゃそうだ」

 リディアはあっさりと疑問を引っ込める。彼女にとって魔族が人界に侵入した意図などどうでもいいのだ。
 問題は、それが商売につながるか、である。

「市を立ててるってぇことは、交易の意思はあるっつーことか」
「どの程度かはわかりませんけどね」
「まあ、だけどよ。魔界のもんなら、それだけで珍重はされる。そういう趣味のやつがいるからな。それに、かさばるもんを持ってくる必要もねえ」

 初期投資をそれほど必要としないということだ。まず様子を見るためには実にありがたい。

「でしょ。ついでにあちらさんが本格的に交易したいんなら、ツバつけておかないと」
「あるいは、そう持ってくか、だな」

 二人は顔を見合わせ、鏡写しのような笑みを浮かべる。

「よし。じゃあ、明日でいいな?」
「やっぱり、行くんすか」
「当たり前だろ、商売で大きく賭ける時はこの目で見ておかねーとな」
「まあ、そう言うだろうとは思ってましたけど。でも、明後日にしてください。明日一日で、いない間のことを決めちまいましょう」
「よっしゃ」

 リディアが一つ手を打ち合わせ、そういうことになった。

「それにしても、自分で言っておいてなんですけど、遠いっすよ?」
「わぁってるよ」

 それにだな、とリディアは笑みを刻む。

「魔族なら、船のこと知ってっかもしれねーだろ」
「そっちですか……」

 それから、リディアは窓から空を見上げ、そこにぷかぷか浮いているものを見て、こんなことを言うのだった。

「飛行鯨か……。そうか。空っつう手もあるんだな」

 オリガはその剣呑な呟きに対し、賢明にも聞こえなかったふりを押し通すのであった。


                    †


 南方の大国・ゲール帝国が人界南東部トゥーリンギアのほとんどを領土としているのに対して、それと並び立つ神聖連邦は、人界南西の北ロタリンギアを完全に掌握し、その周縁に徐々に侵食しつつあった。
 ロタリンギアの北方、ホラント南部では最後まで独立を保っていたテテル王国を滅ぼし、ロタリンギアとトゥーリンギアの境界地域には衛星国を置いて、ゲール帝国に圧力を加えている。

 名前の通り神々を奉じる神官たちによって運営される神聖連邦は、神権政治を広めることを使命と考えており、この拡張傾向は今後も続くことであろう。

 そんな熱烈な宗教国家の神聖連邦には、当然各地に多数の神殿が建立されている。さらにその首府ともなればいっそう壮麗な神殿群が建ち並ぶこととなる。
 その中でも威風辺りを払う絢爛さをそなえた恐るべきもの(ヴィカラーラ)の神殿の内奥に、多数の神像に囲まれた中庭があった。

 その場所で、彼女は膚をくすぐるさわやかな風を楽しんでいた。
 中庭の一角、綺麗に整えられた芝生に置かれた椅子に座り、そこまでは履いてきたらしい靴も脱ぎ捨てて、足で芝生をいじっている女性。
 彼女はその銀の髪といい、細い体といい、わずかに憂い混じりの表情といい、実に儚げな雰囲気をそなえていた。
 振りかかる黄金の日差しにふわりと溶けていきそうな、そんな印象である。

 あるいは、その目がしっかりと閉じられて、いっこうに開きそうにもないことがそれを助長していたかもしれない。
 そんな彼女の耳にぱたぱたとにぎやかな足音が響く。
 足音にふっと優しく微笑むその笑みも、またどこか危うい。

「お、遅くなって申し訳ありません! 神子みこ様」
「おはよう、アティーヤ。よほど急いできたのね」

 彼女の前まで走り寄り、はあはあと息を切らせながら挨拶する年若い少女に、神子と呼ばれた女性は優しく声をかける。少女は、ぺこぺこと頭を下げた。

「本当にすいません。寝坊してしまって」
「そう。……寝癖がついているわよ」

 言われたアティーヤは慌てて頭に手をやり、その砂色の髪を必死でなでつける。
 しかし、そこで、少女は気づいた。
 元々くせっ毛なアティーヤの髪は確かに所々はねてはいたものの、目の前の女性にそれがわかるはずはない。彼女の目はずっと閉じられていたのだから。

「か、からかわないでくださいよ。神子様」
「からかってなんかいないわよ。アティーヤ、今朝は怖い夢を見たわね?」
「そうなんです。おかげで変な寝起きで……。って、え? なんでわかるんです?」

 少女の顔が困惑に揺れる。そんな表情をすると、さらに幼く見えた。

「その夢の残滓が漂っているの。それが寝癖。私にとっては、ね」

 相変わらずまぶたを閉じたままで、彼女は言う。

 生まれたときから、彼女に通常の視力は備わっていなかった。
 いま己の身を照らす陽光も、中庭を囲うたくさんの彫刻の群れも、彼女はその目で見たことはない。
 陽の光といえば暖かさで、神像はその指先で感じるものというのが、彼女の認識であった。

 だが、通常とは別の視界が彼女にはある。
 生きとし生ける者全てが発する光が、彼女には見えるのだ。
 実際、いまも目の前に立つ少女のことを、彼女は様々な色が絡み合った光の柱として認識している。
 足の下に広がる芝生はぼんやりと地面を覆う光の群れだし、その合間を這っている虫は小さな光点だ。

 人間のような感情の動きがあるものは色が混じり合った光となるだとか、活発なもののほうが光が強いだとか、様々な変化はあるものの、外形よりもその内からの光で世界を認識しているというのは間違いない。

 それ故に彼女は神子として選ばれ、敬われているのであった。
 彼女にとってはこれが当たり前なので、周囲がなにを重んじているのかよくわかっていないところはあるのだが。

「夢の……?」
「うん。本当は、夢をみたアティーヤの恐怖が、と言うべきなんでしょうけど」

 アティーヤを示す光の柱、その端に、少女が夢で感じた恐怖が黒くわだかまっているのを、彼女は指摘したのだった。

「少し触れてもいいかしら?」
「あ、はい」

 彼女の手をとるアティーヤ。すると、細い指がその手をきゅっと握り返す。
 途端、暑い日に清冽な谷川の水を浴びた時のようなさわやかな感覚がアティーヤの全身を襲った。

「どう?」
「な、なんだかすっきりしました!」
「そう。よかった」

 アティーヤを構成する光の彩りがさらに鮮やかなものになるのを見て、彼女は微笑んだ。

「アールセ様はさすがですね!……あっ」

 そこでアティーヤはあわてて仕えるべき神子の手に額を押しつけ、謝罪の意を示した。

「申し訳ありません、神子様」
「なにを謝るの?」
「お名前を直にお呼びするなど……」

 涙声の答えに、アールセと呼ばれた彼女はくすくすと小さく笑う。
 神殿では、特に名を大事にする。名前を知られるということは、呪術的に無防備になると考えられているからだ。

 民間ではほとんど廃れた風習ではあるが、神官たちは上位の者ほど名を秘すことを心がけ、周囲にもそれを求めた。
 アールセの名もヴィカラーラ神殿の奥勤めなら皆知ってはいるが、口に出すことは避けられている。

「そんなに気にしないでいいわ。もし名前を通じて呪いをかけようとしても、私には見えるもの」
「そうなんですか!?」
「ええ。だから、大丈夫」

 そう。彼女には見える。
 人の悪意という感情が、はっきりと。
 呪いが見えるかどうかはわからないが、それに付随する悪意はきっと見えるはずだ。

 ただ、果たして、それが良いことなのかどうか、彼女の中でも答えは出ていない。

「あ、ほら見て。なにか飛んでるわ」

 沈鬱になりかねない空気を振り払おうとしてか、アールセはその細い指を空に向けて持ち上げる。アティーヤもそれにつられて、空を見上げた。

「あ、飛行鯨ですね」
「鯨?」
「ええ。空飛ぶ鯨です」
「そう。鯨……」

 そう見えるのね、とアールセは口の中だけで呟いた。

 自分には聞こえない声で何事か言ったのを、アールセが飛行鯨を見るのが初めてで珍しがっているのだと解釈したアティーヤが、鯨について知る限りのことを話し始める。
 それに相づちを打ちながら、彼女はそれを見上げ続けていた。

 空を横切っていく炎の鳥の姿を。


                    †


 神聖連邦の領域と神界――南ロタリンギアとの間には、消失海と呼ばれる海が広がる。
 かつて『大いなる都』が存在したその場所は、まさに都の消失を経て海となり、南ロタリンギア――あるいはロタリンギア島――を大陸から隔絶させることとなった。

 その海域の半ばあたりまで来たところで、飛行鯨は奇妙に体を震わせた。
 まるでしゃっくりをするかのように震えた後で、唐突に体中から炎が噴き出す。鯨は瞬く間に炎の塊と変じた。
 その炎を突き破って現れたのは、先ほどまでの姿とは明らかに違う尖った印象の影。

 それまでの鯨を模したゆっくりとした飛行をかなぐり捨てて、それはとてつもない速度で空を駆けはじめる。

 アールセが炎の鳥と評したのもむべなるかな。

 全体的な印象だけで見れば、それは翼を後方に広げた巨鳥にも見えた。
 だが、まとうのは羽毛ではなく、金属とも鱗とも見えるなめらかななにかだったし、その推進力を生み出しているのも、翼ではなく後部からの噴流のようであった。

 どんなに飛ぶのが得意な飛竜であろうと追いつけないような速さで空を切り裂きながらぐんぐんと南下し、神界へと近づいていくそれ。
 そして、ロタリンギア島の海岸線が見えてきたところで、それは強力な信号を発した。

『こちら、空間戦闘艇カルラ317-4。巡航より帰投する。進入許可を求む』
『了解、カルラ317-4。誘導を開始する』

 すぐにやってきた誘導信号に応じて、空間戦闘艇カルラが進路を細かく修正する。
 指定された進入経路に乗ったところで、さらに艇に向けて通信が飛んだ。

『お帰りなさい、マハーシュリー』

 そうして、マハ・メル――すなわち神界の本拠地たる聖山は、任務を終えて帰投する一柱の女神を出迎えるのだった。
+注意+
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