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三界大戦記―好色皇子と三界の姫たち― 作者:安里優

第一部:人界侵攻・開戦編

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第15回:解放(中)

 子供の頃、宮廷でお互いを紹介されて以来、ユズリハは礼儀正しく殿下とスオウに呼びかけていた。
 それは、皇族である彼と、三大氏族の宗家の娘である彼女の立場からすれば、しごく当然のことであった。
 皇太子となってからは太子と呼ぶこともあったが、いずれにせよ、名で呼ばれるのは、これが初めてのことである。

 そんなことに気づいた彼が妙に動揺しているうちに、彼女は全ての衣服を脱ぎ去ってしまった。
 真白い膚をさらし、黄金の髪を揺らす、その姿。
 揺れる灯火ともしびがその体につける陰影が、彼女の肢体の持つ美しい輪郭をより強調する。
 それは佳人と呼ばれる女性を幾人も見た経験があるスオウからしても、ため息をつきたくなるような光景であった。

 ユズリハは自らの体に注がれる男の視線に籠もるものを感じ取ったか、恥じらいを込めた笑みを浮かべた。
 だが、その笑みにどこか喜色が混じっているようにも見えるのは、果たしてスオウの気のせい……否、思い上がりであったろうか?

「参ります」

 短い時間ながらしっかりと自らの裸身を見せつけた彼女が、一言告げる。
 すると、その金をとろかしたような美しい髪が波打った。まるで意思をもったかのよにうねり、ざわめき、その膚を這う。
 そうする度に髪は伸び、ついにはその膚を覆い尽くしてしまった。

 スオウは、金の髪がユズリハの全身を包み込んでも、それが膨張して一回り大きくなっても、そして、色を失いながら硬化を始めても驚きはしなかった。
 これより奇怪な獣化を行う魔族は多いからだ。
 獣化……そう、獣化だ。
 ユズリハは彼の眼前で獣化しようとしていた。

 ついに金の髪は完全に変色し、黒白こくびゃくに分かれてユズリハの変化した体を彩った。
 巨大な蜘蛛としか見えぬ形に変形した下半身は、闇のような漆黒を抱き。
 蜘蛛であるならば頭部がある場所から伸びる、人の形を保ったままの上半身は雪のような白に染まった。
 そのどちらもが、実在の蜘蛛のように毛をまとわず、陶磁器のようになめらかで硬質な表面を持っている。

「相変わらず美しいな、細蟹相ささがにのそうは」
「お褒めいただき光栄ですわ」

 応じるユズリハの声はくぐもって聞こえる。
 それもそのはず、彼女の顔もまた輪郭は残しながらも硬質の表面で覆われて、鼻も口も見えなくなっていた。目も宝玉のようなものに置き換わり、人間としての面影は無くなっている。

 だが、スオウの言うとおり、その姿は奇妙に美しかった。
 おそらく、膨らんだ腹部も、それを支える六本の脚も、そして、人形のような上半身も、全てが調和を保って整った印象をもたらすからだろう。

「ですが、お見せしたいのは、これではありませんわ」
「そりゃあそうだろうな」

 スオウは彼女の真の姿を知っている。
 知識としてだけではなく、実際に幾度も見たことがあるし、変身する過程も――頻繁にではないものの――見たことがあった。
 スオウを守るための部隊を率いる者なのだから、当然だ。訓練で見ることだってある。
 もちろん、わざわざ服を脱いで膚をさらしてからなどということはこれまでなかったが、それとて決定的なことではない。

 では……と彼が思考を進める前に、細蟹相を露わにした女は彼に迫っていた。
 その見た目よりはるかに俊敏な動きを特徴とする相であるが、まさか自分に向かってくるとは思ってもみなかったスオウは、そのまま寝台に押し倒される。
 気づいたときには、ユズリハが彼の体の上にのしかかるようにその脚を広げていた。

「恐れないのですか?」
「恐れる必要がどこにある?」

 彼女の体の下から見上げながら、スオウは笑う。
 一方、ユズリハのほうは表情を変えようがない。感情の動きはその声と仕草から感じ取るしかなかった。

「わたくしがそうしようと思えば、すぐに命を奪えますわ」
「そうだな。俺の相があってもな」

 だが、スオウはまるで心配していなかった。
 なにしろ、いまのユズリハなら、あえて攻撃に出なくとも、獣化していない彼を押しつぶすことなど造作もない。むしろ、のしかかるだけでかなりの圧力となる。
 それを必要以上に体重がかからないよう踏ん張っている気遣いようを見て、なにを恐れよというのか。
 彼女の真の姿を見上げつつ、素晴らしい形を描く乳房だ、などと思う余裕があるくらいだ。

「では、そのままお聞きくださいませ。わたくしが望めばいつでもスオウ様を弑することができる、このままで」
「ああ」

 なぜそんなことをしたがるのかはわからなかったが、スオウは彼女の声の真剣さに答えるため、真摯に頷いていた。

「わたくしは、実に恵まれた環境に生まれました。おそらくは、スオウ様、あなたよりも」
「そうかもしれないな」
「皇帝家は、なんといっても魔界の範となる方々ですものね。三大宮のほうが、よほど自侭じままに振る舞えますわ。でも、そんなことだけではなく……。わたくしは恵まれておりました」

 彼女は語る。
 望む物は全て手に入ったと。
 美しい宝石も、身を包む装束も、かしずく近習も、笑いあう友も、最高級の教育と教養も、望むだけ手に入り、失うことなどなかった。
 幸いなことに人並みの才覚を持っていた彼女は、黒銅宮の求める儀礼と知性の水準を満たし、世代を代表する花として存分に愛され、適度に甘やかされて、その少女時代を謳歌した。

 なぜだか哀しそうに彼女はそう語るのだ。

「スオウ様、わたくしと思宮……サラのことは聞いておりまして?」
「ああ、親友だと」
「ええ。ありがたいことにそうでした。それまでも宮廷ではお会いしておりましたが、かけがえのない友となったのは、校尉学校でのことでした」

 サラとユズリハは同年の生まれであり、校尉学校にも同学年として入学している。両者とも最小の年数でそれまでの教育課程を終えてのことであった。

「そして、サラを知るにつれ、彼女の傍で過ごすにつれ、わたくしは知りました。己の限界を、己の卑しさを、己の無能さを」

 ユズリハの言葉の響きは、スオウが口を挟もうとするのを許さない。彼はじっと彼女の告白を聞いていた。
 内容とは裏腹に、悲嘆や無念ではなく、穏やかな安心と共に語られるその言葉を。

「それを端的に示していたのは、校尉学校の成績でしたわ。わたくしが首席、そして、サラが次席。わたくしが優れているようにも見える評価ではありました。けれど、知っておりましたわ。他の誰でもない、わたくしとサラが知っておりました。その結果は、頑迷な教官たちに彼女を評価するだけの器がなかった故のものであると。わたくしは、伝統から外れなかったために首席を譲られたに過ぎないと」
「いや、しかしだな……」

 スオウの反駁は曖昧に消える。
 サラの発想が奇抜すぎて、首席を取り逃したと噂されていることは彼も知っていた。だが、噂される通りであったとしても、校尉学校の首席は単なる名誉称号ではない。
 ユズリハが首席を取るだけの結果を残したことは間違いないはずなのだ。
 それでも、それを説いたとして、彼女が受け入れるとはとても思えなかった。事実が、そのまま彼女の中の真実となるわけではないのだから。

「良いのです。わたくしはサラに出会うことで、ようやく己の分を知れました。自らの限界と、それと向き合う術を学びました。それは親友からの贈り物であると思っておりますわ。ですけれど」

 そこで、彼女の視線がすっとスオウに向かった。
 それまでも彼のほうを見ていたはずであったが、どこか遠く……過去を見ていたものが、いまの彼自身に向かったというべきであろうか。

「そんなわたくしの第一の友とも言える人物が膝を屈したのが、スオウ様」
「膝を屈した……のか?」
「ええ、そうですわ。もちろん、愛故にではありましたが、その愛情を決定づけたのは、あなたへの敬意です」
「敬意……」

 まさに紛れもない敬意を込めて語られるその言葉に、スオウは内心忸怩たるものを感じる。
 サラが彼に敬意を払ってくれていたのはたしかだが、本当に自分にそれだけの価値があるのか悩むこともしばしばだったのだ。

「スオウ様。サラやわたくしのような、名家と言われる家に生まれた女が、自らの伴侶とする相手を選ぶ時、ただ、感情だけに任せることなどありはしません。感情を肯定するだけのがなければ、どんなに愛していようとその愛は秘め続ける。それを、わたくしたちはたたき込まれておりますから」
「理、か」
「ええ。サラがスオウ様への思いをいつから抱いていたのか、それはわかりません。おそらくは、その思いを明らかにするよりずっと前からでしょう。そして、それを明らかにして良いと……自らの思いをぶつけて良いと彼女に覚悟させたのは、あなたへの敬服に他なりません」

 ユズリハの手が、スオウの胸にかかる。陶器のような表面を持つ指は、人の姿を取っていた時より長く鋭くなり、彼の心臓をえぐり取ることも容易たやすそうであった。

「そのことがわたくしにはよく……心の底よりわかるのですわ。そして、それを認識したとき、わたくしは、はじめてあなたを男として意識しました」
「光栄だね」
「そう先走ってはいけませんわよ、スオウ様? たしかに、わたくしはサラが選んだ男としてあなたを意識し、自らの伴侶の候補としても考慮の内に入れました。けれど、当初わたくしはあなたを選んだサラが、初めてわたくしでもわかるほど明々白々な誤りを犯したと思い込んでおりましたもの」

 それは、つまり、スオウがサラに愛を捧げられるにふさわしい男ではないと判断したということであろう。
 彼としては苦笑せざるを得ない言葉であるが、同時に疑問にも思う。

「では、なぜ俺の親衛隊に?」

 皇太子親衛隊の人選でスオウが望んだのは、ハグマの隊長就任だけだ。他は全て希望者からハグマとスオウが選抜した。
 ユズリハもスオウの親衛隊に配属を願った一人だ。
 取るに足りない男だと断じたのならば、なぜ、親衛隊への入隊を求めたのか。
 彼女は、その疑問にはっきりと答えた。

「あなたがサラに、そして、帝にふさわしくないならばこの手で弑逆するためですわ」
「俺を殺すために親衛隊に? また恐ろしいな。特にユズリハの場合は」
「そうでしょうとも。わたくしの毒ならば、人の姿のスオウ様を痺れさせることもできましょうから。そうなれば後は難しくありませんもの」
「魔界の皇帝家は暗殺できないってのが売りの一つなんだがな」

 軽口のように言うスオウに、ユズリハは小さな笑いで応じる。しかし、彼女が彼を狙って殺せるというのは事実であろう。
 黒銅宮の歴史の中でも、ユズリハの毒の強さは飛び抜けているのだ。
 だが、殺せるというなら、いまも同じだ。
 それなのに、彼女がそんなことをしそうな気配はまるでない。

「いまはそんなつもりはなさそうだな?」
「……そうですわね。そんな気持ちは消え失せてしまいました」
「なぜ、と聞いていいかな?」
「スオウ様。尋ねるならはっきりと、ですわよ?」

 真剣な中にも己の姿勢を崩そうとしないユズリハに、むしろ楽しげにスオウは尋ねなおした。

「ユズリハが俺を認めたその理由はなんだ? 俺になにを見出した?」
「あなたが前を向いていたからですわ」
「前?」
「未来だけを見ていらした。……少なくともサラが生きていた頃は」

 魔界には過去を見る者ばかりがおりましたもの、とユズリハは嘆息するように言った。

「それは……」

 大規模な災害や内乱を経験してきた魔界が、まず復興――過去の状態の回復を求めるのは、自然のことわりであろう。
 新しいものよりも、かつてあったものを取り戻したく思うのが、まず先だ。
 だが、その中でスオウは未来を見ていた。見ることが出来た。
 サラが生きていた頃には、それが出来ていた。
 彼女はそう言うのだ。

 ああ、とスオウは声には出さず賞嘆の息を吐く。
 ユズリハは、いま、彼自身定かにはわかっていなかったものを明確に示してくれた。
 サラが彼に見出し、彼に託し、彼に望んだものを。
 そして、自らの内で眠っていたものを。
 だが、同時にそれは、失ったものの大きさも思い出させる。

「それは、きっと、サラが現在いまを見ていてくれたからだろう」
「ええ。あなたとサラは理想的な伴侶だったと思いますわ」

 埋めようのない喪失感と共に男が吐き出す言葉を、女は優しく受け止める。男の眉間の皺が解けるまで、彼女は辛抱強く待った。

「それと、もう一つ」
「うん」
「あなたはわたくしを自分のものとして……あなたに属するものとして求めてくださいました」
「……この間のことか?」

 スズシロたちの前で、俺のものを取り戻すと宣言し、直接にも俺の大隊長と呼びかけた過日のことを思い出し、スオウは確認する。
 だが、その様子にユズリハはくすくすと笑い始めた。

「さて、それだけでしょうか?」
「え? 以前からそうだったか……?」

 謎めいた言葉をもらすユズリハに、動揺しきりのスオウ。そんな彼に、ユズリハは小首を傾げるようにした。

「逆に問わせていただきますが、わたくしを助けてくださったあの時のお気持ちは、どのようなものだったのでしょう? お言葉とは異なる思いがありましたの?」

 スオウは己の心の中をのぞき込み、そして、はっきりと答えた。

「いや。それはない」
「安心いたしました」

 本気で安堵の息を吐き、ユズリハは宣言するように言葉を紡いだ。

「わたくしは、姫として生きてきました。その生の中で、わたくしは常に求める側であり、与えられる側でした。わたくしを求めてくださったのは、サラとスオウ様、あなた方二人だけ。サラは友として、スオウ様は……」

 そこで一度言葉を切って、彼女は息を吸った。

「わたくしは、あなたのものでありたいのです」

 そして、その言葉と共に、彼女の体が裂けた。
 いや、裂けたように見えたのは、その陶器のような外殻であった。硬くなめらかに見えたそれが一気に解けて黄金をとろかしたような髪へと変じる。
 巨大な蜘蛛はあっという間に縮んで、美しい人の裸身へと戻った。

 彼女は自らの獣化を解いたのだ。
 一方で、スオウはあからさまな驚愕の感情を顔に貼り付けている。

「……わかってないわけがないよな。目の前で獣化を解く意味が」
「はい」

 人の姿に戻ったユズリハは、スオウの体の上で頷く。金の髪がその素肌の上でゆったりと揺れ、柔らかな太ももは彼の腹を締め付けている。
 だが、スオウはそんな蠱惑的な光景に目を奪われるより前に、彼女が獣化を解いたそのことに意識を向けていた。

「わたくしは、あなたに全てを捧げます」

 ユズリハの言葉は、誠があるかどうかもわからない閨の睦言などではない。
 それは、いまの状況を端的に示す言葉そのものだ。

 魔界において、獣の相は、魔族の真の姿であり誇るべきものである。
 それ故、仮の姿である人の形態カタチから、獣の相をあらわす獣化は、人前でも自然に行える行為である。
 逆に、獣の相を収め人の姿を取ることは、非常に私的かつ密やかに行うべきこととされていた。
 ユズリハたちの救出時において戦闘行動を行った後でさえ、陣幕を張り、人の姿に戻る様をお互い見なくて済むようにしたのはこのためだ。
 親兄弟ならばともかく、近しい親族間でもためらわれる行為を、密室で、しかも男女の間で行う。
 それは、本当の意味で相手に自分を捧げることを意味するのであった。

「最初に申し上げましたとおり、これは、わたくしの選択です。煩わしい全ての立場から離れ、自由に……自らの欲求のみに従えるいまだからこそ誇りを持って下せる、わたくしだけの決断ですわ」

 心底誇らしげに彼女は宣言する。
 この行為に一切の打算が混じっていないことを。
 たしかに、黒銅宮の立場や彼の地位を無視して、単純に感情だけから決断を下せるのは、こんな状況でもないと難しいだろう。
 だが、あまりにも大胆な行動でもあった。

「まったく……。いまどきは、婚姻の儀からも省かれてるようなことを」
「あら。では、サラは見せませんでしたの?」

 にこにことなにかをやり遂げたかのような充足感に満ちあふれた顔で尋ねるユズリハに、スオウはおしだまる。
 しばらくして、彼は別の言葉を口にした。

「後で、俺のも見せてやる」
「……はいっ」

 驚いたように目を見開き、次いでくしゃりと顔を歪めるユズリハ。彼女の目尻にはすでに涙が浮かんでいた。
 だが、空気が湿っぽくなる前に、スオウの手がユズリハの膚に伸びる。

「その前に」
「きゃっ」

 あっという間に持ち上げられ、体勢を逆転されるユズリハ。自分を押し倒した後、そのまま膚を這う指に、彼女は驚きと共に期待のこもった熱い吐息を漏らした。

「まずはこちらを堪能させてもらうかな。……俺のユズリハを」
「お心のままに」

 彼の体にすがりつくようにしながら応じた声は、すでに情欲に濡れていた。
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