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三界大戦記―好色皇子と三界の姫たち― 作者:安里優

第一部:人界侵攻・開戦編

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第14回:解放(上)

 翌日も最高幹部たちによる会議は行われたが、はかばかしい進展はみられなかった。
 唯一、ナギが聞いた黒銅宮の者たちの会話から、今回の謀反において南北の格差による対立を煽っている者たちがいるであろうことが推察されたくらいであろうか。

 しかし、それとても、魔界本土との接触が不可能な状態ではなんの役にも立たない情報であった。
 魔界にある九氏族のうちいくつかが、あるいは――さすがになさそうなことではあるが――黒銅宮以外の全ての氏族が今上帝の側に立っていたとしても、魔界の外にいるのでは、その勢力と連携することも出来ない。

 結局は、どうやって魔界へ戻るかという問題に立ち戻ることになる。
 しかし、それが容易ではないことは、すでに明らかであった。
 結局、議論が同じことの繰り返しになったところでスオウが散会を命じた。

 むっつりと黙って天幕を出て行く太子の後を、スズシロが追う。彼はちらりと自分についてくる参謀のほうを見たが、なにも言わず己の天幕の一つに向かった。

「何の用だ?」

 どさりと身を放り投げるように座るスオウ。普段なら必ず同席者にも座るよう促す彼が、いまはそんな気も回らぬようであった。

「お話をしたいかと思いまして」
「愚痴を言えとでも?」
「それでも結構です」

 下からにらみつける視線を、真っ向から受け止めるスズシロ。二人の視線はしばらくぶつかり合っていたが、先に逸らしたのは男のほうだった。

「以前、俺に聞いただろう」
「はい?」
「俺がなにをしたいかと」

 スズシロの視線が記憶を探るようにさまよい、次いで、思い当たったか顔をこわばらせる。

「それは……その。あのときは、興奮してあらぬことを申し上げてしまい、まことに……」
「いや、あのときスズシロが言ったことはけして間違ってないんだ」

 顔を青ざめさせるスズシロとは対照的に、スオウの表情は柔らかい。先ほどまでの不機嫌さもどこかにいってしまったかのようだった。

「俺は、サラの遺志を継ぎたかった」

 そこで、彼は悪戯っぽく笑う。

「ずっと昔は、もっと……そうだな、馬鹿みたいな夢を持っていたものさ。けれど、現実を知り始めると、そうはいかない」

 統一された政体を持ち、強力な軍を擁しながら、疲弊している魔界という社会。それは、けして『双子の悪魔』だけがもたらしたものではない。
 それまでもそこにあったはずの物事を、皇太子という立場を得て、彼はようやくのように実感した。
 そして、帝の娘という立場で生まれてからずっと過ごしていたサラは、そのことにもっと前から気づいていたのだ。

 そう、彼は語る。

「問題のない社会なんてものはない。どんなに恵まれていようと……いや、恵まれているならその状況を保つためにこそ努力は必要となる。しかし、魔界はそんなことも出来なくなっていた。過去の災厄に囚われ、それを言い訳にしてな」

 スオウはぐっと拳を握って続けた。

「サラは、魔界をよくしたかった。大きな変化か、ほんの小さな事か、その区別無く、彼女はより良い世界を望んだ。今回の襲撃行もそのための行動だ」

 真龍という好敵手に対して戦果をあげ、民に魔界の復活を意識させること。今回の襲撃の大目標はそれだった。

「人界や真龍にとってみれば迷惑な話だろうがな」

 侵略行為で民を鼓舞することの是非については、様々な考えがあるだろう。だが、サラもスオウもそれをやり遂げるつもりであった。
 過去の悲劇に浸りきっている魔族の目を覚ますために。

「だから、スズシロの言うとおりに……。俺は自分の意志というよりは、サラの後追いで世界を良くすることを望んでいたわけだよ」

 だが、その目論見は破綻した。
 真龍は人を守ることを放棄し、スオウたちは本土から切り離された。
 もはや、彼らの戦いの意味を伝えることは出来なくなってしまった。

「どうやら俺は失敗したようだ」

 手を開いたり閉じたりを繰り返しながら言うスオウの顔は、寂しげな笑みに彩られている。スズシロはその表情が悔しくてたまらない。

「諦めるのが早すぎはしませんか」
「では聞くが、魔界に戻るのに何年かかる?」

 彼女は言葉に詰まった。
 現状の戦力で鳳落関を抜けるのは現実的ではない。
 では、どうするか。

 大山脈の中でこれまで知られていない魔界への抜け道を見つけるか、造船技術を磨き海に乗り出すか、あるいは、より強大な戦力を得るか。
 スズシロの意識にある案はそれくらいだ。

 そのどれもが困難な道であり、かつ時間も必要とする。

「……八年、いえ、十二年」
「そんなものか。俺の予想よりは早いが、それでもかなりの時間だ。それまで、兵の心が保つと思うか?」
「それは……」

 魔界の情勢は、現時点で予想がつくものではない。政変というのは、その動きを制御しにくいものだ。
 ことに謀反となると、人心は乱れるし、当初の叛徒だけではなく、簒奪を狙おうとする別の勢力が出てきたりすることもある。
 それをきっかけに長い内乱に陥るなどということも考えられる。

 だから、魔界での乱がいつまでに収束するかなどということは考えてもしかたない。下手をすればすでに大勢が決してしまっているかもしれないのだ。
 思い悩んでもしかたないことは考えないのが一番だ。
 けれど、考えてしまう。
 魔界に戻る努力をしている兵たちは、常に考えてしまうだろう。いましている努力は果たして意味のあるものなのだろうかと。

 故郷に戻りたいという気持ちは確かにあるだろう。
 だが、ここにいるのはスオウの……皇太子の親衛旅団に属する者たちである。
 謀反の起きた魔界に戻るとなれば、否応なく帝位継承の争いに巻き込まれざるを得ない。
 魔界に戻った途端、すでに全土を掌握している僭主勢力に迎撃され、攻め殺されるなどということになっては、完全なる無駄死にである。
 魔界の様子を知ることの出来ない彼らには、その不安がつきまとう。

 そして、無駄になるかもしれない努力を年単位で続けられるほどには、魔族の心も強くはない。

「最初はいい。俺も希望を見せ続けるよう努力しよう。さて、それでいつまで続くだろうな」
「確実なことは……」
「そうだろう?」
「しかしっ……!」

 勢い込んで言葉を発しても、その後が続かない。スズシロは強く唇を噛みしめた。

「結局、俺は魔界に拒絶されたのかもしれんな」

 しばらくの沈黙の後、スオウがぽつりと呟いた。その声の力の無さにスズシロの背筋を冷たいものが走った。

「違います! それは違います!」
「いや、すまん。これは馬鹿を言った」

 必死の否定に、スオウはぱたぱたと手を振る。だが、果たして、彼が本気で思い直してくれたのか、スズシロには自信がなかった。

「まあ、それ以前の問題もあるがな」
「それ以前、ですか」

 ともあれ、会話を続ける気はあるようだった。スズシロはそのことにすがりつくような気持ちで、彼に応じていた。

「本土からの補給はもうない。二千人をどう喰わせていく?」
「それについては、エリを通じてショーンベルガーと交渉を始めています。街からの供給がうまくいくかどうか、長期的にはどうかなどという問題は今後考えていくとして、ひとまずこの数ヶ月を乗り切るための食糧は得られるものかと」
「そうか。代価は?」
「なんらかの工作で必要となる場合に備えて、人界で通用するものも用意してあります。まずはそれで」
「ふむ」

 スオウはそこで立ち上がると、自分が座っていた椅子の座面を跳ね上げた。ごそごそと中身を探って、一つの木箱を取り出し、スズシロに手渡す。

「では、これもその足しにしてくれ」
「これは?」

 彼女はそれをこわごわと受け取った。なにしろ箱には美しい螺鈿細工が施され、値打ちものだと見ただけでわかるのだ。

「あけてみろ」

 言われたとおり、ゆっくりと箱をあけてみる。そこには、外装の螺鈿細工をはるかにしのぐ宝飾品の数々が詰め込まれていた。

「な……。これは、さすがに……」
「いや、それは、元々今回の襲撃行の論功行賞に使うはずだったものだ。軍費の一部さ」
「それは……」

 今回の襲撃行では、占領も略奪も予定されていない。実際、ショーンベルガーを囲んで得たものはない。
 土地や資産を配分できない以上、別の形で褒美を与える必要があった。軍の中での評価とはまた別に。
 そのために用意していたのがこれなのだろう。先例にならえば、そういったものを負担するのがスオウであるというのは間違っていない。

「……わかりました。ただ、こちらでの相場を見定める必要がありますので、しばらくは預かるだけになりますが」
「良いようにしておいてくれ」

 それだけ言ってスオウは黙り込む。
 自分の思考の中に入ったその様子に、しばらく立ちつくした後、スズシロはこの場で話し続けるのを諦めた。

「では、そのようにいたします」
「うん」
「最後に一つだけよろしいでしょうか」
「なんだ?」
「殿下が……ずっと昔に抱いておられた『馬鹿みたいな夢』とはなんだったのですか?」

 スオウは虚を突かれたようだった。
 口を閉じきらない呆けた顔をしばし見せた後で、彼は悪戯っぽく唇を歪め、こう言うのだった。

「この大陸を一つにすることだよ」

 スズシロはすっと目を細め、彼の言葉を確認する。

「……魔界、人界、神界全てを統一するということですか?」
「その通り」
「なるほど」
「笑わないのか?」
「笑って欲しいのですか?」

 表情を変えずに小首を傾げるスズシロに、スオウはなんとも言えない顔つきになった。

「まあ、たいていの奴は笑ったからな」
「しかし、七百五十年前も、七百年前も、四百五十年前も、我々はそれに挑みました」
「ああ、七百五十年前も、七百年前も、四百五十年前も俺たちは失敗した。当時は真龍の力を得ていたのにな」

 それに、と彼は続ける。

「俺が大陸の統一を望んだのは下心あってのことだからな」
「下心ですか?」
「ああ、統一の余録として、大陸中のい女をことごとくものにすることさ」
「なるほど」

 先ほどと変わらぬ反応を示すスズシロに一つ苦笑して、彼は退出を命じた。
 追い出されるようにして天幕を出たスズシロは、直前に見たスオウの顔が妙に照れたような表情をしていたことを思い出し、淡く微笑む。

 それから、誰にも聞こえない声で、そっと呟くのだった。

「実にあなたらしい夢だと思いますよ、スオウ様」


                    †


 その次の軍議は前日までと比べて極端に早く終わった。

「無意味だな」

 そうスオウが言い放ったために。
 結局、彼はそのまま席を立ってしまったし、今度はスズシロも追いかけなかった。
 ろくな進言ができないことを、スズシロも、そして他の面々も重々承知しているのだった。
 結局、彼らは先の見えないまま、雑務に没頭するしかない。

 そんな中、ユズリハがスオウの天幕を訪ねたのは、もう夜も更ける頃だった。

「お礼にうかがいました」
「礼?……まあ、寝床を作ってしまったが、それでいいなら入るといい」

 そんなことを言い交わして、天幕の中に招き入れられるユズリハ。

 スオウの言葉通り、天幕の中には、布で覆われた寝台があった。
 通常、兵たちは天幕に敷かれた分厚い絨毯にそのまま寝転がるか、折りたたみの木の寝台を用いる。余裕のある者はその際に用いる夜具に凝ったりするかもしれない。
 ユズリハやスオウほどになると、昼間は椅子として使っている長櫃などの収納家具を並べて寝台を作る。座面に綿が詰められているため、十分役目を果たせるのだ。

 スオウは、寝台としては使っていない椅子をユズリハに勧め、自分は寝台に腰掛けた。
 天幕の派手な彩りの中でも負けぬほど美しい金の髪がふわりと揺れ、彼女は椅子に体を預ける。ただそれだけの動作であったが、実に優雅な動きであった。
 スオウの目を引くほどに。

「そうそう。こんなものもありますの」

 言いながら、自分の荷物から陶器の瓶を取り出すユズリハ。瓶そのものは何の変哲もないものだったが、その封印にはスオウも見覚えがあった。

「ほう。翡翠氏の蜂蜜酒か」

 蜂蜜酒は魔界の各地方で作られるありふれた酒である。
 だが、主に高山地帯に生きる翡翠氏が育てる蜂とそれらが集める蜂蜜は魔界でも格別の美味さで知られていて、なによりも蜂蜜酒にした時に抜群のまろやかさを発揮する。
 宮廷ならばともかく、出陣先ではなかなかお目にかかれる代物ではなかった。

 スオウは喜んで二人分の杯を用意した。
 瓶を受け取り封印を割って、スオウは手ずからユズリハの杯に酒を注いだ。

「スオウ様に注いでいただくなどもったいないですわ」

 言いながら、ユズリハの口元は艶やかに微笑んでいる。彼女もスオウの杯を満たし、二人は揃って杯を掲げた。

「わたくしを解放してくださったお礼に」
「そうだな。ユズリハを無事取り戻せた祝いに」

 言い合って、共に杯を呷る。豊かな香りときつすぎない甘みが二人の胸に広がった。

「そうは言っても、俺の行動が正しかったかどうかは怪しいもんだがな。ユズリハにとってはありがた迷惑だったかもしれん」
「あら。わたくしが虜囚の身のままのほうがよかったと?」

 スオウが苦笑しながら言うと、女はからかうように応じた。男のほうはそれに対して存外に真剣な顔になる。

「そうは言わない。言わないが、黒銅宮の中にあれば、ユズリハの立場も生かせるだろう。いくらあの馬鹿兄貴の母が策動していても、本家をひっくり返すほどの力は……いや、度胸があるまい」
「まあ、クコさんは黒銅宮内では無茶なことはやらかさないでしょうね」

 スオウにとっては父を同じくする兄の母であり、ユズリハにとっては有力な分家の人間であるクコのことは、二人ともよく知っている。
 険のある女ではあるし、欲深な人物ではあるものの、既存の秩序を破壊できる性質ではなかった。
 良くも悪くも氏族主義にどっぷりはまり込んでいる女であった。
 だからこそ、彼女を通じてメギたちはその実家である黒銅宮青銅部の協力を取り付けたのであろうが。

「わたくしを確保しようとしたのも、名目では『保護』でしょうから」
「軟禁しておいて協力を求めるというのもひどい話だがな。丁重な扱いはされたろう」

 実質的に人質ではあっても、あまり蔑ろにはできないし、たとえば他の分家の人間と会わせろという要求を拒むこともできなかったろう。
 無体なことをすれば、他の分家がそっぽをむきかねないからだ。

「だからこそ……。お父上だけでは、片手落ちだろう」
「男は政、女は祭。たしかに両輪そろってこそではありますね」

 男は政、女は祭を担う。
 魔界での氏族主義において、よく使われる言葉だ。
 個々の家において、家の顔である男が周囲との関係を築き、女は祖霊を祀り、家の中を取り纏める。
 これが氏族という集団に発展した場合、氏族の代表者として選ばれる有力者たちが地域や魔界全土の政治に関わり、その有力者たちの祖母、母、姉妹、娘などが氏族内部を統括するという構図になる。

 ただし、現代の魔界においては、男女の役割は区別が厳しくない。
 実際には、氏族の統括者と対外担当者が異なるというのだけが実状であって、男女どちらがそれに関わるかは、氏族内の――といってもたいていは姻戚の氏族までを含む――力学によることになる。

 黒銅宮の場合は、伝統を重んじる氏族の流儀もあって、ユズリハの父が当主として氏族を代表し、その娘であるユズリハ当人が祭事を担当することとなっている。
 だが、現状、ユズリハの身は魔界の外にある。彼女の父にとってもそれは痛手であろう。謀反に対してどんな立場を取るにしろ。
 そんなことを考えれば、ユズリハは黒銅宮の中で動くべきだったのではないか、とスオウは懸念しているのだった。

 しかし、彼女自身の思いは違った。

「けれど……わたくしはこれでよかったと思っております」
「しかしだな……」
「スオウ様」

 なおも言いつのろうとするスオウを遮って、彼女は彼の名を呼んだ。その声音の真剣さに、スオウは目を見張った。

「わたくしが、お礼にうかがったのは、叛徒たちの手から救っていただいたことだけではありませんのよ」
「どういうことだ?」
「わたくしが、本当の意味で解放されたそのことについてですわ」

 スオウは口をつぐんだ。彼女がなにを言っているか慎重に判断したかったこともあるが、それ以上に、普段の彼女とはかけ離れた強い意思を示すその瞳に気圧されたからでもある。

「わたくしは……いえ、わたくしたちは、いま全てを失って、ようやく解放されました。わたくしはそのことを哀しく思います。けれど、一方で喜ばしく思うのです」

 頼るべき者たちと、あるいは守るべき者たちと、彼らは切り離された。それをユズリハは喜ばしいと言う。
 彼と並んで魔界きっての貴種と言ってもいい彼女の言葉を、スオウは静かに聞いていた。

「わたくしたちは、生まれて初めて自由を手に入れたのですから」
「自由だと?」

 スオウは、熱っぽく語る目の前の女の真意を測りかねていた。
 いま、このとき。全てから切り離されたこのときが、自由とは。

「ええ、自由です。スオウ様」

 ユズリハは蜂蜜酒で喉を潤して続けた。

「皇帝家の血を引くあなたも、黒銅宮宗家のわたくしも、生まれた瞬間から自由な時などありはしませんでした。その全ての行動はわたくしたちのものであって、わたくしたちのものではない。皇帝家の、あるいは黒銅宮のものでしたわ。違いまして?」
「それは……」

 スオウにも、彼女の言わんとすることはわからないでもなかった。貴種たる彼らの行動は、どんなものであれ政治的にならざるを得ない。
 会話一つとっても、約束と受け取られかねない。
 散歩をしようとするだけで、兵たちに警戒を頼まねばならない。
 会う人間は選別され、食物は毒味なしにはその手に届かなかった。
 皇太子になってからはともかく、次男である彼よりも、一人娘のユズリハのほうがその度合いは強かったであろう。

「忌々しくもあり、当たり前でもあり……受けるべき利益と秤にかければ、しかたのないことでもありますわ。それは、ようくわかっております。けれど、スオウ様」
「うん」
「いまこそわたくしたちは自由なのですわ。全てを失い、全てから切り離されたいまこそ」

 懸命に、けれどほがらかな表情で語りかける女の顔をじっと見つめ、スオウはしばし考え込んだ。
 それから、意を決したように尋ねかける。

「ユズリハの言うことも一理あるのだろう。俺もユズリハも、生まれて初めて自分の……自分だけの意思で動ける状況にあるのかもしれない。そう、常に責任を負わされてきた身としては初の体験と言えるだろう。だが、それでどうなる? 魔界のほうで俺たちを棄てたのだから、魔界のことなど気にせず生きろと?」
「ああ、違います。違いますわ、スオウ様」

 難しい顔をしているスオウの気持ちをほぐそうとしてか、普段よりもさらに華やかな笑顔を浮かべるユズリハ。
 言葉を継ぐために唇をなめる仕草が妙に美しくかわいらしく、スオウは真剣な話の途中だというのにやけに心惹かれた。

「これはわたくしの、これからの……いまこれからの行動のもといをご理解いただくための言ですわ」
「行動?」
「はい」

 ユズリハはくいと杯を乾すと、軽やかな動作で立ち上がり、もう一度彼にほほえみかるとこう言うのだった。

「見ていてくださいませ、スオウ様」

 言いながら、彼女は身につけた衣服に手をかける。一枚一枚、美しい刺繍や装飾で彩られた布たちを、自らの手ではぎ取っていくユズリハ。
 そうしながら、彼女の瞳はずっとスオウを見つめている。

 ふと、スオウは気づいた。
 この天幕に入ってから、彼女が自分のことを、太子や殿下ではなく、『スオウ様』と名で呼んでいたことに。
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