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三界大戦記―好色皇子と三界の姫たち― 作者:安里優

第四部:人界侵攻・征西編

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第20回:修羅

 ネウストリアに暮らすということは、その地に繁栄する生物群と関与し続けることを意味する。
 共存するにせよ、駆除対象と見なすにせよ、異常とも言える生命力を持つ植物や昆虫たちと関わらずに生きていくことは出来ないのだ。

 そもそも、ネウストリアにおいては、黒森からあふれ出た後、様々な変化と発展を経て、ありとあらゆる生態的地位を得たネウストリア種こそが主であり、人や獣人など間借り人に過ぎないのだろう。
 当の人間たちがどう思っていたとしても。

 それでも、人は生きていかねばならない。森を切り開き、森と戦いながら。

 たとえば、ネウストリア中央部の都市ピュットリンゲンに住まう女性ベルタの朝はこうして始まる。
 夜明けの光に目を覚まされた彼女は、隣室にいるはずの同居人を起こさぬよう注意しながら台所へ向かう。
 そこで湯を沸かし、身支度を調えてから、さらに大きな鍋で湯を沸かす。そこに投入されるのは塩と石鹸だ。

 分厚い革の手袋と前掛けを身に着けて、どろどろに煮込まれた鍋を持って外に出る。なかなかに重いはずであるが、ベルタは成人女性としても大柄とは言えぬ体で、軽々と持ち上げていた。
 家の外に出て、鍋を置くと、金柄杓で中のものをそこら中にまきはじめる。ことに壁周りの土には丁寧に土に染みこませていった。

「今日は多めかな……」

 家の四方を回りきる前に、彼女は何箇所か草が土を突き抜けて顔を出していることに気づいた。
 毎日塩と石鹸をまいているというのに、ネウストリア種の植物はしぶとく根を張り生長するのだ。

 それでも町外れのこの家では、塩をまけるだけましである。都市の中心に近い場所では塩をまくことは禁じられ、除草のための高価な薬剤を購入しなければならないのだ。

 都市の外周に田畑の存在するアウストラシアの都市とは異なり、ネウストリアでは伝統的に中心部に耕作可能な土地や水源を囲い込み、周辺に都市を広げて森から守る方策を採っている。
 そのため、都市の中心は畑の近傍となり、有用な作物をも枯らしてしまう塩の使用は禁じられているわけだ。

 ベルタには、塩に代わる効果を持つ薬剤を購入するだけの経済力が無い。
 だからこそ、町外れのぼろ家に住み、昔ながらの塩と石鹸で対処するしかないのだ。
 そうしてもなお繁茂しようとする草木に対しては、もはや人力でなんとかするしかない。

 家の周辺に生えた植物は、根ごと掘り起こして焼き捨てる必要がある。そうしなければ、いずれは家の基部を侵食し、土台を傾かせてしまうのだ。
 中身の無くなった鍋を台所に戻し、代わりに鎌と円匙を持って、ベルタは出てくる。

 家を守るための日課は、まだまだ続くのだ。

「ふう」

 根っこから掘り出した草をまとめたところで、ベルタは汗を拭う。作業の合間も同じようにしていたのだろう。まだ少女のあどけなさが残る頬に泥で何重にも線がひかれていることに、当人は気づきもしない。
 同じように家周りの除草をしている近隣の住人にもそのままの姿で挨拶をしているが、あえて指摘する者はいなかった。年若い彼女の粗相を、皆にこやかに見守っているのだろう。

「汗かいちゃったなあ」

 年頃の女性としては汗臭い格好でいるのは耐えがたいだろう。彼女は着替えようと家に入った。どうせしばらくすれば仕事着に着替えて出掛ける必要もあるのだ。

「お嬢様!」

 家に入ると、同居人の老人が声をかけてきた。
 聞くほうがびっくりするくらいの大声を彼が出したのなど、いつぶりのことだろうか。
 彼女はそんなことを考えながら、小首を傾げる。

「どうしたの、じいや」
「どうしたのではありません! ああ、もうこのように汚れて!」

 じいやと呼ばれた老人は急いで布をとると、彼女の顔の泥を拭う。その動きはいまだかくしゃくとしたものだ。
 だが、ベルタは頬に触れる優しい感触を楽しみながらも、どこか寂しさを感じる。
 ずっと昔はずいぶんと大きいと感じていた男の姿は、いまはどこか縮んでしまったようだ。

 それは彼女自身の成長を意味することでもあろうが、それ以上に老いを感じさせるものだ。腰が曲がり、筋肉が落ちるのは、致し方ないことなのだろうが、やはり寂しい。

「しかたないじゃない。土をいじっているのだから」
「それでもです! ああ、そうではありませんでした」

 老人は体を離すと、台所の卓の上に置いてあったものを手に取り、ベルタに示す。

「お嬢様。これはなんですか?」
「ああ、それ。しばらく前に届いていたのだけれど、手の込んだ悪戯をする人もいるものよね」

 老人が握っているのは、一通の書簡だ。
 宛先はベルタであるが、内容はとてもまともに考慮出来るものではなかった。

「悪戯であるはずがないではないですか!」
「そうかしら。西方連盟がどうとか書いてあるけれど、とても私にはまともな話には思えないわ。悪戯でなければ詐欺師のやり口じゃない?」
「お嬢様」

 老人は生真面目な表情を保ちながら、ゆっくりと首を振る。

「たしかに、なぜこのときにという話ではあります。しかしながら、お嬢様はカライ王家最後の一人なのですよ」
「うん。そうね」

 なんでもないことのように、ベルタは応じた。
 ベルタ・スヴァルガパティ。それが彼女の名前だ。
 ソウライとカライの二カ国が魔界への障壁として建国されたとき、両王家には、偉大なる雷帝の名がそれぞれ与えられた。

 ソウライはインドゥーラ。
 カライはスヴァルガパティ。

 この姓を名乗ることが出来るのは、両王家の中でも継承権を持つ者のみに限られると、神託によって定められたその名。
 その名を持つベルタは、たしかにカライ王家の末裔である。

「だけど、もうなんの意味もないでしょう。カライの血なんて。民に見捨てられた王に、なんの意味もないわ」

 都市国家が自立して王権がほぼ無視されつつも、ひとまず王家自体は存続したソウライと異なり、カライ王国は血塗られた末路を迎えた。

 魔界の侵攻が無くなり、時を経るにつれ、カライ王家は疑心暗鬼に囚われる。定期的に繰り返された侵攻がないのは、大々的な本格侵攻に備えるためだと考えたのだ。
 危機感を覚えた彼らは、自国の軍備増強にひた走る。

 当然、それは民の反発を招いた。
 魔界の侵攻が無くなった本当の理由――二つの火山の巨大噴火――がもたらした異常気象により不作に苦しめられている状況で、軍備にばかり金をかけるようになれば、どうなるか。
 困窮は進み、その上で働き手は兵に取られる。
 都市を守るため、木々を刈り取る人手すら足りなくなって、民は限界を迎えた。

 やぶれかぶれの蜂起はあっという間に国中に広がり、貴族勢は早々に蜂起軍になびいた。自らの領地よりも財産を守ることに重きを置いたのだという。
 そして、民の怨嗟は王家が一身に背負うこととなる。

 最初の蜂起よりわずか半年足らずで王都が攻め落とされ、王族のほとんどは処刑された。
 唯一見逃されたのは、当時三歳の男子一人のみで、これがベルタの曾祖父にあたる。

 一応は、父の代まではカライ侯として各都市からわずかな捨て扶持を与えられ、食べるには困らない程度の暮らしをしていたのだが、父が亡くなりベルタ一人となってからは、その支給もない。
 細かいところはベルタにはわからないが、おそらくは貴族としての処遇も無くなっているはずだ。

 もはや、ベルタはただの町娘だ。いや、無駄に家名があって結婚も難しいくらいなので、町娘にも及ばないかもしれない。
 だが、そんな認識はベルタの側だけだったようだ。

「なにを仰いますか」

 カライ侯亡きあとも唯一ベルタに付き従った執事である老人――テオバルトは、憤慨したような表情で彼女に語り掛ける。

「いかに王家の悲惨な歴史があったとて、王族の血は王族の血。そこに価値を見出す者はおるのです。たしかに、この書簡に書かれていることは普通ならありえないことです」

 しかしながら、と語気を強めて老人は続ける。

「それでも、お嬢様はカライ王家最後のお一人。ネウストリアでは担ぎ上げるに値する歴史を持つ血族なのです」
「まあ、そうかもしれないけれど……」
「もちろん、担ぐほうとて狙いがあるでしょう。お嬢様を利用しようともしているでしょう。それでも、これはカライ王家が再び表舞台に出られることを意味しておるのです……!」

 老人の言葉は、最後は嗚咽に紛れてしまっている。ベルタのこれまでを思ってか、あるいは逆にこれからを思ってのことか。テオバルトの目の端には涙が光っていた。

「そうね。じいや」

 ベルタはしばらくしてから、なだめるような声をかけた。

「もし、それが本当ならば、考えてみる価値はあるかもしれないわね。だから、まずはその裏を取らないといけないと思うの」
「おお、お嬢様!」

 老人はぱっと顔を明るくして、すぐにまじめな顔つきに戻った。

「昔の知人をあたりましょう。このテオバルト、まだまだそれなりの伝手はあります」
「そうね。頼りにしているわ」

 にっこりと明るい表情を老人に向けて、ベルタは優しく続けた。

「じゃあ、そちらはお願い。私はそろそろお仕事に行かないと」

 その言葉にはっとしたような表情になるテオバルト。彼は哀しそうに顔を俯かせた。

「申し訳ございません。お嬢様を働かせるなど、本来はあってはならぬことで……」
「もう。その話は何度もしたでしょう?」

 数年前まで、老人はベルタが働きに出ることを許そうとはしなかった。八年前に父が亡くなり、捨て扶持も得られなくなったとはいえ、多少の蓄えがあったこともある。

 だが、ベルタに不自由のない暮らしをさせようと無理に働いた結果、テオバルトは体を壊し、収入を得ることは難しくなった。
 そうなればベルタが働くしかない。

 ベルタにとってはごく自然な結論なのだが、テオバルトはどうにも後ろめたいものを感じているのだった。

「ともかく、着替えるわね。その書簡のことはお願い」
「……はい、お嬢様」

 老人は渋々といった様子で引き下がり、扉の向こうに消えていった。

「詐欺であってくれないものかしら」

 衣服を脱ぎ、下着一つ身に着けぬ姿になりながら、ベルタは言う。
 その姿を見れば、誰もがほうと感嘆の息を吐いただろう。
 かわいらしいお尻の描く曲線、ぷりんとした乳房の形などはもとより、その引き締まった体躯を構成する筋肉は、おそらく魔界の者が見てもなかなかのものだと評するであろう代物だ。

 ベルタの毎日の仕事――すなわち木材の伐採は、けして恵まれた体格とはいえない彼女の体にも相応の力を与えていた。
 毎日斧をふるい、木材を運んでいれば、否応なくそうならざるを得ない。

「私が西方連盟の盟主なんて。それも、商会連合の推薦? 馬鹿な話よね」

 伐採業の者であるのを示す制服に着替えながら、彼女はため息を吐く。
 商会連合とは、奴隷商人の集団である。そして、その中心となっているのは、カライの元貴族たちなのだ。

 民の蜂起を前に王家と領土を捨て、奴隷という財産を保持しながら商人に転身した者たち。
 その集団が、カライ王家の末裔をネウストリアの盟主に推そうという。

「本当に、馬鹿な話」

 そう吐き捨てながら、それまで一度も見せたことのないような暗い笑みを、彼女はその頬に刻むのだった。


                    †


「殺しましょう」

 スズシロはドミニクのことについて尋ねられると、開口一番そうスオウに告げた。

「皇女殿下の紹介だとしても、理由はいくらでもつけられましょう。始末すべきです」

 会談に同席したヌレサギからもよくよく話を聞いてのことでもあるし、その他の部下からの報告を受けてのことでもある。
 ドミニクは、現在いくつかの部署を転々としながら、下働きに使われている。仕官させるにしても適性を見る必要があると言われれば、当人も納得せざるを得ない。
 そもそも、ドミニク自身すぐに信用されるなどとは思っていなかっただろうから、素直に命じられた役割を果たしているのは不思議なことでもない。

 そして、それらの部署の責任者の報告によると、ドミニクは、自身が言う通りに有能であるかはまだ不明であるものの、確実に働き者であるらしかった。
 土木作業の部署では、効率化を考えて土を突き固めてから運ぶことを進言してきたりもしている。
 その案が採用されるかどうかはともかく、改善策を考える姿勢は評価出来た。

「有能であれば、なおまずいのです。善悪の区別のつかない有能な者を野に放つなど。それよりは、さっさと始末して後顧の憂いを無くしましょう」
「言いたいことはわかる」

 苦笑しながら言うスオウに、スズシロは首を振って見せた。

「それに、私もそやつを見ました。あれは良くない」

 言葉を交わしたわけでもない。ただ、近くで見ていただけだ。
 それでも、スズシロは一見して相手を『良くないもの』として捉え、そして、その直感を疑わなかった。

「そうか。……ふむ」
「大隊長たちも同じ意見だと思いますが」
「シランとユズリハはな。フウロは判断を保留している。他はまだやつと会っていない」
「でしたら」

 ドミニクを見た幹部の全てが反対とまではいかずとも、賛成していない。ならば、答えは決まっているではないか、とスズシロは迫った。
 だが、スオウはそれに頷かない。

「俺としてはもう少し様子が見たい」
「何故ですか」
「俺の抑止になるかもしれんからだ」
「はい?」

 耳を疑うスズシロに対して、スオウはすうと息を吸い、まじめな顔で話し出した。

「人の上に立つ者には例外なく修羅が潜む」

 彼は拳でとんとんと己の胸を叩いた。

「俺の中にもいる。時に飼い慣らすのが困難なほどの厄介なやつがな」
「それは……」

 スオウの言いたいことが、スズシロにはわかる。わかってしまう。

 それを激情と呼ぶ者もいる。欲望と呼ぶ者もいる。あるいは獣と呼び、魔と呼ぶ者も、誘惑の蛇と呼ぶ者もいるだろう。
 だが、全ては同根だ。

 勢力を率いるほどの者全てが抱く『熱』。
 思いを押し通し、理想を築き上げるための、強烈なまでの個我。
 それは時に暴走し、時に己自身にすら牙を剥く。

 その個人にとって大事なものであっても、いや、そうだからこそ、その熱が全てを巻き込んだ大火となり、燃やし尽くしてしまうことがある。

 そんな修羅をスオウその人も飼っていることを、スズシロはよくわかっている。
 そして、その修羅がどんな姿をしているかさえ、彼女は知っている。
 一人の女性の面影を宿しているなどと、スオウはどんなことがあっても認めようとはしないだろうけれど。

「あの者が、それを抑止することになると?」
「直接になることはないだろう。だが、あれは虚ろだ。修羅とは対極にある」
「虚ろですか」
「ああ。あれほどの虚ろ、久しぶりに見る」

 なぜだか、スオウは楽しげにそう言った。
 口の端をくいと曲げるだけの笑みに、スズシロは、ああと嘆息した。

「……わかりました」

 額を押さえながら渋面で言うスズシロに、スオウは意外そうな顔を見せる。

「おや? 食い下がらないな」
「その顔が出たら、どう言おうと考えを変えないことくらいわかってますよ」

 それに、とスズシロは思う。
 虚ろとは言い得て妙だ。
 たしかに彼女がドミニクに感じたものは、そう表現されるとしっくり来る。
 それを最初から分かっていたスオウであれば、対処の仕方もわかっているのだろう。

 そう思えたからだ。

「一つだけ聞かせてください」

 だが、スズシロには疑問があった。

「なんだ?」
「あれと同じくらいの虚ろとは、誰のことでしょう?」

 久しぶりに見たと言う以上、ドミニクと同じような性質の者と以前にも接触したことがあるということだろう。
 それが一体誰であるのか、彼女には見当が付かなかったのだ。

「ああ、それか」

 スオウは一つ笑って、こう告げるのだった。

「いまや皇帝を僭称する男……我が兄だよ」

 と。
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