「そんな、馬鹿な。哀くんは、昨日からようやく、声を出す訓練を始めたんじゃぞ?」
――でも、確かに俺は聞いたんだよ。
「哀しいのはわかるけど、これが現実なんだから。そんな顔したら、哀ちゃん心配するだろ、な?」
ウソじゃねーんだ、部屋の前でハッキリと、3回も。
「工藤が、哀ちゃんの声を間違うはずないわな。仮に声が出てもな、理由があるんや。やから、今はそっとしといてやろうや」
わかってるよ、そんなこと。
何でも、些細なことでさえ知りたいなんて思うのは傲慢だし、彼女の秘密主義には慣れてる。
「ホントに新一くんってば幼いねー」
立ち聞きしていた園子はカラカラと声を上げた。
「ちょっと、園子。笑っちゃダメじゃない。新一プライド高いんだから」
相談相手を誤ったと思う大学院内のカフェテラス。ついでに、時間もだ。土曜日の2時過ぎのセルフカフェは、がらがらだ。
空手部の練習試合の応援に来ていて偶然目にした蘭に声をかけたまではいい。が、学校は違ったにも関わらず高校を卒業してからもつるんでいる園子がいないわけない。帰ってこない蘭を心配して探したら、ここに行き着いたということらしい。
この様子じゃ、俺の話は8割聞かれてる。
ぎっと白いカフェ椅子を引いて、俺の隣に座る園子。
「素直に聞けばいいじゃないの?」
「いや、それができたら……」
苦労はしねーんだって。
「うーん、私も園子の言う通りかなとは思うけど。新一って哀ちゃんのこと、よっぽど大切なんだね」
「俺は大切にされてねーけどさ」
蘭は笑みを浮かべて、ふるふると首を横に振った。
「ドンカンっ!」
「まあまあ。私はちゃんとわかるよ? 哀ちゃんが新一をどれだけ大事に思ってるか。だけど、こーいうのって本人にわからなきゃ意味ないもんね」
ふっと息を吐くと。
「恋って、楽しいだけじゃないなあって気付いたの。二人で普通に一緒にいたって不安になることあった。尚更、不安だよね?」
そう。漠然とした不安に苛まれて近頃灰原に会いにいけない。顔を見ればうっかり感情をぶつけてしまいそうで会うのが恐くて。
「だいたい新一は、傷つけないようにって考えて、遠ざけようとするから。
それって反って傷つくよ。前は、とっても自然な関係だったのに。哀ちゃんの声が出なくなってから、新一ヘンになったもの」
「こやつは元々」
「シグナルに気付いて?
新一。哀ちゃんは哀ちゃんなんだよ」
そりゃそーだ。
「うっし!」
勢い立ち上がる園子。
「行くよ、新一くん!」
「は?」
「あんた、まだ悩んでるでしょ、園子様にはお見通しよ! 今から哀ちゃんとこっ。
あ、蘭は試合の続き見てきなよ」
腕を引っ張られ、無理矢理立たされる。
「でも、私は嬉しいよ」
俺らを見遣る優しい眼差し。
「新一、私に相談なんて初めてだから。今まで聞いてもらいっぱなしだったから。今度は私の番ね、女心に疎い推理之介さん」
「たのも〜う」
道場破りか、オメーは。 リビングにいた灰原は、本から顔を上げて、きょとっと俺らを見た。
机上のメモに、珍しいツーショットね、とペンを走らせる。
俺といるとき以外、灰原は筆談だ。
「単刀直入に聞くけど」
いきなり用件に入るつもりかよ。
言葉を発しようとしたら、園子の鋭い眼光に阻まれた。
「哀ちゃん、声でるの?」 首をゆっくり横に振る。 どうして、ですか?
「新一くんが、あなたの歌声を聞いたって言ってて。えらく気になるようだから、あたしが替わりに聞くわ」
これのことですね。
と、灰原は席を立ち、オーディオの電源を入れ、再生ボタンを押す。
流れてくる歌声。『スカボロー・フェア』。
「――これ?」
「ああ」
いま、私、声を出す練習をしてて。まさか、声をなくすなんて思わなかったから、こんなのしかないんです。音楽のテストで好きな歌を歌って録音したもの。――私の声を忘れないように。
「あたし、……ごめんなさいっ」
微かに震える最終行に園子は頭を下げる。
さらさらと綴られる字。
「園子」
メモには、園子さんのそーいうとこ、好きですよ。 そして、灰原はにっこり笑った。
歩道橋の上に灰原を見つけた。学校帰りらしく、ランドセルをからって。
息を吸い込んで
「は、いばら〜ぁっ」と大声を上げる。
歩道橋にいた幾人かが、驚いて足を止め、また歩きだす。
声に気付いた灰原は、キョロキョロと俺を探し、見つけ立ち止まる。
恥ずかしそうに小さく手を振った。
その顔が一変する。
ひどく慌てて、指を指し何かを訴えていた。
表情しかわからねぇ。
俺は灰原に駆け寄ろうと走り出した。
髪がぐしゃぐしゃになるくらい首を横に振っている。
必死なんだろうけど、手話も遠すぎて全く見えない。
欄干に手をついて、叫んで、いや、叫ぼうとしている。
伝わんないんだよ!
聞こえないんだ。
……声が届かないから。 その時だった。
「後ろだ! 工藤! 逃げろっ!」
黒羽の声に振り返る。
男がいた。
ナイフを真っすぐに構えて。
見覚えがあった。
昨日逮捕された犯人の彼氏だ。
脇腹にずん、と重い衝撃。熱い、痛み。
地面に落ちる赤。
薄ゆく意識に、工藤くん。と耳元で彼女の声が聞こえた。
頬に触れる冷たい感触に、俺はそれを指で掬う。
――なみだ?
泣いてるのは、だれだ? ぽっと明るくなる視界。 ぼんやりと写る世界。
大丈夫だよ。大丈夫だから。
俺はそいつをぎゅっと抱きしめる。
だから泣くなよ。
「離せ、死ぬわっ、首〜っ、苦しいわ!」
乱暴に振り払われた手。 目の前にある服部の顔。
「あほぅっ!」
「心配して損したね」
「ホンマや。とりあえず俺らは先生呼んでくるさかい。哀ちゃん、よろしくな」 病室のドアの方を向いたまま、こちらを見ない灰原の頭を黒羽が撫でて二人は出ていった。
静かな病室。
「灰原」
小さくため息。
「灰原、んなとこで泣いてないでこっちにおいで?
……ん? 泣いてねぇって? 今すぐ抱きしめたいとこだけど、この通り動けないからさ」
灰原は俺に背を向け、後ろ向きでちまちま歩いてくる。
片手で体の向きを変えようと促せば、両手で顔を覆っている。手をずらして瞼に触れる。その熱さに、手の下の泣き腫らした表情を思い浮かべた。
「実はやっぱり大丈夫じゃなかったみたい。でも今からは大丈夫だからな。
確かに届いたから。灰原の声」
ずっと救急車の中で手を握って俺の名前を呼んでくれていた。
届いたからここにいる。
「ありがとう」
色んなカタチで送ってくれていた信号を見逃していたけれど。
灰原が無事なら俺はどうなってもいい、と思っていたけど。
これから俺は俺をもっと大事にするから。
「俺、灰原のために生きていいかな?」
END☆
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