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甘く柔らかなそれ
作者:鈴原
 放課後ティータイムのきゃっきゃうふふなSSです。お楽しみいただければ幸いです。

 放課後になり、部活動に精を出す学生たち以外は大半が帰宅した私立桜が丘高校の、琥珀色の液体から立ち上る香気によって満たされた音楽室で、席に着いた五人の軽音楽部メンバーはそのうちの一人に意識を集中させていた。
「それでな、うち、ホンマはお好み焼きを食べたかったんやけど、
そこのお店はセットでご飯がつかへんし、別のとこにせえへんか、て言うたんよ。
せやけど、みんなはそこがええて言うし、結局列に並ぶことにしたん」
 室内に部外者の姿はなく、当然、同席する関西人もいない。しかし、聞こえてくるなまりは実に流麗で、イントネーションは関西出身の芸人が話すそれと遜色ないレベルだった。
「で、味の方はどうだったんだ?」
「それが、並んで大正解やってん。もう、めっちゃ美味しかったわ」
 自身に注がれる感嘆と賞賛を込めたまなざしに気づいて、くっきりとした特徴的な眉の少女は小さくはにかんだ。照れ隠しなのだろう、緩やかなウェーブを描く髪をそっと手のひらで押さえつけると、たおやかに一礼して目をまったき弓にする。
「みなさん、ご清聴おおきに」
 ちなみにこの「みなさん」はアクセントが「み」にある、関西なまりだった。こうした紬のごく自然な言葉遣いに、
「おおー、ムギちゃんすごいすごい」
 ギター担当の天然娘は惜しみない拍手を送り、
「すごいです、ムギ先輩」
 ツインテールの少女は素直に感心した様子で手を打ち合わせ、
「本当、どこで覚えてきたんだ……やで!」
「いや、それはおかしすぎるだろ」
 カチューシャによって額を惜しみなくさらけ出す少女が興奮気味に叫ぶ隣で、ベース担当の黒髪少女は苦笑と共に突っ込みを入れる。
 すると、特徴的な眉の少女は軽い会釈の後、にこにこと言葉を紡いだ。
「ホンマ、どこで覚えてきたんや、が正解かしら」
「うん。それなら自然だな」
 おかしみの残滓を口元に浮かべつつ、澪は親友の脇を肘でつつく。まったくだ、と律は折った腕を肩の上へと持ち上げて、降参を示すポーズを取った。
「修学旅行の時にも思ったけど、本当に上手だよな。ムギは、大阪生まれじゃないんだろ?」
「ええ、生まれも育ちも今住んでいる家よ。だからあの旅行が初めての関西だったの」
「でも、だったらどうしてなんだ?」
「それは……」
 紬は思案を短く切り上げるとお嬢様らしい上品なほほえみで一つうなずいて、おもむろに立ち上がり棒状の何かを握るジェスチャーをする。
「?」
 突然の出来事に誰もが思わず首を傾げる中、特徴的な眉の少女は何やら手を動かし始めた。野球選手の真似だろうか。あるいは神主か、それともまったく別の何かであろうか。
「なんだ?」
 目を寄せ気味に凝視していた律は、十秒を待たず音を上げた。
「くー、考えてみたけどわかんねー!」
 部長の向かいに座る唯は、一定の動作を続けるキーボード担当の同級生を眺めていたのだが、名案が閃いたとみえておお、と唇で小さな輪を作ると、隣の梓に得意げな顔で向き直る。
「嬉しそうですね唯先輩」
「だって、答えがわかっちゃったからね」
 えっへん、と胸を張る先輩をツインテールの少女は半信半疑で見つめ返し、それを、何故か続きを促されたと取ったらしく回答は間を置かず飛び出した。
「ほら、見てみて。あの平たい棒を持った手にそっくりじゃない?」
「平たい棒、って」
「ほら、たくさんの人がいっせいに話しても全部聞けちゃった人」
「……聖徳太子、ですか?」
「そう、それ!」
 梓は思わずしげしげと唯を見やってから、紬へと視線を移す。
「握り方が少し違う気がします。(しゃく)よりもっと細長いものを持っているように見えませんか?」
 無意識のうちに旧千円札に記載されていた聖徳太子のポーズを取りつつ言うツインテールの後輩に、ギター担当の天然娘はそうかなあ、と首を盛大に傾ける。
 そうした仲間たちの様子を尻目に腕を組み、考えていた澪は結局何も思い浮かばず、特徴的な眉の友に解答を求めた。
「結局、なんなんだ?」
 紬はふふ、と唇で描く弧を強めて、嬉々とした声で次のように言った。
「いつもより多く回っていまーす」
 まず唯を除く全員が同時にジェスチャーの意味を理解し、遅れること十秒あまり、唯が柔らかそうな手のひらを緩く打ち合わせて納得の表情をみせる。
「実は、録画しておいた吉本新喜劇でこっそり練習してきたの」
 紬らしいといえば、らしいのか。しかし、ぱっと見たくらいではここまでマスターすることなどできない。数日かけて、ひたすら視聴を繰り返したのかもしれない。この時、たった今披露されたネタが果たして新喜劇のものだったのかどうか、密かに疑問を抱いた梓だったが空気を読んで沈黙を選んだ。
「なるほどな。どおりで上手なわけだ」
「ムギの家の、あの大画面で新喜劇か。なんだか圧倒されそうだな」
 相槌を打つ澪に首肯してカチューシャの少女はくつくつと笑い、そういえば、と右の人差し指を立てた。
「ところで、回るというとお姫様ごっこを思い出すのは私だけか?」
「なんだ、それ」
 不思議そうに目を瞬かせる黒髪の親友に、律は中腰になり、何かをつかんでは手元に引く動きを開始する。
「綱引き?」
「違う。ほら、時代劇とかであるだろ?
なんかエロそうな殿様が姫の帯をこう、ぐいっと引っ張るやつ」
 畳敷きの広間で着飾った姫が帯を引かれてくるくると回るお約束の光景は、さすがに唯もすぐに思い浮かべることができた。だが、澪はいまいちピンと来ていないようで、しばらく考え込んだ後、不意に眉をしかめてカチューシャの親友に半眼を向ける。
「まさか、いかがわしいビデオの話……じゃないよな」
「なんでやねん!」
 不審者を見るような目つきの黒髪の親友に、律は思わず突っ込んだ。それでもなお、向けられている疑惑のまなざしはほとんど変わらない。紬はその隣で「今のは上手かったわりっちゃん」という、居合わせる誰の耳にも届かない小さなつぶやきをもらしていた。
「よっぽど信用がないんだな」
「日頃の行いじゃないですか」
 後輩の言葉に、カチューシャの少女は思い当たる節があるとみえて苦笑する。直後、唯と目が合った。その瞬間、二人は通じ合っていた。第六感とも呼ぶべき何かが、確かに行きかった。
「私はわかるよりっちゃん。わかってるよ!」
「おー、わかってくれるか唯!」
 満面の笑顔でばちっとウインクを飛ばし、親指を立てて言う六弦奏者たる天然娘の肩を律はしっかとつかんだ。
「あーれー、だね、りっちゃん!」
「そうそう、あーれー、だ!」
 二人のテンションは天かける竜の如くどこまでも高く駆け上り、こうなったが最後、彼女たちを止められる者など存在しない。
「あーれー、お殿様、お戯れをー」
「ふはははー、どこへ逃げようと言うのだー」
 けらけらと笑いながら部屋を駆け回り始めた唯たちを見つめるメンバーの様子は、三者三様だった。紬はうっとり顔で観賞モードに入り、澪はただ茫然としており、梓はいつものことと諦観している。
 しかし、この部屋にいる以上、否、軽音楽部に所属する以上は部外者となることなどできるはずもなく、いたずらっぽい光をたたえた二対の視線は狙ったかのようなタイミングで同時にある一点へ収束した。
「お、あんなところにかわいい姫を発見!」
「うん。かわいい姫だよりっちゃん隊員!」
 二人の先輩が口々に声を弾ませるのを耳にしたツインテールの少女は、内容を吟味するより先に背筋を冷たい何かが走る感覚に襲われて反射的に椅子から立ち上がろうとするも、時すでに遅し、腰を浮かせかけたところを両側から抱きしめられてしまった。
「何をするんですか律先輩」
「あーれーお姫様ごっこ」
 寸分の迷いも感じられない律の返答に絶句する梓へ、今度は反対側の唯が頬ずりを開始する。
「もう、唯先輩まで」
「頬ずりだよ」
「そんなこと、聞いてません!」
 ツインテールの少女はすかさず突っ込みを入れるが、ギター担当の天然娘は意に介することなく、骨がぶつかり合わないよう気をつけながらも苦しくない程度に頬を押しつけることで柔肉を堪能する。
「あーずにゃーん。あずにゃんの柔らかほっぺー」
「ちょ、ゆ唯先輩、もう、やめてくださ……ひゃんっ」
 いつまでも止まない頬ずりに唇を尖らせて文句を続けようとした梓は、頬をぬめる何かが這う感触に思わず悲鳴を上げた。驚き顔でそちらを見やると、唯はいたずらを見つけられた幼子のごとく小さく舌を出して目を線にしている。
「もう、唯先輩!」
「えへへ。つい舐めたくなっちゃって」
「つい、じゃありません! 舐めるのはNGです!」
 悪びれる様子のない先輩に声を荒げたツインテールの少女は、更に言い募ろうとして再度台詞を詰まらせた。またも頬を舌が這ったのだ。
「何を考えているんですか唯先輩!」
「いやー、あずにゃんのほっぺたって柔らかいな、って」
「だから、そんなことを聞いているんじゃありません!」
 恥ずかしさのためなのか、怒っているせいなのか。上気した頬で、梓は両側からの囲みを解こうと抵抗を開始し、カチューシャの少女は後輩の意図を察して、そうはさせまいと押さえつけにかかる。
 必然的に赤みが差した顎にかけてのラインが目に入り、律はふむ、とうなずいた。
「んー、確かに美味そうだな。どれ、私も一口」
「やめてください! 私は別に美味しくなんてないですから!」
 押しのけようとする梓の力は決して弱くないのだが、さすがに二対一の状況を跳ね返すほどではない。軽音楽部の長は余裕の表情で茫然と立ち尽くしたままの親友に声をかけた。
「どうだ? 澪も味わってみるか?」
「えっ」
 ぎょっとした顔でこちらを見てくる澪をけしかけるべく、律は共犯者を横目で見る。
「ほらほら。梓も舐めてもらいたそうな顔をしてるだろ。なあ、唯」
「そうだよ澪ちゃん。ほら、あずにゃんも猫の手を借りたいほどおとなしいよ」
 妙に力強く肯定する唯に、ベース使いの少女は頬を上気させながらもぽつりとつぶやいた。
「それを言うなら借りてきた猫のように、だろ」
「あれ、そうだっけ?」
 唯は意外そうに大きく目を見開きつつ、首を傾けたまま動きを止める。カチューシャの少女はそれに構わず、ニヤニヤとしそうになる口元をどうにか引き締めた。
「ほら、梓が待ってるぞ澪」
「いや、待ってるって言われても」
 動揺しているのがよくわかる、上ずった声が音楽室に響く。
「そうだよ澪ちゃん。早くしてあげないと」
「ムギまで」
 予想外の攻撃を背面から受けて返答に困る黒髪の少女の肩を紬はそっと押した。まさしく四面楚歌、テンパってしまった澪はぎこちない足取りで、見えない糸に引かれるように一歩、また一歩と後輩との距離を詰めていく。
 そして、彼我の距離が手を伸ばせば届くところまで狭まったその時だった。
「……っ」
 梓は、ぎゅっと目を閉じた。

 この時、梓は覚悟を決めたわけではなくただ、同じ部に所属するメンバーの中でもっとも強く憧れを抱く相手に頬ずりをされる、その瞬間を、目を開いたまま受け入れることができなかっただけであった。
 自身の感情がどのような種類のものであり、どんな言葉で呼ばれるものなのか、わからないままに目を閉じたのは、逃げ、という表現こそがふさわしかったのかもしれない。本気で嫌がればさすがに律と唯は腕を放したはずである。また、全力で暴れずともきちんと止めて欲しい旨を伝えれば、悪ふざけが過ぎたと反省するに違いなかった。
 では、何故彼女はそうしなかったのか。先輩に何ひとつ意見することができない引っ込み思案な少女ならば、黙ったままでいたのかもしれない。だが、そうではないのだ。普段から、不真面目な行いを叱るのは梓の方である。
 では、どうして何も言わずにいるのか。
先輩たちはからかっているだけと高をくくっているわけではないのは、態度を見ればわかる。この場から逃れる術を持ちながら、しかし彼女はそれを行使しない。
 では、そうしない理由は何故か。言葉尻だけを捕らえれば、彼女は矛盾した行動を取っている。これでは、本当は嫌がってなどおらず、むしろ、望んでいるのではないかと勘ぐる者がいてもおかしくはない。
 いずれにしても、自身の気持ちから目をそらすには、瞼を閉じる行為は実に都合がよかった。あくまでも、己の意思によるものではない。そう思うことで、真実を見据えずとも済む。ほんのわずかであっても、嬉しく思う気持ちがあるなどと、誰にも気づかれることはない。
 もちろん、ツインテールの少女はそこまで考えて目をつぶったわけではなかったが、意識の深いところにそういった想いがあったことは否定できなかった。
 しかしである。
 いつまで経っても何かが頬に触れることはなかった。指も、頬も、唇も、舌も、息遣いも、髪の毛も、体温も、一向に近づいてこない。
「……あれ?」
 梓がおそるおそる目を開くと、先輩たちはじっとこちらを覗きこんでいた。そのことを知覚して、一気に頬が熱くなる。
「なにをやっているんですか」
 澪だけはもじもじとしているが、残る三人は楽しそうだった。特に律は、愉快でたまらないといった顔つきでにんまりとしている。
「なに、って梓を見てたんだよ。ちゅーを待つ乙女の表情を堪能する機会なんてそうそうないからな」
「な、なな」
 ツインテールの少女は同じ音を繰り返すことしかできず、一時的にカチューシャの先輩に対する反論を諦めて唇をわななかせた。普段の部活はすぐに手を抜こうとするくせに、こういう時は率先して動くのだから始末に負えない。
唯は、何を考えているのかにこにことしている。おそらく、本当に何も考えていないのだろう。
紬は、何を考えているのかにこにことしている。おそらく、脳内で妄想を広げているのだろう。
「どこ見てんのよ、くらい言ったらよかったのにな」
「なんですか、それは」
「なんとかっていう芸人のネタ」
 押し黙る後輩に、律はすっと目を細くして意地の悪い笑みをみせた。
「ところで、ほっとした、と言うよりは残念そうな顔をしているように見えるのは気のせいかな?」
「な、なにを言ってるんですか律先輩」
 そんなわけないじゃないですか、と早口につぶやいてうつむく梓の顔は、赤い。ちらりと黒髪の先輩を盗み見ると、ばっちり目が合ってしまいあわてて下を向く。とんだ失態である。
 だが、部長が茶々を入れるよりもツインテールの少女は先に動いた。
「そんなことより、そろそろ練習を始めないと。ほら、もうこんな時間ですよ」
 意図がみえみえであっても沈黙を継続するよりはマシと考えたのだろう。梓は壁に立てかけてある楽器の元へそそくさと歩いていく。
 と、その時だった。いきなり席を立った紬は柏手を一つ打つことで全員の注意を集めると、よどみない足取りで驚き顔の後輩に近づき、えい、という一声と共にペロリと頬を舐めたのだ。
「……っ!?」
 舌が這った部分を押さえて後ずさりながら、梓は目を白黒させつつ叫んだ。
「なにをするんです紬先輩!?」
「どんな味がするのか、興味があったから、つい」
 それでいいのか、と誰もが思うむちゃくちゃな理由である。しかし、軽音部員たちは動くことができなかった。どんな反応をみせるべきか判断に迷った。そして、一堂は無言のまま視線を交わして小さく顎を引き、律へとすべてを委ねることにした。
「で、味の方はどうだったんだ?」
「舐めてみて大正解やったわ。ホンマに美味しかった」
 本気とも冗談ともつかない満面の笑顔で言う紬に、突っ込みの言葉を持つ者はいなかった。
 夏の盛りに書いたお話です。音楽室ではきゃっきゃうふふな肌祭り、スキンシップの嵐が吹き荒れています。たまにはこういう展開もいいですよね。……あれ、たまに、ではない? そんなことはないですよね。ええ、きっと。
 それでは、再び皆さまとお会いできることを祈りながら。
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